Q&A_8…3月18日(土)

Q&Aの続き(実際のやりとりに加筆訂正)

Yさんからのメール
ご心配をおかけしています。またメールを開けなくなっておりました。すみません。真面目に2週間に1度の通院と、投薬は守っていますが、波があるようです。レポートを提出する頃はがんばれたのですが・・・・。ここのところは、またおちこんでおりました。薬を替える相談もしていますが、もう少し様子を見ようということにしています。(もう少し強い抗うつ剤があるそうですが・・・。あまり強い薬に頼って良いものか気になっています。) まだ、電話やメールを開くのが怖いです。今日は久しぶりに思い切って開けましたが・・・。

あたしのお返事
Subject: まずは薬物療法が先です
お返事がなかったので、調子が悪いのだろうなぁ、と、想像していました。
また、電話に出られない、メールを開きたくない、の、だろうなぁ〜、と。
強い薬といっても、ちゃんと医者が処方するので、強烈なことにはなりません*。
心理療法をする場合であっても、まず、薬物療法によってある程度コントロールしてから、の方が効果的なのだと思いますね。
前に話したかもしれませんが、あたし自身、「ああ、これで効いているな〜、調子いいな〜」とわかる薬が決まったのは診断名が付いてから3ヶ月後でした。その後も、長くて数ヶ月単位で薬は変っています。その都度、強くなったり弱くなったり。
気が重いかも知れませんが、腰痛(あるいは慢性病)と同じで、いかにして共存するか、がポイントです。
薬を使っても、病気を飼いならせれば、いいわけです**。
戦略的にやりましょう。
例えば、できれば、自分のリズム…1週間ではいつ眠気がでてくるのか、1日ではいつ眠気がでてくるのか、数ヶ月単位ではどうか、といったことも、記録しながら確認して行くといいのではないかと思います、って、これは担当医が指示することだっ。
それから、かつて、あたしの指導教官だったH谷先生も躁鬱病で、あたしに診断名が付いた時、どうもH谷先生はちゃんと薬を服用していないようだ、という噂を聞きました。
で、あたしとしては、しゃかりきになって服用した(これはこれで神経症的ではありますが)わけです。今も、1日分を小分けにして必ず服用するように心がけています。前は、シートの裏側に日付を書いて管理していました、が、書きにくいので、1日分をまとめるように変えました。

恐らく、そろそろ、薬に対してどんな反応をするのか…効きにくいのかすぐに効くのか、といったこと…を担当医がつかんでいる時期だと思います。ですから、強い薬にする、と、言った場合、これからいくつかの薬を試して行くことも含まれるのだと思います。
ホルモンと同様、体内での濃度が問題になるのだと思います…だからこそ、継続して服用する意味がある。
あたしの場合、1週間か2週間の観察で、薬を変えて行きました。
そのようなことをする時期に来ているのだと思います。

あたしは、仕事をしながら闘病する道を選びました。
休職するという方法もありましたが、そちらの方法では、職場に戻ってきた時(同じ職場であれ違う職場であれ)に…職場の環境はそんなに簡単には変化しないのに、自分だけ変化しても、また自分が元の状態、病気の状態、に、戻ってしまう可能性が高いので…対応できない可能性を考え、環境に適応しつつ病気を飼いならす道を選んだわけです。
そうなると、緩解するまでにはとても長い期間が必要になります。
その点も含めて、一生ものの病気、なのですね。
くれぐれも、病気である、ということを再認識してください。
つまり、気の持ちようでどうにかなる、気合いの入れ方でどうにかなる、のでは、「ない」、のです。
また、風邪に喩えて、「うつ病は心の風邪だ」と言う場合がありますが、病気とはいえ、薬を服用すれば簡単に治るわけでもないようです。風邪の場合にはウィルスを退治できれば(休養と栄養によって免疫機能を高める、他の感染症を防ぐために抗生物質を使う)、生体の自然治癒力によって治るのに比べ、うつ病の場合には、いわば、脳内伝達物質の機能障害という状態(さらに、何故そうなってしまうのか、まだ理由がわからない、つまり、原因を取り除けない)であり、根治することが難しいということも理解すべきだと思います。
気長に飼いならすようにした方がいいと思いますよ。

思いつくまま書きました。


*強烈なこと
依存とか、ヤクチュウとか。
つまり、このブログで書いているヤクチュウは、厳密には違う、のでありまする。
紛らわしいぞっ、て、はい、済みません。

**病気を飼いならす
このように考えられるようになったのは、いつだったろうか。
どうしても薬で調整することが受け入れられなかったことは事実。
診断名が付いてから3年目くらいだったと思う。SSRIパキシルを徐々に減らして行った時期、ああ、これで治るんだぁ、と思った後、結果的に元に戻ってしまった(調子を崩してしまった)時、とてもがっくり来た。
友人たちは、薬で調整できればいいじゃん、と、は、言ってくれる。が、当人としては、薬を使ってそれらしく生きることは「他人のふんどし」のようで、イヤだ…その割には売薬をよく服用しているぞっ、て、はい、済みません。
極端な話、人ではない、ような、気分になった…おっと、これって、症状の1つかもね。

2 comments to this article

  1. ちょこっと閲覧人

    on 2012年10月2日 at 15:50:14 -

    久しぶりのコメントです。
    (…upされたときに目を通していましたが)

    「病気を飼いならす」という表現が、やけに気に入ってしましました。
    『ハイッ、ドウドウ!』(←馬の調教風)…想像したら妙におかしくて。いえいえ。
    マジメに、ですよ。

    私の感覚(今の)では、ある周期で自分の中の「病気」が大きくなったり小さくなったりする
    …つまり、日常生活を送る私に対する‘影響力’が変動するというような感じです。振り回される度合いが、ある一定のスパンで曲線を描く。
    『…あっ、来るな』と、なんとなく予感すると、案の定、翌日は朝からグッタリ…予期できるなら、それを回避するための策を立てたらよいではないか、とは何度も思い、何度も試行錯誤してきました。
    でも、結果はいつも同じで、落ちかける自分を持ち上げる策などありませんでした。嵐が過ぎ去るのをひたすら寝て待つ、という感じを繰り返しています。
    私は以上のことを「健全な諦め」としてきましたが…
    なるほど、緩解という捉え方もできるのかあ。その方がどことなくいい感じだなあ…と思ったわけです。
    とはいえ、ホンネとしては「原因」を明確しに、それを目に見える形で退治したいと思ってしまうんですよね。
    環境論か、遺伝論(気質論?)か…  (後者はいやだな)
    最近、私の兄弟までにもその兆候がみられおり、実家にいる母親はオロオロしては自分を責めているようです。
    無気力…その症状をみる限り、明らかに‘鬱’が浮かんでくるわけですが、その原因を知りたいと思う一方で、知りたくないとも思う。 いずれにせよ、一番必要なのは、本人が少しでも気持ちを穏やかに過ごせるようになることですよね。
    …やはり薬物療法かなあ。

  2. kumecchi

    on 2012年10月2日 at 15:50:58 -

    脳内伝達物質セロトニンの再吸収を選択的に阻害することが「気合い」でできればいいのだよん。
    ただそれだけのことだ。
    しかし、靴の上から足の裏を掻いていては仕方ない。