3月20日(月)前後

チョー、調子、悪い。
ひたすら、だるい。
3/15から眠りのリズムが乱れ、3/18と3/21は、絵に描いたような中途覚醒だった。レボトミン5mg1錠とラボナ50mg1錠を服用したのに、3時間くらいで起きてしまった。特に3/21は、目がシバシバして目をつぶると眠れそう、なのだが、実際には全く寝つけなかった。夜中、さらにレボトミン5mg1錠とラボナ50mg1錠を服用した、にも関わらず、で、ある。
結局、6時過ぎまでバッハやモーツァルトを聞きながら、午前中を寝て過ごす。
大学院の先輩が、20日から開催されていた某学会の全国大会に来ているとのことだったので、夕方、会いに出かけた。
この先輩には、大学院の時だけでなく最初に就職した時も、とてもとてもお世話になったし、はずかしながら、とてもとても迷惑をかけてしまったこともある。
なんとしても、会わなければならない、と思う。
統計本の打合せもしたいし、コンピュータに関するよもやま話もしたい。
それより何より、である。
それにしても、凄い人だ。
「勉強をさぼっていて…」と、は、言うものの、なんとも、凄いことを知っている。
刺激になるなぁ。
で、幸いなことに、この夜からちゃんと眠れるようになった。


10 comments to this article

  1. ちょこっと閲覧人

    on 2012年10月2日 at 16:03:41 -

    その先輩の方に会われたんですね^^。
    それがきっかけで、というように、自然な形での『刺激』こそが一番効果があるのかもしれませんね。
    …これは、科学的(医学的→薬物など)なものではないですね。
    やや臨床○理学的?
       …おおっと、すみません。

  2. kumecchi

    on 2012年10月2日 at 16:04:35 -

    正確に言うと、3/25は眠れなかった、ので、刺激は長期的な効果をもたらさなかったと言えよう。
    ちなみに、この先輩は、臨床心理士である。彼が資格を取った時、この歳で試験を受けるのは辛い、と、おっしゃっていた。
    恥ずかしながら、その当時、(彼とは別の大学で)学生相談をしていたあたしは、ならばあたしでも資格はとれるかも、と、思ってしまった。幸か不幸か、学生相談は1年で終わった。
    もしも資格を取っていたら、それはそれで妙なことになっていた、かも、ね。
    うひひ。

  3. ちょこっと閲覧人

    on 2012年10月2日 at 16:05:30 -

    へええ!!そうなんですか!?
    …自分は直感的な「何か」を持っているのかな(なんて買いかぶってみたり)。
    話を流れでは、その方はだいぶ遅れて資格を取られたのでしょうか?…励まされますねえ。
    でも、kumecchiさんがカウンセラー(心理士)の道へ進んでいたとしたら…
    ある意味‘濃い’臨床心理士になられているでしょうねー…
    とはいえ、今でも微妙にカウンセラーだと思いますよ。現役バリバリの。

  4. kumecchi

    on 2012年10月2日 at 16:06:06 -

    全然、非指示的ではないよ、って、単にロジャース流ではないだけだな。
    あたしはチョー指示的。だから濃いし、振り回される。しかし、これは、普通の教師なら誰でもやっていることである。
    ちなみに、この時は、お互いに自慢話をしあっただけだったし。
    疲れは、翌日以降に出て来る。

  5. ちょこっと閲覧人

    on 2012年10月2日 at 16:06:50 -

    疲れは、翌日以降に出て来る>
    それは教師にしても、心理屋さんにしても、共に通じる職業病(に似てる)かもしれませんね。
    …問題は「それがいつまで長引くか」なんですが。

  6. kumecchi

    on 2012年10月2日 at 16:08:03 -

    その考えって、まずいんじゃないのかね〜
    「普通の教師なら誰でもやっていること」とは敢えて(意図的に)書いたのであって、カウンセラーは普通の教師とは「違う」ことをすべきであるし、実際、カウンセラーは共感しても引きずられない(すんげぇ、矛盾だ)ように訓練するはずだ。決して、教師と同じではない。
    同様に、心理屋も教師とは異なる。教育を冠した心理屋であっても、メカニズムを追求するのが目的の筈だから、(被験者と呼ばれる)学習者の学習目標はどうでもよくて(教科書に従ってインストラクションをしました、って、いったい、何をしたことになるのだ?)、かなり無責任である。
    似てはいない。

  7. ちょこっと閲覧人

    on 2012年10月2日 at 16:09:40 -

    うーむ…そうですね。
    教師と心理屋は、同じものでは決してありませんが(そりゃあ)、微妙ながら似てる部分があるのではないか、と思うのです。
    というか、私的には似ている部分があって「ほしい」「あるべきだ」と思うわけです。
    それに、確かに心理屋は対象者(被験者も?)のメカニズムを追究し、各個人に適したプランを治療として立てる…ということをします。その上で、ロジャーズ等の理論は土台として存在する。しかし、それが全てであってはならないと思うのです。
     生身の人間を前にしたとき、「全人的な理解と共感」として『…はい。そうですね。』なんかを繰り返して、ひたすら共感に徹する、といったコピー心理士は、私の最も嫌いとするところです。
     いろんな理論(土台作りの主な素材)を沢山集めてきて、それを自分なりに吟味しながらモノにしてゆかねば、現場で柔軟に対応できる心理屋にはなれないのではないかと。
    だから、指示+受容 を、その対象に応じてバランスよく引き出すといった具合が私の理想ですね。
    …ああ、なんか話がよくわからなくなってしまいましたが、
    心理屋も「引きずる」べきだと思うのです。もち、それも対象に対してある程度の心的距離を保って、ですが。
    それは、私的には心理屋さんに引きずって「ほしかった」から。それを意図して行った行動は数多くありまして…。
    それらを少しも気に留めない様子の(ドライな)心理屋からは、私は自然と遠ざかっていってました。
    ちょっと自分のことを引きずって、離してくれる心理屋がいいなあ…なんて。
    うーん。目に見えないものって表現が難しいですねえ。どう書いたら、この感覚が相手に少しでも上手く伝わるか。言葉で感情を表現するのには限界がありますね(既知のことながら)。
    曖昧な表現って、その先相手がどう受け取るかに委ねられていますね…。
    感情が付与された言葉がいかに理解されるか。それって、その言葉を放つ側と受け取る側との共同作業ですよね。
    カウンセリングとは、やはり常に試行錯誤するものだと思います。
     私は、見えないもの。感覚的なものを体感したいという欲求が強いらしいです。それは、無理に見える形にしなくてもよい(現場においては)。
    (立証重視の)心理系の先生方に喧嘩を売るようでもありますが…(あれあれ)

  8. kumecchi

    on 2012年10月2日 at 16:10:22 -

    うーん、なんだかね〜
    立証は科学である限り必要不可欠な手続きだからな〜
    それに、カウンセリングで試行錯誤してもらいたくないしな〜
    引きずったら心理屋じゃないと思うしな〜
    プロは、「その先相手がどう受け取るか」を予想して、敢えて曖昧な表現をするのだと思うしな〜
    よくわかってないね、書いている通り。

  9. ちょこっと閲覧人

    on 2012年10月2日 at 16:11:14 -

    うーん。その通りかもです。よくわかっていません。
    けど、現場って結構いいかげんな心理屋さんが多いのは事実なんですよね〜
    科学的な部分と、そうではない部分(曖昧な、やや宗教的な部分?)とのバランスが重要なのではないでしょうか…
    試行錯誤する>
    臨床心理士で、現在は某大学の先生をしていらっしゃる恩師(地元)は、一人前になるまで二十年はかかるよ、とおっしゃっていました。そういった意味で…
    相手(クライアント)に育ててもらうというふうにも捉えられるかと。
    ある程度の科学的な立証・知識(統計も含む)は前提として身に付けていても、現場にそれが必ずしも有用なのか、といったらそうでもないのが現実だと思います(事例の多様化・増加の為かと)
    だから、大学院が新しく設置され、「研究重視」派と「現場重視」派(※論文は事例研究というのが、それを象徴している)というように二本化されたのではないか。と。

  10. kumecchi

    on 2012年10月2日 at 16:11:55 -

    幸い、授業研究をさせていただいている。
    …本来は、情報教育をせよ、ということらしいのだが。
    授業を創る作業は、日々、研究である。
    だから、合目的活動であるカウンセリングも、日々、研究である、と、思いたい。
    人材育成も授業を介して行わざるを得ないわけで、日々、研究である。
    が、セコイ研究者は、自分の分野の研究しか研究だと思っていない。
    あ〜、もったいない。