Q&A_6補…2月3日(金)

Q&Aの続き…Q&A_6の続き
(実は2005年12月に公開しようと準備していたもの)
「ブログでカミングアウトしているけど、差別とか、ないの?」
類は友を呼ぶ、か、朱に交われば赤くなる、か。
ここ1年のうちに届いた、近しい人たちからのメールの中から。

○Zさん
とはいえ、ここ最近の私は精神的に不調でありまして(少量ですが抗鬱薬を処方してもらっている状態で)、著しく知的作業の効率が落ちているようです。
だからどうだ、という話ではありませんが、一応知っておいてもらいたいと思い、加えてご報告いたします。

○Yさん
今年の2月に体調を崩し、人間ドックで糖尿病と肝機能障害が見つかりました。まだ生きておりますので、それほど重大な症状ではなかったと思ますが、父の病気や、痴呆症の祖母の介護の問題、その他の自分の家族の問題、仕事の問題が重なり、落ち込んでしまいました。
自分がしっかりしないとと思うと病気のことも家族には内緒にしております。入院することがこわくて、それ以来病院に行けなくなりました。仕事も子どもたちが学校にいる間は気を張って何とか出来るのですが、子どもを帰したあとに虚脱感におそわれるようになってきました。人に会うことがおっくうになり、調子が悪いときは携帯電話に恐怖感を憶えたり、こわくて2ヶ月間メールが開くことができなかったこともありました。

どちらの場合も、どう考えても、うつだと思うのだな〜
特にYさんは、一時期(電話やメールが怖いのは、今でも続いている)のあたしの状態と同じで、かつ、診断の時の適切属性となった事柄が書かれている。とても立派なうつだと思うのだが、文面に書かれている「病気」は、糖尿病に肝機能障害であって、鬱病ではないと思う。本人自身、精神病とは認めたくないのだろうと思う。
そして、どちらの方も、周囲にカミングアウトはしていない(できない)ようだ。
家族にすら言うこともできず、学校や職場でも秘密にしなければならない、というのは、自分自身の持っている精神病に対する思い、恥ずかしさだけでなく、周囲の無理解に対する警戒(周囲は無理解だろうという推測)もあるように思う。
あたしのように、無理解は「職場自体の存在を揺さぶるハズだ」と居直ることは、実は極めて稀なことなのだろう。
(稀だからこそ、貴重なのだと考えたい)
果たして、義務教育の学校で、そこに所属する先生が精神病だということがわかった時、仲間の先生方は、子どもたちは、その親たちは、どのような反応をするのだろうか?
子どもたちにとって、とてとても良い先生であったとしても、先生として極めて優秀な働きをしていたとしても、辞めさせろ運動が起きるのだろうか?
もしもそのような事が起きたとしたら、その学校の人権教育が失敗している証拠になると考えざるを得ない。
妙なところでFDファカルティ・デベロップメントができてしまうと思う。


前任校で、学生委員をしていた時のことである。学生担当事務から連絡があり、学生が妙なことを話しているとのことだった。学部長、事務員と共に学生と面談すると、開口一番「学舎を睨んでしまいました」と言って、泣き出してしまった。
こんな時には、心理学を多少やったことのあるあたしの出番であった。「苦しかったね、もう大丈夫。腹減ってないか?」とハンカチを渡して食堂に連れて行った。学部長と事務には任せてください、と言うしかなかったのだけれども。
当時の言葉で精神分裂症であると判断したのだが、後の精神科の医者の話でもそれは確認された。面白くもなんともないのだが、予想は当たった。
高校時代から幻聴と闘っていたようで、この時も凄く辛く苦しかったのだと思う。
一生ものの病気とはいえ、この後は選ばれた薬がよかったようだし、本人も定期的に通院していたようで、元気に公務員をしているとのことだ。
時々思い出す。当時の自分の判断の適切さ、と、いうよりも、後の彼のように、あたしも病気と共存して生きて行けたらいいな、という意味で。


3 comments to this article

  1. ちょこっと閲覧人

    on 2012年10月2日 at 12:02:27 -

    かなり興味深く?読ませていただきました。
    …私的には、「朱に交われば」よりも「類は(真)友を呼ぶ」の方がいいかなあと。なんとなく。
    でも、職場(というか、自分の置かれている環境)でカミングアウトできるなら、それってかなり理想的な場にいるんじゃないかと思うのです。
    このご時世でも、まだまだ偏見は根強いですからね。学校でも、地域でも…ああ、いやだ。現実とはいえど。
    私一個人が不快に思ったこと─いや、傷ついたことは、少なからずありますね。
    学校へ行かなくなった。中退した。…と、これだけで相当マイナーな印象を周囲に持たれてしまったこと。(退学って、全てが退学処分じゃないのに…)ついに精神科の門戸をたたいてしまったこと(あーあ。立派なカミングアウトだ)。
    …あの頃は、ほんっとうに「孤独」でしたね〜。孤立無援状態というか。
    自分だけ、おかしいのか。自分をモニタリングしつつも、コントロールすることができない(できなくなってしまった)。自分の意志で、どうにかなるものではないし。
    今となっては、共存しつつもここまでやってこれたので、孤独を感じることはかなり減りましたが。
    …「鬱は心のかぜ」なんて、最近良く耳にしますが、本当のところ社会における認識はどうなんでしょう。実際は?となると、かなり微妙ですよね。率直な意識調査、みたいなことをしたら…。
    思うに、共存することを心から受け入れることができたら、少しずつよい方向へゆくのかもしれませんね。「健全な諦め」とでもいうか…。
    ちなみに、私自身は純粋な鬱ではありません。複合型、ですね。感じとしたら…。最終的に下された(もう八年前?)診断名は…とてもさらりとはいえませんねえ。まだまだ、です。

  2. kumecchi

    on 2012年10月2日 at 12:03:18 -

    精神病は、腰痛と同様、一生もん、であるという認識を持つべき。たとえ、「軽症うつ病」と呼んでも本質は変わらない。
    風邪だって、毎年変異するウィルスとの戦いである。「心の風邪」ならば、毎年変異する鬱との戦いである。
    戦いに味方は多いに越したことはない。
    心理屋ってのは、哲学ほどではないが(なにしろ、元々は文学部哲学科に属していたのだし)厳密、だからね…あたしにとって、心理学の一部を学習した成果、の第一は、言葉に厳密であること、だな…哲学だって、怖くないもぉ〜ん。
    「おまえぇ〜、装ってるだろ〜」
    という「測定」に対決する必要はある。
    何しろ、心理学自体がそれとの戦いだったのだから。
    戦い甲斐のある相手がある、と、思うべし…そーでないと、やってられない。

  3. ちょこっと閲覧人

    on 2012年10月2日 at 12:03:53 -

    最近、調子のほう(体調<心調?)はいかがでしょうか。
    …私は気象とおんなじ感じです。(三寒四温っぽい)
    くれぐれも無理はなさらずに。