思い立って仙台

11月の連休、正確には10/31〜11/4、そして、11/20〜、仙台にゐる。

母親が独り暮らしに耐えきれなくなった、ようだ、から、なんだ、な。
2009年現在、パーキンソン病の治療薬は、諸刃の刃、である。
動きをとるか、譫妄をとるか。二者択一、だ。
人間は動物である、から、動けなくなったらおしまい、動いていなければならない、と、操体法を学んだ時から考えている。
あたしの場合、譫妄を経験しているから、モトイ、知識が構造化されているから、譫妄にも対応できた。
母親の場合、見えるものが真実なのだから、辛かったと思う、否、今も辛いはずだ。
10月末、夜中に珍しく母から電話があった。
何でも、家に父親がつれてきたのが2人居て、夜中にうるさい、らしい。せっかく炊いたはずのご飯が朝にはなくなっている。作ったみそ汁もなくなっていて、おまけに鍋は洗ってあるのだそうだ。
急に霊能者になったか、オオボケをかましているか、ここは一つ、霊的なものとは無縁のあたしが行って、少なくとも一晩は泊まってみることにした、の、が、11月の上旬。
両親はあたしが生まれたとき、銭湯の2階に下宿していたそうだ。今でも、銭湯のところが2人の本籍になっている。
あたしが記憶しているのは、長屋、だった。共同のトイレ、井戸端…さすがに吸上げポンプになっていたけど。貧乏な我が家は、追い出されては家賃の安い借家を探して住んでいた。
小学生の頃はある寺の借家、遊び場は墓場である。当然、この時点で何かがあってもおかしくはない、の、だが、何もなかった。
今、父が往き母が住まっているのも、別の寺の借家である。
大学4年のとき、卒論もしないで夏期休暇中、この家の修理にあたった。といっても、崩れてくる壁、すかすかの天井にベニヤ板を張っただけであるけど。
このベニヤ板、20年以上経過してもまだ健在である。さすがに、台所の天井は水蒸気のために表面がはがれているけど。
一級技能士、職人の父親の使う道具は、ほとんどが大工道具であった。それらを見よう見まねで使い、よく怒られた。と、言っても、道具を元に戻さないから、だったけど。
後になって、極地方式研究会に関わり、小学生にもプロの道具を使わせよ、という考え方がすんなり入ったのは、このような経験があったからだと思う。
話はだいぶそれた。
母親は、私生活を他人から見られる、覗かれることを極端に嫌う。
徹底的に遮光性のカーテンでおおい、透明なガラスの窓には段ボールを設置する。
昼でも暗い。
そのような中、独り暮らしである。
誰か人が居なければ、あたしなんざぁ、うつがひどくなりそうだ。
それにしても、このような環境で、よく8ヶ月も独り暮らしできたもんだ。
10月上旬には、一番気になっていた父親の布団の一部を処分した。
よくよく聞いてみると、あらゆる、しわ、が、人の顔に見えるらしい。
特に、布団、座布団、タオル、そして、ビニールの袋の中。
この時には、薬の副作用による譫妄だ、ということを話した。
気になっていた、しわ、も取り除いたのだから、大丈夫だろう、ということで、とりあえず福岡に戻った。
このとき、ついでに、でろんぎの電気ストーブを購入し、セットしていった。
石油を燃やす暖房器具では、石油の供給が一人ではできないのだ、な。
で、電気ストーブ、ということだ。
これが、大騒ぎをもたらしちまった…つづく。

One comment to this article

  1. 神経症性うつ病日記

    on 2012年9月29日 at 22:56:28 -

    譫妄のチカラ

    11/18、妹からメールが来た。母親と通院し、さらに、妹の家に母親を連れて行った、という事だった。 急遽、11/20から仙台に来ている。 妹の話によると、…