2007年3月11日(日)

なかなか眠れなかった。
2度寝して9時過ぎに起き出す。荷物をまとめて、移動。実家に寄って挨拶し、空港に向かう。
母親の動きが悪い。パーキンソン病の薬が効いていないようだ。
これまで、家の中ならば比較的自由に動き回っていたのだが、立って移動できない。
今は、はい回っている。
あぁ、次は母親か。

妹からメールが届き、親父は来週の火曜には退院できるらしい、とのこと。
治療らしいことは何もしていない。
単に、これまで使っていた薬を一時的に点滴を使って多量に投入しただけだ、と思う。
空港で、ビールを飲んだ。
喫煙所で煙草を吸う。
飛行機の中ではiPodで家元の落語を聞いた。
あまり笑えない。
…もちろん、1人だけニヤニヤしているのは変だが。
空港からタクシーで家に移動。少し休む。
夕方、近所の居酒屋に向かう。
日本酒を4杯ほど飲む。
脱税して、追徴金を毎月600万円払っている人、の、話で盛り上がる。
自宅まで歩いた。フラフラだ。

歩いている途中、なんとも悲しくなった。
否、悲しい、としか、言語化できないような状態になった。
動けなくなった。道端にうずくまる。
この先、どうなるのだろう。
親父が死んだ時は、どうなるのだろう。
いや、あたしが死んだ時は、どうなるのだろう。
このまま死んでしまうのだろうか。
父親は子どもであるあたしに介助されているのだが、子どものいないあたしはどうなるのだろうか。
惨めな人生だ、と思った。
このまま死にたくなった。
死んでしまおうか、と、思った。
涙が出てきた。

悔しかった。このまま、人生を終えてしまうことが、ものすごく、悔しかった。
こん畜生、と、叫んでみた。
ちくしょう、ちくしょう、こん畜生…*
立ち上がれた。
家まで戻れた。
そのまま寝た。


*このような感情が湧き上がったのは、初めてだった。
2004年に親父が入院した時には、何が何だか、わからなかった。知らないうちに、一年が過ぎていた。訳が判らないまま、年度末になっていた。もしかすると、2004年の方が、危なかったのかもしれない。ちょっとしたことで、自殺していたかもしれない。
そういえば、2004年には、一家心中してしまおうか、と、真面目に考えていたように思う。


Comments are closed