3月12日(日)

入学者選抜個別学力試験(後期日程)、面接を担当した。
久しぶりに高校生を面接した。
面接担当者としては、お決まり回答をいかに崩すか、が、腕の見せ所である。
例えば、ここを参照。
あたしの場合は、にこやかに、受験生の目を見て、うなづき、なるほどぉ、そうなんだぁ、へぇ〜、いいねぇ〜、と、言いながら、こいつほんとのこと話してんのかぁ、怪しいぞぉ〜、あらあら〜、抽象的、一般的な回答になったぞぉ〜、おいおい、ちゃんと質問に答えろよぉ〜、と、辛い点数をつけているのである。
われながら、なかなか、堪える、辛い、疲れる。
ある面接担当者は、原稿を見ながら、最悪、それを読み上げながら、話していた。つまり、受験生を見ていない。
仕方ないので、その間、あたしが受験生を見て、その答えに相づちを打つのでありました。
で、そんなわけで、受験生は、だんだんと、あたしの方だけを見て話をするようになっちゃうのだよね〜
うなづいてくれるから、安心するのだろうね〜
でも、違うのだな〜
ほんと、我ながら嫌になる。
で、疲れる。
疲れたところで、慰労会があって、会議室で立食で飲み食いをする、の、だが、また、これで疲れる。
2月の「学生あたり」、「口述試験あたり」に続き、「面接(想定問答)あたり」に「慰労会あたり」である。
この疲れがとれるまでには3日くらいかかるだろうな〜<


4 comments to this article

  1. ちょこっと閲覧人

    on 2012年10月2日 at 15:54:05 -

    わあ。もうそんな時期なんですよね!…三年前(たぶん)の自分を思い出してしまいました。
    私も後期組だったので…
    今思えば、そうとう無謀な受験生でしたね。センターはぼろぼろで「特攻隊だけはやめろ!」といわれ、前期は教育学部の受験は断念したし。この後期に本命をもってきてました。
    我ながら、なかなかすごい度胸だった、というか‘ギャンブラーだった’と思うわけです。
    ─今でも、あの当時の面接官(その表情、質問内容etc)はハッキリ覚えています。
    今になっては良い思いでなんですけどね(笑)。

  2. kumecchi

    on 2012年10月2日 at 15:54:43 -

    個人的には、バラエティの大きい…つまり、ばらつきの大きい…分散がでかい…標準偏差が大きい…方が面白い、けど。
    結果を揃えようと思ったら大変だぜ。例えば、そんな時の必修の授業なんてとても大変。○○を前提に、という授業ができなくなる。これをほとんどの人々は嫌がる。あたしは、全てできるので…やり直せるので…とても好き。
    もしGPAなんてのが導入された日にゃあ、もっと大変だろう。バラエティに基づいた多様な評価ができなくなる。

  3. ちょこっと閲覧人

    on 2012年10月2日 at 15:55:12 -

    GPA…もしうちの大学で導入されたら…困りますねえ。居場所がなくなってしまいます。
    バラエティが豊かな点も、大学が存在する意義の一つだと思っているので。

  4. kumecchi

    on 2012年10月2日 at 15:56:41 -

    なんとかと鋏は使いようで切れる。
    あたしの父親は職人である。裁ち鋏を数種類持っていて、かつ、もったいない世代なので、布が切れなくなっても、刃がボロボロになっても、切るモノと切り方とに合わせて最後の最後まで使っていた。
    父親は、その刃がボロボロの鋏(留め金が緩んでガタガタでもあった)では、厚いもの、タイヤ、コルセットの石膏型等、を切っていた。ある時、その刃がボロボロの鋏であたしが父親の真似をしてタイヤを切ってみたところ、力の入れ方と鋏の刃の当て方を変える事(つまり「普通」の鋏の使い方ではとても切れない)で、なんと、非常によく切れたのであった。
    少年だったあたしは、改めて「使いようで切れる」意味を体感的に理解した(とは言え、全て体感的な理解が必要とは思っていないけど…非効率的だ)。
    GPAだって、偏差値同様、使い方である。
    勿論、使うためには、単位当たりの平均という定義が、有意味になることが前提。
    全ての講義・演習等の評価が標準化される必要があるな。このこと自体、学習に応じた評価という観点から無意味であることはわかるね。