10月24日(火)…実は10/28に書いている

バタバタ、どたどた、どよよぉ〜ん、だらだらぁ〜ん、でろでろぉ〜ん、の1週間だった。

24日(火)は、非常勤の日。授業開始時刻の90分前まで、何もしたくなかった。
儀式が復活し、昼過ぎ、コーヒーを入れ、煙草を5本ほど吸って、とりあえず、シャワーを浴び、ヒゲを剃ることを忘れ、タクシーを飛ばして研究室に寄り道してOHPを用意し、授業開始5分前になんとか到着。
ひたすら話して、「もつ鍋研究会」に向かう。
…あり難いことに、学生たちが質問に来てくれる。で、タクシーで行くことにした。

今回は、名鍋奉行が1人なので、不肖、わたくし、鍋奉行補佐、が、ひと鍋担当することに。
8名で、鍋が14回お代わり、ひと鍋が4人分なので、1人平均7人分食べたことになる。
まぁまぁ、だったかな。
で、まぁ、mixiのオフ会のような状態。
われわれオジサン・オバサンたちは、当然のように、「学問」ねたで酒を飲むのだが、学部1年生達には、とーぜん、「じんじらんなぁ〜い」のでしょう。
何しろ、曲がりなりにも、研究会なんだもんね〜

鍋奉行補佐はまだ修業が足りず、チャンポン玉はちびつと塩っ辛かった。
チャンポン玉を入れるまでのスープの見極めが難しい。

それにしても、アリシンとカプサイシンは偉大だ。
帰りには、鼻詰まり、咳、は、解消。
一応、総合感冒薬を服用して、ひたすら、寝る、つもりが、元気になってしまった。
まずい、眠れなくなってしまった。
明日は、O竹大先生の、博論構想発表会だった。


妹からメールが来ていた。休みを取って、洗濯物の受け渡しのため、病院に行ってくれたそうだ。
どうやら、父親は、CCUから一般病棟に移ったらしい。
妹の誕生日であった、ことに、夜中に気付く。慌てて、お礼も含めてメールを送る。
さて、父親は、一般病棟に移ってから、どのくらいで退院できるのだろう。
2004年の時は、2週間と言われながら、結局、ひと月、入院することになった。
今回も、慎重に判断するのだろうな。いいかげん年だし、本人がちょーしこくと、頻脈になる可能性はあるし。
文化の日前後は、また、仙台に行った方がいいのかもしれない。
また、疲れるな。


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