そういえば、卒業式・修了式、であった。
あたしが学生の時には、直前までコンピュータ関係の仕事をしていて、そのままふらっと出かけた。
周りに人たちに、あれ、出るんだ、と、驚かれたけど。
院生の時は、よく覚えていない。何しろ、専攻で一人だけの院生*だったから、誘ったり誘ってくれたりする友人がいなかったから、出たような出なかったような…後ろの方に座って、他学部の総代のパフォーマンスを見ていたかな。
教員になってからは、とりあえず、助手の時(国家公務員)にはひたすら仕事をしていた。式が終わって、思い出したように訪ねてくれる学生・院生はいたけれども、何といっても、仕事をしていた。
青森に移って(地方公務員になって)からは、一応、毎年、出ていた、といっても、現職の時には一回だけ。1期生を送り出した。
その後、2期生までは卒論に関わっていた…遠隔教育…し、4期生が1年生の時にゼミを担当した、ので、その後も、卒業式に通っていた。
立派になった卒業生・修了生を見ると、なんとなく、あたしの力でここまでなったんだよね〜と、勘違いする。
別に、お礼を言われるなくてもよい。何しろ、あたしの仕事なのだから。
で、今の職場(また国家公務員、今は微妙に違う)に移ってからは、全然出たことがない。
一度だけ、世話人として司会をするために、修了式に出たことがあるけど、それは、仕方なく、かも。
謝恩会、と、いう、類いも、あまり出たことがない。
仮に出て行ったとして、卒業修了生たちがそれなりに喜んでくれている、と、も、思えなくて。
あたしの指導教官が、謝恩会とは何事だ!、と、吼えていたから、かもしれない。
オレは恩なんか売っていないぞ!…ガォ
あたし自身、S谷先生と同様、恨みは買っても、恩は売らない、し**。
青森にいた時に参加した、1期生の謝恩会は、なかなか凄かった。あんたはどこでアルバイトしてたのだぁ〜、というようなしゃべりの達人が司会をしていたし、構成もなかなか凄かった。
その後、通った3回は、だんだんと、卒業生が単にどたばたと小さな仲間同士で騒いでいるだけ、に、なっていったっけ。
謝恩会から卒業パーティになっていったんだと思う。それはそれでいいと思う。
そうそう、時々、看護系の学校の謝恩会に呼ばれることがある。これは、なかなか、凄い。
一人一人の教員に、「お世話担当」が決まっていた、場合もあった…ほとんどかも。
今の職場では、社会人の謝恩会の2回くらいは、そんな感じだった。
今年は…
卒業パーティの案内が電子メールで届いた。
おおっ、凄いっ、やったぁ〜、とうとう、こうなったかぁ〜、と、とても、感心した。
と、同時に、まずいよ、なぁ〜、と、も、思った。
例えば…というような意見もあります。とても良いことが書かれていると思う。さすが、S谷先生だ。
直後、卒業生からはごめんなさいメールも届いた。個人的には電子メールを歓迎するが、ほんとに招待したいのであれば、指導生に挨拶がてら出欠を確認させなさい***、とも、書いてやった…そうそう、代表があたしの指導生でなくて良かった、と、駄目押しもした、けど…ちなみに、あたしの指導生だったら、しっかり指導を入れます、はい。
2年ほど前のことだったと思う。卒業生が来て、謝恩会に出てくれ、と、有り難い申し出をくださった。その時、「恨みは買っても、恩は売らない」から、謝恩会には出ないよ〜、と、言ったら、じゃあ、謝恩会はやめて卒業パーティにしますから、出てください、と言ってくれた。
その時から、卒業パーティという名前になったように思う、の、だけど、違うかな。
2005年は、調子も悪かったけど、指導生が招いてくれたので、がんばって出て行った。
今年は、卒業生からは、あのメール以来何も言ってこなかったし…アポの取り方、知らないのかも…社会人の院生からも何も言ってこなかったし、そもそも、何よりも、調子が良くなかったので…会議をすっぽかすし…出て行かなくてちょうどよかったと思う。
そうそう、あたしが学生・院生の時には、お弁当と日本酒一合が配給されたっけ。
それを持って、ちょっと広めの演習室に専攻の院生・学生と教官たちが集まって、わいわい、食事をしたものだ。
今の職場に来てから、そのようなことをやっている研究室がある、の、に、最近気付いた…勿論、配給はなくなっているけど。
というのも、我が研究室では、なぁ〜んにも、しない、から…とても、驚いた、と、同時に、あぁ、凄い指導力だなぁ〜と感心もした。
あたしが博士課程の2年目に就職が決まって中退した時、最後の晩に、院生の皆さんが院生談話室(通称「院談」)で焼き肉パーティをしてくれた。ちょうど焼き上がった時に、指導教官のH谷先生や同僚のU野先生がひょっこり顔を出してくれたことを覚えている。
ちょっと、驚いた。
たかが1人の院生の追いコンである。もしかすると、H谷先生もうれしかったのだろうか…そうか、あたしならうれしいな。
青森にいる時から実施しているのは、卒業・修了生を送る会、を、あたしが主催して、恩着せがましく、卒業修了記念品****というのを渡していること。
あたしが学生・院生の時には、毎年、修士課程一年が専攻の追いコンを企画、司会する、ことになっていた。
卒業の時にはマグカップ、修了の時には写真立て、をもらった(逆だったかな)。すぐに壊してしまったように思う。
どうせなら、もっと良いものをあげたいなぁ〜、という、自己満足のための行事である。
青森の時には、開学したばかり、先輩も後輩もいなかったので、送り出す人々がいなかったし、今の研究室は人数が少なく、送り出す人々がいたりいなかったりするし。
自己満足のための行事は続くのである。
*…1人だけだったので、修論の口述試験と博士課程の入試の口述試験が一緒に行われた。と、言っても、こっちは、博士課程の入試だぁ〜、と、思って行ったら、修論の試験もやるよん、と、口述試験の直前に言われて(言うまでもなく午前中は筆記試験があった)、強烈に心臓がバクバクした。準備なしに、修論の概要を説明しなければならず、心臓はバクバクしどおしだった。
**…時々、顰蹙は買う。
入学年度と卒業年度が単純計算と合わない卒業生も居ることだろうから、卒業生を束ねる代表はなかなか大変だろうとは思うけど、ね。そのぐらいできなくて、どーすんのさ…やり方なら、指導してあげるよん。
もっとも、会の目的が何か、に、依存するね。授業と同じく、目的・内容・方法は一体のものだ。自分たちだけが楽しむ卒業パーティなら、教員なんて呼ばないほうがいいに決まっている。感謝の気持ちをさりげなく出したい、のであれば、それなりの手順を踏んだほうが良い、と、思うのだな…年寄りの考え方、かね。
でも、形式が整っていると、それなりに見えるからいいと思うけど、な。