11/18夕方から東京経由で青森に行った。11/19に某学会でのデビュー。セカンドではあるが、分科会では暴れてしまった。だってさぁ〜、理屈に合わないんだもぉ〜ん。
一つ目の発表。施設Aと施設Bを同じ尺度で測定したら違った結果が出た、だからこの尺度は弁別に適している…
待て待て、そもそも、そのAとBはどんな母集団から抽出した事になるのさ?
…質問の意味がわからなかったようだ。説明せよと座長に言われたから、そのAとBってのは、どのように属性記述できるのかな〜と聞いたけど、ますますわからなくかったようだった。
こんな時って、とぉ〜っても、怖い事になるのよ〜ん
つまり、発表者以外の、座長、そして特にフロアーの人々が「ああ、そうよね〜」とわかっちゃって、発表者だけ訳がわからなくなってしまう…キャー
次の発表者は、とても質問する気にならなかった。他の人が質問してたけど、そもそもデータ処理がおかしいぞ!
独立とはとても思えない質問項目に対して、それぞれ平均値の差の検定を実施している。危険率が上がるって。
三つ目の発表は、どこかで聞いた事が有った、し、それにそもそも内容が多過ぎ。こちらもデータ処理がミョーだったけど、質問してしまうと問題になるのでやめた。
この発表には座長しか質問しなかった。これ、質問がなかったからいいのだと思われると困るのだよな〜
逆に言えば、完全無視、誰も興味がない、ということになるのだから。
四つ目が我々。嫌いなパワポであるが、あたしが監修すれば絶品。発表もフロアーとスクリーンとを交互に見ながら、決められた時間内にぴったし終わる。おっみっごっとっ!
座長が「質問は有りませんか」と言った時に、前の方に座っていたあたしが「どぉ〜でぇ〜、文句が有るなら言ってみやがれぇ〜」と牽制してフロアーを睨んだら…
3つも質問が出てしまった。
確かにそぉーよねぇ〜ごめんなさい、もっと具体的な内容、受講生に対して、どんなふうに聞いたら(発問)どう回答したから(反応)このように判断した(推論)のよん、と言わなければならなかったのだった…悪い事に、3つともほとんど同じ内容の質問。
とは言え、さすがに科研費がおりたテーマは違う。食いついてくる〜
逆に言えば、期待されていると言う事だと思う…いや、思いたい…多分、そう。
待ってなさい、来年を。
請うご期待。
珍しく、うつでない日記である。ドーパミンとセロトニンが出続けていた。この疲れは、3日ぐらい後に出てきそうだ。なんと幸いな事に3日ぐらい後は休日である。
それにしても、あのテーマに関して、今までは誰も研究していなかったのだろうか…もっとも、だから科研費がおりたのだろうが、少なくともあたしの仲間たちならば、ちょっと考えればすぐに(あたしよりもいいものを)思いつくだろうに。それはそれで困った事だ。
それにしても、「信頼性・妥当性は先行研究で確認されている」、「○○の内容妥当性は専門者会議で確認されている」、「倫理的配慮は無記名で…」、等々、極めて形式的だし。調査研究が気を悪くしそうだ。専門者会議の構成員のサンプリングは保証されてる、専門者としての代表性は保証されてる、のかな…きりがないけど。
勿論、我々の手法は最良ではない。間接的な測定であるし仮説に仮説を積み重ねている。確信犯である。反省。
ただね〜、一回の調査だけでモノを言うのはどうかと思う。せっかく現場に根をおろした研究なのだから、修論やプロジェクト(21世紀CEOだったらしい、我々のしょぼい科研より凄いのだろう)に合わせて進めるのではなくて、進めながら信頼性・妥当性を確認・再確認していくことも必要だと思うのだな〜
時期がずれるけど、トラックバック。
「らしく」することより、何をほんとうに知りたいのかからはじめなくてはなりません。形式はそれについてきます。
(研究会)
いい言葉だ。