先週までは、この時間帯、授業をしていた。毎週月・金の2回と言うイリーガルな授業だ。
全学に対して責任のある、教育実習の事前指導、で、ある。
必修で、かつ、教育実習の単位認定にも関わる科目であり、かなりキンチョーする。
初回なんぞは、毎年、話し始めてから話し終わるまで、90分、膝がガクガクと震え続ける。
それを見せないように、感じさせないように、にこやかに、きつ、厳しく、初回のオリエンテーションを進める。それが、プロだ、と、あたしは思っている。信念、だ、な。
ある会議で、事前指導は、誰でもできるのだから、云々、ということが話題になった。
つまり、あたしが倒れたとしても、死んだとしても、だいじょーぶ、と、ゆーわけだ、な。
だったら、やってみやがれぇ〜
勿論、自己満足である。
あたしが計画した授業、8回は、かなり綿密に練ってある。
実習先で大学の看板を背負って学生たちが恥をかかないよう、そして、あたしが考える教育実習の第一目的である授業を創り、実施して、評価活動をする、こと、が、ちゃぁ〜んとできるよう、必要ならば、あたし自身を教材として、恥を切り売りしている。
その姿があまりにも痛々しかったのか、数年前から、第8回目の終わりには、拍手まで起きている。
同情するなら、金をくれっ、お願いっ
教える・教えられる関係というのは、教室以外にもあり得るし、そのような属性に着目すれば、日常的に行われているような関係なのかもしれない、と、あたしは思いたい。
では、教室内の教師・学習者の関係をちゅうしょーかして、当該教師の役割、機能、は、どのようなものになるのだろうか。
ダメ。
これはWHタイプクエスチョン。
どんな機能を満たせば、どんな役割を果たせば、教師たり得るか。
How-toタイプクエスチョンにしないと。
極端な例として、あたし自身を紹介することにしている、精神障碍者として。
友人の中には、身体障碍者で車いす生活をしながら大学で教えている・研究している方もいらっしゃるし、コロラド州立大学助教授だったテンプル・グランディンTemple Grandin, Ph.D.(The Way I See It: A Personal Look at Autism & Asperger’s)なんて人も知っている。
たとえ神経症性うつ病であっても、周囲の人々に迷惑かけっ放しであっても、いったん教室に入り、教師の機能を全うできれば、それだけで十分ではないか、と、いうのが、あたしの主張。
幸いなことに、あたしの授業は面白い、らしい。
小噺と自慢話ばかりで、アクが強く、嫌だぁ〜、という方々がいらっしゃることも承知している。
…家元の落語と同様、あたしの授業じゃないと我慢できねぇや、というリピーターが居ることも確か。
で、だ。
所属学部のそれぞれの学年で、特に、1年生相手に話す時が面白い。
きゃ〜、そーは、みえなぁ〜いっ
らしい。
しかぁ〜し、顔色みればすぐにわかるって。
顔色を見分ける基準がないのだろう、な。
大抵の場合、引きますな。
先述の教育実習の事前指導では、教師として多少先に生きている者としてのアドバイスが多く、かつ、それらは彼らが普段していることで気付かないこと、が、多いため、共感して聞いてくださる。
そのうちに、一部熱狂的なファンも現れる。
そーゆー方々にとっては、拍手を送る相手、になるのだろう。
問題はっ
毎年、8回の授業が終わってから、何故か、必ず、あたし宛てに特別メールが届くのである。
あたしの日記を読んだ、は、まだよい。
読んだところ、何だか今の自分の状態に近い、とか、かつての自分の状態に近い、とか、友達が…とか、とか、とか…
あたしゃあ、その手の診断者でもないし、相談員でもない。
精神科に行きなさいって。
でも、さ。
やっぱり、精神科には行きたくないよ、ね〜
なんとなく、にこやかに笑っている、警戒させない、あたしに、探りを入れるのでしょうなぁ。
日記を読んだんだったら、Q&Aもあるのだし、対応できるだろう、に。
ん、Q&Aが不十分、な、の、か。
これは、おにいちゃんのつまずきではなくて、あたしのつまずき以外の何ものでもありません、だ、な。
…楽屋落ち。
んでもって、あたしもまた説得できるような経験も持っていたりして、それなりに答えちゃうんだな〜
こいつも、教師の機能の1つ、なのかも。