おお勘違いをしていた。
ゆっくり起きて、昼過ぎに出かけようと思っていたら、フロントから電話。
チェックアウトは何時か、と、聞かれた。
?????
よくよく考えれば、航空券で予約した帰りの便の日付と宿泊日程がずれていた!
お間抜けだ。
もう1泊することを伝えた。
幸い、同じ部屋に連泊できた。
11時過ぎに出かける。
買い物をしてから、昼ご飯に田舎蕎麦を食す。
なかなか旨かった。
母親が通っていた個人病院に、大学病院から来た手紙を届けて挨拶をするために出かけた。
介護認定のための意見書の作成を依頼する必要もあった。
ところがっ
よくよく考えてみれば、今の両親の主治医ではなかった。
父親は循環器の専門医にかかっているし、母親は入院している。
断られた。
当たり前といえば、当たり前だ。
診察しないと、意見書は書けない。
父親が入院した病院からは何も言ってこないし、さらに紹介したはずの自分のところに通わず、別の専門医に通院していることに怒っていた。さらに、母親が入院した大学病院からの手紙は、院長の顔写真入りの「お礼状」で、母親の状態については何も書かれていない、それにも怒っていた。
そりゃそうだろうね。
個人病院を辞して、父親が通院している循環器の病院に挨拶に行った。
意見書の作成依頼と、さらに、父親の「うつ」らしい状態について話した。
その足で、区役所に行って、書類の作り直しを頼んだ。
大学病院に向かった。
母親の病室に行くと、名札がなかった。
はて、移ったのだろうか?
まだ、母親は寝ていた。
どうやら、右足に出ていたのは湿疹ではなくて、帯状疱疹だったようだ。
で、個室に移動、と言うことになったらしい。
火傷の水膨れのように水泡ができている。
そういえば、入院直後に体温を測った時、37度あったな。
何と言っても、神経痛が来ているようだった。
看護師さんは、移動先の部屋を片づけ、掃除をして、バタバタと汗をかきながら動いていた。
その間、母親は、お腹が空いた、とブツブツ言っている。
1時間近く待たされ、ようやく部屋を移動。
個室にはトイレもついていた。
確かに、廊下のトイレに行くよりは、移動が楽だろう。
ただし、トイレはユニットバスと一緒なので、段差がある。
転ぶと大変だ。
今日の母親は、比較的よく動いていた。
薬が効いているのだろう。
2名の主治医が顔を見に来たので、名刺を渡して挨拶した。
ようやく、あたしが九州から来ていることが伝わった。
何しろ、事前調査の項目に、緊急連絡先としてあたしの住所を書く欄がないのだから、な。
その点、父親が入院した時には、看護師がアセスメントしていろいろと書いていたし、引き継ぎもきちんとされていた。当たり前の事なのだが。
何しろ、偉そうな大学病院だから、な。
なんだかんだしているうちに、18時になってしまった。
父親が夕飯を食べたのか心配だ。
急いで実家に向かった。
父親は、白飯だけを食べたようだった。
うーん。
折角、妹が作ったおかず、みそ汁、煮物には全く手を付けていなかった。
大丈夫か?????
ダメだろうな。
困ったな。
沈みそう。
仙台に来た時によく行く居酒屋に寄った。
初ガツオ、ホヤ刺し、ハナワサビのお浸し、で、日本酒を2合。
適当に酔っぱらって、さけ茶漬けを食べた。
疲れてはいるが、酒の力で気分は良くなった。
明日も頑張れるかな。