2007年3月22日(木)

21日(水)は寝て暮らす。寝ていない時はテレビばかり見ていた。
22日の午前中、通院しようと思っていた。
なかなか寝つけなかった。
結局、午前中、どうしても起きることができなかった。
午後、光ファイリングシステムに関して、業者との打合せがあった。
どうにも、出ていけない。
断りのメールを送った。
が、返事が来ない。
ので、なんとかタクシーを飛ばして約束の時刻までには出て行った。

年休を取ることにした。
念のため金曜から、そして来週いっぱい。

打合せが終わった後、通院した。
来週は、母親の様子を見に仙台に行くことにしたので、いつもの日程では通院できないことがわかっていたから。母親は、パーキンソン病の所為か、どうにも動けず、ここのところずっと寝ているらしい。
担当医ではなかったが、薬だけ出してもらった。
家に帰って、横になった。
とりあえず、食欲はなかったが腹にいれた。
テレビばかり見てしまう。

昼前、妹から、メールが届いた。母親は足が動かず、救急車でかかり付けの個人病院に運ばれたらしい。往診を頼んだはずだが、その個人病院の院長は、場所が判らないと断ったようだった。
昼過ぎに不在着信があり、緊急のメールが来た。
母親は入院した方がよい、という診断だった。あたしに、すぐに来て欲しい、と、言うことだった。
妹ひとりでは不安なのだろう。
が、今のあたしでは、どうにもならない。出ていけないのだから。
通院後、自宅でインターネットを介して、宿の空室状況と航空機の空席状況を調べてみた。
すでに、来週の予定は組んであり、宿と航空機のチケットは手配してある。
今からその予定を変更するか、23日の午前中に移動して金曜の夜の1泊だけにするか。
それは、いくらなんでも、疲れてしまう。日曜日休んで、また移動だ。目に見えている。
妹は午後から仕事に出かけたのか、連絡が来ない。

夕方、仕事が終わった妹とようやく連絡が取れた。
個人病院ではどうにもならず、大学病院で検査する必要がある、と言うことだった。
さらに、家族で今後のことを話し合え、という指示だったらしい。
よほど酷いのだろう。
とは言え、あたしも酷い。
あたしの状態を説明して、妹に母親を大学病院の外来に連れていってもらうことにした。
あたしとしては助かった、の、だが、妹には大変な負担だろう。

Author: Kumecchi

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