Q&Aの続き
「人前(授業)でニコニコしているが、苦しくないのかよ、どうしてそんなことができるのだぁ?」
はい、(とぉ〜っても)苦しいでござる。
そんなの当たり前。仕事なんだもの。客商売なんだから、営業スマイルできなくてどーすんのさ。
あくまでも仕事なんだから、苦しくてつらいのは当たり前。そして、どんな仕事にも(営業)努力は付き物で、それがまたとてもつらく苦しいものだ。受講生はお金を払っているのだし、休講にしたり遅刻しては申し訳ない。
幸い、授業は楽しい。受講生が「わかった」という反応(単にわかったと言うなんて事ではない)を示してくれることは、もっといい授業を創ろうという活力になるのだし、有り難いことである。だから、死ぬ物狂いで出ていって、恥ずかしいけど話をするのである。
授業を創る事は楽しいことではあるが、人前で話をすることとは別。決して、人前で話をするのが得意な訳では、ない。滅茶苦茶ドキドキ、目茶苦茶キンチョーするんだもの。
ウィリアム・ジェイムズ:ひとは悲しいから泣くのではない。泣くから悲しいのだ。
変換命題:ひとは楽しいからニコニコするのではない。ニコニコするから楽しいのだ。
さぁ、鏡を見ながらニコニコする練習をしましょう。
ちなみに、あたしは、国内線のキャビンアテンダントのニコニコの仕方を真似るように練習した。最初は、院生の時、銭湯で、ヒゲを剃り終わってから鏡を見ながら、ニコニコと…就職してからは、朝、シェーバーでヒゲを剃り終わってから、鏡を見ながら、ニコニコと…
もちろん、低調な時には鏡すら見たくない。その時はその時だ。少しでも好調になったら、鏡を見ながらニコニコするべし。
…ちなみに、個人的には、天職あるいは適職なんてないと思うのだな〜
教師は教師をやりながら教師らしくなって行く。
医者は医者をやりながら医者らしくなって行く。
人は、その仕事をしながら、その仕事に適した人になって行く。
そこに学習の可能性、教育の可能性があるのだ、と思いたいな〜
だってさぁ〜、就職する前に(それも若いうちに)、あなたに適した職業はこれでぇ〜す(これしかありませぇ〜ん)、と、決められていたら、つまんないんじゃないのかな〜
これはこれで、1つのテーマになるか…うへー、このままだと、だんだん(うつ病の)日記から離れて行きそうだ…いい加減にやめよっ
これまた「瞑想」に関係して仕入れた話。
七福神の布袋様が、いつもニコニコしているあの布袋様が、瞑想している様子を見ていた人がいたらしい。
とんでもない形相で、怖い顔で、瞑想していたらしい。で、瞑想が終わった時、その様子を見ていた人が尋ねた。
いつもニコニコしているのに、なんでまた、あのようなお顔になってしまっているのですか?
笑うのにはエネルギーが必要なんだな〜
瞑想して、そのエネルギーをためているのだな〜
はい、あたしもそーです。人前でニコニコするために、ほとんどのエネルギーを使っている感じぃ〜みたいな〜
幸いな事に、病名がついてから、疲れるということがようやくわかるようになってきた。90分の授業をわずか1コマするだけでもうヘトヘトでありまする、とほほぉ〜
多分、加齢もあるのだろうね〜
では、どこからエネルギーをもらうのか?
やはり、何といっても授業を聞いてくださっている受講生の皆さんの「なるほど!」「わかった!」という反応(指導生がそれなりに学会発表するとか、それなりに学会誌に投稿するというのも含む)、談志の落語、志の輔の落語、そしておいしいものを食し旨い酒を飲む、かな。もっとも、うまくやらないと、疲れてしまうだけ、という場合もある(病名がついてからはとみにそうかな)から、困るけど…