2004年

大学、大学院の友人のお連れ合いの訃報を聞く。詳しいことはわからない。お連れ合いも同じ病気だったらしい。
友人はこの日記をよく読んでくれているようだ。参考になったのだろうか。
とても、重い。自らに引きつけて考えてはいけないのだが、緩解していない以上、死の可能性は捨てきれないのだな。

とてもとても、<悲しい>...未定義。

眠剤の1mg爆睡と不眠を分けるケミカルな脳
押し寄せる本務と雑務結局は今しなくてもよいことをする
体調が気分が悪いすぐれない前頭葉が認知し始む
一日に一つのことしかできない布団の中で半日が行く
自傷行動と呼んでいいのだろうか、左足の踵の皮膚を剥いてしまう。
少しずつ、会議に出て行くようにする。頑張る、感覚が抜けない。
もみあげと無精髭にも白いもの父のあの日が思われる朝

気がつけばヌルヌルとした爪の先なおコッコッと瘡蓋の誘い

勇猛にハードディスクに挑む足てんてんとした黒い血の跡
検診も医者に行くにもまず起きる生活リズムが前提になる
見渡せば土手一面の春の色アレルゲンでも美しきかな
悲しいと書きその文字列を見るたびにズレていくそれ心臓の上
言いようのない感情を医学書はとぢこめてゐる巧妙な技
悲しいとひとまず綴り凍りつく焦燥感が自己主張する
悲しいと綴る違和感医学書の記述に余るそれの実態
悲しいと強いて書くしかないんだなじっとしてても涙が落ちる
夕暮れにいつもと同じ歩道橋車道に出たら楽になるかな
途切れなく車が通るふと思う出てみようかな何かかわるかな
見渡せば思い出せないモノばかり踏んづけ転びスーツに着替え
とりあえずコンピュータに向かう朝これだけはやるが続いて夜
パキシルか安定剤かコンピュータ歩く姿勢をひそかに変える
のろのろと地面が動く行き過ぎる景色は初秋欠けた春夏
故郷の告別式の時刻過ぎカップ麺開け湯気を見つめる
飛ばされた焦燥感のかけらから新たに育つ恐ろしきもの
眠剤と安定剤で暮らす日々真の自分か?まだまだ青い
自らが何もせずとも進行す焦燥感も吹き飛ばしつつ
ジリジリと胃液が胃壁を消化する十二指腸もとろける悲鳴
通院。抗不安剤セパゾンの量を増やして(1mg→2mg)様子を見ることにする。
疲労でも人は死にたり友人の訃報に明日の我が身を思う
問題と目的書くのは最後にす辻褄合わせこれも職人
高校、大学時代の友人の死を知る。このストレスはいつ出てくるのだろう。
鬼門は、21日(火)、22日(水)の会議である。10日(金)からの介助と研究会の疲れが出てくる時期でもあるのだし、予測できるのだが、どうしようもない、から病気なのだろうな。21(火)は頭痛がひどくて起き上がれず、22日(水)の教授会には出て行けたものの途中で退席した。資料の文字が網膜に写るだけ、頭が働かなかった。会議が進むにつれてだんだんと自分の身体が縮まっていくような気がした。
しかし、23日は教育工学会で課題研究の発表をしなればならない。ラボナを服用しても前夜は眠れなかった。明け方に食事をしてしまう。
幸い、発表はそれなりにできた。質問がでなかったし議論にもならなかった。なんだろうな〜
26日(日)、どうやら、風邪をひいてしまったようだ...疲れが出たか...頭痛、咽の痛みそして鼻詰まり。27日(月)も頭痛、総合感冒薬と頭痛薬(アセトアミノフェン、総合感冒薬にも含まれているからいいかなぁ〜みたいなぁ〜)を同時に服用、抗ヒスタミン剤のせいかフラフラする。
28日(火)からは非常勤の授業(西南学院)が始まる。前日、27日(火)も頭痛に悩まされ、フラフラしながら大学で準備。サーバやiMacが拗ねている。なんとかしないといけないのだが...やはり、夜は眠れなかった、3時過ぎにラボナを服用。10時過ぎには起きたのだが、久々に左胸が痛くなった。14時から学生と面談、16時過ぎに移動、非常勤の授業は無事にこなす。話し始めると「変身」するのだな、哀しいことに。授業が終わった途端に頭痛がぶり返し、背中に痛み、足がだるい...わずか90分なのに情けない。
これまた予想していたことなのだが、眠れなかった。かなり興奮していたのだと思う。ラボナを服用しても眠る気配もなかった。テレビを見ながら明け方に食事、絶対に太るよな、これでは。29日(水)の午前中は、やはり頭痛、とりあえず11時過ぎには起きて総合感冒薬と頭痛薬を服用。ひたすらじっとしている。
で、歌を詠む。
気がつけばすぐそこにある秋の色かすかに響く師走の羽音
パキシルが痛みと疲れを追い駆けるテレビで見てる観客ひとり
安心を味わうまでのタイムラグワシワシと飯喰う父を見る
2日(木)は修士の入試、だが、全身の倦怠感がひどく、布団から起き出すことすらできなかった。終日、ぼぉーっとしている。倦怠感は、3日(金)も終日、続いた。
疲れは遅れて出てくる、となると、8月26日(木)〜29日(日)までの仙台へ介助に行った疲れか...この間、咽の痛みと鼻詰まりがあったから、風邪も手伝いやがったに違いない。
8日(水)は教授会、だが、前日7日(火)〜9日(木)の間、だるくてどうしようもなかった。結局、4月からずっと学部教授会には出ていない、出られない。
1つだけ幸いなことに、親父が見違えるほど元気になっていた。
で、歌を詠む。
一つずつ発車停車を繰り返しそれが近づき車窓が歪む
結局はバス停に着くギリギリの時刻になって家を出る日々
クリックで達成感が満たされるもう消費しか頼れない脳
胃薬と鎮痛剤を流し込むエフェドリンにも頼りたくなる
天井が歪んで見えるドクドクと自信が融け出し布団にしみ込む
気がつけば軽い頭痛と嘔吐感既に会議は始まっている
とりあえずメールを開き詫びを書く電子メディアに託す危うさ
真っ暗な無人の廊下のしかかる天井と壁扉が重い
ひっそりと静まり返る休日の廊下をひたすらうつむき歩く
明日こそは絶対に行く前日の決意を込めた予行演習
そろそろ、会議が開かれる、のだが、相変わらず、家から出たくない日々。幸い、布団からは起き上がれる。
結局、24日(火)の会議には出ていけなかった。午前中、ひどい頭痛がして、起き上がれなかった。テレビを見て、できること...ホームページの作成の続きをする。
頭痛、一度、徹底的に調べてもらった方がいいのかもしれない。
週に3日ほど眠れずにラボナを服用することがある。
ひたすら、新学会のホームページを作成する。気が紛れる。
時々、頭痛がある。アセトアミノフェンが欠かせない。
週に一度は大学の研究室に出かけることができた。
ゆるゆるとパーキンソンの母を連れ祖母の右手を思う通院
クリックで達成感が満たされるでも消費しか頼れない脳
朝起きる食事に新聞家事仕事できていたのは多分別人
とりあえず三十一文字に封じても名付けられない残滓が満ちる
CCU横たわる父ニコニコし声は聞こえる嗚呼意味不明!
二度三度聞き返されて縮む声存在すらもノイズに代わる
2メートル傾いた視野フラフラと雑踏の中自我の消滅
チョロQを目で追い笑う父と母笑みをはり付けわたしが拾う
チョロQの動かし方を教えても必ず前に押し出す父
介助のために帰省し、ホテルで独り、夜、缶ビールを飲んでいる、と、久しぶりに自殺の事を考えてしまう。悪いことに、それは、心中、になってしまう。
とりあえず、歌を詠む。
澄み渡る意識に自信久々の高揚感の後の違和感
奥歯噛みベンチに独りどうすればチカラは抜けた?不自由な顔
老父母にわたしの未来がつぶされるかつてわたしがそうしたように
ひたすらに飲み食い続ける懇親会会話が剥がれむき出す自責
グズグズと回る思考できたから良いとは言うが譲れぬ基準
闘病を自存理由が引き止める寄り添い支えそこにある鬱
恐くない出られたできた目も合った快復の自信揺り返しの不安
覚悟して臨み必至で発言す他人にはそう見えない悲哀
人混みはカボチャの群れだ忍び寄る独りの恐怖浅い呼吸(返し)
顔見れば微笑んでしまう義務感にやつれたほほに隠れた恐怖
頑張るなわかるからこそ気遣いに応えねばならぬ矛盾のループ
通院。バレリンの効果が疑わしいので、薬を元に戻した。服用する薬をまとめると次の通りである。
  • 20時に飲むもの
    • パキシル(10mg錠)→1錠
    • セパゾン(1mg錠)→1錠
  • 夜(22時50分)に飲むもの
    • レスリン(25mg錠)→1錠
    • デパス(0.5mg錠)→1錠
  • 不眠時:ラボナ(50mg)→1錠
帰省した時のままの洗濯物ワイシャツ三つ見えない未来
まで、波に翻弄される。会議に出ていけない。電話にも出られない。
S先生が心配して、ケータイにメールを送ってくれた。
真似をして歌を詠む。とりあえず、頭は働いてくる、身体はその後。
グニグニといたたまれなさを噛み締めつまゆの強張り曲がった背骨
あおい空ほほなでる風何気なく微笑む友も襲い来る夏
徹夜明けヤクザな仕事と苦笑い仮面を重ね独りの渡世(返し)
義務感のかたい決意の目覚ましのかそけき音に沈む後悔
着メロが義理義務仕事と鳴り響き閉じた瞼に浮かぶ悔恨
通院。薬の服用を変える事になった。服用する薬をまとめると次の通りである。
  • 20時に飲むもの
    1. パキシル(10mg錠)→1錠
    2. セパゾン(1mg錠)→1錠
    3. バレリン(200mg錠)→1錠
    4. ザジテン(1mg錠)→1錠
  • 夜(22時50分)に飲むもの
    1. レスリン(25mg錠)→1錠
      眠剤
    2. バレリン(200mg錠)→1錠
    3. デパス(0.5mg錠)→1錠
  • 不眠時:ラボナ(50mg)→1錠
六本松にて講義がある。前夜は眠れなかった。結局、デパス0.5mg錠を2錠服用。左胸は相変わらず痛い。S先生が心配してケータイにメールをくれた。幸い、講義はできた。
帰りがけ、天神で買い物をする。鏡に映った姿、とても姿勢が悪い。歩くのがつらい。
6月24日(木)〜6月29日(火)
鏡を見るのがつらかった。人前に出るのがつらかった。左胸の痛みは、鎖骨からだんだんと下に移動、心臓の上辺りに来ていた。とりあえず、自宅にこもって、ひたすらじっとしていた。メールに応答することはできた。電話はダメだった。
午後から部門会議、引き続き教授会。起きた時から左胸に痛みがあった。肋間神経痛だと思う。
部門会議に出ていて、とても苦しかった。なぜだかわからないが、その場にいるのが苦しかった。何か聞かれたように思うのだが、すぐには答えられなかったし、何を答えたのかよくわからない。同僚が何をするわけでもないことはよくわかっている、のだが、とても苦しかった...なくとなくではあるが、視線が気になっているようだった。誰が見ているわけでもないのに...
教授会の前、方法研2に置いてある学部・学府共通データベースサーバが停止しているのを発見する。一気に徒労感に襲われる。誰かがコンセントを抜いたに違いない。先週らかエアコンの設置工事が始まっていた。先週、業者は、作業途中で帰っていた。月曜日に続きの作業をしたはずで、その時に、壁のコンセントに触れたもの思われる、が、業者を問い詰めても埒が明かないし、起きてしまったことだから仕方ない、ハードディスクのメンテナンスをすることにした。
メンテナンスプログラムが表示するプログレスバーを見つめているうちに、頭痛がひどくなってきた。椅子から立ち上がれないような気がした。
結局、教授会には出ていけなかった。
夜中に起きてしまう、熟睡感がない。左胸が痛い、肋間神経痛か。
2週に一度、仙台に戻る生活。
朝夕、バレリンを服用するようになった。6月3日までは、朝100mg錠1錠、夕200mg錠1錠。6月4日からは、朝夕ともに200mg錠1錠服用。
ハイパー薬事典によると、成分がバルプロ酸ナトリウム、抗てんかん剤、躁状態治療剤となっていた...落ち着くのかな...

2004年当初からのことをまとめて書くことにする。
というのも、昨日5月12日(水)、久々に「来た」からだ。

  • 11日(火)は「ミョー」だった。前日の10日(月)は教育実習研究の最終講義日で、それなりに終了。夜は打合せを兼ねて酒を飲む。その後、眠れないのである。デパス0.5mg錠を1時過ぎに服用したものの、4時過ぎまで輾転反側していた。1時間くらいウトウトしたとは思うが、5時過ぎにラボナ50mg錠を服用してみた。テレビを見ていればそれなりに眠れるだろうと思ったのだが全くその気配がない。結局、コンピュータを操作し始め、19時過ぎまで仕事をしてしまう。 食欲がない。それでも19時過ぎには適当にあるものを食べた。さすがに食後は少し眠くなり横になった、が、いわれのない焦燥感で「お腹がムズムズ」してなかなか眠れない。多少は寝たようではあるが、23時過ぎに起きだし、ビデオを見始める。結局、11日(火)は徹夜状態で過ごしたことになる。
  • 問題の12日(水)。会議の日。9時に目覚ましが鳴る、が、起きられない。全身が布団にへばりついたような「身体が重い」感じがする。例の「寝返りを打つ気になれない、トイレにも行きたくない、食欲がない」状態だ。まずい、という思いはあるのだが、どうすることもできない。会議には出られないと思うので、その旨を連絡しなければならない、とは思うのだが、電話を使って人と話をする気になれなかった。 携帯電話が鳴る。着信音からS先生からだとわかった。心配してくださったのだと思う。出られなかった。
  • 14時過ぎ、携帯電話を手に取ることはできた。S先生からメールが届いていた。返事を出したら動くきっかけになるかもしれないと思い、状態を書いて送ってみる。その後、2〜3通のやり取りをするうち、トイレに行きたくなってきた。トイレから戻って、またやり取りを続ける。布団に座った状態だった。食欲は無いが、起きて活動できそうだった。
  • とにかく、できると思われること、をやることにした。コンピュータ内のハードディスクの整理、メールの整理、台所の掃除、そして、この日記を書くこと。やがて、それなりに頭は働いてきた。しかし、人と会う気にはなれなかった。
  • 夕食を20時過ぎにとり、昨日と同様仮眠、23時過ぎからテレビを見始める。2時過ぎにデパス0.5mg錠を服用、やはり眠れず、6時過ぎにラボナ50mg錠を服用。焦燥感は残っていたが、それなりに寝たようだった。
  • 13日(木)は授業の日。9時前に目覚ましが鳴ったとき、ひどい頭痛であった。とりあえずブルフェン100mg(イブプロフェン;解熱鎮痛消炎剤/プロピオン酸系/非ステロイド、非ピリン系抗炎症・鎮痛・解熱剤)を2錠服用、午前中はじっとしている。昼過ぎ、頭痛はかなり軽くなっていたが、まだ続いていた。13時からの演習は休講にしてもらった。14時50分からの講義を目処に動き出す。
  • 講義で話をしているうち、だんだんと人の顔を見ても平気になってきていた。話しているうちに調子が良くなってきたのだろう。ただし、どうにも「うわっついた」感じがする。高揚感、といえば聞こえは良いが、もしかすると「軽躁」かもしれない。
  • 20時過ぎ、携帯電話の留守電を聞く。母親が17時過ぎに録音、親父が入院したとのこと(→親父が入院したのページへ)。
  • 21時過ぎに打合せを兼ねて食事、23時過ぎからテレビを見始める。どうにも眠れない。2時過ぎにデパス0.5mg錠を服用、やはり眠れず、6時前にラボナ50mg錠を服用。
  • 14日(金)、移動があるので、8時30分には起き出す。
そういえば「変」であった、と思う。
月曜日に2コマの授業をして、火曜日〜水曜日には昼過ぎまで寝込む...頭痛がひどい...目覚ましが鳴っても身体の背中側が布団にへばりついたような感じがして起き出せない。13日(火)も20日(火)も同様であった。14日(水)は会議に出ていけなかった。21日(水)も昼過ぎまで寝ていた。22日(木)は午後の講義を休講にしてしまった。
単に「疲れた」のだと思っていた。ようやく「疲れを自覚できるようになった」と考えるようにしていた。どうも違ったようだ。もしかすると、「4月当初」の疲れがまとまって来たのかもしれない。つまり、講義に疲れた、のではなくて、つぶれた、沈み込んだ、のであろう。
そういえば「変」であった、と思う。
特に、6日(火)と8日(木)はデパスもラボナも効かず、3時間程度の睡眠で仕事をしていたのである。高揚感、というよりも、うわっついた感じがあった。
4月当初は方法研1の模様替えが行われた。これに伴い、院生と学生が利用するコンピュータの設定作業が新しく生じてしまった。この設定作業はあたしにしかできないのである。はたして、模様替えを行った連中は、このことを考慮していたのだろうか?
模様替えだけを独立して考えていた可能性が高い。もっとも、いつでも誰でもどのコンピュータを使ってもよい、という具合には考えていなかったのだろうから、仕方のないことではある。模様替えをし、机を個人に割り振り、さらにはそれらの机の上に個人利用のコンピュータを配置すれば模様替えが完了する、このようにだけ考えていたに違いない。昼間と夜間の利用者の棲み分け、利用人数が増加する可能性、等、単純に個人と机とコンピュータを対応させればよいというわけではない。
新しい設定作業は、マニュアルの不備と資料不足から「試行錯誤」を余儀なくされた。当然のこととして、「鳴門状態」が来た。設定できない焦りが強く感じられ、夜中に仕事をしてしまっていた。
なお、4月1日(木)の通院時、全体的に好調なのでSSRIのパキシルの1週間当たりの量を減らす(10mg錠×4→10mg錠×3)ことになった(この部分を記述している時点で反省的に考えると、どうやら軽躁状態での判断だったように思う)。服用する薬をまとめると次の通りである。
  • 20時に飲むもの
    1. パキシル(10mg×3÷7+糖)→1包
  • 夜(22時50分)に飲むもの
    1. レスリン(25mg錠)→1錠
      眠剤
    2. ザジテン(1mg錠)→1錠
      花粉症対策。抗ヒスタミン剤。
  • 夜寝る前に飲むもの
    1. デパス(0.5mg錠)→1錠
    2. 不眠時:ラボナ(50mg)→1錠
  • 朝夕
    1. 小青龍湯
      花粉症対策。漢方製剤。

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