日記

最初、facebookに投稿しようとしたら、長すぎる、と怒られた。むむっ

先日行われた修士課程の口述試験でのこと。「グローバル人材育成」をテーマにしていた受験生がいらっしゃいまして。利用するのは英語なんだそうです。で、わたしは、「きゃりーぱみゅぱみゅはグローバル人材に含まれますか?」と尋ねてみました。
一瞬、わたし以外の教員の方々が止まりました。がはは。欧州ツアーまでやってしまう彼女は立派なグローバル人材だと考えるのだす。
意地悪なわたしは、お答えに詰まった受験生に、「彼女は英語できないよ」とたたみかけたのでした。まぁ、圧迫面接じゃ、と言われるかもしれないけど、ね。
間を置いて受験生は「含まれると思います」と回答されました。受験生なりの「国際理解」や「グローバル人材」に対する思いがあるようで、わたしの質問でややはっきりしてきました。
もっとも、きゃりーぱみゅぱみゅの場合は、想像ですが、本人というより、周りの人々、マネージャー、プロデューサー、作曲家、作詞家、等々が一体となってきゃりーぱみゅぱみゅという人材をグローバル化しているということもあるのでしょうから、当該集団がグローバルだ、と、考える方がよいのでしょう。

かつて、鈴木孝夫「日本語と外国語」を読んで妙に納得したことを思い出す。彼は、英米人が話す「土着英語」と、インド等で使われる「民族英語」、そして、「国際補助語としての英語」を区別している。日本人は最後の「国際補助語としての英語」を目指すべきだ、という訳だな。
「日本語と外国語」には、インドの人が「アィム タルティ イャー オールド」と話すことが書かれていた。この部分は、わたしなりの「発音」で再現し、授業でよく使っている。確かに、表音文字を使う英語は、LやRの区別が厳密だし、日本人には苦手な発音だね。
「タルティ」の「タ」部分は、thの音なのだけどやや「ta」に近づけて発音するようにしている。「舌を歯で挟む」ところがポイント。
そういえば、わたしの友人が英語の授業で音読した際、教師から「訛っている」と指摘されたらしい。この場合の訛りは「東北訛り」であって、けっしてドイツ訛り(ブロンクスでもいいけど)の英語といったレベルではではない。
もし日本で「民族英語」になったすると、そもそもの日本語がヘンになる可能性が高い。「わたしは思うのです、それは...」なんて話し始めたりして...
このような変な日本語を話すということは、思考の道具として英語が使われているということになりそうだ。
実際、前任校では、アメリカで10年ほど教鞭をとっていらっしゃった同僚とテキストを作ったことがあった。同僚の作り出した日本語は、英文直訳型の日本語で、全く日本語らしくなかった。日本語らしくするのがわたしの作業の大半を占めていた。同僚は、英語で考えていたに違いない。

わたしの妻の妹さんの息子さんは、ハーフである。一見、日本語・英語のバイリンガルである。
よくよく聞くと、英語以外の教科の成績が悪いらしい。つまり、英語で考える彼にとっては、英語以外の授業では「考えにくい」のだと思う。
コミュニケーションの道具としてしか注目されていない英語だが、わたしとしては、どの言語が思考の道具となるのか、ということの方が重要だと考えるのだな。当該言語が考える道具になっていなければ、当該言語によるコミュニケーションはできない、というのが仮説。どうやって検証するよ?
帰国子女の場合も似たようなことになるようだ。元同僚がそんな話しをしていた。
国外で数年を過ごし、日本の小学校に転校して来たような場合、直ぐに日本語を覚えて喧嘩までできるようになる。親も担任もコミニュケーションは大丈夫、と、思ってしまう。が、教科学習では成績が伸びない。日本語が思考の道具になっていないからだろう。例えば、国語の時間に板書をノートに書き写している際、頻繁に黒板を見る子がいたらしい。板書された文字を「図形」のようにノートに書き写しているのだね。文字すらわからないのだから、その意味は取れないだろう。それがテストに反映されてしまう。
英語を小学校で「教科」にした場合、上っ面だけの、ナニガシカの道具にもならないような英語もどき実践されるように思う。高校生でさえ、思考の道具として英語を使うことは難しいだろうと思う。大学ではどうか?

そもそも、お前自身はどうなんだ?
仕事柄、大学院入試のための外国語の問題は作れる。ネットワークやコンピュータの維持管理のため、外国語で書かれたWebサイトの情報を利用することは日常である...研究に使えよ、はいっ
外国語で話す自信は「マイナスの方向に」はありますよ。がはは。
英語で考えようとするので、かなり疲れる。
思考の道具の1つは、C言語である。アルゴル系なので、最近のオブジェクト指向型言語にはついて行けない。
論文指導に際しても、C言語的に条件分析しているように思う。「可能性」の洗い出しには困っていない。
C言語は「英単語」は使うものの、英語で考えているとは言いがたい。変数名をつけるとき、「VO」という形にすることがほとんどではあるけど。
もっとも、根底には「アルゴリズム」があるはずで、それには数学のチカラが効いているはずだ。
そして、このような文章を作る場合には、国語のチカラによる、「起承転結」・「序破急」といった構成、川柳・短歌といった定型詩における言葉の選択、が、かなり寄与していると思う。
そして、手書きではない。直ぐに、エディタに入力してしまう。エディタとかな漢字変換機能は思考の道具になっていると考えるな。

かつて、フィーチャー・フォンで2000字のレポートを送った東京の方の大学生の話しを聞いたことがある。この大学生にとって、フィーチャー・フォンが思考の道具になったのだろうが、スマートフォンならともかく、よくやったものだ。スマートフォン、タブレット、そして、キーボードが思考の道具として活用されて行くことになるのだと思う。その場合、それらでどんな記号を操作するのか、ということが重要だろう。
英語を使うこと、は、選択肢の1つだと考える。利用者に選択の機会を与えることも必要なことだと思う。つまり、自分自身で思考の道具を意図的に選べる、ということである。
もちろん、選択の基準があれば、の、話し。形成しつつある小学生や中学生の場合、情報教育も英語教育もさらには国語教育も中途半端になってしまっては、本末転倒だと考えるのだな。

関連投稿:
https://www.facebook.com/ann.kume/posts/584809871595727?comment_id=3938389&offset=0&total_comments=4&notif_t=share_reply

みのるちゃん(わたしの母親)を、2011/03/06、仙台から福岡に移した。

引き取った、とも言うな。
それ以来、よく眠れていない。
最初は、2時間おきにトイレに連れて行った。
2010年の10月、仙台を訪れた時には、基本、自分の事は自分でできていた。
トイレまで行く、パンツをおろす、用を足す、パンツをあげる、トイレから戻る...
それぞれができなくなっていた。
愕然
2009年の2月に父親が亡くなって以来、一人暮らしをしていた。
半年後、譫妄がひどくなり、一人暮らしを止めた。
それからの1年半、ひと月に1回の通院以外、家からでなくなった。
...出されなかった、のかもしれない...
わずか1年半、で、激変した。
福岡に来て、初日の夜、頭の上を人が走り回った、そうだ。
徐々に落ち着いて、ぽつり、ぽつり、と、話し始めた事を聞いていると、ため息しか出てこない。
典型的な、高齢者虐待、だと思う。
聞いた時には、とても頭にきた、し、書いてやろう、とも、思った。
だが、聞き続けるうちに、だんだんとわたしがまいってしまった。
書く事に意味があるのか...
それでも、書いてみよう。
1.身体的虐待
2.心理的虐待
3.ネグレクト(介護や世話の放棄)
4.経済的虐待
みのるちゃんの通帳、仙台の地方銀行とゆうちょ銀行、それぞれ、「介護者」に渡していた。
今思うと、「介護者」の自覚の無い人間に渡してしまっていたのだな。
みのるちゃんが頼んでお金をおろしてもらうとき、10万円、5万円、という具合におろす。
これは、わたしが頼まれた時も同じだった。
通帳を見ると、2000円、30000円、とおろされている事がある。
ざっと、47万円になっていた。
みのるちゃんは年金生活者である。
2ヶ月に1回、自分の分と、なくなった父親の関係で、19万円程入金される。
ひと月に1回は、区役所から30000円、入金される。
毎月、12万円ほどの入金だ。
「介護者」は、「自分にはお金がない」という理由で、みのるちゃんからお金をもらって生活していたらしい。
風邪を引いた時、みのるちゃんはそのまま、「介護者」はみのるちゃんから3000円をもらい、通院したとの事。
毎月1回のパーキンソン病の通院の時には、10000円を「介護者」に渡していたらしい。
みのるちゃんは、特定難病指定を受けているので、医療費はかからない。薬代としても高すぎる。
残りは、「お駄賃」になっていたようだ。

2000年に診断名がついてから、もう11年目である。

毎年、年末は、また、今年も、ひでぇ年だったなぁ、という、思い、で、一杯になる。
例えば、2005年12月大晦日
病名がついてから、五年が過ぎようとしている。
相変わらず、家族、職場の方々、指導生の皆さん、院生・学生の皆さん、に、迷惑をかけ続けている。
回りの方々のおかげで、2005年は、低空飛行ながら、墜落せずに過ごせた。
明日は、福岡に帰る。
先の見えない日々が始まる。
まず、薬を飲もうっと。
例えば、2007年12月つごもり、幻覚のうたを詠んでいるし...
晦の明け方に見た幻覚は友がすりより尻押しささやく
金縛り友とかすかに思ふのみ誰とも知れず過去悔いるなり
無いはずの襖が開いて人ぞ来る布団剥がされ寒さで起きる
襖開き見知らぬ3人見下ろしつ何ぞいひたき哀しげなかほ
幻覚とひたすら叫ぶ知識あり睡眠薬かアルコールかも
年始と言っても、新しい年の見通しがある訳でもなく、ひたすら、その日を無事に、無事にというのは、自殺する事無く過ごす、こと、を願って、いる日々。
この繰り返しであった。
2010年は、半年休職した。
これがよかったかどうかは、わからない。
3ヶ月は、なんだかんだと、作業していた訳だし、未だに作業しているし。
授業できなかった事がむしろ悪かったように思う。
復職したと言っても、容赦なく仕事は割り当てられる。
これまで、なぜ、入院しなかったのか、と、言えば、入院して緩解して戻ったとしても、職場環境が変わるはずが無く、そこで仕事を続ける限り、再発する事は火を見るよりも明らかであったからだ。
ならば、わたしが「慣れる」しかない。
しかし、1つだけ、よい事があった。
一緒に暮らしてくれる人がゐる、それだけでなく、各種病院にも「連れて行って」くれる。
以来、病院に行けない、ということがなくなった。
...管理されてる、かも...
さらに、睡眠外来に通院し、CPAPを使うようになった。
さらに、循環器科には毎月欠かさず出かけ、血圧が安定した。
もちろん、精神科通院を欠かした事も無い。
そして、眠剤を飲まなくても、熟睡できるようになった。
睡眠の改善、これだけでも、大きな一歩を踏み出した事になる。
復職のための「面談」の際には、「睡眠が改善された」と言ったが、うつ病が治ったとは言っていない。
だから、か?
容赦なく仕事は割り当てられる。
...言葉どおり厳密にっ、てぇのは、通じないのかもね〜
でも、いいのだ。
いい事があったのだから。
優しい時間が、ぼわぉ〜ん、と、流れる日々を暮らしている。

こことここの、続きです。

内科
精神科で、3ヶ月に1回くらい、血液検査をしております。
ま、服薬で、肝臓がやられていないか、チェックする訳ですな。
その血液検査で、ちょっと異常が見られまして...
で、内科に通うようになったのでした。
その前に。
かんぞーの事を考えて、断酒、しましたです。
30数年間、毎日、飲み続けていた、酒、を断ちました、ばつっ
でも、まぁ、ちょっと、かなり、いっぱい、たくさん、日本酒なぞの味が、わかってしまう、わ・た・し。
2回ほど、飲んじゃったのです。
1回目は、日本酒をおちょこで一杯。
2回目は、ビールをグラスに一杯。
ともに、苦かった、まずかった、のです。
ぐっっっっげぇぇぇぇぇぇ〜
しょーげき、です。
こんなまずいもの飲みながら、食事なんて、できるかぃっっっっ、て感じぃ
しょっくです。
精神科の担当医によれば、一度、アルコール依存になって「いろいろ出てくる」ようになった場合、断酒していて、も、ある日呑みたくなって、飲んでしまう、と、「いろいろ出てくる」らしいのです。
ぐっはぁっ
2回とも、でてきませんでしたけどね。
でも、おなかの辺りが、もぞもぞ、さわさわ、むぞむぞ、して、なかなか、寝付けなかったんですな。
ぎゃ
ま、こんなことも経て、今は、ウーロン茶でございます。
おっと、内科ですな。
担当医、初診の時、名刺をくださいました。
むむっ
わたしのこと、「先生」と呼びます。
ぎょっ
ここ、国家公務員の共済組合の病院です。
とーぜん、元国立大学のセンセ方もいらっしゃるのでしょう。
患者として行くのであって、教員として行くんじゃねぇのだけれど、どーしても「先生」と呼ばれないと、気が済まない方々、が、いらっしゃった・いらっしゃる、のでしょう。
ばっかみたい。
いつもなら、「先生はやめてください、何も教えていないですから」と言うのですけどね。
この担当医には...言えなかったのです。
とにかく、ボケまくります。
「看護師さぁーん、あ、師長さぁ〜ん、封筒ください、封筒ちゃん...」
「...肝臓は時間がかかります、わたしの方法で進めますよ、いいですかぁ...(と、わたしの手に手を乗せて)...おっと、わたしなんかに手を握られたくないですねぇ〜」
「...、あーっ、風邪ですねぇ...わたし、薬だしませんよぉ、自分で治してっ」
「(待合室で待っていると、ご丁寧にご挨拶してくださり)...(センセ、白衣のボタン、掛け違えてますよぉ〜)...」
「うーむ、まだまだ、治療は始めませんよ(うつの治療を優先させるから)、ここはひとつ、音無の構え(センセ、両手を上げて、構えましたです)、で...」
いちおー、ボケもツッコミもできますけどね、わたし。
始終、「はぁ」「はぃ」、あるいは無言、でございます。
肝臓、確かに、回復には時間がかかります。
この担当医と長くつきあうのでしょうね。
通院のたび...こちらもひと月に1回ペース...に、期待してしまうのです。
さて、今回は、どんなボケをかましてくれるんだろー
通院が楽しくて...
そうそう、肝臓の検査結果ですな。
生まれて初めて、エコー検査というのをやりました。
でぇ〜っかい、肝臓が、見事に、白く輝いていました。
半分切って、売ろうか、と、思ったくらい。
ま、昨年の秋くらいから、眠れない、のをいいことに、寝る前に、カップ麺を食し、酒を呑みまくっていましたからね〜
太りました。
肥満です。
肝臓くんも、脂肪肝。
この担当医、そういえば、検査結果の判断では、自分以外の医者の意見も聞いていましたね。携帯電話かけてました。
最初のエコー検査の時も、ごり押しで入れてくれたし。携帯電話かけてました。
ぬぽーつとしてるように見せて、結構、切れ者、かも。
「封筒ちゃん」の時には、師長さん、とおぉ〜っても嫌そうに封筒持ってきてました。
変わり者で、嫌われていたりしてね〜
でも、治療に関しては、かなり、しっかりとした、ビジョンを持っているのでしょうなぁ。
ぶれない、けど、やわらかい。
そう、思いたい。
つづく...

これ、の、続きです。

皮膚科
ご近所の皮膚科にひと月に1回、通うようになりました。
ルリコンクリーム(ルリコナゾール10mg/1g)を、毎晩、風呂上がりにぬりぬりしておりまする。
これが、よく効く、効いた。
...某ブログに書いたら、この後で再発するぜ、というコメントをいただいたけどさ。
医者の管理下にあるんだから、再発してもいいのだよ〜ん。
長期戦の構えだす。
この皮膚科、形成もやっていらっしゃるようで...
センセは、髪の毛が不自由なようで...
自分でなんとかしないのかね〜、とか、思ったりして、失礼なやっちゃで、ほんまに。
ま、通院はいやじゃ〜、とは、思えないので、よしとするのです。
なんだそりゃ...
睡眠外来(内科)
しかし、いびき、昼間の眠気、も、医者が診断して病名がつけば、保険でなんとかなるんだすなぁ〜
いい時代じゃ。
睡眠時無呼吸症候群の中程度、と、ちゅうとはんぱに診断されました。
こちらも、ひと月に1回の通院。
CPAPのレンタル代を含めて、5,000円くらいになりますな。
担当医、という訳ではないけど、そのチームの主任医師のいらっしゃる時を予約しております。
「ヒゲ」をおはやしになってらっしゃるセンセ。
ほほ髯、あご鬚、くち髭、(ラウンドヒゲ)、きれいに整えていらっしゃいます。
わたし、一応、髯、鬚、髭(ラウンドヒゲ)をはやしてますけど、あんなにきれいには...
えっとぉ、いちおーね、ヒゲバリカンで、8mmに全体をそろえてますよん。
口の周りは、食事の時に邪魔になるので、そりそりしてますよん。
でも、わたしのは、むさくみえるんだろうな〜
...話しがそれました。
いつもにこやかにお話しくださいます。
月に一回ですから、まぁ、なんとも...
CPAPの記録を解釈して、今後の方針...といっても、まだまだ、続けなきゃいけないんだすなぁ...を示す...
こちらに関しても、全く根治ではない。
一生、CPAPを続けなければならないとしても、それで、ふつーに、暮らせるのであれば、OK、である。
ふはは。
またまた、つづく...

2010年11月上旬現在、通院しているのは...

  • 精神科
  • 内科
  • 循環器科
  • 皮膚科
  • 歯科
  • 睡眠外来(内科)
ぐはぁ〜
で、だ。
精神科
もう、10年になりますね。
担当医は2人目。
ころころと、鈴のように笑う、とてもチャーミングな先生。
「また、お会いしたいなぁ」
と、思わせるのだな。
もちろん、通わなくなること、がいいに決まっているけど、さ。
「また、あのセンセに会うのかよぉ〜、いっやぁ〜」
と、思うより、遥かにいい。
精神科をやりながらあのパーソナリティを作り上げたのか、元々、そうなかの、は、どちらでもいいけど、小児科もできそうな感じである。
病休していた半年の目標は、睡眠の改善。
うつの根治ではない。
おそらく、職場の多くの方々は、勘違いしていることと思う。
10/1から復帰した、けど、「容赦なく」仕事を割り当ててくる。
何しろ、眠るのに努力、していたのだ。
それが、ふつーに、布団に入ったら、すぐ、寝付く、のは、とてもとても、重要なことなんだよん。
11月現在、服用している薬は、
コントミン、効いていないかも...というのは、おいといて...
担当医曰く
「ようやく、グッドミンのような普通の薬が効くようになりましたね」
だそうだ。
おぅ、やっと、服薬も普通になったか...
もちろん、CPAPの効果、も、あるだろうね。
近来まれに見る「爆睡」状態である。
夢を覚えていない。
夜中にトイレにも1回くらい起きるか起きないか...
もしかすると、小学校以来、かもね〜
よいよい。
結局、うつの薬は全く減っていないのですな。
現薬に何回か失敗しているので、慎重に進めるのだと、解釈しているけど、はて、どうなのだろう。
もっとも、一生、服薬を続けなければならないとしても、それで、ふつーに、暮らせるのであれば、OK、である。
服薬していない自分が本当の自分、なんて、青いことは言わない。
...けど、ちょっと、思ってたりして、ぐはは。
そんなこんなで、毎週、通っているのです。
循環器科
血圧の薬を服用してます。
とりあえず、毎日、朝、晩、時々、昼、血圧を測りましたっ
もう、160/100、とか、信じられない数値をはじき出しておりまして、ね。
薬を飲み始めて、ひと月位して、120/80、とか、96/70とか、これ、誰の血圧?状態が続いておりまする。
すげー
とはいえ、血管を開いたり閉じたり、これまた根治している訳ではない、のですよ。
まぁ、薬でコントロールできている状態、ですな。
またまた、一生、服薬を続けなければならないとしても、それで、ふつーに、暮らせるのであれば、OK、である。
こちらの担当医は、至って普通のお医者さん、という感じ。
ひと月に1回の通院だから、よくわからない、というのが正確ですな。
記録した血圧を見せて、ほめられて、続けなさい、と、言われて、帰る。
悪い気はしないですな。
CPAPの効果、も、もちろんあるでしょう。
10月末の診察では、「はら」を指差して、なんとかしないとねぇ〜、と、言われた。
はい、そりゃぁ、もう、思ってますよ、わたしも。
何しろ、立派な脂肪肝ですから。
そのために...実際には違うみたいだけど...内科に通っているのでぃす。
ちなみに、この時から、まじめに血圧を記録しなくてよい、と言われましたです。
血圧測定・記録が「心的な重荷」にならないように、という配慮、みたい。
でも、測っちゃうもんね〜

CPAPの圧、が問題なのだな。

で、受診してみると...
要するに、○〜×、と、範囲を持たせて設定する、らしい。
ふーん。
コンピュータが調整するんだろーなー
そして、2010/9/15、圧が調整された機械を受け取りにいったのですな。
こんな感じ。
P10008962.jpg
ぎょうぎょうしい、バック、に入っていました。
スイッチらしいものはありますけど、説明によれば、コンセントにコードを差し込むだけでいいらしい、し、終わったらコンセントからコードを抜けばよいらしい、のですな。
べんりっ
厚紙にICチップが貼付けられている記録用のカードもついていましたね。
次に通院する時、ダウンロードして持参する、とのこと。
ふむふむ。
大きさは、検査入院の時にセットしたものより遥かに小さいのですよ。
P1000898s.jpg
Appleさまのマジックマウスを置いてみた。
さて、マスクの装着だ。
P1000895s.jpg
ぐはは、一番怖いなっ
で、だ、装着して寝た感じ。
30年ぶり位に、ぐっすり寝た感じ、すげぃ。
最近では、夢を覚えていないくらい。
昼間は眠くないし。
最近では、つけていることを忘れるくらい。
そうそう、血圧、もちろん、服薬していることもあるだろうが、かなり安定。
うっはっはっ

受診してみましたら...

身体、というか、首、というか、向きによって、無呼吸になったりならなかったり。
寝相を制御できる、訳でもないので、困りますな。
総合的には、中程度の無呼吸症候群、ということで。
またまた、ほっとしたり、不安になったり。
早速、CPAP(シーパップ)をつけることに。
どうも、レンタル、らしい。
そして、個人に合わせて、空気圧を調整する、らしい。
で、また、検査入院。
これまた、2週間待ち。
まったく、迷惑な番組だ、とも、言えないか...
さてさて。
検査入院は、前回と同様、20時までに手続きをして...
技師さんが、センサーをつけてくれるのです。
さらに、今回は、CPAPが追加。
小型掃除機、みたいな機械、と、「マスク」を装着...
こんな感じ。
P1000886s.jpg
前より、こわいっ
寝入りの悪いわたし、今回は、2時間ほど輾転反側...
夜中に、いくつか、写真を撮ってみたりして...
睡眠ポリグラフ、ノートパソコンに記録されるのですな。
P1000887s.jpg
こいつは、呼吸センサーにつながっているみたい。
P1000888s.jpg
身体についているセンサーはいったんこの機械に集約されて...
P1000893s.jpg
こちらの機械につながって、さらにノートパソコンにつながる...
P1000889s.jpg
頭にもセンサーがついていて、脳波を拾うらしい...
うわっ、はげっ
P1000890s.jpg
頭センサー、もう一枚...
P1000891s.jpg
さらに、頭のセンサー...
P1000892s.jpg
夜中、0時過ぎ、寝入ったようです。
...ま、後から、睡眠ポリグラフの結果でわかったことですけど。
2時過ぎにまた起きて、ぐだぐだしたこともわかりましたです。
朝、技師さんがセンサー類を外してくれましたけど...
そのとき、「眠れなかった」と話したんですよね〜
そしたら、「そのようにおっしゃる方でも、睡眠ポリグラフの結果を見るとよく寝ていることがわかるんですよ〜」とのこと。
で、またまた、睡眠ポリグラフの概要を説明してくださったのですけど...
わたしの感覚通り、深い眠りに入ってなかったっす...
6時過ぎに、ようやく寝入った感じ。
だってさ、眠れないよ、こんなのつけてたら。
果たして、CPAPの圧、決められるのかね〜
今回も、検査入院費用、23,000円也。
つづく...

そうそう。

前々から気になっていたことがありました。
それは、いびき。
眠りも浅いので、自分のいびきで起きたり、とか、いびきをかきそうになると...ちょっと息苦しいので...起きたり、とか。
で、さ。
睡眠外来、というところを受診してみたのですよ。
某原土井病院、自宅近くの総合病院ですな。
睡眠外来があるのです。
受診して、うつ病であること、いびきをかきそうになって息苦しいことがあること、昼間眠いこともあること、高血圧で治療中であること、等、を話しましたね。
すると。
「それらの症状、睡眠時無呼吸症候群の治療で治るかもしれません」
と、言われまして、ね。
ほぇっ
うつ病も治るの?
まぁ、ものは試し、検査入院することにしました。
なんでも、志の輔が司会をしている某ためしてガッテンで取り上げられたらしく、検査入院の予約が2週間待ち、だそうな。
むむむっ
予約する時も、「番組を見てこられたのですか」としつこく聞かれました。
ちがうってばさ。
睡眠時無呼吸症候群は、前々から気になっていたのっ
夜、20時に「入院手続き」をして、技師さんが睡眠ポリグラフの機械を身体につけてくれましたっ
こんな感じ。
P1000858s.jpg
こわっ
これらのセンサー、こんな機械につながっています。
P1000857s.jpg
この機械の先には、ノートパソコンがつながっていて...
接続しているケーブルは50pinのSCSIケーブル、懐かしい〜
...それにしても、気持ち悪っ
いつもの眠剤を服用して、22時過ぎにベッドに入りました。
仙台弁で言う「いずい」状態。
寝入りはいつも悪いんだけどさ、1時間くらい輾転反側してたな〜
さすがに、夜中には寝ていたようで...
次の日の朝、技師さんが睡眠ポリグラフの概要を見せてくれました。
見事に、いびきやら無呼吸やらが記録されていて...
安心したやら、不安になるやら...
結果は郵送される、とのこと。
検査入院代金、しめて、23,000円也。
保険が利くのでこの程度の値段、なのだね。
いや、ありがたい。
ま、ようするに、医者が「診断」を下せば、保険が利くのですよね。
さて、結果やいかに。
次回の診察の予約をして、だらだらと、帰ったのでした。
つづく...

2010年の6月末、ようやく、だらだら、できるようになりました。

で、片付けはする気にならず。
とりあえず、毎晩、夕食後に散歩することにした。
何しろ、眠れない、ということで、寝る前に毎晩カープラーメンを食していたら、もちろん、酒も飲んでいたので、体重が一気に増えましたっ
90Kg...
むむむっ
無駄な努力かもしれないけど、最低、30分は近所をぶらぶらと...
不審人物に思われないように注意して...
というのも、だらだらできるようになって、ようやく、あちこちの医者にいけるようになったから、ということもあるのですな。
手始めに、循環器科に行きました。
血圧、高いのです。
それも、拡張期血圧が...
収縮期血圧(最大血圧)は、散歩すると多少は下がりますな。
とはいえ、160/100、は、ちと、高過ぎ。
時々出てくる頭痛は、この血圧の高さ故、かもしれませんです。
精神科に通院して、鎮痛薬までだしてもらっていたりして...
それから、毎日、3食、食べるようにする、とか、寝る前に食べるのをやめる、とか。
当たり前の生活に向けで、進むのです。
おぅっ

2010年8月中旬に皮膚科...職場近くの某陣内皮膚科クリニック...に行った。

とても、いやな思いをした。
医者嫌いの薬好き、水虫に、ステロイド剤は禁忌のはず、だとは思っていた。
見事に、ステロイド剤を処方された。
誤診、と、言うのであろう、と、思うのだな。

何を隠そう、知っている人は知っているように...わたしの名前の読み方は、某アナウンサーと同じ、である。

そう、わたしの漢字の名前で、某アナウンサーを指し示しているのである。
なんとも、頭にくる。
Googleも、もしかして久米宏、などと表示しやがる。
Google久米弘.png
ちゃんと、入力したキーワードで検索しやがれ...しているけどさ。
ちなみに(もちろん?)2つ目がわたし。
2010年8月の中旬、某アナウンサーがパーソナリティを務める番組の放送作家の方からメールが届いた。
何でも、
 
当番組では久米宏と同姓同名の方で、今週8月21日(土)に
お電話で5分〜6分程度ご出演して頂ける方を探しております。
 
とのこと。
お返事には、
番組は、ポッドキャストでチェックしております。
あれは、今から43年前、わたしが小学二年生の時です。
「おまえがラジオに出てるぞ」と言われ、わくわくしながらラジオを聴いたものでした。
しかし、それも、つかの間。
ぴったしカンカン、ベストテンと、久米さんの知名度が上がるにつれ、「名前を呼ばれて笑われる」という、暗い人生が始まりました。
教育実習先では800人の中学生に笑われました。
27歳の時から、人前で話をする仕事...先日亡くなられた京都大学名誉教授、森毅先生の言葉を借りれば「芸者と教師は客商売」、その客商売に就き、真っ先に、そして、必ず、名前を覚えられるというメリットを享受している現在です。
時々、漢字表記を間違われますが、それもご愛嬌。
インターネットを検索すれば、わたしの漢字表記で、久米さんを表現している場合もあり、とりあえず、それらを笑って眺められるようにはなりました。
こんな話でよければ、お使いください。
出演可能です。
と書いた。
その後、放送作家の方とは電話で何度か話しをし、この時の放送には出演することはなかったのでありますな。
さらにその後。
放送作家の方から電話があり、2010/9/11の放送で、自分の名前をテーマに出演してくれぃ、とのこと。
ほぅ
面白いじゃん
放送当日は、ちょうど、某熊本大学で集中講義している最中。
昼休みを長く取って...土曜日だし...さ。
我ながら、ラジオらしく、ゆっくり、はっきり、話したつもり。
さて、どうなのかね。
さてさて、その後。
川口市のまったく見知らぬ人から、CDが送られてきたのですな。
放送当日は、わたしが聞けなかっただろう、ということで。
おおおっ
すごいっ
メディアの力っ
で、まぁ。
著作権のこともあるけど、わたしが出ている前後を含めて、20分ほどのファイルを作成したのであります。
Unicodeの漢字をファイル名に入れたから、クリックしても再生できないかもね。
むふふ。

CSI:NYのシドが使っているやつ。

赤を最初にここで購入した。増永眼鏡店
なかなかよい。
授業中にレンズの間を外すだけで、学生どもが驚く。
某熊大の集中講義のときには、休憩時間に、わざわざ、学生どもがたずねてきた。
「眼鏡が割れたように見えました、目の錯覚かと思ったのです」
そうかもね。
で、ハーフフレームタイプを購入した。
今度は、ここ、にしたのだが、安さにつられたのね...
幅が狭いのである。顔、でかいからね。
問い合わせたら、調整は「五段階」できる、それ以外の調整はしない、のだそうだ。
長さ調整だけ、自分でしなさい、ということだな。
ふん。
お湯で自己調整だぜ。
さらに。
レンズを磨いていたら、右のレンズが外れたっ
現在、問い合わせ中。
不良品かよ。
さて、どう対応してくれるんだろう。

復職までの準備、まずは、身体のメンテナンス.

とりあえず、老眼鏡.
Q大でも、学生たち、目をぱちくりさせていた.
「眼鏡が割れた...」
がはははは.
2010/4/1から病休していた.
とはいえ、先に書いたように、仕事は常にあって、なんでじゃ〜、状態だったのだな〜
まいるぜ.
事務からは会議の案内は届くし、非常勤先からも連絡事項が山のように届いた.
一般企業ならば、考えられないこと、だと、思う.
休職中に、非常勤やっていいのかね、なんて思ったけどね.
授業はやりたいのだから、ちゃっかり、準備をしてましたね〜
たのしぃ〜
一応、ね、全学の会議にも1回出ましたよ.
他に代わる人のないお仕事だから.
結局、家でのんびり、できたのは、6月末から.
そうそう、6月末、には、理事をしている学会にも出張に行きましたっ
むむむ、休職中に出張...
なんなんだこりゃぁ〜、で、ありますな.
そうそう、復職プログラムってのも、ないみたいです、この職場.
総合大学だし、地域の中心的な大学のはずで、精神科もあれば、臨床心理士も排出しているのに、足下には復職プログラムがない.
むしろ、復職プログラムを提供することすらできるのに.
面白いですな.
Qボックスという「提案」システムに文句を言ったら...
Qボックスを担当しています総務部総務課総務第一係のNNNNNNと申します。
ご連絡が遅くなり申し訳ありません。
お尋ねいただきましたような厚生労働省が導入を進めている職場復帰支援プログラムにつきましては、現在、本学でもその導入を検討中でありますが、既に本学では、ご本人様と産業医、復職後の上司との間で業務内容や条件などについて話し合いをしていたきながら、復職いただけるような制度を用意しております。
このため、もしお許しいただければ、kumecchi様のお名前、ご連絡先、今回のご意見を、私から学内の関係部署の者に連絡し、今後の手続きや本学としての支援の内容をkumecchi様にご説明させていただく機会を調整させていただきたいと存じます。
お返事をお待ちしております。
といった返事が届いてましたな.
復職してから、返事してやった.
ぐはは.
庶務係からは、機械的に...
お世話になっております。
貝塚地区庶務第二係のSSSSです。
現在、9月30日まで病気休暇の申請をいただいているところですが、
10月1日より復職予定の場合、
主治医より診断書をもらい、産業医との面談を行っていただきますよう
よろしくお願いいたします。
というメールでしたな.
うきゃ、のんき.
で、健康科学センターにメールしたら...
おはようございます。
大変お待たせして、ご心配をおかけしました。
UUUU先生に確認してからと思い、ご回答が今日になりました。
九大の復職プログラムについては
現在検討中であり、明確なものは整備されておりません。
各部署での個別の対応をされています。
基本的な方針としては、およそ6カ月間で
元の職場、元の仕事状況に戻していくとのことです。
いろいろな病状や職場環境がありますので、状況に合わせて
職場と調整しながらすすめていきます。
復職時に必要な書類として、次の2つがあります。
1.主治医の診断書(復職の可否や注意事項など...)
2.産業医の意見書(復職判定)
※産業医はご本人と面談し、復職の可否について判定します。
・主治医の診断書や上司との相談などを参考にします
・就業する場合は注意事項、必要な就業制限などがあれば記入します。
復職前の準備
面談の調整、書類の事務処理的な時間、職場の環境調整
が必要なため、復職希望時には余裕を持って、
3週間前までには面談された方がいいようです。
プログラムとしてはきちんとされていないため
以上のような回答ですが、よろしいでしょうか。
面談が必要な際は、また予約をお取りしますので、お知らせ下さい。
箱崎分室
これって、復職プログラムじゃん.

10年位ご無沙汰していた歯医者に行ったのですな.

近所の歯医者さん、当時は、「指で感光紙を押さえる」タイプのレントゲンしかなかったのですよ.
ご立派になられて、あご全体を撮るレントゲン装置が入っていましたっ
で、わかったこと.
病休なのであります。
仕事は来ないはずなのです。
来たっ
From 庶務係 <xxxxxxxx@yyyy.zzzzzz-u.ac.jp>
To わ・た・し
日付 2010年7月5日15:51
件名 FW: 情報セキュリティに関するアンケートの実施について(依頼)
詳細を隠す 15:51 (15時間前) 
支線LAN管理者 各位
情報セキュリティに関するアンケートの実施について
依頼がありましたので、アンケートを7月22日(木)までに
提出願います
*************************************
庶務係
電話    000-111-2222,3333
FAX 092-555-4444
Email  xxxxxxxx@yyyy.zzzzzzzz.ac.jp
*************************************
________________________________________
差出人: 情報ネットワーク担当 [ssssssss@tt.zzzzzzzz.ac.jp]
送信日時: 2010年7月5日 15:10
宛先: 事務局各課(室)連絡担当係(監査室含む); 各部局庶務係(○○・×××、△△△△センター含む)
CC: security-vvvv@uu.zzzzzzzz.ac.jp
件名: 情報セキュリティに関するアンケートの実施について(依頼)
.........以下引用.........
「提出願います」なんだから、わたしがアンケートに回答して提出するのだろう、と、思った。
で、だ。
念のため、わたしは病休なんですけど、書くんですかぁ〜、っと、返信してみたのだな。
そしたらさっ
参考までに先生にお知らせしましたので、
アンケートは必要ありません
と、回答が来たっ
?????
?????
?????
?????
?????
変でしょう?
この文言は、引用されている文章に書かれていたのだな。
「主文」にはない。
ま、いずれにしても、あんまり休んだ気がしない。
で、だ。
4/1からなので、既に3ヶ月が経過している。
3ヶ月経過すると、給料が半額になるらしい。ぐ・げっ
このことについて、7/1に何故かメールが届いたんだな。
今ごろ?
今さらながら、休職期間の確認の文言も書かれていた。
今ごろ?
この時期に伝えるのかね...
凄いな〜
半額になる当該月だぜ。
ショックを大きくするのが目的か?
勘ぐってしまう。
それにしても、凄い。
あー、忙しいんだろうね。
病休者なんて、基本、休んでるんだし、情報は後からでもいいんだ。
だんだん、卑屈になっていくぞ。
やばいな。
違うことを考えよっ、と。

先週の木曜日、通院できなかった。

一つは、只管眠かったから。
もう一つは、薬代がなかったから、だ。
がはは。
財布の中に70円しかなかったりして...
只管眠いのは、ずっと続いていて、薬は、コントミンがいっぱい、パキシルが2日分残っていた。
パキシルの服用を急に停止すると、こんなこと、とか、こんなこと、になったりする。
離脱症状がきつい、のだよん。
覚悟していたのだけれども...今回は、ほとんどなかった。
軽い耳鳴り、軽い頭痛、感覚異常もちらっとな。
どうやら、コントミンが効いているため、だろう。
神経が鈍っているのだろう。
一日、20時間くらい寝ていた。
頭痛にはニフラン、耳鳴りは我慢、動かないので感覚異常は感じない。
コントミン様々、であるな。
しかし。
食事をしなくては、と、思って、なにがしか、口に入れるのだけれども、胃腸が動いてくれないこともある。
コントミンは、神経に効くからね。
おかげで、月曜日だったかな、終日、腹痛に悩まされた。
食べなきゃ、という思いと、胃腸の動きがつり合わない。
ぐむぅ

只管、眠い...

↑よめないかも...調べなさいっ
1週間のうち、4日間ほど、一日、22時間くらい寝ている。
そう、只管、眠い。
困ったのだ。
過眠かもしれない。
やっぱいな〜
戻ったのかよ。
せっかく、いい感じで、緩解の方向に進んできたのに。
あー、只管、眠い。
困ったけど、只管、眠い。
だから、寝る。
6/3、木曜日、通院の日。
只管、眠い。
布団が呼んでいる。
むむっ
薬がもらえない。
中途半端な昼寝の後のようだ。
むむっ
写真すら撮る気になれない。
むむっ
ぶぉーっと、しながら、したくして、とにかく、歩くことにした。
病院まで、30分。
歩き出したらこっちのもんだが、只管、眠い。
くぅ〜
...
...
...
...
...
担当医いわく、コントミンを減らしましょう...
?????
単なる飲みすぎですか?
ぐっ、げっ
はいっ
で、その晩から、コントミン12.5mg錠を3錠にしまして、ね。
一応、駄目押しのエバミールは1錠。
翌日の朝、5時にすっきり起きましたっ
むむむっ
担当医、いわく、落ち着いてきているのでしょう...
ほぅ、ほぅ
ゴミは片づけられないけど、ね。
いい感じっ

病休のはず、なんだが、何もしないことがストレスになってやがる、ふんっ

まぁ、なんとなく、ちまちまと、サーバーを見ている。
で、clamav だ。
順調にインストールできたっ、と、思ったのだが...
PowerPC では、ログファイル(clamd.log)がどがすか大きくなってる...なんだ?
バグ?
はいはい、パッチを当てるのね。
sh
export CFLAGS='-arch ppc' 
export LDFLAGS='-arch ppc' 
./configure --enable-check --prefix=/usr/local/clamXav --build=powerpc-apple-darwin`uname -r`
patch -p1 Makefile PowerPC.patch
make && make check VG=1
make install
それにしても、休めない。

そんなわけで、2010/4/1から、病休している。

コントミンのおかげで、睡眠はばっちし。
これまで、ボランティアで続けていた、サーバーのメンテナンスは、他のボランティアが引き継いでくれる、はず、だった。
メンテナンスのボランティアなんて、誰が好き好んで引き受けるかっつうの。
結局、わたしがしているのである。
一日が長いので、だらだらと、サーバーを見ていると、出てくるのだな。
clamav-096 については、書いた。
CPANを使って、perl モジュールのアップデートもしてる。
MacPortsも(cron で)アップデートしてる(だから点検だけ)。
ImageMagick の手動アップデートもあったな。
それくらいか。
IPアドレス不正使用の監視ってのもあったな。
随分と減った。
Mac OS X Leopard ( Server ) にしてから、かなり楽になった。
複数台に対して作業する、という手間だけが残った。
たとえば、clamav に関しては、OUTDATE の警告がログに記録されたら、わたしにメールが届くようにしてある。
そんな工夫があちこちに入っているからだ。
こんなことは、誰も知らない。
だから、ここに書いておく。
そう、休んでいる、とは、言えない。
ひと月くらい、損してる感じ。

眠れないのには、困ったものだ。

ただ眠れない、だけでなく、妙な夢を見る。
時々、誰かが訪ねてくる。
まいるっ
で、3月末から、コントミンである。
ハイパー薬辞典によると、
クロルプロマジン塩酸塩
神経系用剤(含む別用途)
クロルプロマジン製剤
精神神経用剤
なんでも、統合失調症、に、使うらしい...むむむっ
誰かが訪ねてくる、もんね。
ふぅ
12.5mg錠を4錠、寝る前に服用する。
駄目押しに、エバミールを1錠。
服用して30分もすると、久々の、ねむねむ感である。
やったっ
気がつくと、朝になっていた。
夢を見たはずだが、よく覚えていない。
ほぅ
それでいて、ハルシオンとは違う感じ。
ほぅほぅ
夜中に、トイレに起きた。
めちゃくちゃ、フラフラする。
強烈に眠い。
ほほぅ
ダラダラと、夜中までテレビを見ていたが、やめた。
つまらんテレビを見ないで、コントミンである。
早い時には、20時に寝てしまう。じじぃだな。
土曜日、CSIを見た時には、0時だが、ほとんど、22時には寝ている。
朝は、5時半、6時、8時、そんな時刻に起きる。
目覚ましが鳴る前だ。
やっぱり、じしいだな。
その代わり、一日が長くなった。
昼間、ぼぉっとして、コンピュータをいじくっていると、サーバーの不具合がいろいろと見えてくる。
直す。
疲れる。
通院の時には、JRの液まで30分ほど歩く。
疲れる。
それにしても、やわな筋肉になったものだ。
足の裏が痛いし、ヒザががくがくだ。
1週間に一度であるが、大冒険だ。
時々、明け方まで眠れないことがある。
1週間に一度くらい。
むむむむむっ
これを除けば、「普通のひと」らしくなったかもしれない。
ひゃははっ

2010年に入ってから、レメロン15mg錠を服用するようになった。

なんでも、新薬、らしい。期待増っ

その代わり、パキシルを減らして。
それまで、パキシル20mg錠を2錠服用していた。
日本人の最大量である。
どうにも、よくない。
眠れないし、昼間寝ている。
で、レメロン、だ。
ハイパー薬辞典によると、
ミルタザピン
神経系用剤(含む別用途)
抗うつ剤(NaSSA)
ノルアドレナリン・セロトニン作動性抗うつ剤
とのこと。
どうやら、セロトニンだけでなく、ノルアドレナリンの遊離量も増やすらしい。
ふむふむ。
期待できるじゃん。
パキシルをまず一日1錠減らした。
例の副作用がでてきるかっ、と、ドキドキものだったが、そんなことはなかった。
いいじゃん。
気分の落ち込みもない。
いいじゃん。
が、夜、眠れないっす。
それだけでなく、寝入りばな、お腹がむずむずする。
まるで、お腹に、なにかが居るような...感じ...
いてもおかしくないくらい、丸々しているけど、さ。
たまらんです。
パキシルを全く服用しないで、レメロンだけにしてみた。
同じである。
夜、眠れないのは、困る。
一生懸命に寝る、という、妙なことをしないといけない。
昼間寝ている。
新薬、ということで、かなり期待していたのだけれども、ひと月でやめることになった。
ちなみに、3日ほどレメロンを服用しない時期があって、離脱症状はパキシルなみだったぜ。
電気ショック、びりびりぃ〜

今ごろ、では、あるが、2009年は、散々な年だった。

散々な年は、この10年で何度かあったけれども、歳を重ねるたび、前の年が一番ひどかったように思える。
後半は、うた、すら、詠んでいない。
それでも、11月から、今年にかけて、詠んでいたのが...
ケータイの待ち受けのきみ微笑みてうつし心も薄れ解けけり
待ち受けの笑顔のきみをふところに東の空の赤星眺む
待ち受けの笑顔のきみの目尻にはすまなさうなるほくろがひとつ
待ち受けにゐるきみ見つめられてをり想ひめぐらすクリスマス前
待ち合いの君はひだりを向きにけり左の肩のほくろおもほゆ
きみからの返信のないケータイを抱きしめ暮れる24日
蕎麦すする大つごもりの夜はふけて待ち受けのきみ笑みぞかなしき

このブログのヘッダ部とフッター部には、

Copyrights ©2000-2010 kume ( @ kumecchi.net )

という具合に、一応、表示しているのだね。

これまでは、

BlogCopyrightプラグイン

を使っていたのだけれど、さ。
↑のリンク、怪しい。
で、ググってみると...

COPYRIGHTの西暦表記を自動で行う(MT4〜)

という、ありがたいページが見つかったのだな。
実に、ありがたい。

a href="http://www.phpmyadmin.net/home_page/index.php">phpMyAdmin で、Movable Type 4 のデータを直接覗くと、日本語文字列のはずが、化け化けである。

文字コードが、 utf8_general_ci となっているはずなのに、latin1_swedish_ci になっちまっている。
それも、自宅ブログサーバーでは問題ない。
職場サーバーのがヘン。

で、ググってみると...

PHPとMySQLの個人的まとめ

とか、

MySQLで、latin1_swedish_ciなどの文字化けを解消

とか、

ありがたいページが出てきた。

で、まぁ、やったことといえば...

alter table `mt_blog`
modify    `blog_name`    BINARY(255) ;
alter table `mt_blog`
modify    `blog_name`    varchar(255)    CHARACTER SET utf8 ;
update `mt_blog`
set `blog_name` = trim( trailing '\0' from `blog_name` ) ;

なんてことを繰り返したのだな。
時々、

alter table `mt_comment`
modify    `comment_junk_log`    BLOB ;
alter table `mt_comment`
modify    `comment_junk_log`    mediumtext    CHARACTER SET utf8 ;

なんてこともしてみたりして。

ちまちま、ちまちま、ちまちま、ちまちま、ちまちま...

これは、2月の下旬だったかな。

といっても、もう、3ヶ月を過ぎようとしている。
何となく、書いておかないとなぁ、と、思いつつ、がたがたの始まり、ぐだくだと経過し、現在に至る。

何といっても、
SpamAssassin Rule: FH_DATE_PAST_20XX
だな。
2010年になってから、タイトルに「*** JUNK MAIL ***」と書かれたメールがどんどん来るようになってしまった。
ベイズ統計学にしたがって、何やら判定、学習しているはず、なのに...
...これって、何だかよくわからんけど、凄そう、という意味。

Mac OS X Serverの場合、間違って判定されたメールは、
本来、スパムメールでないメールがスパムメールとして判断されたら、notjunkmail宛てに、
これはスパムメールだぜ、というメールは、junkmail宛てに、
それぞれ送ってしまえば、自動的に処理されていた、のだけど、ね。
一生懸命、誤判定されたメールをnotjunkmail宛てに送っても、さっぱり、ダメ。

「SpamAssassin」で年号に関するバグが発見、という記事を見つけたのは、偶然。
なんだよ、そーゆーことかよ。

The Apache SpamAssassin Project のトップ、ニュースにも載っていた。

News and Announcements



早速、

cd /etc/mail/spamassassin
cp -p local.cf local.cf.org
vi local.cf

で、最後の行に、

score FH_DATE_PAST_20XX 0

を追加。
まずは、自宅ブログサーバー、職場の複数のサーバー、この作業は、確か、1月の中旬にやったはずだな。


ぐだぐだとがたがたについては、また、書こうっと。

2009年の秋、仙台に何度か行った事は、書いた。
父親の遺物整理のため、その度に幽霊屋敷に泊まり、数日を過ごしたのだな。

遺伝するとは思えないのだけども、わたしもモノを捨てられない。
父親もそうだった。
で、まぁ、ほとんど、燃えるゴミ、にしてしまったのだけどね。
大事にしていたカメラ...6×6版...、なんてのが出てくると、とっておきたくなる。
そういうモノドモをまとめると、父親の机の引き出し一つ分になった。
業者会の会員証、1級技能士、こいつらは、看板の横に掲げるように作られていて、かさばる、 表札、なんてのも段ボールに入れた。

わたしが生まれたとき、よほどうれしかったのだろう。
生まれた年に、表札を作ってくれている。
その表札を作ってくれたのは、「二番町のおじいさん」と、呼んでいた人だった。
本名は知らない。
しかし、表具師としては一流だったんだと思う。
表札の文字は、なかなかいい感じだもの。
それと、なんと命名していいのか、5尺弱の「板」がある。
昭和三十五年にわたしが生まれたことを記念して
と、彫ってある。
こういうの、捨てられないよねー
宅配便で送ると、すんげぇ高いけど。

そんなこんなで、段ボール等、10個になってしまった。
ううっ
わが家に送ると、さらに、身動きができなくなる。

12/31、除夜の鐘を聞きながら、どんべぃをすすり、父親の遺影とともに2010年を迎えた。
これが、この家での最後の年越しだ。

12月の最後の土日、青森に出張した。

気分転換も兼ねていた。
旨いものを食べようと思っていた。

が。
内蔵が全く動かなくなっていた。
胃が膨れる。
腸は動かない。
食欲がなくなる。

とほほー

妙に、背中が痛かった。
同行した共同研究者のスーパー看護師I田さんに無理やり頼んで、背中をゆっくり押してもらった。
何でも、広背筋の下の方がバンバンに張っている、らしい。
何故か知らないけど、内蔵の反射が背中にでる。
自律神経の反射、たとえば、右を下にして寝ると、右の鼻がつまったりする。
それと同じ。
操体法で動いた方が速かったのかもしれないが、ゆっくり押してもらうことで、広背筋のバンバンもなくなり、腸が動き始めた。ぎょぎょぎょー

半日後、胃が、ぐーっと、なり始めた。
ふぅ

なんだったんだろう。

11/18、妹からメールが来た。母親と通院し、さらに、妹の家に母親を連れて行った、という事だった。

妹の話によると、隣家の人から妹の携帯電話に電話があったらしい。
母親が訳の分からない事を行っている、と、いうことで...
雨の中、隣家まで歩いていったらしい。
そして、譫妄の内容を訴えたらしい。
訳がわからないだろう。
譫妄なんて、素人には理解できまい。
原因の一つが、電気ストーブ、だった。とほほぉ〜
タイマーで電気炊飯ジャーが起動する、と、ブレーカーが落ちる。
ご飯が炊けていない。
で、霊の仕業、と、なるのだ、な。
ブレーカーが落ちたのは、一度ではない。先週も電話が来た。
電気ストーブは、常に電源を入れていないと、寒くて困る。
電気ストーブにもタイマーを設定しておけばよかった、の、だった。とほほぉ〜
悪い事に、電話を光回線に変えてしまっていた。ブレーカーが落ちると使えなくなる。
で、ずぶ濡れになりながら、隣家まで歩いていった、の、だった。ぐはぁ〜
電話が使えなくなった事も、霊の仕業、に、なっていた。ぐぇ〜
母親の担当医の話では、もう限界、らしい。
で、妹が妹の家に連れて行った、ということだ。
このまま、母親が妹の家で暮らすにしても、あたしが万が一引き取るにしても、それまで母親が住んでいた、父親が契約した、あたしが修理した、この家には、母親は住めない。
それは、今、実感している。
この家で寝泊まりして、あたしは自分のうつがひどくなるだろうと直感的にわかった。
ちょっと一本通りを外れているだけで、車の音がしない。
風通しが悪い。
遮光性のカーテンのせいだろうが、時刻がわからない。
母親は目覚まし代わりにラジオをつけていた。そうでもしなければ寝過ごす。
そういえば、午前中寝ていた、と、以前、母親が電話で話をしていた。
いずれにしても、まだ、父親の遺物が残っている。
母親の生活に必要最低限のものどもだけを残すように、整理する必要がある。
で、まぁ、まだ、仙台に居るのだった。

11月の連休、正確には10/31〜11/4、そして、11/20〜、仙台にゐる。

母親が独り暮らしに耐えきれなくなった、ようだ、から、なんだ、な。
2009年現在、パーキンソン病の治療薬は、諸刃の刃、である。
動きをとるか、譫妄をとるか。二者択一、だ。
人間は動物である、から、動けなくなったらおしまい、動いていなければならない、と、操体法を学んだ時から考えている。
あたしの場合、譫妄を経験しているから、モトイ、知識が構造化されているから、譫妄にも対応できた。
母親の場合、見えるものが真実なのだから、辛かったと思う、否、今も辛いはずだ。
10月末、夜中に珍しく母から電話があった。
何でも、家に父親がつれてきたのが2人居て、夜中にうるさい、らしい。せっかく炊いたはずのご飯が朝にはなくなっている。作ったみそ汁もなくなっていて、おまけに鍋は洗ってあるのだそうだ。
急に霊能者になったか、オオボケをかましているか、ここは一つ、霊的なものとは無縁のあたしが行って、少なくとも一晩は泊まってみることにした、の、が、11月の上旬。
両親はあたしが生まれたとき、銭湯の2階に下宿していたそうだ。今でも、銭湯のところが2人の本籍になっている。
あたしが記憶しているのは、長屋、だった。共同のトイレ、井戸端...さすがに吸上げポンプになっていたけど。貧乏な我が家は、追い出されては家賃の安い借家を探して住んでいた。
小学生の頃はある寺の借家、遊び場は墓場である。当然、この時点で何かがあってもおかしくはない、の、だが、何もなかった。
今、父が往き母が住まっているのも、別の寺の借家である。
大学4年のとき、卒論もしないで夏期休暇中、この家の修理にあたった。といっても、崩れてくる壁、すかすかの天井にベニヤ板を張っただけであるけど。
このベニヤ板、20年以上経過してもまだ健在である。さすがに、台所の天井は水蒸気のために表面がはがれているけど。
一級技能士、職人の父親の使う道具は、ほとんどが大工道具であった。それらを見よう見まねで使い、よく怒られた。と、言っても、道具を元に戻さないから、だったけど。
後になって、極地方式研究会に関わり、小学生にもプロの道具を使わせよ、という考え方がすんなり入ったのは、このような経験があったからだと思う。
話はだいぶそれた。
母親は、私生活を他人から見られる、覗かれることを極端に嫌う。
徹底的に遮光性のカーテンでおおい、透明なガラスの窓には段ボールを設置する。
昼でも暗い。
そのような中、独り暮らしである。
誰か人が居なければ、あたしなんざぁ、うつがひどくなりそうだ。
それにしても、このような環境で、よく8ヶ月も独り暮らしできたもんだ。
10月上旬には、一番気になっていた父親の布団の一部を処分した。
よくよく聞いてみると、あらゆる、しわ、が、人の顔に見えるらしい。
特に、布団、座布団、タオル、そして、ビニールの袋の中。
この時には、薬の副作用による譫妄だ、ということを話した。
気になっていた、しわ、も取り除いたのだから、大丈夫だろう、ということで、とりあえず福岡に戻った。
このとき、ついでに、でろんぎの電気ストーブを購入し、セットしていった。
石油を燃やす暖房器具では、石油の供給が一人ではできないのだ、な。
で、電気ストーブ、ということだ。
これが、大騒ぎをもたらしちまった...つづく。

こちらも、すげぇ。


from YouTube

さすが、だ、ね。


from YouTube

からが、大変だった。
火曜は、あたしのための会議、だった。途中で気分が悪くなった。
これまでの数年、メーリングリストで会議をしていて、一言も言わなかったのがバリバリ発言しやがる。
いいさ、やってもらいましょう。
夕方、研修会に遅刻。
気分は段々悪くなってきていたが、共同研究者も気分が悪そうだったので、むりくり張りきりましたっ、ぷつっ
研修もうまくいかない。
先月の研修ができ過ぎ、だったせいか、反省会。グラスワインを4杯も呑んでしまった。

夜中に頭痛。面倒だったので、そのまま寝続けていたら、会議の時刻がとっくに過ぎた頃、あまりの痛さに起きる。面倒がらずにニフランを服用しておけばよかった、頭痛薬は早めに大量に。
とりあえず、事務室に電話を入れる。
これが水曜。結局、午後まで横になる破目になった。

気を取り直して木曜日、通院の日。
週末が鬼門、それ以外はとりあえず夜寝て昼起きる、という、当たり前の生活であることを再確認。
午後は授業。あまりはしゃぎ過ぎないように。
夕方は、月曜日に下見した研修に出かける。
が、全く、予想が的中、棟内で迷う。
幸い、受付が開いていたので、担当者に内線をかけてもらうことにした。
すみませぇ〜ん、迷ってしまいましたぁ、遅刻して申し訳ありませぇ〜ん、小講義室にはどう行けばよかったのでしょ〜かぁ〜
え゛っ、今週ではなくて、来週ですよ...

はい、第三木曜日の夕方、でしたっ

小講義室が開いていたので、悔しいから、投影テストをしてきた。

金曜は、とりあえず午前中には起きた、というより、あまり寝ていない。3時間くらい寝て起きてまた寝て起きて...の繰り返し。
頭がまともに働き出した頃、メールで、会議が終わったことを知る。
ふぇ〜

で、13時から3年生の時期外れ研究室訪問を受けるために出かける。
が、来ない。そう言えば、夕方、社会人院生との打合せの途中で乱入しなさい、と、指示していたことを思い出す。
火曜の会議で、とりあえず、2台のサーバはお払い箱になることが決まったので、そろそろ、自分が利用するコンピュータを用意しなければならない、ので、用意した、のだが、うまくできない。
気がつくと、夕方。

約束通り、乱入してきた。
社会人院生のための授業は、20時5分から21時35分まで、それに参加する、ことにさせた。一応、ごり押しはしていない。
この授業がまた濃かった。
ここ弐〜参年、前期のこの授業は、濃い。
お陰様で、頭が活性化してしようがない。
3年生もなかなかいいところに目をつけて質問している。
授業後も、話しは続く。
社会人院生に車で送ってもらって、社内でも話は続く。
ますます脳は活性化する。
で、眠れなくなっちゃったりして。

金曜、土曜、は、火曜日の夜と同じような繰り返し。
時計を見ると、4時、5時、だったりして、外が明るくなってきてしまうと、起きてしまう。
何をする訳でもなく、テレビをつけ、映画を観て、煙草を吹かす、ぷぅ〜。

血液検査で、中性脂肪がとてもとても高い数値だった。
とりあえず、1日1麺主義に戻し最低1回はソバを食することにして1週間目。
出歩きたくないので、近所のコンビニザルソバだ。割り切って食す。
こーゆー時に限って、やれ当たったの、サービスだの、と、唐揚げやチップス系の揚げ菓子が手に入ってしまって...もったいないので食べちゃったりして。

相変わらず、先の見えない日々が続く。
いずれにしても、まだ、1日に1つの仕事、しかできない、と言うことだ、な。

久々に、外で仕事(仕事のための会場の下見)をした。
前の晩は眠れず、横になっているうちに4時間くらいは寝たようだ。
結局、約束の時刻に間に合わず、タクシーを飛ばす。
いつぞやの時と同じような状態、出て行けなくてごめんなさい、をしていないだけいいのかね。
体調が、いつぞやの時と同じくらいまで戻ってきた、ということかね。

病院地区に初めて行った。伊都地区には移転しないし、法人化前にガバガバ予算請求して通っちゃったみたいに、ドカドカ新しい建物が建っていた。
某東北大学附属病院も似たようなものではないか、ね。帰省する度に、建物が増えて行くもの。
某日赤病院も建て増しに建て増しを続けて迷路状態だったけど、面積が広くて迷路状態だと、困っちまう。
初めてだと、ランドマークにすべき特徴を見いだせない。
兎に角、中央の2階の講義室で「講演」するらしい。

講義室に入って、かつて映画で観た、19世紀の医学部の階段教室を思い出した。
中央の床の上に台が置いて有って、屈強な助手4人は患者の手足をしっかり押さえていたりして、名人級の外科医が、30秒で大腿部を切断、とか。
外科医は、血しぶきが目立たないように、フロックコートを着てた、とか。さらには、どれだけ血しぶきで汚れているか、が、ステータスだったらしい。
きったねぇ〜

いつも授業するような階段教室とは段の高さがまるで違う、の、です。
さらに、ふっるぅ〜い機器と真新しいプロジェクターに無線LAN機器、対照的なモノドモが並んでいた。

いつもなら、OHP2台に対応するスクリーンを用意して、と、お願いするのだけど、ね。
そもそも、まともなOHPが1台でもあれば御の字。
講義室の広さを考えれば、250ワットでは暗いかも、理想的には400ワットくらい欲しい。
勿論、ルーメンで記述しなければならないのは知ってますよん。
でも、機器に書いてあるのは、ワット数なんだもん。

取ってつけたようなスクリーンが黒板をふさぐ。
某パワポかスライド投影時に使うレーザーポインターが2つも有った。
マイクは、有線のハンドマイク1つ、ワイヤレスもハンドマイク、1つ。
うーん、暴れられない。

OHPとスクリーンは用意してくださる、というので、実物を見に行った...正確には案内してもらった。1人で行け、と言われても2度と行けないかも。
新館の多目的室、と呼ばれる部屋に行った。小会議室等も有って、母親の事で説明された某大学病院の会議室を思い出した。
新館の作りは、某大学病院の新館ととても似ていた。
そうそう、今の職場に赴任した時、母校の作りと全く同じで、感激した記憶がある。
さっすっがっ、元国立大学。

OHPは250ワットで、某看護教員養成講習の会場に有るのと同じ。とても暗いのであります。
フタを閉めて利用するタイプのプロジェクター兼用機も見せてくれた。フタを閉めないといけないから指示棒が役に立たないのだな〜
せっかく、人さし指型のを買ったのに、使えない。
問題は、スクリーンだ。
床に設置して引き上げるタイプ、が、ある、というのだ、な。
OHPをどこに置くのか、考えてんのかぁ〜
考えてないのだな。
最悪、OHPとスクリーンを持参するか、ね。
そこまでして、ボランティア「講演」をするか、よ。しないね。
...学内非常勤に、手当てが出なくなって久しい。
黒板使ってみよう。

「講演」や「講義」のように、理路整然と緩急もなくただ話をすることは、とても苦手だ。
我慢できなくて、必ず笑いを取りに行ってしまう。
いい加減、やめないといけないだろうね〜

そうそう、某日赤とは違い、かなり、自分の中に判断基準がない方々を相手にしなければならないだろう、という具合に予測している。
当然、「講演」だから、ただ聞いていればよい、と、思って参加するだろうし。
資料が有れば当日の午前中までに用意してくれ、と、言われた。
誰かさんのように、パワポを2段組で印刷したようなものでも資料なんだそうだ。
OHPもそうしてみようか、ね。A4用紙に16枚分、縮小して印刷してやろう。
きっと、裏に何やらメモして、わかったつもりになるはず。

そうそう、師長クラスの方々がいらっしゃる、らしい。
うーん、どこに焦点を当てて話せばいいのだ?
ま、いつものように、うなずいてくださる方々に合わせてしまおう。

資料、ねぇ。
科研の報告書にまとめたワークシートから借りてきてみようか。
...あのワークシートにも著作権を与えないといけないな。
かなり独創的な発問と教示の配列だ。特許になるのかな。
いずれにしても、作ったことが、ない。
ワークシートなら作れるから、資料と偽って、ワークシートを創ろうか。

帰りは、寄り道した。
昼時だったので、木陰で食事をする人々が数名、鳴り物入りで作った庭園らしい。
楠が見事だった。
整備されていないところの雑草どももなかなかよい。
いつも携帯しているデジカメで撮影しまくる。

ふらふらと歩いて、滅多に行くことのない職場の「本部」に行ってみた。
ニワセキショウ、ムラサキカタバミ、そして、ヘラオオバコの群。
ここでもまた写真撮りまくり。
恥ずかしながら、3時間ほど歩いただけで筋肉痛、そのまま自宅に戻った。

そうか、こんな散歩コースもあり、か。
サンダルか下駄を履いて、足の指を活用して歩くようにしてみようか。

久々に、楽しかった。
...資料のことを考え、頭痛がしたけど。

何やら、母親の担当医2人は、譫妄対策に、安定剤を出したらしい。

退院の前日、母親の部屋に行くと、寂しそうな顔を通り越して、仮面うつ病患者を見ているようだった。
表情筋を動かせない訳ではない。
パーキンソン病の薬がかなり効いていて、それなりにトイレにも1人で行けるのだ。

担当医の1人が病室に来た。
母親は切れました、ね。
こーゆー点は、あたしが受け継いでいる。

曰く、
あんだが、まず、薬、飲んでみでがら、他人さ飲ませなさい!

いいねぇ。そのとーり。

兎に角、担当医を病室から連れ出し、話をした。
処方した薬が、意図通り効かなかったことは認めた。

あんた、話しが下手だねぇ、と、ひとこと言ってやった。
母親にはあたしが話をすることにした。
後1晩で退院だ、兎に角、下手なことはしてもらいたくない。

母親には、嘘をついた。
あたしはコンピュータの専門家である、だから、ナースステーションに行って、監視装置をこのベッドだけ外してくる。
そんなごど、でぎんのがぁ?
なにいっでんだぁ、オレは専門家だじゃ。

ま、実際には、トイレに行ったのですけど、ね。
病院の外に出で煙草でも吸ってきても良かったんだけど、帰りの飛行機の搭乗時刻が近づいている。時間が無い。

切ってきたぜ、どうよ。
えっ? そんなごど、でぎんのがぁ?
あったりめーよ、専門家だぁ、ついでに、看護師にも話しをつけどいだがらさ。
そーなのがぁ、いがったぁ〜

帰りがけに、あたしの携帯電話を置いて行った。ボタン1つで、もう一つのあたしの携帯電話につながるようにして。
何か来たら、兎に角、電話しなさい。
じゃ、来月、また仙台に来るからさ、それまで、辛抱してね。<

今日は、仙台に行く日だ。
前の晩、結局、よく眠れなかった。
午前3時前に起きてしまう。
次回の授業の教材*を作りながら、電子シラバスシステムを見直したり、その間、寝たり起きたり。
そんなこんなしているうちに8時になってしまった。
シャワーを浴びる時間がない。
タクシーを呼んで空港に向かう。
飛行機は、新幹線並みに揺れた。結構、疲れた。疲れを自覚できている。
妹に、食事をしてからホテルで少し休むことをメールで伝えた。
休むと言っても、寝てしまっては困る。ので、窓の外を見ながら煙草を吸ったり。
15時過ぎに実家に向かった。16時からは、家族そろって担当医の話を聞かなければならない。
父親がごねた。行きたくない、と、言うのだな。
妹と2人、とにかく、運動を兼ねて出かけるように勧める。
母親が相手ならばごね続けたことだろうが、支度をし始めてくれた。
タクシーを呼ぶ。
運転手の後ろに妹、助手席にはあたし、あたしの後ろに父親が乗った。
あたしが助手席のドアを閉めたところ、妙な音がした。
父親の右手があったのだな。
なんとまぁ、我慢強いのだろう。
血が出てきた、と、言っただけ。
運転手に頼んでコンビニに寄ってもらい、アイスパックを買ってとにかく冷やした。
とーちゃん、ごめんなさい!

父親は、血液凝固抑制剤を服用している。
開きが悪くなっている心臓の弁に負担をかけないように、血液をひたすら流すのだ、な。
納豆を食べてはいけないのだった。
大好きだったのにな。

大学病院に到着。
時間外入口から手続きをして病室に向かう。
母親は、妹が見舞った時の病室には居なかった。
どうしたのだろう。
病棟を一回りした。最初に入院した時に入っていた部屋にいた。
我々を見るなり、なんとも悲しい表情をした。何だかおかしい。
「わたしのことを、みんな、頭がおかしいと思っている!」
うーん、脳内伝達物質の出が悪いのだから、確かに頭がおかしい...誰かつっこめぇ〜
まくし立てるように、不満を語り出した。

ウサギ男、それも、出っ歯、いつも見張っている、らしい。
さらに、ベッドの寝た時に頭が来る位置の上、要するに電源やらナースコール用のコードやらが付いている場所、に、赤いランプが点いて、寝返りを打つよう様子を監視している、と言うのだな。

あれ、まぁ、譫妄だよ、これ、きっと、そうそう、間違いないっ

で、医者との会合、全く新しい情報がないまま、今の状況を考慮すれば自宅に戻って療養した方がよい、ということを兎に角医者は言いたがった、のだよ。
つまり、譫妄対策にほとほと手を焼いているのだ、家族が引き取って何とかせぃ、と言うこと。
おいおい、医者かよ、おまえら。
そうそう、医者は判断しかしないから、いいのだよ、ね、これで。
看護師が済まなそうにちんまり座っていた。
まだまだ、白い巨塔、なんだろうね。

我が母校の大学、医学部は別なのだろう。

院の日。今日から、担当医が代わる。
これまでの状況については、それなりに引き継がれているとは思う。が、やはり、患者本人から状況を説明した方がよいだろうと考え...考えなくてもいいのかもしれないのではあるが、考えてしまったのだから仕方がない...午前中、早い時刻に通院しよう、と、思った。
結局、午前中は、煙草を吸ったり、布団に丸くなったり、グズグズと過ごして、診療時刻終了の15分前に到着。
初めて、と言うことを割り引いて考えなければならないが、よく話を聞いてくれた、と、思う。
前の担当医と違い、ラボナを日数分出してくれた。習慣性が強いらしく、かつ、「葛根湯医者」の処方する葛根湯と同じ位置付けらしく、なかなか出してくれなかった。これで、すんなり眠れるかもしれない。とにかく、夜、寝たい。

iTunes Soreでまた無駄遣いをする。
消費しか受け付けない脳とはいえ、消費するには、お金を使うには、それなりに元気でないとダメだ。
と、いうことは、多少はよくなってきている、と考えたいものだ。
...しかし、借金は増える。

Ana Johnsson
LITTLE ANGEL
Ana Johnsson
B000M2E9WG

Malene Mortensen
MALENE
Malene Mortensen
B000JVS3DQ

Liz Phair
Somebody's Miracle
Liz Phair
B000A7TFEA

Liz Phair
Liz Phair
B00008VHBA
Whip-Smart
Liz Phair
B000002SW1

Leigh Nash
Blue on Blue
Leigh Nash
B000GG4XFG


Diana Krall
Live In Paris
Diana Krall
B00077DB48

From This Moment On
Diana Krall
B000GG4KTU

Sophie Milman
Sophie Milman
Sophie Milman
B000637XN8

Bei Xu
Lost In Translation
Bei Xu
B000KJTJ1W

夢を見る。
特に、父親が亡くなってから、頻繁に、似たような光景だ。

うつ病になって、治療薬、眠剤を服用するようになってから、夢に色が付いていることに気付いた。
それまで、夢は見るけれども、出来事だけが記憶に残り、色など、細かなところは覚えていなかった。
かつて、友人に聞いたところ、色つきの夢を見る、と言うことだったので、あたしも色つきの夢を見たいものだ、な〜、と、思っていた。

どの薬の副作用かわからんけど、キラキラ、グルグル、ピカッ、てのに集中して行くと、何故か、部屋の様子が見えてくる。一応、目を開けて確かめてみたけど、微妙に違っていたので、夢の中で構築したものだろう、と、思う。
もっとも、目を開けて眠る、こともあるようなので、定かではないけど。
部屋は、寝ている部屋がほとんどだけど、ホテルで寝ていても同じ部屋なので、夢の中で構築したものだ、ということになる、はず。

で、だ。
分析も必要ないほど、その時々の心配事が出てくる、の、よ。つまらんくらい。
例えば、父親が亡くなった後は、足下に母親と妹がしがみついてくる、とか、父親がにゅーっと顔を出したところに、あたしが怒鳴り散らしている、とか。
そして、着ているものの色を記憶していたりする。

時々、パキシル服用停止時の副作用の1つ、耳鳴りがしたりして、ドキドキすることもある。
大抵、酒を呑んだ時だ。いかん、ね。

2月から3月は、そんなふうに家族が登場。
4月から5月は、授業の準備、大抵間に合わなくてアベアベする。
この時期は、また、父親登場、である。

妹からメールが来た。
母親が言うことに、夜中に父親が寝ていた布団(今はたたんで畳の上に置いている)が動き出す、と。
うーん、来たね、譫妄だ、よ。

パーキンソン病の治療薬は難しい。
パーキンソン病患者には、ドーパミンが不足している、という事実がある。
しかし、原因は不明。
事実に基づき、ドーパミンを増やす、あるいはドーパミン受容体を敏感にする、といった方法で薬を処方してくれる、の、よ、医者は。
医者は判断するだけ、だから、お気楽だ。
で、ドーパミンが出ると、譫妄をみちゃうんだよね。
だからといって、譫妄対策に何らかの向精神薬なんてのを服用した日にゃあ、身体が動かなくなっちまう。
痛しかゆし。

あたしの場合、抗うつ薬でパーキンソン病様の副作用が出ることがある、のじゃ、な。
自覚しているのは、膝が笑ってしまう...カハカハカハッー...トタン...コケる、両手の震顫...プッププップルッ、せっかく老眼鏡を新調したのに...父親のために買ったダンヒル製、レンズを代えましたっ...文字がメニュロメニョローン。
念のため、血液検査でCPKをはかってもらった、けど、異常なし。
単なる副作用、ね。

16時過ぎ、母親に電話してみた。
何の用だ、っと来たので、元気かぁ、と言ってみる。
そのうち、なんでれいがくるのだろう、と、言ってきた。
はいはい、そー来ましたか。
オレのどごさも、でで来たぞ〜、と、答えて、笑いをとってみた。
んだべぇ〜、やっぱりぃ〜
...違うって、さ。ここは笑うところ。

大事な話しがある、と、句調を変えて、先に書いたような説明を試みた。
今は、ひと月に1回、長いと、2ヶ月に1回しか通院していない。
薬の微調整が必要なのに、某大学病院の外来はそんな程度しかしないのよ、ね。
研究第一、も、たいがいにせぃっ
あっそうか、あまりにも当たり前のパーキンソン病なので、研究対象にもならないの、ね、多分。
検査入院に際しても、母親への譫妄対策はお粗末だった。

はて、我が職場の付属病院はどーなんだろ。
6月、8月、9月、と、3回、看護実習を受け入れる看護師さんたちに授業をする。
ほんとは、研修会の講演を頼まれたのだけど、あたしは講演ができない。
つまり、理路整然と淡々と眠くなるように話し続けることができない。
落後してこようっと。

それにしても、きちんとした基準を持っている人々なのだろうか。
医者の言うがまま、かもしれない。
何しろ、母親が入院した某大学病院...実は我が母校の付属病院...の看護師がそうだった。
ベッドサイドで、医者の暴走から患者を守る最後の砦、なのだけど、ね。

電話に戻る。
でできだら、どーすんだぁ
というので、無視して見ていればいい、薬の所為なのだから、と、念を押してみた。
明日、また、電話してみよう。
あたしのような対応を言葉だけで伝えられるのだろうか、否か。
それなりに、戦略が必要なのか、否か。

多少は、前頭葉が働いてきている、かも。

先週までは、この時間帯、授業をしていた。毎週月・金の2回と言うイリーガルな授業だ。

全学に対して責任のある、教育実習の事前指導、で、ある。
必修で、かつ、教育実習の単位認定にも関わる科目であり、かなりキンチョーする。

初回なんぞは、毎年、話し始めてから話し終わるまで、90分、膝がガクガクと震え続ける。
それを見せないように、感じさせないように、にこやかに、きつ、厳しく、初回のオリエンテーションを進める。それが、プロだ、と、あたしは思っている。信念、だ、な。

ある会議で、事前指導は、誰でもできるのだから、云々、ということが話題になった。
つまり、あたしが倒れたとしても、死んだとしても、だいじょーぶ、と、ゆーわけだ、な。

だったら、やってみやがれぇ〜

勿論、自己満足である。
あたしが計画した授業、8回は、かなり綿密に練ってある。
実習先で大学の看板を背負って学生たちが恥をかかないよう、そして、あたしが考える教育実習の第一目的である授業を創り、実施して、評価活動をする、こと、が、ちゃぁ〜んとできるよう、必要ならば、あたし自身を教材として、恥を切り売りしている。

その姿があまりにも痛々しかったのか、数年前から、第8回目の終わりには、拍手まで起きている。
同情するなら、金をくれっ、お願いっ

教える・教えられる関係というのは、教室以外にもあり得るし、そのような属性に着目すれば、日常的に行われているような関係なのかもしれない、と、あたしは思いたい。
では、教室内の教師・学習者の関係をちゅうしょーかして、当該教師の役割、機能、は、どのようなものになるのだろうか。
ダメ。
これはWHタイプクエスチョン。
どんな機能を満たせば、どんな役割を果たせば、教師たり得るか。
How-toタイプクエスチョンにしないと。

極端な例として、あたし自身を紹介することにしている、精神障碍者として。
友人の中には、身体障碍者で車いす生活をしながら大学で教えている・研究している方もいらっしゃるし、コロラド州立大学助教授だったテンプル・グランディンTemple Grandin, Ph.D.(The Way I See It: A Personal Look at Autism & Asperger's)なんて人も知っている。

たとえ神経症性うつ病であっても、周囲の人々に迷惑かけっ放しであっても、いったん教室に入り、教師の機能を全うできれば、それだけで十分ではないか、と、いうのが、あたしの主張。
幸いなことに、あたしの授業は面白い、らしい。
小噺と自慢話ばかりで、アクが強く、嫌だぁ〜、という方々がいらっしゃることも承知している。
...家元の落語と同様、あたしの授業じゃないと我慢できねぇや、というリピーターが居ることも確か。

で、だ。
所属学部のそれぞれの学年で、特に、1年生相手に話す時が面白い。
きゃ〜、そーは、みえなぁ〜いっ
らしい。
しかぁ〜し、顔色みればすぐにわかるって。
顔色を見分ける基準がないのだろう、な。
大抵の場合、引きますな。
先述の教育実習の事前指導では、教師として多少先に生きている者としてのアドバイスが多く、かつ、それらは彼らが普段していることで気付かないこと、が、多いため、共感して聞いてくださる。
そのうちに、一部熱狂的なファンも現れる。
そーゆー方々にとっては、拍手を送る相手、になるのだろう。

問題はっ
毎年、8回の授業が終わってから、何故か、必ず、あたし宛てに特別メールが届くのである。

あたしの日記を読んだ、は、まだよい。
読んだところ、何だか今の自分の状態に近い、とか、かつての自分の状態に近い、とか、友達が...とか、とか、とか...
あたしゃあ、その手の診断者でもないし、相談員でもない。
精神科に行きなさいって。

でも、さ。
やっぱり、精神科には行きたくないよ、ね〜
なんとなく、にこやかに笑っている、警戒させない、あたしに、探りを入れるのでしょうなぁ。
日記を読んだんだったら、Q&Aもあるのだし、対応できるだろう、に。

ん、Q&Aが不十分、な、の、か。
これは、おにいちゃんのつまずきではなくて、あたしのつまずき以外の何ものでもありません、だ、な。
...楽屋落ち。

んでもって、あたしもまた説得できるような経験も持っていたりして、それなりに答えちゃうんだな〜

こいつも、教師の機能の1つ、なのかも。

2000年に診断名が付く以前から、頭痛持ちだった。
風邪を引くと、身体の弱い部分に痛みが出る、そうだ。
あたしは、子どもの頃からずっと頭痛。つまり、頭が弱い、の、だ、な。

16歳の時に、椎間板症候群というやつになって、腰椎の4番5番の間の椎間板が圧迫されてしまう。
30歳を過ぎた頃から、風邪を引くと、頭痛だけでなく、肩・首・腰も痛み出す。
さすがにこの歳になると、高血圧、で、かつ、喫煙しているからだろう、頻繁に頭痛がする。
特に、朝起きようとした時に頭痛がすると、とても困る。
家から出て行くことに妨害的に働くから。

こっそりもらった、ブルフェン(イブプロフェン)200mg錠を、日本人の1日の最大量(450mg/日)を超えない程度に、来そうだなっ、と、感じたら服用していた。
鎮痛剤は、早めに大量に、だ、そうだ。

で、これらが無くなってしまったのだよ。無くなった、てゆーか、服用し尽くした、のだす。
薬屋で、有名でないイブプロフェンを大量に購入して、服用していたこともある。
通常、1回に2錠、1日3回、つまり、2錠でイブプロフェンが150mgなんだな。
ブルフェンは200mg錠だから、市販薬では3錠で225mgになる、ので、頭痛がひどい時には3錠服用していた、から、大量に購入しても、直ぐになくなっちまう。

担当医*に相談したところ、病院の薬局にブルフェンはない、と言うことだった。
代わりに処方箋には、ニフラン**、75mg錠、が追加された。食後、1錠、1日3錠、1日の最大量は225mgのはず。
これが、かなりよく効く。今のところ、1錠服用すれば、1日はもつ。
もっと早い時期に相談すれば良かった。

サフラン、ニフラン、マゼラン
何故か、ニフランという名前が覚えにくく、サフランに近い名前だな〜、と、タグをつけて覚えた。
マゼランは後付け。

2008年秋から絶不調が続いた。無理して職場に出て行くものの、その後で、2日ほど寝込む。

大好きな授業なりせば出て行けり後先知らず張り切り過ぐる
時間差で筋肉痛は襲い来る前頭葉は1週間後

既に、父親が亡くなったことは書いた
その後、担当医と相談して、薬の組み合わせを変えた。
具体的には、
朝 ニューロタン(降圧剤)
夕方 レスリン50mg, パキシル40mg(日本人の最大量)
夜 レスリン25mg, (不眠時ではあるが)ユーロジン2mg, (時々自己調節で)エバミール10mg

かなりよく眠れるようになった。夕方のレスリンが効いている。
で、よく眠れると、朝遅くとも9時には起きる、ちょっと午前中、メールのやり取りをして、午後には職場で出て行ける。
なかなかよい。

研究室の電話は、古い型のFAX兼用。もう用紙を確保できないので、実は、FAXは受信できない。
留守電が数十件溜まっていた。
大抵は、ツーツーツーという音、なので、消去した。
残ったメッセージの中に、予備校からの腐れ縁の友人の名前、井上芳友、が聞こえた。話していたのは学部生の時の友人の1人らしい。声に聞き覚えがある、のだが、連絡先として指定されていたのは斎場だった。
で、だ、このメッセージ、2008年1月16日、なのだ、な。
父親の葬儀だけでなく、友人の葬儀にも出て行けなかった、ということだ。
しばらく、ぼう然とし、このメッセージを3回ほど聞いた。

電話をくれた友人は大学関係者なので、インターネット上に何らかの情報があるはず。これは直に見つかった。メールを送った。あたしの今の状況、そして、井上芳友の情報を教えてくれ、と。

同時に、インターネット上に、もしかすると、井上芳友の情報があるかもしれない、というのも、宮城県仙台市では有名な高等学校、なんと、あたしの母校、仙台第一高等学校である、に転任した、というハガキをもらっていたからだ。
某Mixiでも仙台一高関係のコミュニティを探ってみた...ついでに、仙台一高陸上部コミュニティに参加してみた。
それにしても、構成メンバーが若いっ!
あたしは31回生だが、42回生、50回生以上がほとんど。それでもオジサンと自ら呼んでいるのだからあたしは、オジサンを通り越して、ジイサマ、あるいは、ミイラ、あるいは、化石、かも。

それはそれとして。
ここに、井上芳友の転任情報が載っていた。
Mixiにも死亡情報が載っていた。投稿したのは、もしかすると仙台一高フェンシング部関係者ではないかな...
最後の勤務地は、田尻だったそうだ。

仙台一高陸上競技部関係の友人(過労死)に続き、2人目の友人を失った。
人は死するものである、とは言え、自分自身が常に自己破壊の危機に直面しているだけに、なんとも辛い。あたしより早く往ってしまうのかよ。

人の出会いは、偶然である。某予備校、それも、母校の関係者が大抵行く予備校を避けて小さな予備校を選んだのだった。初日、3人掛けの事務机の端(黒板に向かって右)にあたしが座り、真ん中には陸上競技部の同期、そして、この同期生の中学時代の友人、ということで、左端に座ったのが、彼だった。以来、1年間、ずっとこの3人は同じ机に座り続けることになった。
妙な予備校で、遠足(山形県関係者が嫌う仙台の芋煮だ)、運動会、が、あったり、超有名な某私立大学の教員を講師に呼んだり...予備校の兼業はいいのかね...実は、英語が苦手だったあたしは、この中の1人の講師の授業を受けることで、自分でも成績が伸びたと思ったし、無謀にも、赤毛のアンをペーパーバックで読んだり、映画のテスを見る前にやはりペーパーバックで読んでみたりしたものだった、し、英文を日本語らしく訳すことにかなり自信を持った...、三人組でかなり楽しんだ記憶がある。
その後、井上芳友とあたしは、東北大学教育学部に進んだ。
国語の教員免許状を取得するため、同じ教育心理学専攻に進むため、ほとんど同じ授業を履修していた。部活動はあたしが陸上競技部、彼はフェンシング部と異なったが、ほとんど一緒に居たと言っても過言ではない。
フェンシングにしても、陸上競技にしても、高等学校から続けたものだ。
ちなみに、井上芳友は、アオザルにこを、わかる人だけわかりなさい。
だから、あたしの母校に転任したと聞いて、気の毒にぃ〜、と、思ったりしたのだな。
何しろ、地方で張り合っている男子高2つの1つで、ライバル校から転任したのだからね〜
ここでは、歩く妖怪手引きの井上先生、と、表現されていた。
読書量が半端でなく、国語の教員としても優れていたはずだ。
あたしも、自慢するが、授業はうまい、と、思うが、多分、高校で授業したら、絶対に彼にはかなわないと思う。
確かに、あたしの授業では脱線して、とんでもない話しをする...なんでそんなこと知ってるのぉ〜、というようなこと...し、多少は妖怪手引きにも慣れると思うけど、さ、かなわんよ。

死因は、脳溢血、とのこと。
「新設高校の教務主任をしていて、多くの仕事を抱えていた」らしい。
これって、過労死じゃねぇのか?
労災認定せいやっ!

どっかで、暴れてるぅ
宮城県の教育庁にでも殴り込もうかな。

まずは、これから書いておこう、かな。
彼岸を避けて、前の週に仙台に出かけた。
ホテルの掃除を2日に1回にしてもらい、ゆっくり寝たり、何故か年休を取っているのに送られてくるメールに返信して仕事してしまったり。

往にたる父は、まだ、本堂裏に預けられている。それを納骨堂に移動してもらい、経を読んでもらうお願いをしに、大家兼菩提寺に挨拶に行く。
とは言え、母親(パーキンソン病)の体調がよくなければ、儀式ができない。

まだ、電話が2本引いてある。
1つは、父が独立した時に購入したもの。仕事をやめてからもずっとそのまま使い続けていた。
番号に思い入れがあったのだろう、と、思う。今でも覚えている、隣のパン屋さんには電話があって、呼び出されて父は行ったものだった。
初めて電話が引かれた時、子どもだからか、なんともワクワクした。今では使われなくなったパルス式のダイヤル電話、黒電話だ。パルスは10、ダイヤルが戻るのがとても遅い。
もう一つは、仕事場を借りた時に引いたものだ。
その後、あたしが電話の権利を購入し、モジュラーケーブルでプッシュ式の電話をつなぎ、パソコン通信に利用していた、そのモジュラーコンセントに、黒電話をつないでいた。ちょうど、仕事をやめた時に仕事場の黒電話を持ってきたとのこと。こちらの黒電話もパルス式、20なので若干ダイヤルの戻りが速い。
で、仕事用の電話は業務用の契約なので月額2500円の基本料金、仕事場のは何故か一般家庭用で月額1700円。
母親は、業務用の電話を早く止めてもらえぇぇ〜、といつも叫んでいた、のだが、往にたる父は、頑として聞かなかった。電話帳に番号が載っているので、かかってくる電話のほとんどが、何らかの勧誘だったりする。
で、今回、業務用の電話番号を停止し、家庭用の電話番号をメインに利用することにした。
ついでに、Bフレッツの契約をしてIPフォン、ナンバーディスプレイの契約をして、電話機もプッシュ式のを購入した。

ところが、である。
あたしのヘマか、母親が忘れたか、そもそも理屈を母親がわからないのか、否、そもそも、業務用の回線に新しい電話機をつないでいたのが問題かな、これはやはりあたしのヘマだ。
業務用の電話番号が止められたので、仙台から戻って家庭用の電話番号にかけてみたのだが、30分経っても出てくれない。後で妹に聞いたところ、なんと、まぁ、電話線をはさみで切ったらしい。
家庭用の回線につないでいた黒電話は、ほこりをかぶっているので、触りたくない、のだろうね。
仕方がないので、業務用の電話番号は使えなくなったこと...1週間ほど電話をかけることも電話がかかってくることも、できなかったのだな...電報を打った。
普通の電報だとつまらないので、裃を着てお辞儀しているウシ、で送った。ま、びっくりするか、呆れるか、大笑いするか、だろうと予想して。
モジュラーケーブルは妹に送って、つないでもらった。
番号も表示されるし(妹とあたしは、なかよし、グループに入れたみたい)、電話が鳴る度にドキドキしていたという母親も少しは安心して電話に出ることができるかも。

あれ、彼岸の話題はどこに行った?

まぁ、いい。
後は、母親が寝ているベッドの傾きを直した。
元々、居間の床が傷んでいるし、畳も傷んでいる、ので、せっかくのベッドが傾いていた。
パーキンソン病なので、起き上がるのが一苦労、入院した時にはベッドに寝ていて、比較的ラクに起き上がることができたのだろうか、家でもベッドに寝たい、ということだった。
ところがっ
傾いたベッドでは、寝ているうちに落ちてしまう、らしい。
仕方がないので、足が来る場所に枕を置き、北枕で寝ていたのだね。
あたしが持ち上げる役、妹がすのこを調整して配置する役。
まだまだ、腰に負担をかけずにそれなりのモノを持ち上げることは可能だ、が、そのままベッドの高さを維持するためにはかなり広背筋に負担がかかる、ということは、翌日わかった。
大腿筋、広背筋、そして大デン筋の上部が筋肉痛だった。翌日に筋肉痛が出てくると言うことは、まだ年寄りにはほど遠いのか?????

それと、葬儀費用の支払いがあったっけ、な。
葬儀社の取り計らいで、分割払いにしてもらった。無利子無担保で。
ついでに、鈴と焼香炉を買いたいと葬儀社の営業の方に相談したら、葬儀社が葬式の時に貸し出す小さな古いのがあるから、貸す、それも永久に、と、言ってくださった。
なんとまぁ、有り難いこと。
匂いがあまりしない線香まで付けてくれて。

仙台を離れる前に、般若心経を読んだ。
で、次(いつになるのだっ!)につながる。

結局、往にたる父の負の遺産(遺物、かも、発掘しないといけない)の整理はまだできていない。
何でも、借りた仕事場、家賃を払っていない(何年分だ?)、工具類(工業用ミシンに)を置きっぱなし、らしい。
うげぇ〜

さて、何から加工か...書こうか...

1.職場Webサーバが突然往ってしまった
2.友が亡くなった
3.彼岸前後が親父の49日
4.最近の趣味
5.ドラールと酒
6.薬の組み合わせを変えた
7.今だから公開できる歌
8.般若心経と減煙
9.この日記、面白い、と、言われた

9個か、苦しいはずだ。
眠剤、変えたのに、今日は効かない。こんな時刻だし。
エバミールを追加服用しちゃう。

おや?地震だ!
親父死んだ

1980年代の後半、パーソナルコンピュータ上の日本語ワードプロセッサでは、漢字変換処理機能だけをワードプロセッサ機能と切り離して、つまり、別のプログラムとして導入されるようになっていた。
既に別売されていたか、記憶は定かではない。
妙な漢字文字列に変換されることを利用して、日本語入力用のテキストの最初の課題にした。
例:やまのうえにはながさきました→山の上には長崎真下
問:できるだけ多く、変な変換をさせてみよう!

標題も区切る位置で意味が異なってくる、という文の1つで、確か、国語学関係の本で見つけたものだったと思う。
いつか使ってやろう、と、思っていて、結局、テキストには未だに使っていない。

妹が何度も携帯に電話してきていた。
土曜日の仕事の余波か、興奮して眠れず、明け方にうとうとと眠りについた。
気がついたのが14時過ぎ、いつも妹の口調は堅い...つまり、あたしと話すのにきんちょーするのだろうと思う...のだが、堅すぎる。
メール、見てないの?
ごめん、今起きた。
とーちゃん、天国にいっちゃったよ。
...

親の死に目に会えない、だろうな、とは、思っていたけれど、それ以上に、自分自身の状態の悪さに嫌気がさす。
自殺念慮に振り回されて、身動きできないでいる。
両親よりは先に死なないことが1つの親孝行だと思っている。

2008年11月20日、また入院した。
今回は終わりか、と、覚悟したが、どうやら、インフルエンザの予防接種の結果、反応が強く出すぎたということだった。ひと安心、したのも、つかの間だ。
担当医と直接話をしたのはいつだったか、余命は数ヶ月と言い渡されて、1年以上生き延びた。
トイレにたって、そのまま意識がなくなったそうだ。
かなり苦しかったのではないだろうか。
泣き言は一言も人前では言わなかった。
我慢の82年。
自分自身、身体障碍者で、かつ、あまり障碍者を好きではなかったように思う。
普通の自転車で仙台から青森まで行ったことがある、とか。
蔵王にも登山した。この時は、偶然、テレビに映っていた。子ども心に誇らしかった。
仕事で使うために、スバル360を購入、以降、なんどか買い替えた。
自動車の運転が大好き、だったはずだ。
それを無理に廃車手続きを進めて取り上げた。
取り上げなければ、無免許でも運転し続けた。
医者には、いつ、発作が起きるかわからないから、と、自動車の運転が禁止されているにも関わらず。
とてもとても好きだったのだと思う。
それを取り上げなければならなかった。
取り上げてから、外に出なくなった。
急激に老け込んだと思う。

無免許時代、大学の構内、建築中の住宅地、で、自動車の運転を習った。
教えるのがとても上手だった、と、今では思う。それも研究者の立場で。
おかげで、どんな車でも、どんな場所でも、縦列駐車や車庫入れができる。
身体障碍者の運転コンクールで、何度か優勝していたはずだ。
サイドミラーと壁の間、1cmという駐車の仕方をよくしていた。
あたしは、20cmが最小だ、かなわない。

2人のわがままな子どもたちに障碍のあるスネをかじり尽くされた82年、だな。


2008年11月20日
入退院繰り返しつつ生き延びる父に呆れつ祝ひ酒呑む
ただじっと服薬もせず一日を過ごす父親企図せざりしか
脳内の伝達物質出にくい母遺伝なりしか吾もまた同じ
入浴も片付けもせず一日を暮らす父なり吾に似てゐる
悲しみは酒も煙草も消しはせずただいたずらに層なす痛み

楽しかった。
久しぶりだ。
7月末の、某看護教員研修講座以来。
寝ている受講生を起こしたり、喫煙所でロースクールの院生たちと話しをしたり。
そう、あたしは、やはり、授業が好きなんだな。人と話をするのが、いいのだな。

一時的にお金はかかってしまったが、連れて行った指導生に、ビデオ撮影のお礼として食事をおごった。
1人で酒を飲む、それも、自宅で飲む、のは、全く楽しくない。
いつもの居酒屋で大将が構ってくれればそれなりにいいのだが、カウンターで1人、というの、ダメ、だな、やはり。
私を比較的よく知る人々は、よくカウンターで1人で酒を飲むなぁ、と、驚く。
確かに、とても難しい、の、では、あるが、人と話をする、と言う事が恢復につながる、と担当医も言っていた、の、だ。
積極的に利用しなければならない。

食事中は極力タバコは吸わない。
出てくる料理に集中したいからだ。
タバコで鈍った舌でも、おいしさがわかる。
...前頭葉が判断しているのだろうが。
楽しい。
隣に、指導生がいると、もっと楽しい。
研究の事、授業の事、話題は尽きない。

おかげさまで、極めて規則的な生活ができた。
とはいえ、もちろん、遅刻ギリギリ、ということもありましたっ
そこは、指導生に助けられまして...ありがとうございました。

下通りのダイエー前には、昨年同様、若者が太棹でじょんがら節を叩いていた。
何日目だったか、酔いに任せて、弥三郎節、黒田節、ソーラン節、貝殻節、を歌ってしまった。
地声で歌う訓練は、人前で話をする為の練習にもなる、かも...

楽しい事は続かない。
さて、この疲れはいつ出てくるのだろう。
肉体的な疲れは、既に出てきている。腰が痛い。
いわゆる脳の疲れは、1週間後、かも。
何しろ、興奮している、アドレナリンが全開だ。
セロトニンが代表だが、脳内伝達物質がどうも狂って流れているように思う。
だから、病気、なんだろうな。

東大で講義をした立花隆は、二十歳を過ぎたら自分の脳に責任を持て、と、主張していた。
脳に責任を持つ、と言う事は、脳内伝達物質の分泌も自己責任、ということか...
無茶、だ、な。

久しぶりに会議で出て行けた。
もちろん、指導生との打合せもあったし、週末の集中講義の準備もあった。
頑張って出て行った、の、だな。
残念ながら、かんちゅーはい、350ccのチカラを借りてしまった。

会議の内容にはついて行けなかった。
ただし、電子シラバスシステムエシラスに対して、大きな誤解が生じている事だけはわかった。

全学に先駆けて、一般公開を行った、先駆的なシステムである。
開発した当時の院生にはかなりの圧力をかけた。
少なくとも、素人を演ずるあたしが納得するような使い勝手を目指したのだ、な。

前にも書いたけれども、全学的なシラバスシステムのひな形に採用されるくらいだ。

会議では、某B学部のが素晴らしい、と、言うことだった。
会議後、指導生と共に、学生の立場から閲覧したが、1つの機能を除いて、全てエシラスに備わっている。
2000年当時に作成されたのだから、当然、後発のシステムの方が優れていて当然だ。
なんとなく、某ビックカメラや某ヨドバシカメラのインターネットショッピングのサイトを見ているような感じがした。
恐らく、それなりのテンプレートがあるのだろうね。

それから、エシラスは自由に書き換えられないから、ダメ、なんだそうだ。
何いってやがる、某教務委員会の要請で、期限付きで入力可能なように、わざわざ、あたしがプログラムを作ったんだぜ。
それに、自由にいつでも教員が書き換えられるようならば、契約書としてのシラバスの意味がない。
つまり、某B学部・学府の教員は、学生・院生と契約するつもりはないのだろう。

果たして、全学のシステムはどうなるのだろうねぇ〜

天神落語会というのがあって、四夜連続で落語をやる。
第二夜が家元と談春だ。
ところが、チケットが取れないのだな。
確か、志の輔がもっともチケットの取りにくい落語家、になっていたはず。
家元もなかなか取れない。
仕方ないので、聴きたくもない四夜通し券を買ってしまった。

声が出ない、という、いつもの第一声から始まった。
しかし、今回は、いつもとは違い...話しているうちに声が出てくるから、と、いくつかジョークをやるのだがほんとに声が出ないのだ。
うーん。
よくぞ来てくださった、という感じである。
そう言えば、生で見るのは久々だ。
イリュージョンの講釈から、イリュージョン版松曳きに入って行った。
枯れた感じで、なかなか良かった。

今度は、いつ、聴けるのだろう。
家元が先か、あたしが先か。

週末から某K本大学での集中講義に出かける事になっている。
教室のAV機器、事務に用意させたOHPとスクリーンが使い物になるかどうか、確認するため、下見に出かけた。それと、資料の原稿を事務に手渡すため。

集中講義のために教室の下見をする大学教員なんて、極めて珍しい、と、思う。
が、元国立大学を始め、私立大学でも、どこも似たようなAV操作卓というのがあって、集中管理できるようになっている、のではあるが、使い方がわかりにくかったり、使われていなかったり、初回の授業前だけの準備だけでは、たいてい間に合わない、否、間に合わなかった。

今年で3回目、である。
博物館学芸員の資格のために必要な授業なのだが、この分野、教育と情報やメディアの事がわかっている人材が少ないらしく、あたしは貴重な人材らしい...誰もそのようには考えていないみたいだけどね。
行ったついでに、博物館や美術館等を見学し、教材研究という名前のあら探しをしてくる。
...県立博物館のティラノザウルスの絵は、未だにゴジラのように直立している。
陳列すれば学習が進む、というような妙な考え方をぶち壊したい、のだ、な。

それはそれとして。
喫煙所がなくなっていた。正確には、少なくなっていた。
講義棟の階段の下に、不要なモノドモと並んで灰皿が置いてあった。
ちなみに、不要なモノドモの中には、重要文化財指定云々と書かれた木材がころがっていた。
あれだけ乾燥していたら、燃えるぜ。

元国立大学では、非常勤講師の控室が用意される事はほとんどない。
実際、あたしの職場では、院生研究室に講師をお招きして休憩していただいている。
昨年は、教室にずっといた。そもそも、控室の事など、事務員の口から出てこなかったし。
なんだろうねぇ。

今回目に付いたのは、藤崎宮である。
タクシーの窓から見た作りが福岡の筥崎宮に似ている。とすると、祭られている神様は、多分、天照大神、伊勢神宮系だろう。
で、喫煙所でたまたま知りあったロースクールの院生に、初詣でにはどこに行くのか、と尋ねてみた。
答えがいい。一緒に行く人によって違う、らしい。
なるほど、ね。
福岡の櫛田神社は、スサノオが祭られている。荒ぶる神だ。だから、半裸の男達が町中を駆け巡るという祭りがあるのだ、と、仮説を立てているのであった。

で、藤崎宮だ。予想通り、伊勢神宮系だった。
おみくじが数種類用意してあった。
血液型別おみくじには、正直、驚いた。
あたしは、七福神おみくじを引いた。
当然、恵比寿が当たると予想。外れた。
布袋だった。いつもニコニコしていろ、ということらしい。
これまでは、人々の笑いをとれ、だったのだけれども、もう、笑いをとる必要はないのだな。

それにしても、向かって右には八幡、左には産土、どちらもご神体であるはずの鏡がむき出しだった。
さすかに、正面の天照大神のご身体は扉の陰になっていたけど、いいのかな。

わずか、半日の旅行だったのだか、疲れてしまった。
久しぶりに、眠剤を飲む前に眠ってしまった。
明日は、筋肉痛でダルダルだろう。
談志を聴きに行けるか...

今年2度目の連続飲酒。500mlのちゅーはいを1日に6本飲み続けてしまった。
だるくて一日中寝ているし、時々、嫌な過去を思い出す。
指導生の論文指導の前に1本。とりあえず、家から出て行けるし、それなりのアイディアも出る。
文章の論理的矛盾も指摘できる。
しかし、よく転ぶ。
当たり前だ、自覚していないだけで、酔っぱらっているのだから。

8/21、木曜日、通院の日。
とうとう、アルコール依存専門医に行け、と指令された。
翌日、22日に某雁の巣病院に行く事にした、の、だが、起きる事ができなかった。
木曜日に調子こいて60通ほど、学生たちにメールを書いていて、いつの間にか、23時になっていた。
土曜日、23日の午前中に、通院再挑戦。
が、やはり、気がつくと昼を過ぎていた。
幸い、断酒は続いている。

暴れない理性が残っているうちに、通院できる事を祈るのみ。

酒を飲まないと、煙草が増える。酒を飲んでいると、煙草は減る。
酒を飲みながら炭水化物を摂取するので、腹周りが復活した。
げっそり痩せているよりは、「怖く」見えないだろうから、多少はいいのかもしれない。

職場の大学説明会があった。
出し物は、模擬授業である。
遅刻した。
幸い、今年度は、院生が一コマ持ってくれていたので、なんとかなったけど。

高校2年生はまじめに話を聞いてくれる。
納得すれば素直にうなずくし、わからければ首をかしげる。
そうそう、そんな授業を研究しているのだよん。
伝わったかな。

夕方、出入り禁止になっていた近所の居酒屋で...事前に詫びをいれましたっ...打ち上げ。
学生どもは、ソフトドリンクばかり飲んで、それだけで予算オーバー。
困った。

この居酒屋の大将には、毎年、中元を送っている。
今年も送った。
そのお返しが、届いた。
手紙が添えてあった。
ちゃんと、食事ができていないだろうから、と、店で出している野菜の煮物、佃煮、豚の角煮、そして鯛の煮物が入っていた。
しばらく、言葉を失った。
久しぶりに泣いた。
泣きながら、野菜の煮物と鯛の煮物をつついてみた。
塩加減があたし好みだった。
ますます泣けた。

週の半ば、大将を訪ねた。
さすがに、依存症までは見抜いていなかったが、酒量が尋常ではない事から出入り禁止にしてくれたのだった。
正解である。

職場の皆さん、指導生、元指導生、授業の受講生の皆さんや、居酒屋の大将、みんなに迷惑をかけつつ、生きている。
せめて、自殺だけはしないようにしようっと。

ちなみに、説明会の翌日、夜間の社会人院生たちと、もつ鍋研究会の自主研究会を催した。
遅刻した。バスに乗ったのが間違い。
さすがに社会人、携帯電話のナビをたよりに会場に着いていた。
5人で24人分を食した。あたしが奉行だったから、かなりマイルド。
辛いのが苦手ぇ〜、という人が2人居たので。
それから、これまでモツは大嫌い、だった人が、こんなおいしいとは思わなかった、と言っていた。
概念崩しが成功。

予想通り、その後、二日ほど寝込んだ。

ここしばらく、毎日、ちゅーはい、というヤツを飲んでしまっている。
自信がないのだろうね。
7月最後の週の月・火と、某県看護教員養成講習会で1日6時間ほど話す機会があった。
今年度は、あたしの1人勝負で、普段の授業で使っている教材を用いた。
勿論、看護実践の事例も添えて説明した。
とても反響がよかった、と、自己満足している。

学生から質問されて答えられなかったらどうしたらよいか、等といった、まるで教育実習の事前指導の時に話しているような事柄についても質問された。
そうなんだ、と、3年目で初めて気付いた。
彼らは、教壇に立っている人もいるしこれから立つ人もいるのだった。
まだ、あたしの守備範囲で勝負できるのだな。

疲れたけど、楽しかった。
予想通り、その後、二日ほど寝込んだ。

理事を務めている学会があった。指導生どもが発表する、ので、援護射撃(会場で睨みを利かせる)をするはず、が、集合時刻に起きてしまったり、して、かろうじて、発表の最後に間に合ったり、討論に間に合ったり、散々。
一応、それなりに援護射撃はした、と、思っている。思わないとやってられない。
手前みそだが、2人の発表はなかなかよかった、と、思っている。
いやいや、上出来だ。なにしろ、あたしなんぞ、学会デビューは、助手になってから、だったからな。
今から考えると、論文の書き方、なんてことは、教えられたことはなかった。
あたしは、ここ数年、自分から文章を創り出すことは極めて困難な状態。しかし、書かれている文章の矛盾をつくことは、幸いできる。
従って、あたしの目をくぐった予稿集、論文、には、細かなケチはつかない。
こう考えられないか、このような場合には適応可能か、といった、建設的なやり取りが行われる。
もちろん、こう考えられないか、には、大抵、あたしが見逃していた論理の穴が指摘されていることがほとんどだから、あたし自身、勉強になる。

で、疲れた。3日ほど、寝込んだ。
その勢いで、結局、6月末は寝て過ごしてしまった。

カレンダーは5月のままなのに、もう、7月になってしまった。
7月3日、木曜日は、通院の日。
久々に、担当医の顔を見た、というのも、起きたら診療時刻が過ぎていた、という事ばかり重ねて、どうにもならなかったからだ。
健康でないと、医者には行けない。
通院できなければ、当然、SSRIパキシルが無くなる。他の安定剤や眠剤は飲んだり飲まなかったりしていたので余っている。
パキシル服用停止による副作用はすさまじい。
3日位すると、耳鳴りがする。頭痛も伴う。鎮痛薬は役に立たない。何しろ、機序が違うのだから。
最悪なのは、電気ショック様感覚異常である。笑っても、首をひねっても、もちろん、歩く度にその部位から脳天に向かって電気ショックが走る。
呆れた担当医が言っていた、このパキシル服用停止による副作用に耐えた最長記録だ、と。
来るとわかっていると、それなりに備えるのであるし、感覚異常であるとわかっているからそれなりに我慢もできる。
ひたすら、寝て過ごす。そして、通院の日を逃す。
逃してどうにもならなくなって、担当医ではない医者から処方せんをもらってとりあえずパキシルを入手、そんなこんなで、久しぶりのご対面、と言うことになった訳だ。

7月3日は、会議が午前中ある、と、思い込んでいて、早めに通院し会議に駆けつけるつもりでいた。のだが、起きたら10時を過ぎていて、会議が始まっている時刻になっていた。
よくよく開催通知を読むと、13時30分開始だった。
お間抜けである。
ゆっくり通院し、13時からの授業は形式的には休講にしなかった。
発表者の意図を根底から崩して、会議に出かけた。
その会議は、情報に関係する委員会で、こちらに赴任してからずぅ〜っと、委員を続けている。
久々に、暴れた。
そもそも、資料が「虫食い古文書」状態。PDFリテラシーがない誰かが用意したのだろう。
こんな資料で会議ができるか、我々に失礼だろう、と、怒鳴った。
思えば、最初の職場では資料を揃える側だった。その時の敵討ち、しても仕方ないけど。
それと、委員長に噛みついた。
資料に合わせて、同じものをPPで提示している。当然、文字なんて読めない。
それは、読むなと言っていることと同じだ、と、怒鳴った。
いい加減にしてくれぃ。

会議の最後に、700台のコンピュータのリプレースの方針が伝えられた。
話していた室長は、爆弾だ、と、形容したのは、プリンターの問題だった。
何でも、タダだから、ということで、資料をコピーする代わりに印刷させている教員がいるということだった。なぁ〜に、考えてんだか。
自分の首を絞めるようなことになるのに。
で、コンビニのコピー機と同様、1枚印刷するのに10円が必要になる、ということだった。
大賛成である。
ぜひ、実行してください、と、発言した。

むしろ、700台のコンピュータの基本ソフトウェアの選択の方が爆弾だと思ったのはあたしだけだったようだ。
Mac OS Xを採用する予定だという。
UNIXだから、と、管理しやすい、のが、選択基準だったようだ。
そうそう、管理しやすいのだ。

さて、会議が終わって、ほっとしていたら、資料をぶちまけてしまった。
揃えるつもりが、上と下だけが残って、中が机のしたにバサバサ落ちちまう。
お間抜けである。
アベアベしていると、先ほどの室長が、名刺交換を...なんで?
某学部が捨てた電子シラバスシステムエシラスをひな形に、全学的なシラバスシステムを作成したい、と言うことだった。
いわく、あなたが創った(正確には、あーしろ、こーしろ、と、思想を院生に伝えただけだったけど)シラバスシステムは、何でもできる、と...
何でもなんてできないよん。
どうやら、学部を超えて検索したいらしい。
確かに、そんなことはへのかっぱである。
うーん、見る人が見ると、わかってもらえるものだ、な。
某学部はどうすんだろうね。
全学のシラバスシステムを利用します、と、決めたようだが、使ってみたら、前と同じ、になるのだから。

さて、会議が終わって、また、3日ほど寝込んだ。
暴れすぎだ。

それと、1TBの外付けハードディスクを同時に2台、壊したことも、かなり来ている。
その前に、500MBの外付けハードディスク(LaCie製)を同時に2台、壊している。
3TBのデータが一瞬で消えてしまった。
正確には、500MBのハードディスク2台を壊した時点で、1TBのハードディスク(WD製)を購入、一応復帰された。
LoepardのTime Machine機能を使ってバックアップしていたつもり、なのだけれども、それも消えてしまった。パーティションを切ってTime Machine機能を使うとダメかも。
もう1台の1TBハードディスク(LaCie製)は、ネットワークで共有するタイプ。
これが、いつの間にか、マウントできなくなって...回転音に異音が混じっている。
はぁ、このハードディスクは、どうやって初期化するのだっけな。
ちなみに、Time Machine機能を使ってバックアップしていた1TBのハードディスクは、ブレーカーが落ちてから2度と動かなくなった。
洗濯しながら電子レンジを使ってはいけないのだった。
初期化できないので、TechToolPro4で表面検査をされているが、10日経ってやっと2割ほどの領域が済んだところ。約20億のブロックを検査し終わるまで、コンピュータが使えない。

先に500MBのハードディスク2台を某カメラ量販店に持って行ったところ、買った方がいいと修理を断られた。
で、悔しいから、WD製の同じ1TBハードディスク、LaCie製の同じ500MBハードディスク...これは日本では入手できそうになかったので、アメリカから購入、さらにLaCieのサイトにあるショップから2TBのハードディスクを購入することにした。

今、手元にあるハードディスクを取っ換え引っ換え常時8台程接続して使っている。
ギガ単位のハードディスクでまとめればすっきりするはず。
今回は、もったいないけど、1台のハードディスクをTime Machine用に使うことにする。

寝よ。

某チャンネルでスターゲイト SG-1 * の連続放送を見ている。
今日は、ある科学者が統合失調症で幻覚に従って行動し、SG-1が振り回されていた。
なんだか、悲しくなった。

ここ2週間ほど、あまり調子が良くない。先週は通院できずじまい。
ほとんど、寝ている。
SSRIの服用停止による副作用が出てきた。
今回、ひどいのは頭痛だ。ブルフェン200mg錠を朝昼晩服用して、ようやく治まる。
ちなみに、日本人の1日の最大量は450mgだったはずだ。
頭が、もやぁっ〜っと、している。
ひたすら、眠い。

指導生どもや業者さんの顔がちらつく。
東北地方で地震があった。
ケータイに速報が届いていたが、妹がケータイメールを送ってくれるまで、じっとしていた。
本当ならば、両親の無事を心配し、電話をかけなければならなかった。
できない。

渾身のチカラを入れて創ったエシラスは、使われなくなるようだ。
このことが、今のあたしにどれだけのショックを与えるのか、職場のだれも知らない。
単に、あたしの負担軽減という美名の元に行動している。
指導生徒ともに作成した「作品」である。
暴れる元気もない。

今日は、火曜日だった。
気付いたら、14時を回っていた。
とりあえず起きて、ブルフェンを服用して、煙草を吸う。
メールを書いた。
エシラスに対する誤解を解くための文章を書いているうちに、それなりに、頭ははっきりしてきたように思う。

デバック中のプログラムを見直す。
PHPとPerlがごちゃになる。
アルゴル系のプログラムはなんとかなるが、オブジェクト指向というのは、よくわからん。
強引にC言語の構造体とポインタの類推で創っている。
それでも、なんとかなっている。

自宅サーバでテストするとうまくできるのに、公式サーバではうまく動かない。
なんだぁ、こりゃぁ、で、週末が過ぎた。
伝統的なデバック、要所にprint文を入れて、テスト用のプログラムを動かす。
くだらないことだった。
しかし、printしてみて、初めてわかった。
そうね、chompで改行コードを削除しないといけないのね。
ふん。

この続きは、gccの導入に書こうかな。
要するに、念のため、自宅サーバと同じ環境を作ろうと、gcc-4.0.1を導入して、perl-5.10.0を再導入しちまったのであります。
...ちなみに、perl-5.10.0の導入の最初は、
sh Configure -de

としましたです。ここに書いた方法とは、敢えて変えてみた。
...あれ、書いてなかった。
Intel Macならば、
sh Configure -Accflags="-arch i686 -arch ppc" -de

PowerPCならば、
sh Configure -Accflags="-arch ppc" -de

と、しておりました。


さて、勿論、これらを導入しても、あたしの作ったプログラムは、ちゃんとエラーで止まったのでした。
あほらし。

指導生も言っていたし、わたしも授業で言っていたな。
プログラムは間違わない、人間が間違える。
はい、そのとおり。

兎に角、眠い。
仕方ないので、寝る。
いつの疲れからわからない疲労感でいっぱい。
幸い、夜は眠れる、が、さらに、昼も寝る。
過眠だ、な。
木曜日、通院した、の、だ、が、担当医が休みだった。
幸い、薬だけは出してもらえた。
いい加減、SSRI服用停止による副作用、電気ショック様感覚異常、耳鳴り、頭痛、がひどくなりかけていたので、助かった。
通院後に直ぐ服用したのだが、もちろん、即効性はないので、二三日は我慢しなければならない。
偽薬効果か、服用しただけで、ラクになったように思う、いい加減だ、ね。
金曜も、土曜も、電気ショック様感覚異常は出てきたが、回数か確実に減った。

問題は、週末の飲酒だ。
水を飲みたい、のではなくて、酒を飲みたい、の、で、ある。
ビールでもチューハイでも、いいのだが、炭酸系の飲み物はダメ、なんだな。
兎に角、ビールが飲みたい。
勿論、飲めば、連続飲酒になることわかっている。

26日月曜日はもつ鍋研究会を久々に行った。
ウーロン茶でひたすら食す。
幸い、その後は、腹いっぱいで、酒すら飲む気になれなかった。
と、いうことは、酒を飲まないためには、太ることを覚悟して、どか食いでもすればいいのかもしれない。
メタボはイヤだな。

妙に、疲れる。
気がつくと、昼過ぎになっているし、起きていてもだるいし。
気温が夜昼で急変する、ということも関係しているだろうし、今は、天敵カモガヤどもが盛んに花粉を飛ばしている時期だから、ということも有りそうだ。
パキシル40mg、眠剤、降圧剤、そして、ニコチンが加わっているのだから、肝臓・腎臓がフル稼働しているはずだ。
疲れてどうしようもないと、つい、職場に行く前にビールを呑んでしまう。
これが輪をかけて、幻覚につながるのだろうな。
あの幻覚は、アルコール依存症の離脱症状だ。

金曜の夜が鬼門であることには変わりはない。
気がつくと、ウィスキーの小瓶が空いていたりする。
幻覚はその次の夜に見るようだ。

腹が空かないので、食事をする気にもなれない。
動いて、食べて、ウンチする、のが、動物の定義なら、動かない、食べない、ウンチもしない、あたしは、植物か...

ニコチンやアルコールに依存していることは確実だ。
つくづく、中島らもの「今夜、すべてのバーで」を読んでいて良かったと思う。
この本では、ある章がやたらと長い。そこで、依存論が展開されている。
担当医に、アルコール依存のことを相談した時だ。ヒトにとって依存は避けられないのではないか、と聞いてみた。
担当医の言うことには、社会的影響を考えれば、依存が避けられないのなら、煙草にしなさい、ということだった。
良い先生だ、ね。

つらいが、この週も通院できなかった。毎週木曜日が通院の日には変わりない。
朝から起きて仕事をしていた。だが、一段落して横になったら、もうダメだった。
気がついた時には、13時近く...
とりあえず、VNCとiChat AVを使って、午後の授業のために集まっている院生たちに呼びかけてみる。
タクシーを飛ばして、30分遅れで打合せに入った。
パキシルが週末にはなくなる。

で、煙草、だ。
幸い、紙巻き煙草は飽きる。
問題は、葉巻だ。
うまい、と、思えるのだ、なぁ〜

それと。
可能性として、サーバ管理、プログラミング、にも、依存しているのかもしれない。
そう言えば、クリスチーナ・リッチの私は「うつ依存症」の女、という映画が有ったな。
うつへの依存をやめれば、うつは治る、といった意味合いの本も読んだことが有る。
確か、中島らもと著者が対談をしていた。今、手元には無い、さて、どこだ?
読んだ時には、なんだかよくわからなかったのだが、今の私は、うつとの共存の道に進んでいるとすれば、依存と呼んでもいいのかもしれない。
それより、クスリ依存、も、ありそうだ。
医者嫌いのクスリ好き、だし。

遺伝子に組み込まれている、という話は、Re:Genesis リ・ジェネシスに出てきている。
フィクションか否かは、まだ調査していない。

26日は、久々にもつ鍋研究会だ。
元気になるかな...

通院の日、だった。
昨夜は、4/29〜30にかけて徹夜したので、眠剤の力を借りるまでもなく、久々に、うまく寝入ることができた。
寝ることにこれだけ気を使う、というのは、極めて妙な話だが、それが病気ということだ。
3時過ぎ起きたが、どうにも眠くて、いつものようにそのまま起き出して作業するようなバカなことはしなかった。なかなか普通。
6時過ぎ、時計を確認、だが、ものすごく眠い。結局、そのまま寝入ってしまったようだ。
次に気付いた時に時計を見ると、13時を過ぎていた。
また、やっちまった。
結局、この3ヶ月、この調子で、満足に通院すらできなかった。
担当医に最後に会ったのは、3月中旬だ。
SSRIを切らして、服用停止による副作用が出て、それでも...それだからこそ、出て行けなくなって、へにょへにょになって、ギリギリで薬だけもらいに行って、またSSRIを切らして...
悪循環が続いた。
断ち切るチャンス、だったのに、な。

幸い、前回通院した時、担当医とは違うのだが診察してもらい、さらに薬は2週間分出してもらっていたので、SSRIは残っている。
あぁ、イヤだな。
まだ、眠いし。

昨年の秋から更新が途絶えたこのブログ,歌を詠む余裕すらなかった,と,思っていたのだが,ケータイ電話には,書きかけ,完成版,いくつか残っていた。
ちゃんと,詠んでるじゃん。
以下,載せちゃう。

50,000レコードのデータから「必要な」レコードを抽出、記述統計を示せとの指令を受けている。
こんなになるまでためたのが悪いんっすけどね。
何かというと、某IT利用室と某メディアミックス室の入退出記録。過去、8年分のデータだ。
今回の対象は某IT利用室。それでも、40,000レコード近くある。

情報教育をやっていた時、データベースの演習では、最低5,000レコードないと演習に意味が出てこない、と、考えるようになった。勿論、当時の仲間たちとの話し合いの結果だ。
それにしても、既に生産中止になったアプリケーションを使っているのだが、よく動いているぜ、すごい。

それはそれとして、何のために記述統計をするのか、目的が明確ではない。つまり、どんなレコードが必要なのか、不明。
まさに、学生が、こんなデータが集まったんですけど、or、こんな実験結果になったんですけど、どうしましょう...と、言っているみたいなもんで、記述のしようがないのだな。
一応、指導生の論文指導の時ならば、いろいろと捏ね繰り回してそれっぽいのを見つけてやることもあるけどさ。
あ〜、くらくらする。

くらくらする、のは、実は、SSRIがキレている所為もある。
通院できずに1週間が過ぎた。予備の薬がなくなって、既に4日。
いつぞやの時と同様、電気ショック様感覚異常、耳鳴り、ふらつきが出てきている。

それにしても、今回の最初の耳鳴りは凄かった。
内耳の内側でかんしゃく玉が鳴るような感じがするのだが、以前とは比較にならないほど大きなかんしゃく玉だった。
寝入りばなで、右、左、と時間差攻撃を受け、飛び起きてしまった。
で、そのまま起きてしまったりして、睡眠障害に拍車がかかる。

そのうちに眠くなるだろうという予測の元、眠剤を服用してこの記事をまとめているのだが、気配もない。
まだ、落ち着いて書く気になれないでいるのだが、アルコール依存症の所為だろう。

横になって、枕に頭を就けてじっとしていればなんとかなる、ことを祈る。
それにしても、診断名がついてから既に8年を経過しているのだが、そして、それ以前からなのだが、寝る、という極めて自然な行動の筈なのに、こんなに努力しなければならない、というのは、なんとも......言葉が見つからない。

過眠、である。
気がついたら、暗かった。鳴門以来、久々だ。
午前中は通院、昼から授業、の、筈だった。
目茶苦茶である。
17:30頃、院生・学生たちの部屋のコンピュータに侵入して画面にメッセージを書いてみた。
なんと、演習中だから、後で返事をする、と、書かれた。
あたしがいなくとも、ちゃんと、指導生どもはしっかり学習を進めているのだった。
そう、教師は消え去るものである。
いや、まだまだ、とは、思いたいが、既に消えているのだろうな。

ケータイにメールがたまっていた。
授業のうち、2つが演習、1つが講義...授業と呼びたいのだが...、演習は先のように、指導生どもが自主的に進めていて、講義が問題だった、のだな。
院生の1人に、常々、変わりにやってみぃ〜、と言っていたのだが...やってくれなかったみたいだ。
恐れ多くも畏くも、授業研究をするのであれば、あらゆる機会を使って、授業すべきだ、と、あたしは考えている。
あたしが大学院生の時には、かなり喜んで話したものだった、けど、な。
一度、 H.O.Sawyer先生に頼まれて、演習を仕切った...H.O.Sawyer先生はご出張、休講にしたくないのであたしに仕切らせた、のだな...ことがあった。当時の授業は、学部生も院生も両方履修できたのだけれども...教育効果を考えれば、そうとう望ましいと思うのだが、なぁ〜...今の制度ではなんともできない、あ〜あ...、出てきていた院生たちがクスクス笑っていた。後で聞いてみると、H.O.Sawyer先生にそっくり、だった、らしい。光栄なことだと思った。

で、その講義、なのだが...
あたしの話を聞きたいと、部屋でずっと待ってくれていた学生さんがいた、と、いう。
うぅっ
なんと、有り難いことだろう。
確かに、受講生の知識の構造化を目的としてはいるが、そして、かなりの程度、成功しているという手応えは感じているのだが...測定何ぞ、長年の経験と勘で行うのである...、それにしても、毎回、思いつきで話をしている。勿論、それでも、目標を決めているし、まとまるのだよん。
既に、2回、休講にしてしまっている。
今回は、最低の無断欠席である。
来週は、土下座だ、な。
受講生を大事にしないと、バチが当たる、かも。

それはそれとして。
過眠である。
昼夜逆転は言うまでもない。
眠剤を服用しても、眠くならない。
本来なら、午前中に通院して相談しなければならないのだ、が、困った。

健康診断にしても、通院にしても、ある程度、健康でないと、行けないのだな。

確かに、肉体的な疲れ、精神的な疲れ、はあったはずだ。
5/22火曜日に、あたしがいないと進まない委員会があった。
暴れた。
会計報告があったのだが、刊行物を販売しているのに、収入に計上していない。支出にはそれらしい項目があったけれども、「等」でまとめてある。
質問したら、係長は、困っていた。
「あなたのところの係員が販売していたのに、何故、係長のあなたは知らないのか?」
また、事務に嫌われた、な。

I都地区の問題も深刻だ。一生懸命、受講生に不利にならないように、あたしは努力しているつもりだ。でも、まだまだ努力は不足していると思っている。
だから、いくつか提案してみた。
I都地区の代表は一言も話をしなかった。
なんだか、むなしい、な。
...後で、代理ということがわかったのだけれども、少しは、学生たちのことを想像してみなさいよ。

で、疲れた、はず、なのだけれども、認知に歪みがあるためか、そのまま、残って、サーバのメンテナンスを始めてしまった。
結果的に、朝帰りだ。
事務の皆さんがご出勤なさる時刻に、あたしはフラフラとバスで帰った。
ほんと、歩き方、姿勢が妙だった。

サーバの管理というのは、とても、とても、大変だ。
基本的に、サーバは、止めてはいけないのだから。
利用者が少ないと思われる夜中にするしかない。
あるいは、休日、かな。

5/27日曜日は、作業停電が予定されている。
こういう時が、メンテナンスのチャンス、なのではあるが。
いくら、裁量労働制度が導入されたとしても、理解しがたい労働形態だろう。
特に、ボランティアで作業しているのだから。
悪く言えば、趣味でやっているのだから。
病気にならない方がおかしい、かも。

相変わらずの過眠が続く。
布団の中で毛布をかぶってひたすら寝る。
大勘違いは、授業の開始日もそうだったように思う。
はまちゃんの日記には、9日から学部の授業が開始される、と書かれていた。
読み飛ばしていた。
最初の仕事は、9日の16:40から開始される、ことに、なる...
準備していない。
幸か不幸か、ホームページで公開した日程表では、13日を初回にしていた。
ラッキーだったかもしれない。
ただ、いつになく落ち込む。
健康科学センター、上司にメールを送った。
まじめに休職を考えている。
必修の授業は、ビデオ学習にしてしまおうか。
最悪だな。

大好きな授業ができないかもしれない。
H.O.Sawyer先生もこのような状態だったのだろうか。

学会の仕事もできてない。
大迷惑をかけている。
ダメだな。
幸い、自殺は考えていない。
昨日購入した泡盛をちびちびやって、勢いをつけてメールを書いている。
...ニコチン依存だけでなく、アルコール依存にもなるかな。

通院の日。
この日から、担当医が代わる。
初回なので、割り引いて考えなければならないが、比較的よく話を聞いてくれたと思う。
とは言え、前日なかなか眠れず、11時過ぎに動き出し、診療終了時刻の15分前に行ったのだからそれなりに限界はある。
薬の量は変わらず、ラボナを毎日服用できるようにしてもらった。
それと、次回、2週間後、仙台に行く可能性を話して、3週間分の薬を出してもらった。
今の状態で仙台に行くのは無謀かもしれない。
が、どうにも、心配で仕方ないのだ、な。

通院後、DVD-Rメディアなどを買って、フラフラした。
天気が良い。暑いくらいだ。
ただ、どうにも疲れて、コンビニで昼飯らしいものを購入して自宅に戻った。
おにぎりを食し、ビールを飲む。
...アルコール依存になるかも...
昼寝した。
なんでこんなに疲れるのだろう。

1つのことに捕らわれると、他のコトが見えなくなる。
典型的だ、な。重要な判断はしない方が絶対にいい。

できることから始めようと、いくつかのホームページの更新をしようとした。
ところが、公開されているページの更新日付と、手元に残っているファイルの更新日付とがひと月以上ずれていることがわかってしまって、パニック。
公開されているページに対応する原稿ファイルが見つからない。
布団に戻って、毛布をかぶって、家元の落語を聴いた。
これまでなら、少しずつ元気になるのだが、寝てしまった。
家元の落語を聴いて寝てしまう、なんということだ。
ダメ、だな。

二度寝に昼寝、重ねて昼寝。過眠だ。
そして不眠に炭水化物依存。
テレビも見る気になれない。
起きるとタバコを吸って、また、布団に戻る。
家元と志の輔の落語を聴く...そのうちに寝てしまう。
家元と、家元がほめた志の輔の落語で寝てしまうなんて、ね。
医者が言う死の宣告は、当たる。
つまり、死についてはよくわかっているのだろうね。
逆に、なぜ、生きているのか、については、よくわからないのだろう。
どんなに関係が悪くとも...実際に悪いとは思っていないが...この世に一人しかいない父親、母親の死を目の前にする、というのは、きついことなんだな。
此れ程とは思っていなかったのだけれども。

妹に迷惑をかけてしまっているな〜、という思いもある。
もちろんのこと、職場に出ていっていないのだから、とても悪いな〜とも思っている。
来週から授業が始まる。
あたしがついていけるのだろうか、とても不安である。
OHPを使って、型通りの話はできるだろう。
それでも、普通の授業よりは「面白い」はずだ。
どっと疲れるのだろうな。
会議には出ていけるのだろうか。
無理かもしれない。
父親が始めて入院した2004年は、訳がわからなかった。
次の年の2005年は、ほとんど会議に出ていけなかった。
2007年が、2005年と似たような年になることは、目に見えている。

体重が減った。
78Kgだったのが、この3ヶ月で72Kg。
特に、寝てばかりいる時、食欲がない時、煙草ばかり吸っている時、が、多かった週は、2Kgくらい減ってしまったことがあった。
父親にも体重測定を指示した。
この間、測定した時には、父親自身、10Kg減った、と驚いていた。
そう、うつの時には、体重が減るのだ、な。
あたしのズボンはブカブカ、ベルトはもう穴がない。

10時過ぎに起きる。
全身の筋肉がダルダルモード。
当たり前なんだろうが、ね。
取りためていたCSI*も見る気になれない。
2度寝して、昼寝して、一気にこの日記を公開した。
とにかく、ゆっくりしていよう。
夕方、馴染みの居酒屋に行ってみようぅっと。

明け方、寝苦しくて起きる。フラフラする。
2度寝して8時過ぎに起きる。
出発の支度をして、妹とメールで打ち合わせ、とにかく、昼ご飯を父親と一緒に取ることにした。
フロントに荷物をあずけて実家に移動。
父親に説教する。
あたしと同じ病気の可能性があること、循環器の先生に、やる気が出ないことを話してもよいのだ、と伝えた。
妹がおかずを仕込んでいる時に掃除をした。
父親の着ているモノを着替えさせ、洗濯した。
風呂に入らなくてもいいが、着替えはしなさい、と、また、説教だ。

妹と大学病院に向かう。
母親は、昨日よりも動きが悪い。
帯状疱疹も酷くなっていた。
相変わらず、お腹が空いたという。
売店で日もちのするケーキや甘夏柑等を買ってきた。
ぱくぱく食べている。
とにかく、体力をつけてもらいましょ。

16時過ぎ、病室を辞した。
空港に向かった。
仙台空港線というのが開通して、シャトルバスが廃止されていた...チケットが1枚残っていたのだが、な。
モバイルSuicaで乗車してみた。シャトルバスよりも料金は安かった。
17分は確か速い。
仙台駅を出発する時には満席でかなり混んでいたのだが、実際に空港で降りた乗客は案外少なかった。はて、採算は大丈夫なのかね。

空港で生ビールを飲んで煙草を吸った。
どうも、使用機到着遅れ、らしい。
10分遅れて出発、さらに、揺れた。
新幹線よりも揺れた。
上下に揺れるのはジェットコースターだと思えば楽しいが、小刻みに左右に揺れるのは疲れる。
到着も20分ほど遅れた。

タクシーで馴染みの居酒屋に駆けつける。
大将曰く、疲れてます...
そうだろうな〜
合鴨のネギ焼のポン酢、いつもより酸味を利かせてくれて、さらにすり下ろしたニンニクを入れてくれた。
これで、元気になるかな。

実家に行った。今日は、大学病院に母親が入院する日だ。
受付は9時40分まで。
8時50分ごろに実家到着。
母親は、髪がぼさぼさで長すぎること、洗髪していないこと、を気にしていた。
ヒゲバリカンを持っていって、耳の周り、襟足の髪の毛を適当に切ってあげた。
...看護師に洗髪と清拭をお願いしよう。
身動きがままならないので、風呂に入っていない。
太ももに湿疹ができていた。これも看護師に話しておこう。
9時過ぎに妹到着。
タクシーを呼んで、移動にかかる。
が、母親は動き難い。
靴を履いたのはいいが、立ち上がれない。
「抱えていこうか?」と、無謀だとは思ったが、言わざるを得なかった。
幸い、甲野善紀の本を読んでいたので、寝ている状態から半身を起こす動きは、あたしの身体にそんなに負担をかけずにできる。
運んでタクシーに乗せるのは、別だ。
高校時代にならったバーベルを持ち上げる動作、を思い出した。
大腿筋を使う、のである。
左膝を地面について右膝を立て、母親を抱えて、一度、右膝に母親の身体を乗せ...座らせて、脇の下と膝裏に手を添えて、スクワットと同じ要領で立ち上がる。
タクシーに乗せる時には、どうしても身体が前かがみになる。ちょっと腰に来た。
大学病院に着いてすぐ、妹に車いすを用意させ、タクシーから母親を抱き上げて下ろした。
今度も一度膝に乗せて...座らせて、立ち上がる。ふらついた。
小さな身体は、重かった。

入院してしまえば、看護師がなんとかしてくれる。
一安心だ。
そうなると、問題は、家に1人残された父親だ。
正直、父親も入院してくれれば、安心だ。看護師が何とかしてくれるからだ。

母親の診断はまだ始まらない。
昼、妹と実家に戻った。父親と一緒に無言の食事をした。
下手をすれば、ご飯とみそ汁しか食べなかったかもしれない。
薬もまた飲まなくなるかもしれない。

午後、妹と買い出しに出かける。
父親は食材にうるさい。
特定の食材しか食べない。まるでヒト以外の動物みたいだ。
...人間は雑食のはず、だから。
決めた魚屋の肴しか食べない。
その魚屋に行って、ブリ、タラ、シャケの切り身を買う。
野菜を買う。
妹に、煮物、焼き魚を作ってもらう。
食事の際に、つつけるものを作ってもらった。
その間、あたしは区役所に出かける。介護認定のための書類を作って提出してきた。

16時過ぎ、妹と大学病院に行く。
診察は本格的には行われていなかった。
診断名は、「パーキンソン病の疑い」だ。
来週、本格的に検査をするらしい。
入院予定は3週間と書かれていた。

母親は、病院に行く途中のタクシーの中、午後から訪ねた時、妹と盛んに話しをしている。
不安なのだろうな、と、思う。
数十年離れていたのに、すっかり、実の娘になっていた。
父親の入院に際しても、今回の母親の入院に際しても、妹がとても頑張ってくれている。
自分にだって、家庭はある、子どもたちの世話も必要だ。
姑との関係だってある。
あり難い。
両親と妹との関係を修復しておいて、本当に良かったと思う。

ふと、とんかつが旨い、と、母親が言い出した。
もちろん、自分が食べたいのだ。
食欲がある、ということは、この場合、唯一の救いだと思う。
妹にも食べさせたい、と、いう。
これは、あたしに「買ってやれ」ということだ、な。

病院を辞して、豚カツやに行く。
ロースカツ弁当、ひれカツ弁当を買う。
貧病でもあるあたしには、この位しかできない。
甥っ子達が喜んで食べてくれればいいな。
ひれカツ弁当は、あたしの分も買った。
久しぶりに、ひれカツを食す。
山下清が元帥に例えた豚カツだ。旨い。

ビールを飲んでから、マッサージをしてもらった。
これで良く眠れるかな。

おお勘違いをしていた。
ゆっくり起きて、昼過ぎに出かけようと思っていたら、フロントから電話。
チェックアウトは何時か、と、聞かれた。
?????
よくよく考えれば、航空券で予約した帰りの便の日付と宿泊日程がずれていた!
お間抜けだ。
もう1泊することを伝えた。
幸い、同じ部屋に連泊できた。

11時過ぎに出かける。
買い物をしてから、昼ご飯に田舎蕎麦を食す。
なかなか旨かった。

母親が通っていた個人病院に、大学病院から来た手紙を届けて挨拶をするために出かけた。
介護認定のための意見書の作成を依頼する必要もあった。
ところがっ
よくよく考えてみれば、今の両親の主治医ではなかった。
父親は循環器の専門医にかかっているし、母親は入院している。
断られた。
当たり前といえば、当たり前だ。
診察しないと、意見書は書けない。
父親が入院した病院からは何も言ってこないし、さらに紹介したはずの自分のところに通わず、別の専門医に通院していることに怒っていた。さらに、母親が入院した大学病院からの手紙は、院長の顔写真入りの「お礼状」で、母親の状態については何も書かれていない、それにも怒っていた。
そりゃそうだろうね。
個人病院を辞して、父親が通院している循環器の病院に挨拶に行った。
意見書の作成依頼と、さらに、父親の「うつ」らしい状態について話した。
その足で、区役所に行って、書類の作り直しを頼んだ。
大学病院に向かった。

母親の病室に行くと、名札がなかった。
はて、移ったのだろうか?
まだ、母親は寝ていた。
どうやら、右足に出ていたのは湿疹ではなくて、帯状疱疹だったようだ。
で、個室に移動、と言うことになったらしい。
火傷の水膨れのように水泡ができている。
そういえば、入院直後に体温を測った時、37度あったな。
何と言っても、神経痛が来ているようだった。

看護師さんは、移動先の部屋を片づけ、掃除をして、バタバタと汗をかきながら動いていた。
その間、母親は、お腹が空いた、とブツブツ言っている。
1時間近く待たされ、ようやく部屋を移動。
個室にはトイレもついていた。
確かに、廊下のトイレに行くよりは、移動が楽だろう。
ただし、トイレはユニットバスと一緒なので、段差がある。
転ぶと大変だ。

今日の母親は、比較的よく動いていた。
薬が効いているのだろう。
2名の主治医が顔を見に来たので、名刺を渡して挨拶した。
ようやく、あたしが九州から来ていることが伝わった。
何しろ、事前調査の項目に、緊急連絡先としてあたしの住所を書く欄がないのだから、な。
その点、父親が入院した時には、看護師がアセスメントしていろいろと書いていたし、引き継ぎもきちんとされていた。当たり前の事なのだが。
何しろ、偉そうな大学病院だから、な。
なんだかんだしているうちに、18時になってしまった。
父親が夕飯を食べたのか心配だ。
急いで実家に向かった。
父親は、白飯だけを食べたようだった。
うーん。
折角、妹が作ったおかず、みそ汁、煮物には全く手を付けていなかった。
大丈夫か?????
ダメだろうな。
困ったな。
沈みそう。
仙台に来た時によく行く居酒屋に寄った。
初ガツオ、ホヤ刺し、ハナワサビのお浸し、で、日本酒を2合。
適当に酔っぱらって、さけ茶漬けを食べた。
疲れてはいるが、酒の力で気分は良くなった。
明日も頑張れるかな。

なかなか寝つけなかった。
朝飯のために買っていたおにぎりを夜中に食べてしまう。
まずいな。
掃除の音、街の騒音、車の音、静かになったな、と、気がついた時には、14時を過ぎていた。
やってしまった。
3月8日と9日と同じだ。
明日は母親を大学病院に連れて行かなければならない。
ひたすら、休むことにした。
ゆっくりとホテルを出る。
夕方、仙台に着くように新幹線を予約したのだが、昼過ぎの列車に替えてもらった。
新幹線に乗って、ビールを飲みながら、家元の落語をiPodで聴く。
久しぶりに列車に乗った。揺れる。
わずかに2時間なのだが、思いの外疲れた。
モバイルSuicaで駅弁を買う。
ホテルにチェックインして休憩後、実家に出かけた。
母親は、テレビ電話の時よりはだいぶ動けるようになっていた。
お腹が空いた、と言う。
食欲があることは、なによりだ。
3つ買って行った駅弁を、3人で取り分けて食べた。
後片づけをした後、眠くなってきた。
予想通り、疲れている。
20時過ぎ、妹が来てくれた。
入院のための準備、書類の確認、をする。
妹は、明日以降の食事の準備をしてくれた。
温めればいいように、煮物やみそ汁を作っていた。
22時前、妹と2人でタクシーで移動した。
明日、ちゃんと起きられればいいのだが...

午前中、昨日作ったCD-Rを事務にあずけに行った。
昼過ぎから移動である。

実は、26日は、相模大野に行って、家元の独演会を聴くのであった。
うひひっ
この位の楽しみがないと、やってられない。
いいでしょっ、ねっ

相模大野に行くまでが大変。
ちょうど、夕方の通勤ラッシュに当たった。
乗換案内に従って行ったのだが、下北沢で乗り換える際、出口を間違えて時間をロス。
さらに、相模大野に着いてから、会場まで迷ってしまった。
前に行くグリーンのジャンバーを着た男性の後に付いて行ったのだが...何しろ、家元のファンらしいニオイがしたもの!
ただ、あたしは途中でコンビニによって、おにいちゃんに道を聞いた。
開演10分前に到着。
やがて、グリーンのジャンバーを持った男性が隣に座った!
やっぱり当たった。
それはそれとして。
前座が出てきた。若い弟子がいるのだな〜、とりあえず、いいな〜、と、思った。
家元は、相変わらず。
ただ、年齢にはかなわないのだろう、出足はちょっとテンションが低い。
家元の最初の話は、与太郎話の大工調べ。
休憩後、パントマイムの松元ヒロが出てきた。
家元の次の話は、金玉医者。
なかなか凄い。
最後は、闘牛場のレストランのジョーク。
いやー、良かった。
一期一会なんだっ、と、叫んでいた。
そうね〜、できるだけ、サボって、家元を聴きに来ないといけないな。

夜、マッサージを頼んだ。
左の腰が痛み出していた。
思いの外、両肩が凄い状態だった。
股関節がずれたのか、両足も凄かった。
マッサージをしてもらって、だいぶ良くなった。
これで、明日から、大丈夫、かな。

何時寝たのか判らない。
珍しく9時に起きた。
科研の中間報告書の仕上げをして、昼寝。
夕方、また中間報告書の最終的な仕上げをして、CD-Rにデータを保存した。
また、行きつけの居酒屋に行って食事をした。
明日からの元気は十分かな。
昨日の作業の余波か、あるいは、両親を心配した所為か、寝つけなかった。
昼前に起きた。
今日は、妹が実家に行っているはずだ。
14時過ぎ、妹の携帯電話にテレビ電話をかけた。
甥っ子(長男)も来ていて、入院のための準備を手伝ってくれたようだ。
車によったらしく、寝ていた。
父親は相変わらず、座って新聞を読んでいる。
母親は、寝ていた。
手足が動かないという。
半身を起こしてもらっていた。
言葉は明瞭、きちんと話ができた。
パーキンソン病のステージ5、かもしれない。
30分程の通話だった。
テレビ電話を真面目に使ったのは初めてだった。
講義のネタとして、デモンストレーション...1人で2台持っているから...したことはある。
なかなか便利かも。
...電話会社に騙されているのかも。

午後、科研の中間報告書の仕上げをした。
夕方、行きつけの居酒屋に行って食事をした。
居酒屋の大将によれば、酷い状態、らしい。
来週からのことを考えれば、沈んでしまう。
悲しい状態になったらどうしよう、と、考えてしまう。
3月8日と9日のように、ホテルで寝込んでしまうかもしれない。
考えないようにしてみよう、か、な。

眠れなかった。
結局、2度寝して、昼過ぎに起き出した。
暗い歌を作る。
午前中、妹からメールで連絡があった。大学病院に母親を連れて行くという。

今日は、IT利用室の機器導入に関して、最終打合せがある。
先の打合せどおり、仕上がっているのかどうか、確認する必要があった。
あり難いことに、あるいは、予想通り、若いSEはきちんと仕事をしてくれた。

問題は、この後だった。
Mac OS X用のウィルス定義ファイルの更新作業に手を付けてしまった。
1つのサーバにシステム起動用ハードディスクと緊急起動用ハードディスクがあるので、1台につき2回導入作業が必要になる場合がある。台数は14台。
さらに、1つのサーバを設置している部屋には、4月から異動してくる方がいらっしゃる。そのためにサーバ2台を移動させなければならない。2台分の移動スペースがない。とりあえず、1台だけ移動させることにした。
ウィルス定義ファイルを更新しながら、サーバを移動させた。
だんだんと、気が遠くなるような気がした。
呼吸が荒くなる。
フラフラする。
ダメかと思った。

17時過ぎ、妹からメールが届いた。
結局、1日かかってしまったようだ。
大学病院の外来の診断によれば、薬を増やして様子を見て、来週、改めて検査入院することになったらしい。
父親に続いて、今度は母親が入院する。
困ったな。

沈み込みながら、あたしの仕事は、なんとか進められた。
タクシーで帰った。
行きつけの居酒屋によって、おいしいものを食べた。
幸い、少し、元気になった。

21日(水)は寝て暮らす。寝ていない時はテレビばかり見ていた。
22日の午前中、通院しようと思っていた。
なかなか寝つけなかった。
結局、午前中、どうしても起きることができなかった。
午後、光ファイリングシステムに関して、業者との打合せがあった。
どうにも、出ていけない。
断りのメールを送った。
が、返事が来ない。
ので、なんとかタクシーを飛ばして約束の時刻までには出て行った。

年休を取ることにした。
念のため金曜から、そして来週いっぱい。

打合せが終わった後、通院した。
来週は、母親の様子を見に仙台に行くことにしたので、いつもの日程では通院できないことがわかっていたから。母親は、パーキンソン病の所為か、どうにも動けず、ここのところずっと寝ているらしい。
担当医ではなかったが、薬だけ出してもらった。
家に帰って、横になった。
とりあえず、食欲はなかったが腹にいれた。
テレビばかり見てしまう。

昼前、妹から、メールが届いた。母親は足が動かず、救急車でかかり付けの個人病院に運ばれたらしい。往診を頼んだはずだが、その個人病院の院長は、場所が判らないと断ったようだった。
昼過ぎに不在着信があり、緊急のメールが来た。
母親は入院した方がよい、という診断だった。あたしに、すぐに来て欲しい、と、言うことだった。
妹ひとりでは不安なのだろう。
が、今のあたしでは、どうにもならない。出ていけないのだから。
通院後、自宅でインターネットを介して、宿の空室状況と航空機の空席状況を調べてみた。
すでに、来週の予定は組んであり、宿と航空機のチケットは手配してある。
今からその予定を変更するか、23日の午前中に移動して金曜の夜の1泊だけにするか。
それは、いくらなんでも、疲れてしまう。日曜日休んで、また移動だ。目に見えている。
妹は午後から仕事に出かけたのか、連絡が来ない。

夕方、仕事が終わった妹とようやく連絡が取れた。
個人病院ではどうにもならず、大学病院で検査する必要がある、と言うことだった。
さらに、家族で今後のことを話し合え、という指示だったらしい。
よほど酷いのだろう。
とは言え、あたしも酷い。
あたしの状態を説明して、妹に母親を大学病院の外来に連れていってもらうことにした。
あたしとしては助かった、の、だが、妹には大変な負担だろう。

眠れなかった。
昼過ぎに起きる。
今日は、IT利用室の機器導入に関して、納入業者との打合せがあった。
15時からに設定していて良かった。
とは言え、布団から出たのは1時間前、布団の中で伸びたり縮んだり、なかなか出て行けない。
タクシーで駆けつける。
事前にメールでやり取りしていたので、大筋は決まっていた、幸いだった。
若いSEが利用者制限について、いくつか提案してくれた。
いずれも、もっともである。
Cドライブを見せない、なるほど、ね。
ローカルドライブのファイルを検索させない、なるほど、ね。
でも、ローカルドライブだけを検索対象から外してもらいたいものだ。ネットワーク上のコンテンツやコンピュータは検索できた方がいいのだから。
どうやら、制限の方法は調べなければならないらしい。
調べるあてがあるのだろう、多分、きっと、恐らく。
任せることにした。
さて、IEのホームページは、どこにしようか、な。
はまちゃんに聞いてみようっと。

情けない。
また、腰痛になった。
寝過ぎたため、筋力が落ちた所為だろう。
操体法を駆使してとにかく動く。
夕方、とりあえず、大学にでていってみた。
科研の報告書の準備をしなければならない。
左足を引きずっている。
...会議はさぼってしまった...また、優先順位が逆になった...

フラフラと、映画を観に行った。
「叫び」
難しい、な。

一日中、家に居た。
13日の夕方、寝ていたら、また、悲しくなった。
夜中に炭水化物を食べる。炭水化物依存だ。
14日、会議があったはずだ。
出て行けなかった。
14日の夕方、学外で仕事があった。
ここで出て行かないと、もう2度と出て行かないと思った。
仕事の優先順位はともかく、学外の仕事には出て行くことにした。
...これで、いよいよ、本務は首だな。
頭が働かなかった。受講生の質問に、適切に回答したとは思えない。
頭の良い受講生は、その答えで回答に臨んでくれた。あり難い。
14日の夜中、なかなか寝つけなかった。
大事な日だった、はずだ。
どうにも、起き上がれなかった。
2度寝する前に、ごめんなさいメールを委員長に送った。
某消費者金融のCMでは、大人のマナーではない、のだが...
昼、テレビを見た。すぐに眠くなった。
過眠だ。
1日、家に居た。
今日は、全員参加の入試の日だった。
首を切られるかもしれない。
なかなか眠れなかった。
2度寝して9時過ぎに起き出す。荷物をまとめて、移動。実家に寄って挨拶し、空港に向かう。
母親の動きが悪い。パーキンソン病の薬が効いていないようだ。
これまで、家の中ならば比較的自由に動き回っていたのだが、立って移動できない。
今は、はい回っている。
あぁ、次は母親か。

妹からメールが届き、親父は来週の火曜には退院できるらしい、とのこと。
治療らしいことは何もしていない。
単に、これまで使っていた薬を一時的に点滴を使って多量に投入しただけだ、と思う。
空港で、ビールを飲んだ。
喫煙所で煙草を吸う。
飛行機の中ではiPodで家元の落語を聞いた。
あまり笑えない。
...もちろん、1人だけニヤニヤしているのは変だが。
空港からタクシーで家に移動。少し休む。
夕方、近所の居酒屋に向かう。
日本酒を4杯ほど飲む。
脱税して、追徴金を毎月600万円払っている人、の、話で盛り上がる。
自宅まで歩いた。フラフラだ。

歩いている途中、なんとも悲しくなった。
否、悲しい、としか、言語化できないような状態になった。
動けなくなった。道端にうずくまる。
この先、どうなるのだろう。
親父が死んだ時は、どうなるのだろう。
いや、あたしが死んだ時は、どうなるのだろう。
このまま死んでしまうのだろうか。
父親は子どもであるあたしに介助されているのだが、子どものいないあたしはどうなるのだろうか。
惨めな人生だ、と思った。
このまま死にたくなった。
死んでしまおうか、と、思った。
涙が出てきた。

悔しかった。このまま、人生を終えてしまうことが、ものすごく、悔しかった。
こん畜生、と、叫んでみた。
ちくしょう、ちくしょう、こん畜生...*
立ち上がれた。
家まで戻れた。
そのまま寝た。

波が、来た。
この2日間、ホテルでじっとしていた。
...このホテルは、あり難い。ほったらかしにしてくれた。掃除の音、窓の外の車の音、雑踏、は、うるさかったのだが。
ダメかと思った。
やはり、無謀だった。
でもな〜
心配だしな〜

コーヒーを飲んで、煙草を吸った。
テレビを見た。
普段見ることのない番組だった。
暗くなって、コンビニに買い物に出かける。
何か食べなければならない、と、いう意識はある、幸いなことに。
10日はなんとかなるかな。
とりあえず、寝る。

なんだかよくわからないのだが、どうにも、疲れてしまった。
気がついたら、昼過ぎだった...会議が終わっていた...
その後も起きる気がしない。
あ〜ぁ
また、戻ってしまったか。

とりあえず、ゆっくりしよう、と、思って、二度寝する。
と、17:30から、学外で打合せがあることを知らせるメールが届く...やばい。
土曜日と同じ格好をして出かける。
なんとかこなせた。
ふぅ〜

仙台に来ている。
2007年1月3日に亡くなったH谷先生を語る会が夕方から開催された。
その前に、研究会があった。
久しぶりに、仲間たちに会った。
これまでの体調を考えると、とても出ていけないかもしれない、と、とてもとても不安だったのだが...

3月2日(金)
実際、出て行くまで、大変だった。
午前中に起きたのではあるが、どうにもならずに二度寝。昼過ぎに起き出す。
...二度寝の前にアナフラニール10mg錠を服用。
とりあえず、一服。
カップ麺を食べてみる。
椅子から立ち上がろうとしたら、腰がガックリ、ぎっくり腰だ。
ゆっくり、元に戻す...と言っても、痛みは残っている。やばいな〜
気がつくと、出発時刻の2時間前。バタバタとパッキング。タクシーで空港へ。
乗ってしまえばこっちのものだ。
夕方、仙台市内に入る。チェックイン後、友人たちと食事。
腰が痛い。
湿布薬を購入。ホテルではマッサージを頼んだ。
久々に入浴。

3月3日(土)
8時過ぎ、ゆっくり起き出す。アナフラニール10mg錠を服用。
煙草を3本吸う。
食欲はない。部屋でゆっくりする。
身支度をして、10時過ぎにホテルを出る。
買い物して、蕎麦を食す。
腰は相変わらず、だが、動けるならば多少は動かないといけないと思い、研究会会場まで30分ほど歩いた。
研究会では、院生さんたちが3人、仲間たちが2人、発表した。
なかなか面白い。
来て良かったな〜、と、思う。

で、18時から語る会。
出発前日の3月1日、「思い出語りの拠り所」に手持ちの資料を持ってきてくれ、という連絡のハガキが届いた。
おいおい、前日かよ、資料、何を持って行けばいいのだろう〜、と、悩んだ。
そもそも、家も職場も片づけができなくなって、探せ出せないのだもの。
残念だな〜、と、思っていたのだが、見つけた。

H谷先生たちが創った極地方式研究会の名作テキスト「世界の気候」だ。
あたしが中学1年生の時の担任で、その後、ずっと理科を担当してくださったT先生の授業で配布されたものだ。
当時、妙な授業だなぁ、と、思っていたのだが、正直、面白かった。
その後、大学に入って、3年生の時の専門の授業で、そのテキストの内容が授業で出てきて驚いた。
なんと、講義しているH谷先生たちが創ったもの、だったのだな。
これだけは、すぐにわかるところに置いてあるのだった。
語る会では、司会者に指名された順に、「思い出」を語った。
あたしも指名された。
当然、中学の理科を担当してくださったT先生のこと、習った「世界の気候」に大学の授業で再会したこと、今の研究会のこと、新しく学会を立ち上げたこと、そして、議論をしている仲間たちの言葉の端々にH谷先生がちらちらと見えること、その議論にあたしが加われることの幸せ、を、語った。
泣きそうになった。
やばいな〜
今夜は、いつになく眠れないかも...

通院の日。
どうにも元気が出ないこと、を話す。
今、何か、抱えている仕事、うまく行かないこと、悩み、について聞かれた、が、心当たりがない。
医者も困っていた。
かつて「ハイ」になったことがあるアモキサンの処方が候補に上がった。
しかぁ〜し。
2002年に服用を止めている。とても「ハイ」になったからだった。
今回も、薬で引き上げる事は必要なのだろうが、上がり過ぎる方が危険だ。
個人的にも上がり過ぎるのは困る。
で、まぁ、アナフラニール錠10mgが処方された。
ハイパー薬事典によると、
成分(一般名):塩酸クロミプラミン
区分:神経系用剤(含む別用途)/イミプラミン系/うつ病・うつ状態治療剤
で、
脳内の神経伝達物質であるノルアドレナリンやセロトニンの量を増やし、神経の働きをよくします。ノルアドレナリンの増加は「意欲」を高め、セロトニンの増加は不安感をやわらげ「気分」を楽にするといわれます。
と言うことらしい。アモキサンと同様、第一世代の三環系抗うつ薬だ。
...副作用が強そうだ、な。
これまでに見たことのない「三角形」の錠剤。
朝一番に服用してみよう。

あっという間に、ひと月が過ぎている。
久しぶりに、ものすごぉ〜く、低調だった。
薬は効いているのかしらん...

まず、1月末からの炭水化物依存。
寝る前に、カップ麺を食す。
明日のために買った食料を夜中に食べてしまう。
翌日は食欲がないし、体重が増えるし、血圧も上がる。
週末は、万年床でダラダラ、時々起きてタバコを吸ってテレビを見て過ごす。
吸い殻を数えてみたら、一日で35本以上吸っていた。まずいな。
たまに仕事に出ていくと、ミョーに暑かったり寒かったり、気温に適応できない。
「気分が悪い」というのが、このことなのだろう、何も食べていないのに、消化器官が暴れる。
初めて「気分が悪い」状態を自覚した。
頭痛も時々。

片づけは相変わらずできないし、ものをなくす。
シャワーすら浴びる気になれない。
外で仕事がある時だけ、適当に洗って、ヒゲを剃る。
自分では気づかないが、体臭・口臭...タバコ臭...がひどいと思う。
洗濯もできない。実際、洗濯機がやってくれるのだけど。
着るものがなくなって、慌てて夜中に洗濯機を動かす。
...靴下、左右で色の違うやつをはいて出ていったこともありましたっ
会議はさぼるし、打ち合わせは忘れるし、さんざん。
ほんと、皆さん、ごめんなさい。

でもね〜、なんだかわからないけど、つらいのだよね〜
さ、出て行くぞっ、と、思っても、布団の中で、丸くなって、動けないことがしばしば。
ひたすら、じっとしている。
これが、漠然とした不安、なのかもしれない。
単なる疲れ、なのかもしれない。
なんとも、仕方がない。
ずっと寝ていたら、腰痛になった。
同じ姿勢で寝ているし、筋肉も衰えたのだろう。
とは言え、整形外科に行く気にはなれない。
湿布と操体法で治めた。

ひたすら、録画しておいたドラマを見る。
元気なるはずの番組を見ても、これまでのように元気にはならなかった。
某大学の備品のノートパソコンにコーヒーをぶちまけてしまったこともあった。
キーボードの「ぬ」のところに「根性焼き」作ってしまったパソコンだ。
さすがにキーボードがいかれた。
「コロン:」が入力できなくなっていた。
あたしは平仮名キーを拾って入力するので、「け」も入力できなくなる。
あたたっ
仕事では、「コンピュータの周りでは飲食厳禁」なんて言っているのに。

2月中旬は、夜中に炭水化物を食べてしまうので、買い置きをやめた。
睡眠儀式を早めた。
エバミール10mg+時々ラボナ10mgはなかなかよい。
午前中は、相変わらずコーヒーを飲みながらタバコを吸ってダラダラ、ではあるが、とりあえず、寝込むことはなくなる。
ただし、食欲がない。
胃がくぅくぅなるのだが、買い物に行く気になれず、ひたすらタバコを吸う。
気がついたら、体重が3Kg程減った。
そういえば、クラクラする。

2月は、口述試験のオンパレード。
毎年、確かに疲れる。
自分に関係する院生・学生がいると、なおさら。
特に今年の入試では、自分のことのように、ドキドキした。
なんだろうね〜

2月は、2回通院した。
睡眠儀式を早めたり、夜中に食べなくなったのは、医者の指示もあったからだが...
SSRIパキシルの量が、増えた。一日、10mgを3錠服用。
果たして、効いているのだろうか...

鎮静剤リスパダール*0.5mlの処遇に困る。
何しろ、一つしかないのだから、いつ、服用するか?
結局、ずうっ〜と、服用しないまま、週末を迎える。
1/19、20、21は、眠剤三種盛り(エバミール20mg、ラボナ10mg、ドラール15mg)で、翌日に残る...切れが悪いのはドラールだろうが...
フラフラしながら、ノートパソコンで、サーバの状態を確認、メールチェック。
そんな状態だから、気がつくと、キーボードの「ぬ」の下に煙草の灰...火が残っている...が落ちているのに気付いた時には、時既に遅し、「根性焼き」を作ってしまった。
出資者にメールすると、一言、「煙草やめたら?」
そうなんだけどね〜

1/23は、S学院での試験監督。これまたギリギリに出て行く。
このところ、タクシーばかり利用している。
高速でぶっ飛ばす。
なぜか、ドキドキする。答案用紙等を数える手が震える。
みんな、ちゃんと書いてくれよぉ〜

1/24は、会議の日。
2つ目の会議は、事実上、あたしの仕事を増やすことの確認に終始した。
疲れたのと、S谷先生の愚痴を聞くため、久々に例の店にもつ鍋を食しに出かける。
ものすごく混んでいた。予約していなかったのだが、店の好意で一つだけテーブルを空けてもらう。
店の人曰く、「事前に連絡してください、量が半端じゃないのだから...」
ゲヘっ、すんません。
3回目に豆腐を入れ、チャンポン玉まで完食、少なくとも、あたしは元気になった。

1/25は、論文のレジメの締め切りを控えた指導生どもに付き合って遅くなる。
...といっても、1人には1/24中に提出させた。1/25にバタバタしたくないからだ。
あたしは、てっきり、17時締切だと思い込んでいたが、21時30分だった。
17時ギリギリに1人が来る。もう1人は13時過ぎに来て、研究室の隅でなにやらやっていた。
研究室では、授業プランの構成で盛り上がっている。
どんな発問をどの順番で提示したら、学習者が「気付くのか」といった高度な問題を考えている。
この作業は、とても楽しい。ずっと続いてもらいたいくらいだ。

さて、17時ギリギリに着た指導生は、すんなり提出してしまった。
残りは1人。
彼が問題だ。
「某Wordリテラシー」「某I太郎リテラシー」がない。ない、というよりも、あるはずなのにパニック**で思うように操作できないみたいだった。
仕方ないので、手を出すことにした。
あたしだって、早く帰りたいのだし。

休憩時間に廊下に出ると、廊下が凄い臭い。
聞くと、キムチとモツで鍋をしているらしい。
電熱式の鍋だ。
ちらっと、ブレーカのことが気になった。
21時30分過ぎ、レジメの提出が遅れそうだと、謝りに行った、ら、なんと、その部屋のブレーカが落ちていた。
こらこら、電熱器、何台使ったんだぁ〜
この職場は、セコイし古いので、数部屋をまとめて15Aのブレーカをつけている。
レジメを提出する部屋のコンピュータがすっかり死んでいた。
廊下にある配電盤を見て、ブレーカを元に戻す。
窓達は大丈夫なのかな〜

すったもんだで、レジメは無事に提出。
車で送ってもらって、久々に近所の居酒屋に出かける。
ここの大将と話すにはとてもエネルギーを使う。
遅かったので、客はあたしだけ。
「頭がよい」というのはどういうことか?
「天は二物を与えず」、「一芸に秀でれば、他の分野ではバカなのか?」
難しい問題を与えてくれる。
さて、皆さんはどう考える?

大将たちは、兄弟弟子たちと月ごとに「勉強会」を開いているらしい。
それぞれが「アドバイザー」が居るらしい。
もちろん、ここの大将のアドバイザーは、あたしだ。
で、「あんたんとこのアドバイザーは何ものだ?」と、いうことになったらしい。
大将は「何でも屋さんだ」と答えているらしい。確かに、そうかな。
失敗授業後始末研究会会長だものね〜
ようするに、弟子たちにどんな具合に教えたらいいのだろう?ということが問題なのだな。
一つには、「味の絶対的基準による記憶」と、独特の言葉の一般化、だろう。
大将のところで働いてるTちゃんの作るみそ汁と大将の作るそれは、Tちゃんでもわかるくらい味が違うらしい。材料もその量も順番も同じにも関わらず。
とは言え、それぞれの材料の量が違っているはずだ。「塩一つまみ」だって、量が異なる。
鍋に入れる「出し汁」だって、厳密に計量カップで計っている訳ではない。
...そんなもので計っていたら、時間がかかって仕方がない。
大将の持論は、1品7分、五品で35分、なのだ。それで客の様子を見る、らしい。
例えば、三品目で酒を飲み始めたら、その後の料理はゆっくり作ってで良い。
どんどん進むのならば、追加注文が来るはずだ。
7分以内で料理を作らなければならない。
計量カップでなんて、計っていられない。
お玉で擦り切り1杯、といった計り方もあるらしい。
が、擦り切りというのがくせ者だろう。
傾いたら、量が異なる。

Tちゃんは、適切属性に気付いていないのだろうな。
大将は、適切属性を言葉にできないのだろうな。
あたしの出番である。
とは言え、調理場に口を出したことはない。
今度、Tちゃんのみそ汁と大将のそれとの「味見」をすることになった。
煙草で舌がいい加減になっているのだけども...禁煙かな。

問題は、1/25の夜だった。
ドタバタしたので、眠れない。
眠剤三種盛りしたが、どうにも眠れない。リスパダール0.5mlのチカラを借りることにした。
さすがにすぐに効いてきて、寝たのだが、途中覚醒。
三種盛りが後から効いてきて、1/26は午前中、ずっと寝ていた。

調子が悪いのだろう。
なかなか、家から出ていけない。
それに、シャワーを浴びることも億劫だ。
1/24のアリシン臭を保ったまま、最後の授業に出かける。
煙草は、どうも、1日に1箱以上吸っているみたいだ...今度、数えてみよう。
三種類の煙草を次々と吸っているから、何本吸っているのか、よくわからない。

ちなみに、ここまで書くのに、7本吸っている。
ニコチン0.8mgを7本吸うのならば、思い切って、15mgに替えようか?
ダメだろうなぁ〜
吸う行為に執着しているようなので。

1/27は、各種ホームページに細工をした。
これから、続きをしてみよう。
...あれ、採点は、いつするのだ?

電子シラバスシステムの入力項目について、注文があった。
ホームページ作成を外部に委託すれば、最低100万が相場だろう。
まして、特別にあつらえたシステムならば、最低でも400万はするはずだ。
指導生の院生が作成したし、あたしの研究の一部だろう、と言われればそれまでだが、実際に利用しているのだから、それなりにわかってもらいたいものだ。
1/18は、通院の日だったので、ついでにこの話を担当医にした。
IT関係の患者の苦しみが理解して貰えることを狙ったのだけど、ね。

で、だ。
もっとも大変なのは、仕様変更とそれにともなう改変作業なのだよね〜
銀行系で困るのは、新規システムに入れ替えたとき。
あるいは、仕様変更でちびつと直したとき。
大抵、ATMが利用できないという場合は、こんな作業が終わった次の日だ。
他人の作ったシステムをいじくるのは、チョー大変なのである。

幸い、仕様作りには関わったから、それなりに直せるけどサ。
1日作業だぜ、簡単に言って欲しくないものだ。
で、20日の午後、とりあえず、新しい「仕様」に合わせた。
報告のメールを送った。
その返事がふるっている。
元に戻せっ、と、きたもんだ。
ぜぇっ〜ったいに、ヤだもぉ〜ん。
まだ、返事をしていない。
何しろ、めげたんだもん。
コンピュータ・ウィルスでもまき散らしたいくらいだ。
その前に、1週間、寝込んじまうかも。

論文の締切日。
なんで、あたしがドキドキしなければならないのだろうって言うくらいドキドキしましたっ

1/3に亡くなられたH谷先生もそうだったのかなぁ。
夕方、一服しながら、夜空を見上げると、そんなことを考えてしまう。

逆になるが、午前中は、久々の通院。
新しく処方された眠剤エバミールが効いていること、ただし、週末、眠剤の3点盛りでも眠れないことがある、と話した。
すると、鎮静剤が1回分だけ処方された。
どうやら、患者が暴れたときに利用されるヤツみたい。
キャー

1/5は演習があった。
疲れた。
1/6からの週末、連休は、風邪のせいか、ぐったり。
...それでも、某学会の会員管理システムは完成させた...

1/9は打合せのために出かけようとしたが、急激に腹痛で約束の時刻を1時間ずらしてもらった。
下腹部が刺すように痛い。ようするに便秘なのだろうけど、とてもとても苦しい。
これを1/10も引きずってしまい...10日は頭痛も加わった...会議をサボる。
11日、12日の授業もフラフラしていた。
そして、13日、14日の土日も寝て過ごす。
1/15は、半日かけて、「統計値」の計算、16日の会議に間に合うか?
事務方には迷惑をかけてしまったが、なんとか、15日の午後には書類をメールで送った。
で、16日が会議。t検定について、
「我々は普通、両側検定をするのだが、なぜ、片側検定がしていされているのか?」
という、お間抜けな質問が某学部から出てきた。何が普通なの〜
数学を専門とされていると思われる先生が苦笑、
「絶対にAの方がBよりもその平均値が大きいのだ、という確信があれば...」
と、お答えになる。すかさず、
「要するに、統計的仮説をどのように考えるか、ということですね?」
と、発言したのだが、どの程度の委員がわかったのだろうか?
教員がこのような具合だ、まして、学生・院生はどうなっているのだろうか、かなり不安。
ちなみに、最初の発言は、理系学部の代表からでましたっ<

全く、どうしたもんだろう。
すったぁ、もんだぁ、でありましたっ
年末は、A先生の集中講義。指導生たちが頑張ってくれたので、そうとう楽だったが、やはり疲れましたっ
A先生のお話は、そうとう役立ったみたいだ。
A先生、ありがとうございましたっ

後始末もそこそこに、仙台に向かう。
今回も父親に説教、パーキンソン病がひどくなった母親の様子見。
買い物やら掃除やら。
1/2は、妹と甥っ子ども2人をいじくる、予定だったが、いじくられた。
やんちゃな弟は、足をくじいたとのこと。久々に、かつての「技」を使ってみる。
陸上部に所属していたときに、捻挫に対して行った「運動の指導」である...口が裂けたら痛いが、金を取ったら手が後ろに回る...決して、治療ではない。
患部と同じ場所を指圧で刺激、痛みを感ずるまで実行、後は、米粒を1日貼り付ける、それだけ。
翌日、妹からメールが届き、弟は朝一番「痛くないっ」と叫んだそうだ。
まだまだ、やれるな。

久々に「ばば抜き」をやった。
面白いもので、ジョーカーが手元に来ると、弟はすぐに反応する。小学2年生では、「騙す」ことは無理なのかな〜

この間、ずぅ〜っと、禁煙していたのだが、コンビニにトランプを買いに行った時、宮城県限定発売のキャメルメンソールナッティティストが目に付いてしまって、ライターとともに購入、帰り道に吸ってしまう。これがニコ中というやつか。

1/4に福岡に戻ったが、すぅ〜っかり、元の生活に戻ってしまった。
喫煙量激増。

既に書いたが、1/3に先生を亡くした。
最後にお会いしたときは、ヒゲを蓄えていらっしゃった。
追悼のために、少なくとも、偲ぶ会までは、このままヒゲを伸ばす事にした...床屋で手入れはしてもらうけど。

H谷先生の訃報を聞く。

あたしを極地方式研究会のテキスト、名作「世界の気候」、そして、「地質学への第一歩」を使って、教えてくれた中学の理科のT先生は既に亡くなっている...確か、今のあたしと同じくらいの年齢だったはずだ。
そして、大学・大学院と、極地方式の神髄に触れさせてくださったH谷先生が、今日、亡くなられた。
とても痛い。

卒業論文を「横から」入れてくださった...わかる人だけわかったくださいな。
博士課程後期2年の時、どこに掲示されたのか、わからなかった「公募の掲示」を探してくださった。
助手の時、情報教育に関して「事実を持っている」という事だけで、あたしを情報処理教育研究集会の「基調講演者」に推薦してくださった。
パズルの話、学部長時代の「マニュアル作り」、楽しげに語ってくださった。

そう、「この人...あたしのこと...は、比較的よく、わたしの話したことを実行している」と、おっしゃっていたっけ。
あたしは、結局、H谷先生の行動を「真似ること」、そして、それによって、外延を拡げること、に、終始しているに過ぎないのだ、な。
そんな指導者・研究者が、1人くらい居てもいいと思っている。
だから、研究者としては二流なんだろうし、一流ではなくても良いとも考える。
少なくとも、「高いレベルの科学...最近は社会科学や人文科学だが...」を、あたし自身がやさしく教えるだけでなく、学習者に教えられるような学生・院生を育てているつもりだし。

何とも、嫌な日だ。

確か、会議があったはず、気付いたら、終わっていた、コトが2回。
うー、授業があるぅ〜、で、遅刻していった、コトが4回。
なんだよ、眠剤飲んだのに、眠くならねぇぞぉ〜、が、ほとんど毎日。
ハンカチを持っていけば、眼鏡を忘れる。眼鏡とハンカチを持ったら、時計を忘れる。
そんな毎日が積み重なって、2週間が過ぎてしまった。

12月21日(木)は、通院の日。
いつものようにギリギリに到着。この日、実は寝ていなくて、行こうと思えば9時過ぎにでも行けたのだけれども、なんだかメールに返事をしていたら、いつもの時刻になっていた。
睡眠障害について相談。
ただし、これまで試してきた眠剤は数知れずって、数えていないが、なにがしか、問題があった。
結局、試したことのないエバミール10mgを採用。
第1段階がこのエバミール。
第2段階がこれまで使っていたドラール。
第3段階に、これも使っていたラボナ。
で、21日、木曜の夜は...研究室の忘年会でトリのハリハリ鍋奉行補佐をして、小学校1年生の相手をして(久しぶりに、目玉を左右別々に動かして見せたし、耳まで動かしちまった)、前の晩寝てなかったので、多分、エバミールも効いて(いや、効いてないかも)、久しぶりによく寝た。
寝過ぎたくらいだ。
何しろ、午後の授業が始まる2時間前まで寝ていたのだし。
それでも遅刻するし...
受講生の皆さま、ごめんなさい。

で、実は、昨夜、22日の夜も眠れなくて、うとうとし始めたのが朝の8時過ぎ。
エバミールにドラールにラボナの3種盛り眠剤だったのに。
それでも、11時に起きて、天神にお買い物。
来週から、非常勤講師の先生をお迎えする。お茶にコーヒー、紅茶、菓子類を買う。
ついでに、丸善とビックカメラで久々に遊んだ。
ビックカメラでは、iPodに使っているSニー製のイヤホンのパッドを買った。
よくなくすのだな。
で、パッドだけ売っているのだけれども、何故か、S、M、Lの3種類一組なのだよ。
あたしはMだけでいいのに。
不必要なSとLの組がまた増えた。
いったい、どんな販売戦略なんだろう、な。

今日は、ゆっくり眠りたいものだ。
3種盛りにしてみようかな。
10000歩以上歩いたから、眠剤の効果は確認できないな。

12/8、気がついたら、14時だった。打合せの時刻は既に過ぎている。授業開始時刻で間が無い。
ここ数週間、睡眠障害に悩まされている。
眠れないのだな。寝るのは明け方で、結局、12時間近く寝てしまう。眠剤の切れが悪い。
で、どうにも身体が動かない。
コーヒーを飲みながら、ニコチンを吸収してみるが、如何ともしがたい虚脱感はそのまま。

泣きっ面に蜂。
ハードディスクが2台同時に壊れた。
バックアップは最低2ヶ所、2つのハードディスクが同時に壊れることはない、と、常々自慢気に話していたのだが、困った。
自宅サーバ(各種サーバ...Web、mail、そしてphpやPerlの実験用)と代替サーバ...今は単なるバックアップマシン...の2台に内蔵ハードディスクで、頻繁にS.M.A.R.T(なんでも、Self-Minitoring analysys and Reporting Technology; 自己監視、分析、および報告テクノロジーと言うらしい)エラーがバシバシ出てくる。
このエラーが出るようになると、ハードディスクが不安定になり、アクセス不能になる、とか。
確かに、読み取りや書き込みでエラーが出てきていた。
で、手持ちのハードディスクにdittoコマンドでバックアップしてみると、2つ3つ読めないファイルが出てきた。
うーむ。
初期化してみたらどうだろう?
...鬱の時には、ろくなことを考えない。
0データを書き込んで不良セクターを潰した。が、ダメ。相変わらず、SMARTエラーは残ったままだった。
念のため、dittoコマンドで復元を試みたが、読めない書き込めないファイルが出てきて中断。
どうやら、SMARTエラーが出るようになったハードディスクは、交換以外に対処はないらしい。
12/9の夕方、頑張って電器屋に行き、400GBのハードディスクを購入、ついでに、120GBと80GBの内蔵ハードディスクを買ってきた。
このような部品は、インターネットを介して購入した方が安上がりなのだが、届くまでに時間がかかる。幸い、内蔵ハードディスクは、お目当てのものだったので、ちょっと安心。

まず、自宅サーバの内蔵ハードディスクを交換して、いざ、Mac OS X 10.3をCDから導入しようとしたら、CDから起動しないのだった。
そう、あたしは、「自己責任で」CD/DVDドライブを交換していて、さらには、CPUまで入れ替えていたのだった。
ドライブが異なるから、純正のCDからは起動しないのよね〜
幸い、自宅サーバでは、代替システム領域が生きていたので、そのデータを使って起動ディスクを作成することに成功。
システム領域は、12/3のが最新のバックアップファイルだった。ユーザー領域は、12/8のもの。
12/8のバックアップは、壊れたファイルを壊れたままバックアップしている可能性があるが、まぁこの領域のファイルは、他のコンピュータにも入っているから、とりあえずはいいことにする。
で、数時間後...実際には、12/8は結局1日倒れていたし...今年2回目の休講にしてしまった...、12/9に買い物をして、12/10に復元作業をしたのだが...一応、1週間前の状態には戻った。
ログファイルだけは、直前にとったバックアップから復元して、なんとか、動くようになった。

次は、代替サーバの番。こいつは、初代iMacボンダイブルーに、CPUカードをさしてFireWireを使えるようにしたもの、「自己責任で」
初代iMacには、8GBの壁、があって、システム領域はディスクの先頭から8GB未満の大きさのパーティションに導入しないと、認識してくれない。
で、自宅サーバを使ってパーティションを作り、こちらは、11月末のバックアップファイルから復元を図った、のだが、なんと、自宅サーバが動かなくなってしまった!

初代iMacの新しい内蔵ハードディスクをケースに入れてFireWire接続していたのだが、自宅サーバは転送スピード400 Mb/秒、このケースは転送スピードが800Mb/秒、どうも、この齟齬が問題だったのだと思う。ちなみにバックアップファイルが入っているハードディスクは転送スピード400 Mb/秒であった。
自宅サーバの基盤に取り付けられているFireWire機器が認識されたりされなかったり。
デバイスドライバーが壊れてしまった可能性がある。ハード的にやられたかも...
ので、とりあえず、自宅サーバは、また、初期化からやり直し。とほほぉ〜

12/12は、某S学院の非常勤だったが、遅刻ギリギリにタクシーを吹っ飛ばして行った。
その後、一応、自宅サーバは回復。
その代わり、12/13の会議は、全て終わった時刻に起きる破目になった。とほほぉ〜

で、代替サーバの内蔵ハードディスクの復元だ。
今度は自宅サーバを使わず、MacBook Proを使って、ケースの転送スピードを400に揃えて作業を行う。
ユーザー領域の名前を変更したので、ログインしてからいろいろと細かな調整は必要だったが、なんとか動いているようだ...今は、反応がないけど。

問題は、交換したSMARTエラーが出るハードディスクだ。
U田くんにあげようかな。
それとも、ばらして、教材にしようかな。

そうそう、自宅サーバを回復させた直後から、このブログにはスパムトラックバックが鬼のように押し寄せ始めた。
あー、面倒くさい。

やばい。
眠れない。
11/26は KT Tunstall* の日。
取りためていた「剣客商売73」をHDDからDVDに落とした。
時代劇三昧の日でもあった。
11/27は Tristan Prettyman** の日。
延々、流し続けて、ドラール15mgにラボナ10mgも服用したけど、眠れない。
やばいな〜
10時から全学の会議なんだよな〜
遅刻して行ければまだいいほうだな〜
起きたら終わっていた***、では、すまないしな〜
睡眠障害、と、呼んでもいいのかな〜

朝、4時35分に起きた。
珍しく、ケータイの目覚まし機能で、ちゃんと、起きた。
今日は、長崎で某地方学会があり、午前中の分科会の司会をしなければならない。
遅くとも9時までには、会場に到着しなければならない。
で、6時30分過ぎの電車に乗ることになった。

たたき起こし役とお守り役(禁煙の監視役)には、Midwife Jeimieを頼んだ。
勿論、行き帰りの電車の中で研究打合せをするため。
12/2に某看護科学学会が神戸で開かれる。この日は社会人特別選抜の口述試験があるので、共同研究者であるあたしは行けない。だから、綿密な打合せが必要なのだ、な。
というのも...

司会の担当は、9:30〜12:00、「教育方法・内容」分科会だった。
関係者がほとんどで、まるで、院生の論文指導をしているようだった。
まったくもって、配布資料を読み上げるのは止めてもらいたいものだ。
かといって、PPの内容をそのまま印刷したものを資料にするのは最低だ。
それにしても、教育方法学は甘く見られている。
やたらと、実践すればよい、訳ではない。
もう一人の司会者は、教育工学会でよみ見かける方だし、教育学的な見方も教育工学的な見方もできる方だ。
穏やかな方、だから、あたしとしては、(得意中の得意)「ラディカル」を演ずる。
「今の質問は、○○について聞いているのだから、○○について答えてください」
と、言うのはまだ良い方だ。
中学生の発達段階に合わせたそうなので、「何段階あるのか」と当然聞きたくなる。
予想通り、学年と答えた。ならば、最初から学年と表現するべきだし、学習段階の方が適切だ。
メディア・リテラシーを取り上げて、メディアの分類が甘い。
もう少しで、講義するところだった。
コミュニケーション理論にも疎い。
マスメディアはマスコミュニケーションを支える物理的なメディアだ。単に一方通行のメディアではない。視聴者は解釈する。そう、解釈、これも立派なコミュニケーションと考えなければならない。
Web Based Learningは、単にメディアをマルチにして、ハイパーリンクを作ればよいと考えている。
長崎大学でよくそのような発表ができるものだ。
かつて、先進的なNIGHTシステムが開発されたところだというのに。
もちろん、NIGHTは遠隔教育システムだから、そのままでは利用できない、が、極めて斬新、参考にしない方がおかしい。
eラーニングにしても、長続きする受講生と、しない(途中で諦める)受講生がいる...あたしは絶対に後者...お守り役Midwife Jeimieは絶対に前者。
それを単純に「動機付け」の問題にしている。
そのように問題にしてもいいのだが、そもそも「外発的動機付け」と「内発的動機付け」の具体例がことごとく違っている。内発的動機付けの例としてあげたのは、全て外発的動機付けだった。
さらに、外発的動機付けはいつでも悪玉だ。
総合的な学習に関しては、評価、が問題...ま、単に、目的・目標が決められないだけなんだろうけど。
ポートフォリオは「真正」な評価なんだそうだ。
もちろん「真正でない評価は何か」と問うた。
予想通り、パフォーマンステストを挙げてくれた。
そんなもん、測定値の1つなんだから、用いる目的次第で「真正」になるだろうが。
クロンバック先生を引き合いに出したが、通じていたのかは不明。

あ〜あ、疲れる。
発表で疲れた後は、総括討論だ。あたしの出番である。
とりあえず、三つのテーマを提示(整理)した。
あたしの知る限り、このような総括討論はなかったはず。
大体の司会者は、フロアに「投げてしまう」のだな〜
司会者としては、ラクだが、無責任だと考えてしまう。

司会者の特権、整理した三つのテーマに関して、関係する発表者に意見を求めた。
...後でお守り役Midwife Jeimieに聞いてみたが、かなり適切な分類であったという。
そーだしょ?
発表された事柄は、かつて、あたしだって考えたことがあったことなのだもの。
で、また、こっちが掘った「落し穴」に落ちるような回答を用意するし。
さらにさらに、疲れる。

昼は、中華街で、肉まんを食しながら土産を購入、空席のあった店で瓶ビールを飲み、皿うどんと鳥の唐揚げ、春巻きを平らげる。朝から何も食していなかった、し。
駅前の喫茶店で、ようやく、12/2の打合せ。
そう、共同研究者としては、先の分科会の発表のような状態は避けたい、の、だ。
とりあえず、なかなかよさそうだった。
帰りの電車の中でも打合せを、と、思ったが、ビールが効いたか、すっかり寝てしまった。

福岡について、家路につく途中、いつもの居酒屋に寄った。
「顔色が良い」と、言われたのだが、はて、何でだろ。

今、仙台空港のビジネスラウンジでペプシコーラを飲みながら書いている。

朝から雨。
午前中、区役所に「非課税証明書」を取りに行った。
一応、27年住んでいた町だから、地理的な事情は知っている、のだが、荷物は重いし(みかけによらずディパックもキャスター付のバックも8kg〜10kgはある、そして、それらを軽々と持って見えるように行動してしまう、あたし)、雨だし、腰は痛いし...低気圧腰だな...ホテルを出て向かい側の路肩に駐車していたタクシーに乗った。
区役所に行きたい旨を伝えると、運転手は指を差して、あそこですよ、すぐ、と、とてもイヤそうに応対しやがる。
その位知ってるわい。しかし、地理不案内を演じてみる。
ワンメーター(650円)だけってのがイヤなんだろうね。
で、どのように進んでいくのかな〜と見ていると、区役所の前を通り過ぎ...道路の反対側だから仕方ない...Uターンするのかな〜と見ていると、交差点を右折して、ちょうど区役所の裏口、職員駐車場や職員専用入口がある場所で下ろそうとしやがった。
...この道は、Uターン禁止ではない。
「ワンメーターがイヤなんでしょ?」と捨てぜりふを残し、1000円札をたたきつけてやった。
ちなみに、350円損をしたのだけど、タクシー会社と運転手の名前を覚えた。
その、「光タクシー」をiタウンページで検索して、本社に電話する。

苦情を言ってもいいでしょうか?
あなたの会社の運転手の「松野H」は、最低の運転手ですね。
そもそも、ワンメーターで乗せたくないようですし、地理不案内なわたしをとんでもないところに下ろしてくれたので、目的地に行けずにとても困った。
あんな運転手は絶対に辞めさせてください。
絶対に、ですよ!

ちょっと、すっきりした。
で、市民税課に進む。
...結局、地下駐車場を通って、ようやくエレベータまでたどり着いた。
問題の「非課税証明書」、本人が申請するのではないため、委任状がいるらしい。
うーむ、むむむ。
もちろん、委任状には本人の印鑑が必要。
ぐむぅ〜
で、思い出した。親父から貰った印鑑があった。
おかげで、無事に証明書を受け取る。

次は、雨の中、区役所の近くの郵便局を探す。
結局、区役所の隣の県庁にあることをつきとめ、頼まれた振り込みを済ます。
で、実家に向かう。
昼食は、父母とともに食す。
母は、栗&豆ご飯を炊いてくれたので、おにぎり作って持っていくことにした。

問題は、介護保険料だ。
年金から自動引き落としになるようだが、その前に滞納している、はず。
で、区役所の障害高齢課に電話して、滞納分を調査してもらった。
なんと、昨年度の10期の分が両親ともにすっぽり抜けていた。
今年度の分では、何故か、母親だけが1期目と4期目を完納、2期・3期は両親ともに抜けている。
なにやってんだろ。
...何度か、あたしが納めた分があるのだけれども、郵便物を無くしてしまうからな〜
...人のことは言えないのだけど...あたしの場合、振込用紙が届くとむやみに振り込んでしまって、納入超過になってしまうのだけども。
とりあえず、書類を送ってもらうことにした。

で、15時過ぎ、まずは仙台駅に向かう...いつも利用している平和交通なので、安心して乗れる。
仙台駅からリムジンバスに乗って仙台空港へ、40分。
すぅ〜っかり、寝てしまった。
ぐだぐだぁ〜ん、でろでろぉ〜ん、である。
ボケタ頭でバスを降り、煙草を一服。
すると、係員が見たことのある傘を持って降りてきた...あたしが忘れたものだ!
煙草を吸っていて、よかった、のか、も。

出発まで、後、1時間以上ある。
面倒な手荷物検査を済ませて、生ビールでも飲もうかな。
こりゃ、飛行機に乗ってからも絶対に寝るな。

問題は、明日、11/21だ。
火曜日だから、非常勤の日。
うーん、午前中は倒れていることだろう。
昼前に復活できるか、それが問題だ、な。

この間、仙台に居た。

11/16(木)
また、夜中に作業、気がついたら診療時刻終了間近、慌ててタクシーをぶっ飛ばした、が、担当医は帰った直後。とりあえず、薬だけ出してもらった。まずいな。
昼飯は蕎麦。久しぶりに納豆蕎麦大盛りを食す。その後、床屋に出かけ、顎髭は残した。
パッキングしているうちに、あっという間に出発時刻の1時間前。余裕で出たつもりが、渋滞。
これではタクシーとはいえぶっ飛ばせない。
始めて、Webチェックイン(正確にはケータイからだが)をする。
幸か不幸か、使用機到着遅れで、十分に間に合ったが、その分、仙台に着くのが遅くなった。
空港の玄関で、上着の類いを忘れてきたことに気付く。気温の見積もりが甘かった。
さみぃ〜
それなりに疲れたので、店に食事にいく元気もなく、コンビニサラダにおにぎりを食す。
改めて、夜中にサーバどもの稼働状態の確認作業はしたのだが...はて、2台のサーバどもが動いていない、大丈夫か?

11/17(金)
作業停電の日だった。
珍しく7:00に起きたのだが、儀式喫煙で、サーバの稼働状況(ちゃんと停止するか)を確認しないまま、実家に向かう。
自分の設定とタイマーを信じて...
ひたすら買い物とメシの1日。
まず、午前中、自分のジャケットを買った。在仙中はこれで大丈夫。
母親は、デパ地下で買い物したいとのご希望。両親を車に乗せてあたしが運転、13時過ぎに出かけた。とはいえ、出かけたのが午後だったため、母親の方は既に動き難くなっていた。
ホテルに戻ってから、それなりに疲れたので、マッサージを頼んだ。不覚にも寝てしまった。
夜中にテレビを見ながら、焼酎を2合ほど飲んでしまう。
やばいなぁ。明日は、教授学習過程研究会なのに。

11/18(土)
やはり、疲れと飲み過ぎで気がついたら12時を過ぎていた。
いろいろと諦めて、儀式喫煙をしてコーヒーを飲む。
適当にコンピュータを使って作業をしているうちに、フロントから電話。
慌てて部屋を出る。
研究会は15時からだったから、それなりに間に合う。
なかなか、ミョーな結果が発表されて、面白かった。
その後、懇親会。二次会まで付き合う。
ホテルに戻ってからも寝つけず、テレビを見ていたが、そのうちにそのまま寝てしまったようだ。

11/19(日)
だるい。
10時過ぎに起きる。とりあえず、適当にしたくして、実家に向かう。
今日は、13年ぶりに家族再会(再開かも)の日になる、はずだ。
さらに、甥っ子どもが2人来る。
はて、どんなことになるのか...
誰の遺伝子なのか、2人ともでかい。兄貴は小学五年で143cm、先日、某厚生病院に見舞いに行き、中学生を演じてくれた子だ。あたしが小学4年の時に141cmだったから(小学一年の時に120cm、その後1年で平均7cmずつ伸び、小学6年の卒業直前には、172cmになっていた)、そこそこでかい方だろう。小学2年の弟はそれに輪をかけてでかい...さすがに兄貴にはかなわないけど。
2人とも足がでかいから、でかくなるだろうな...って、犬か。
恥ずかしいのか、2人はじゃれあってうるさい。特に弟は妹(母親)にべったりである。
伯父さんは、途中で、弟を「墓場探検」に連れ出した。
かつてのあたしの遊び場だ。甥っ子どもの母親、つまり、あたしの妹の遊び場でもあった。
それなりに話をすると、神妙に話を聞いているし、それなりに質問もしてくる。
1人だからなのか、「墓場探検」が怖かったのか、定かではない。
兄貴には、電卓の遊び方を教えた。何だか知らないが、「エラー」表示を出すことを目的にしてガチャガチャやっていた。
...何だか知らないが、やたらとミョーなことを教える親戚の伯父さんの役割を演じた訳だな。
あたしの母親、つまり、ばあちゃんは、どこから見つけたのか、あたしが小学生の時に遊んでいたメンコ(当時は、パッタと呼んでいた)を取り出してきた。
予想に反して、いや、そのように予想する方が無茶だったのか、遊び方を知らない。
ただ、やみくもにたたきつける、終いには飛ばして遊んでいた。
「欲しければ持っていってもいいぞ」と言っても、興味なし。
代わりに、妹がかつて買った「羊のぬいぐるみ」を持っていった。
どうも、弟の方が抱いて寝るらしい。
もうちびつと成長したら、伯父さんがいろいろと悪いことを教えてあげるよん。うひひ。
この間、あたしの母親は、それなりに口を出していた...口うるさい近所のババアである。
父親の方は、始終ニコニコとしていて、それなりに楽しかったのだろうし、嬉しかったのだろう。
これが、治療の励みになれば一石二鳥にも三鳥にもなる。
昼飯は、イクラ弁当をみんなで食す。
...夕方、余った1つをあたしが食すことになってしまった。
18時過ぎには実家を辞し、買い物に行く。
ホテルに着いてからは、マッサージを頼んだ。不覚にも寝てしまった。
で、夜中に起きる。適当に仕事をして、改めて寝に入る。

11/20(月)
これを書いている。
目覚ましが鳴る前、6:00過ぎには起きていた。
溜まっていたメールを整理し...学生さんから送られたメールがスパムメールに入っていたり...サーバの様子を確認したり...バックアップがまだ完全にできていないサーバがある...そして、当然のように儀式喫煙にコーヒー。
朝食は、妹が持ってきてくれたバナナ3本とコンビニで購入したキノコ汁、ミカン。
さて、そろそろ、出発の準備をするか。
今日は、午前中、区役所に出かけて非課税証明書を取ってこなければならない。
郵便局で振り込みもある。
午後は、適当に実家の用事を片づけて、夕方、空港に向かう、はず。

どうに、どよどよぉ〜ん、である。
11/7も11/14も、非常勤に遅刻だ。もっとも、14日の場合は、午前中、余裕で資料を作ってノンビリしていたら、ミスを見つけて直しているうちに時間が来たので、タクシーをぶっ飛ばしたのだが、7日はまたギリギリに起きてタクシーをぶっ飛ばした。14日は余裕で間に合ったけれども、なんとも。
11/16〜21の間、また仙台に行く予定である。どうやら、そのことが気になっているらしい。
疲れるだろう、親父を説教しなければならない、買い物などをしなければならない...等々。
1週間以上前から気が重くなってどうする状態だ。

で、水曜は、11/8も11/15も、疲れて倒れていた。
特に、15日は会議の日、目覚ましの音に気付かなかった。
気付いたら、会議は終わっていた。
とにかく、できることをするべし。
某学会の会員情報管理データベースと、学会誌2次情報データベースを作った。
...理屈では上手くできるはずなのに、当然、タイプミスなんぞがあって、結構、時間をとってしまうのだな〜
木曜金曜の授業はそれなりにこなし、週末は先の2つのデータベースに、Webページからアクセスできるようにする仕上げをした。
ここで、また、睡眠のリズムが狂う。
夜中に夕食をとることになるし、喫煙量も増えた。
おかげで、拡張期血圧が90台。やばいな。
起きると、だるい。寝過ぎ、寝不足、というだけでもないようだ。
収縮期血圧が110台の事もあるのだな。
11/15は、11/17の作業停電備えて、各種サーバをリモート操作して、起動時刻と終了時刻を設定した。つまり、停電の直前に自動的にシャットダウンし、停電が回復したら自動的に起動するように目論んだのだな...のちに、この設定を解除し忘れたサーバが1台あって、ちびつとこまつた。
ちなみに、この設定作業、11/15の3時くらいまでかかる。で、その後で寝て、10時くらいに一応起きたのだが、どうにもだるく、眠剤が切れていないような状態。二度寝した、ら、次ぎに気付いたときには窓の外が暗かった。
うーん、11/16からの仙台が思いやられる。
ちゃんと、起きて、ちゃんと、眠れるのだろうか...

また、バタバタ、どたどた、どよよぉ〜ん、だらだらぁ〜ん、でろでろぉ〜ん、で始まった。
起きたのは、15時過ぎ。
眠在と抗ヒスタミン剤が効き過ぎている、かも。

今日は、職場の基幹サーバが止まっていた。
その他にも、3台ほどサーバが止まっていた。
あたしのうっかり、かもしれない。
あたしが起きるまで、メールもホームページの閲覧も、できなかったに違いない。
メールが送れないので、サーバ室のコンピュータのディスプレイとキーボードを乗っ取って、直接、メッセージを「書き込んだ」のだが、利用していた人はビックリしただろう。
「サーバの電源が落ちています」というメールは届いていたのだが、それでは、困る。
基幹サーバが止まっているのだ、スイッチ、入れてよ。
で、ビックリしたらしく、何度か、ウインドウを閉じようとしていた。
めげずにメッセージを書き続ける。
漸く、基幹サーバの電源が入った。
はぁ〜

家から出なくとも、これぐらいできてしまうのだから、質が悪い。
ますます家からでなくなる。

で、何故か、アクセス解析してしまう。
10月の統計が出た。
このブログには、5,260アクセスあった。これまでの最高記録だ。
ちなみに、授業で使っているXIOサーバ(だいたい600以下)を遥かに越え、比較的実用的に使われているはずの エシラス サーバ(2,000以下)をも越え、さらには、職場の公式サーバ(学府は3,500以下、学部はさすがに10,000を越える)も危うい勢い。
やはり、mixiのチカラは凄い。
起点のトップは、
- http://blo.gs/ping.php...68
で、相変わらず、強い。
で、mixiだ。
- http://mixi.jp/view_diary.pl...53
- http://mixi.jp/show_friend.pl...47
- http://mixi.jp/view_bbs.pl...7

このブログへのコメントは、あたしの承認が必要だから、なかなかしづらいのだと思うが、見てるだけぇ〜、が、多くなった、ということだろうな。
mixiでは、「うつ」関係が多いのではないか、と、推測している。
プロフィールに堂々と書いているからだ。
幸い、担当医とはうまくいっていると思っているので、関係するコミュニティには参加していないが、検索すればあたしんとこが引っかかるはずだ。

とりあえず、mixiでは、コメントしまくってみた。
だんだんと元気になった、ような、気がする。

さて、明日の授業のOHPを整理してみようか。
明日は遅刻しないようにしなければ。
それと、タクシーをぶっ飛ばすこともないようにしたいものだ。

...2006年11月5日に書いている。
バタバタ、どたどた、どよよぉ〜ん、だらだらぁ〜ん、でろでろぉ〜ん、の1週間が、また、繰り返された。

10/30は、何をしたのやら、記憶にない。
1日、煙草に明け暮れた、はず。

10/31は、S学院大学の非常勤の授業の日。
気がつくと、15時を回っていた。でがけに、なんとかデータベースにデータを入力せよ、という至上命令がメールで届く。学内からしかアクセスできないページだ。
仕方ないので、ちょっとしたアプリケーションを利用して、研究室のサーバから操作する。
ディスプレイとキーボードを「拝借」するので、特に、キーボードで入力した文字が伝わらない場合があり、とても困る。苦肉の策でローマ字入力する...とても遅い。
入力し終わったら、授業開始まで20分しかなかった。
とりあえず、タクシーを呼んで、ぶっ飛ばす。
とは言え、研究室にOHPシートを置いてきたから、寄り道する破目になる。
20分遅刻した。
学生たちが待っていてくれた。
ごめんね〜

授業を始めてみると、目がよく見えない。
ふらつく。
正直に、調子が悪いことを告白。
話しをしているうちに調子が出てくる。
一応、伝えたいことは話した。

夜、受講生の1人からメールをいただいた。
激励のメール、かな。
こっぱずかしいが、「熱意」が伝わった、ようだ。
でも、教師ならば、当然のことをしただけなのだが...
どうも、それほど体調も悪くないのに、予習で疲れたから休講にしちゃう、センセがいたらしい。
前の週、授業1コマに何千円払っているのか、計算したことがあるか、と、アジったから、その受講生は頭に来たようだ。
そう、どんどん、頭に来なさい。
少なくともあたしは、這ってでも授業には出ていく。
アリシン臭(ビタミンB群が入った栄養ドリンクを飲むと、強ければ汗がニンニク臭くなる)をプンプンさせながら、煙草をガシガシ吸ってでも、とにかく、出て行く。
受講生たちに伝えたいことがあるから。
例え次の日の会議を休んでも...それは、やり過ぎ、だ。

地下鉄に乗ろうとしたところで、父親の担当医から電話がかかってくる。
なんと、11/1に退院できるらしい。
急きょ、妹と退院大作戦を立てる。
父親は、呑気なもので、靴も服も病院にはないのに、1人で大丈夫、と言っているらしい。
とにかく、11/1の午前中、妹に実家に寄り、服と靴を持って病院に行ってもらうことにした。さらに不必要な荷物を持って実家に運んでもらうことにも。
退院は午後だったらしいが、案の定、父親は服と靴のことは忘れていようだった。
さらに、荷物を広げて、荷造りができないでいたようだった。あれもこれも、目に飛び込んで来るのだろうか?
妹がさっさと片づけ、身体1つで家に戻れるようにしてくれたらしい。
ありがとう。
あたしは、自宅待機...単なる昨日の疲れ、とも言う。

11/2は、本務の授業。
ほとんど、学生頼みの演習。
ゲストも来てくれた。司会までやってくれた。
とてもとても助かった。
ありがとう。

しかし、悪いことに気付く。
11/2は、通院の日だった、のだが、気付いたら既に診療時間は終了、授業開始30分前。
昨年末の悪夢がよみがえる。
とりあえず、タクシーをぶっ飛ばす。
家に戻ってから、SSRIを探し出す。
とりあえず、3日分はあった。
記憶では...病院のパンフレットは見つけられず、土曜日の午前中が診療していたか定かでない。
もし、11/4に1週間分だけでも薬がもらえれば、ラッキーだ。
問題は、11/3にちゃんと眠れるか、つまり、11/4の午前中、ちゃんと病院に行けるか、だ。

11/2は、眠剤と抗ヒスタミン剤の力を借りてとりあえず寝てみる。
久々に、心臓をつかまれるような感覚に襲われる。
なんだか、ね〜
これでは、プラセボではないか。
医者に確認してもらおうかな。にせ薬をもらって、体調が悪化するかどうか...
11/3は、眠剤を倍にして服用した。
幸い、11/4は、午前中、通院できた。
担当医がいないので、診察が必要になるかもしれないのだが、待合室で不覚にも居眠りしてしまう。まだ眠剤が切れていないのかもしれない。
で、無事、薬を出してもらった。
これだけで、安心。
やはり、プラセボか...

11/4は、妹が次男を連れて両親の家を訪ねる日。
次男は小学2年生。身体が大きい。やんちゃで、落ち着きがない。
はて、父母はどう対処するのか?
それにしても、よくまぁ、関係修復できたものだ。
11/1に無事に退院した父親は、相変わらず、薬をなかなか飲まないらしいが。
とにかく、妹と2人で、薬飲め説得作戦を実行しなければならない。

11/5は、家捜し。正確には、11/4の午後から続いている。
学会のホームページを作成する、関係するデータベースを構築する、さらに、そのデータベースに対してWebページを介してアクセスするようにする、ために、あたしの作業に対して対価を払ってくれるように理事会に事務局が提案してくださった。
作業のために、中古マシンを購入したのだが...その領収書が見つからない。
とても、とても、とおぉっても、がっくり。
大事なもの、だから、しっかりとしまい込んだはずだ。
はて、どこだろう。しまい込んだことが徒になった。
代わりに未開封の手紙ばかり出てくる。

また、眠れなくなる。
自信を無くすことだろう。

...2006年11月5日に書いている。
8月は、8日が最後だ。次が始まったのは、既に9月も終わろうとしている28日だった。
この間、某K本大学で集中講義、さらに、9月には広島大学からN野先生をお迎えして集中講義をしていただいた。
これらが、かなり、負担になった、と、思う。
まずは、上旬から中旬は、某K大学での集中講義で頭がいっぱい。

○某K本大学での集中講義
8/20〜23の4日間だった。
博物館学芸員の資格のための、必修の、科目だ。
必修の科目を担当する場合、かなり気を使う。
もしも落ちた(単位を取得できない)場合、その年に資格が取得できず再履修しなければならない、か、そもそもその資格を諦めるしか、ない。
資格に関わらなくとも必修科目には気を使う。
これは、某S学院大学での非常勤の場合も同様。
で、「ものさし」を沢山用意し、ちょっとやそっとでは「落ちない」ように工夫する。
その一つが、XIOの利用だ。
「視聴覚教育メディア論」だし、メディアの使い方だって、実習してもいいはずだ。
記憶が正しければ、博物館学芸員の資格のための「視聴覚教育メディア論」では、実習が必要だったはずだ...変った、かな...
いずれにしても、一石二鳥を狙う。
ところで、6月24日(土)・25日(日)の JAPTL の年会、懇親会の時、先輩のMさんに質問した時のこと、この集中講義に出たい、とおっしゃっていた。
それが、実現した。
ならばっ、と、こちらも事前に「教材研究」に出かけた。
勿論、K本市立博物館に、だ。
ホームページを見る限り、なかなか、面白そうだった、ので、事務との打合せを兼ねて、8/10にK本に出かける。
当該の博物館は...どうやら、日本教育心理学会がK本大学で開かれたときに、来たときがあるような、気がした。

なかなか面白い*。
まず、直立しているティラノザウルス。ゴジラ、か...
そして、「利用される鉱物」の陳列。何に使われるのか、さっぱりわからない。
などなど...
やはり、単なる羅列、だ。
タダ並べておけば、そして、それを見さえすれば、自動的に、学習が進む、という学習観は、いったい、誰が流布させたのだろう?
とてもよい「教材(厳密には素材だな)研究」になった。

ちなみに、某S賀の博物館では、入ってすぐ、「化石のでき方」に関するパネルが2枚あった。
どうやら、「化石のでき方」には2種類あるらしく、とても参考になった。
で、期待を込めて陳列棚を見ると、「貝化石」の羅列だった。
どうせなら、それぞれのパネルに対応させて、意図的に並べるべきだろう。
暴れたくなったのだが、「タダ」だったので許してやった。
学芸員は大変だ。

20日は午前中に移動、昼前に到着。
実は、「教材研究」に来た10日は、事務の方に、授業で使う教室と「同じ作り」の教室を見せてもらった、の、だが、な、なんと、当日、利用する教室のAV機器の操作卓が、10日に見たものとは全く異なっていた。
どんな属性に着目しているのだろう。これらを同じと判断するなんて。

念のため、OHPを1台、他の荷物と一緒に、Q大から送っておいた。
やはり、450W位の出力がないと、この教室では暗い。
もう1台は仕方ないので、K本大学の備品を使う。250Wなので、ちょっと暗い。
プロジェクターは備え付け、かなり高機能だ。
問題は、外部入力、である。コンピュータの画像情報はちゃんとプロジェクターに出ているのだが、音声信号がスピーカーに流れない。
あらま。
結局、マイクを2台、コンピュータのスピーカーの上に置いて誤魔化したけど、効果は半減だ。

そして、問題は、さすがに元国立大学、非常勤講師控え室が、ない**。
初日は「小会議室」を手配してもらえた、が、2日目からは会議が入っているとのことで、全く利用できない。
そもそも、あたしの授業では、休憩時間10分は短い。前の時間のOHPシートをまとめ直し、次の時間に使うOHPシートや画像などを揃えていると、すぐに10分は過ぎてしまう。
例え、非常勤講師控え室があったとしても、立ちっ放しには変わりない。
...だったら、いらないだろって、それは、違う、な。

さらに、さらに、その教室には、教師用の椅子が一つもなかった。
さすがに、2日目に訴えて、パイプ椅子を用意してもらった。
...パイプ椅子でいいから、と言ったら、ホントに、パイプ椅子だけを持ってきた、けど。

ちなみに、集中講義の初日はわざと日曜日にした。
...わざと、というよりは、仕方なく、だな。某所でコメンテーターをしなければならなかった。それにしても、インターネットやコンピュータ絡みだと、なんであたしが出て行かなければならないのだろうかね〜、それも、事前の相談もなしに、もう決まっていたのだから、困っちまう。

日曜日なのに、事務がちゃんと出てきてくれた、が、1時間で帰ってしまった。
Q大なら、絶対に出てこないから、1時間でも出てきてくれたことに感謝しなければなるまい。
初日から、とても、疲れた。
1日に、最低でも20000歩は歩いていた。
久しぶりに、眠剤なしでも眠れた。
3日目には、マッサージを頼んだ。
そうそう、腰椎ベルトをして授業に臨んだのだが、さすがにそれでも腰が痛くなった。
さらに悪いことに、締め過ぎて、かぶれてしまった、し。

さて、Mさんだ。
一番前は遠慮されたようで、階段教室、向かって右の前から3列目にいらっしゃる。
ちらちら見ていると、な、なんと、ノートまでとっていらっしゃる。
何が面白いのだろう、でも、面白かったそうだ。
「あたし流」の授業は、いわば、舞台だ。
正直、Mさんが喜んでくださるように、やっちまった。

Mさんは凄い。
その時間ごとに、コメントをくださる。
そして、「学生の言い分」を伝えてくれる。
OHPシートの「表現上の問題点」をしてくしてくれる。
勿論、言うまでもなく、そうとう、かなり、ものすごく、的確だ。
あり難い!
昼食、夕食もできるだけ、ご一緒していただいた。
授業に関係する話題、研究に関する話題、とてもとても貴重な話が聞けた。
Mさんを独り占めである。
あぁ、あり難い!

多分、あたし1人でやっていたなら、3日目位で、めげていたことだろう。
またMさんと話しをしたい、Mさんに話を聞いてもらいたい、もっとコメントをもらいたい、そのためだけに授業していた、と、言っても、過言ではない。
結局、それが、受講生のためにもなるのである。
楽しいなぁ!
いつも、授業は楽しい。この時は、普段の数十倍も楽しかった。
この先、こんな経験はそんなにないだろう。
あたしだけのための授業研究が(正確にはもうちょっと少ない回数だが、書類上は)15回もできたのだから。

来年は、積極的にMさんを招待しちゃおーかな〜

勿論、もどってから2日間、倒れていたけど。

そーいえば、28日(土)は、志の輔*の「志の輔こらぼ 能楽どーや」を観に横浜に行く予定であった。
そして、今日、29日(日)は、明治座秋の落語まつり「風間杜夫の平成名人会」に行って、志の輔*を観るはずであった。
志の輔三昧な週末になる、はず、だった。

バタバタ、どたどた、どよよぉ〜ん、だらだらぁ〜ん、でろでろぉ〜ん、の1週間、それどころではなくなっていた。
キョーレツに疲れている。
チケット代...
貧病が進む。
来週末は、また、仙台、かな。
そして、貧病が進む。

父親の入院の絡みで、いくつか、写真を撮った。
既に、何枚か載せていたが、追加で、掲載する。

儀式について
儀式について

儀式に使われる「ヒビなんとか」
ヒビなんとか


賑やかなタクシー
賑やかなタクシー1

賑やかなタクシー2

賑やかなタクシー3

気がついたら、おやつの時間に近かった。
何しろ、寝たのが今朝だ。
儀式をしながら、ブログのまとめ書きをする。
バタバタ、どたどた、どよよぉ〜ん、だらだらぁ〜ん、でろでろぉ〜ん、の1週間、のまとめ。

今から、何年前だろう。
上の甥っ子が既に小学5年生、下の甥っ子は小学2年だから、11年以上前にはなるな。
福岡に来て10年だから、15年くらい前か。海馬の萎縮した今となっては、記憶の彼方である。
母親から電話が来て、妹がその日の朝、突然、いなくなっていた、と、いう。
付き合っていた「彼」がいたから、二三日様子を見ていたが、戻る気配がない。
アルバイトから始めて漸く正社員になった職場に連絡してみても、無断欠勤しているという。
妹名義の預金もすっからかん。
さらに、住民票が移されていたらしい。
あたしは、テレビドラマを見ているように思ったものだ。

「彼」は、在日、である。
当時、さらに、日本国籍がなかった。
この騒動で、あたしは、父親の強烈な「偏見」を知ることになった。
曰く「あいつらは、嘘つきだ」
父親は障碍者手帳を持っている。昭和1桁生まれだ。
先の大戦時には、自身、どんな差別を受けたのか、あたしは知らない。父親も語らない。
...そもそも、15歳で丁稚奉公に出てきて、どんな悲惨な状況だったのか、も語らない。
当時の考え方に照せば、あの人の「赤子」として生を受け、その五体に自ら傷を付けた訳だから、どんなに酷かったろう、と、想像はできる。さらに、侵略した先の国々の人々に対して、どのような考え方が植え付けられたのか、これも想像するしかない。
先の発言の「あいつら」の中には、隣国の人々が全て含まれている。

頑固な母親は、「彼」のいい加減さが気に入らない。どんな事情か知らないけれども、定職に就けないでいた。恐らくは、「国籍」が問題になることがあったのだろうし、「偏見」と「差別」もあったのだろうと思う。しかし、そんな事情は、母親にはどうでも良かったのだ、な。結婚するなら、職につけ、だ。
さらに火に油を注いだのが、「彼」の両親との会見だったらしい。
「彼」の両親とは、あたし自身、まだ、会ったことはない。
おおらかな人たち、なのかもしれない。
だが、頑固できっちりしている母親にとっては、多分、それが気に入らなかったのだろう。

とにもかくにも、「彼」との結婚には、両親とも絶対反対、だったはずだ。

そして、妹は駆け落ちした、訳だ。
あたし自身、両親の心情はそれなりに理解できたから、そして、やはり、結婚するなら定収入が必要だと考えていたから...古いか?...2人の結婚にはあまり積極的ではなかった。
何より、「彼」が日本国籍を取得し、定職付くことが、先だと考えていた。

若い夫婦は、それでも、自分たちで何とかしようと、職を求めて仙台から首都圏に移ったり、また仙台に戻ってきたり、それなりにがんばっていたことと思う、いや、思いたい。妹もパートで働くようになったようだし。
あるとき、妹から連絡が来た。手紙だったか、メールだったか、電話だったか、海馬の萎縮した今となっては、記憶の彼方である、が。

このとき、やはり、まだ、両親の心情を優先的に考えるあたしがいた。
それでも、遺伝子を共有している、この世で唯一の2人しかいない兄妹であるから、少なくとも、妹の味方にはならなくてはいけない、とは、思うようになっていた。
携帯電話のメールが時々届いた。
甥っ子の話、もう1人子どもが産まれた話、パートの仕事の話、なんとか両親に詫びを入れられないか...
「彼」が日本国籍を取得し、漸く結婚できたこと...

一度、仙台空港で、妹一家と会ったことがある。「彼」とはその時が初対面。
できるだけ、中立的に、それまでに会ったことがある、長男の甥っ子と話をすることを中心に。
...甥っ子は2人とも、興奮しまくっていた。長男は賢くて優しくて、次男はやんちゃで負けん気が強くて、まだ甘えん坊さん。
あたしは、2人の子どもをここまで育てた妹に、とても感動していた。
「彼」は、あたしに、あたしの両親の影を見たのかもしれない、とてもキンチョーしていた。

ところで、授業は、学習者の持っている土着の知識・信念体系との対決でもある。
そのための戦略は、時として、説得に近いものがあるな、と、考えていた時期だった。
ならば、あたしの両親の信念体系と対決し、説得するのは、あたしにしかできないのだろう。
両親説得大作戦を開始することにした。
ドヒャーで進めては、絶対に反発が来るはずだから、ジワジワ、攻めることにした。
まずは、実子よりもかわいい孫をダシに使う作戦に出た。
が、最後の仕上げで失敗した。
やはり、「彼」と「彼の両親」の遺伝子を持っていること、が、最大の「壁」なのだろう、と、推測した。孫の影に「彼」「彼の両親」が見えてしまうのだろう。
一からやり直しだ。
ならば、せめて、自分たちの遺伝子を持っている妹だけでも、なんとかすればいいのだ。
目標を変えた。

手紙作戦は失敗した。何しろ、現金書留に入れたため、手紙の存在に気付かなかった。
仙台から帰るとき、遠いところのあたしより、もっともっと近いところに、自分たちの子どもがいるのだよ〜と、一言、言い残す作成は続けた。

最大の転機は、そして、作戦決行の最大のチャンスは、何と言っても、10/18の父親の入院だ。
2004年の時も、似たような状況ではあったのだが、あたし自身の体調が最悪*で、父親の事しか考えられなかった。容量限界に近い状態。2週間に1回、半年に渡って、仙台に通い続けた。よく身体(頭も身体のうち)が持ったものだと、今でも、我ながら感心する。
で、今回も、実は、本当に最悪の時、だった。
自分自身のことでさえ、思うに任せない。
義理の妹に、入院手続きまでしてもらった。
とにかく、作戦は、失敗して元々、ドヒャーで進めることにした。
あたしが、両親に説教するのである。
移動中、説教の内容をあれこれ考えていた。考えているうちに、気が重くなる。

10/19に仙台入りし、翌20日、戦略的にドヒャーとなるが、妹をCCUに連れて行ったことは既に書いている。
思いの外、父親の反応は良かった、と、思う。
入院2日目の混乱に乗じた作戦で、卑怯かもしれないけど、悪魔の手を借りた。
20日の夕方、パーキンソン病で身体が動かなくなっている母親には、語気を強めて、なんで他人の娘(つまり義理の妹)に手を借りなければならない、実の娘がいるだろう、と、ドヒャーで攻めた。
これまた、身体が思うに任せない状態に乗じた作戦で、卑怯かもしれないけど、悪魔の手を借りた。
翌21日は、母親の方から、子どもなんか連れてくるなよ、と釘を刺された。実子はいいが、他人の遺伝子を持っている甥っ子は生理的に受け付けない、といった、状態だ、な。
デパ地下に買い物に行く前、以前送っておいた現金書留を母親が出してきて、中を確認し、手紙の存在に気付いたようだった...あたしは書類の整理に夢中になっていて、母親が何やら黙ってしまったことだけに気付いただけだったのだが...
突然、どうもすみませんでした、ごめんなさい、と、母親は両手をついて深々とお辞儀をしていた。
この、突然の行動の意味が判らず、あたしは混乱したが、先に失敗したと思っていた手紙作戦が成功したことに漸く気付いた。ムダではなかったのだな。
...実際のところ、何を書いたのか、手書きだったし、海馬の萎縮した今となっては、記憶の彼方である、が。
22日は、ちょうど、あたしが母親と一緒にいるときに、S市にいる伯母さん、母親の姉様、から電話があった。
この伯母さんを味方につけないのは損だ。作戦が有利に進むはずだ。
強引に電話を代わってもらい、無沙汰の挨拶、今回の状況の説明、妹の事情の説明、さらには、妹の件で母親を説得してくれ、と頼んで、改めて母親に電話を代わった。
さすがに、実の姉様からの言葉は重かったのだろう。
こちらに戻ってから、妹からメールが届いて、なんと、母親から妹に電話があったとのこと。
あぁ〜、よかったぁ〜
大前進、壁はまだ残ってはいるが。

で、28日、今日、だ。
妹と伯母さんには、芋焼酎**を送っておいた。お礼だ。そろそろ、届く頃だ。
さらに、土曜日なので、妹は仕事が休み、一般病棟という空間ではあるが、久しぶりに親子3人の対面、になるはず。
バタバタ、どたどた、どよよぉ〜ん、だらだらぁ〜ん、でろでろぉ〜ん、の1週間の疲れと落ち込みで、あたしは、さらに、どよよぉ〜ん、と、していた。
ひたすら、妹からの連絡、母親からの連絡を待っていた。
来ない、ので、ある。
夕方、東郵便局まで配達証明付きの郵便を取りに出かけ、いつもの居酒屋で1杯ひっかけ、さらに、妹と伯母さんに送ったのと同じ芋焼酎を購入して、フラフラと家に着いたのが、20時過ぎ。
ちょうどその時、S市の伯母さんから電話があった。
まずは、芋焼酎、とても気に入ってくれたようだ。よかった。
そして、今日28日の顛末を聞いた。
どうやら、大成功だったようだ。
だったら、早く、誰か、直接あたしに連絡してくれ〜
喫煙量が一気に増えた。

芋焼酎をストレートでちびちびやりながら、録画しておいたドラマを見ていると、22時過ぎに妹からメールが届く。

うん、そのこと教えてくれるの、おそかったかも。でも車椅子 で移動したよ。メールが届いたとき、ちょうど病室にいた時間、トーチャンの他に一人患者さん。三人ででかい声で盛り上がってしまいカーテンしめられた。退院はまだみたい。もし、実家に連絡がきたときには土曜日にしてもらいたいということを伝えるからーと、母ちゃん。
いろいろとご迷惑をかけてしまいました。おかげで仲直り出来ました。ありがとね。
帰ってから電話で孫達とはなししたよ。『みのるちゃん、と、いさむちゃん』で呼んでほしいんだと。
友達だあ。

え゜っ、孫と話しまでしたの!?
なんじゃい。あたしが数年かけて用意してきた作戦、どうなるんだよぉ〜
孫との対面は、もっと後からのはずだったのにぃ〜
壁は、思いっきり崩れたのかもしれない。
そういうのは、一気に進むのか。そもそも、ドヒャーで攻めたからな。知識構造のくみかえは一気に進んでしまったのだな。そういうことにしておこう。

久しぶりに、ほっとしたし、泣きそうになった...プロジェクトXを見ているときのように。
芋焼酎が胃にしみた。

またまた、昼過ぎに起きる。
儀式をしていたら、いつの間にか、授業開始の40分前になる。
さすがに、出ていけるかどうか、自信がなかった。
煙草を10本ほどふかして、また、タクシーをぶっ飛ばして出かける。
また、眼鏡と時計を忘れていった。もちろん、ヒゲは剃っていない。

講義室に行って見ると、学生がすくなぁ〜い。
ので、「ひとみしり」の研究の仕方、について、話をした。
ついでに、発問論、ペットボトルロケット、瀬戸大橋の話に進んで、説明の説明に入ろうか、というところで、時間になる。
まぁまぁ、だな。

次の演習は、演習開始時刻前から、学生たちが作業を進めていた。
もう、こうなったら、開始も終了もない。
そう、こういうのを自学自習と言うのでしょうね。
あたしは、フラフラしながら、間違っている学生をからかって...いるように見せて、実は凄いことをやっているのだけれども、誰もまだわかっていない、ようなので、書いてみる。

この演習は、あたしが作った自学自習用テキストを使うコースと、Aさんとあたしが作った自学自習用テキストを使うコースの2つが同時並行して進められている。
どちらのテキストも、基本的には、プログラム学習の原則に則って作られている。

ただし、特に、あたしが作ったHyperCardの演習テキストは、課題とその配列に、それなりの工夫があって、必ず「先生」に聞かなければ進められないようになっている。
いわば「落とし穴」が掘ってあるのだな。

1人、ちょうど、首まで入り込んでいる学生がいたので、ちょっかいを出してみた。
「こことここの太さが違っているように見えない?」
と聞くと、やはり、気になっていたようだった。つまり、やり方が間違ってるのである。
気付いていても、どうにもできなくて、とりあえず、残りを進めていたようだ。

終了時刻が迫っていて、TA役の学生たちも、集まって、見ていた。
このような時、その学生に、できるだけ自分の力だけで課題解決させようと、TA役はヒントを出したり、テキストを読み直すように...もちろん、TAにはテキストのどこを読めばよいか、すぐに言えるように「修業」させていた...指示する、のが、普通、なのだが...
実は、誰も誉めてくれないけど、凄いこと、を、実行していたのだな。

あたしは、この学生の知識構造を推測し、テキストに書いてある教示を入替え、発問を新しく作って、新しい学習プログラムを構築していた。
最終的には、あたし自身が、キーボードとマウスを使って、描画を実演し、できあがったものを学生が見たことを確認して、その成果を消去してしまった。
操作を素早く行い、かつ、あたしの手元が見えないように工夫したので、「もう一度やってみようか」と言いつつ、若干ゆっくり操作を繰り返す。
この学生、さすがに、今度はあたしの手元に着目していた...勿論、意地悪なあたしは、微妙にどのキーを押しているのか、わからないようにしたのだけれども。
で、改めて、テキストに戻り、「キーの使い方のまとめが載っていたね」と言いつつ、該当個所を指摘。
すると、しばらく読んでから、キーボードとマウスを動かし、何度か試行錯誤していた。
頃合いをみはからって、課題の図形をあたしが描画して見せる。ものの10秒ほどですべてができ上がっていく、ように、素早く滑らかに操作を進める。
で、もちろん、完成図を学生が見たことを確認して、消しましたよん。

TA達は、この学生と一緒になって、描画方法を考えていた、ようだった。
それでは、いかんのだな〜
まぁ、無理か。
このように、テキストに書かれている範囲で、それを学習者に合わせてその場で再構築し、学習プログラムを組み直す、という「技」、見事にできる人を、あたしは、あたし自身とMidwife Jeimieしか知らない。
残念ながら、まだ、「職人芸」である。だから、「技」といか言い様がない。
これを、教師なら誰にでもできるようにすることが、実は、あたし自身の課題でもあるのだけど、ね。

夕方の打合せは、キャンセルしてもらい、とりあえず、家に帰ったのが、22時近く。
実は、ここ数週間、毎週届くはずの、サーバ管理用メールが、2台の自宅サーバから届かないことに気付いていて、その2台のサーバのログを調べてしまった。
それが、この日の最大の過ち。
要するに、電子メールが届かないのである。スプール領域に大量に溜まっていた。
どうも、電子メールのやり取りにつかわれる25番のポートが、「閉じている」ようなのだな。
職場のサーバも自宅サーバも、基本的な設定は同じ、そういえば、職場のサーバたちからは、毎週ちゃんとメールが届いていた。
と、いうことは、自宅サーバから職場にメールが送られない、ということだ。
で、調べると、職場の外から見ると25番ポートが見事に「閉じて」いた。
職場内では開いている。
うーむ、むむむっ
OP25B(Outbound Port25 Blocking)」というメール送信規制か。
postfixの設定を変え、自宅サーバの1台、このブログを動かしているサーバに関しては、接続しているプロバイダーのメールサーバに転送することで、とりあえず解決した。
問題は、もう1台だ。
この1台は、ノート型。
従って、移動先で困ることになる、かも。
各種サーバの実験用としても利用しているから、メールサーバ機能もちゃんと動いてもらわないと困る。にも関わらず、メールに関して「ふんづまり」状態になってしまったら、実験用として意味がない。

うーむ、むむむっ、むぅ
と、気がつけば夜は白々と既に明け吸殻山に気力埋もれし...

ブログ用自宅サーバにメール転送して責任転嫁し、とりあえず、録画しておいたドラマを見ていたら強烈に眠くなった。
寝たのはいつだ...

昼前に起きる。
儀式が復活、コーヒーを入れて、煙草を5本。
あっという間に、演習開始の30分前。
ヒゲを剃らずに、眼鏡と時計を忘れて、タクシーでぶっ飛ばす。
演習は、あたしとレポーターとの空中戦。
やってはいけない、のは、よくわかっているのだけど、面白いから、ね〜、仕方ない。

もう一つの演習は、講義をした。
比較的よく説明できた、という、自己満足だけが残る。
はて、ピアジェの考える発達、と、発達段階、という言葉の違い、わかって貰えたのだろうか。

夕方は、指導生との打合せ。
ちゃんとした日本語、書いて、ねぇ〜

で、疲れる。

バタバタ、どたどた、どよよぉ〜ん、だらだらぁ〜ん、でろでろぉ〜ん、の1週間だった。

25日(水)は、朝からMidwife Jeimieがけたたましく起こしてくれて、なんとか構想発表会には間に合った。
それにしても、なんで、発表会なのに、書いてあるものを棒読みするのだろう。
事前に配布されているのだから、読み上げても無意味に限りなく近い。
...どたばたがあったから、事前には読んでいなかったけれども、ただ読み上げている間に全体をざっと読むことぐらい簡単にできていまう。
で、一応、質問しました。

発表者は2名だった。
そのうちの1人に対しては、極めて簡単な質問をした。
「中国に大学はいくつあるのか?」
「それらのうち、重点大学はいくつあるのか?」
「それら重点大学の中で、今回取り上げている北京語言大学は、典型例か、例外例か?」
簡単でしょ?
何故か、北京語言大学の事は知っていた。
留学生を積極的に受入れ、かつ、北京語の教育に関して、かなり実験的なことをやっている、らしい、という程度であったけど。
ならば、例外例、特例、の、はずだ。
例外例から調査して結論を導くことも可能だし、典型例から一般性に言及することも可能だ。
ようは、目的がよくわからんかったのだな。
目的・内容・方法は一体化しているものだし、方法と結果だけが「分析しました」の一言で表現されてしまっていたのだから、ますます、わからんかった。
で、答えが「典型例」だったから、「あなたの日本語の使い方は間違っている」と、反射的に言ってしまって、びつくり。会場がしぃ〜んとなってしまって...

昼から天神に出かけて、先週末の移動で壊れた・壊したデジカメの修理を依頼し、DVDレコーダーのカタログ集め。さらに、総合感冒薬等を購入。

そんなこんなで、午後からの教授会には10分遅刻。
席に着くなり、意見を言う。
「なんたらデータベースのインターフェイス」をなんとかして欲しい。
「具体的にどうすればよいのでしょう」と切り返されたので、「 エシラス と比べて欲しい」と自慢してやった。

で、疲れた。
咳は相変わらず、鼻詰まりは、まぁまぁ、かな。
とりあえず、総合感冒薬を服用して、寝る、つもりが、また、目が冴えて来て...

バタバタ、どたどた、どよよぉ〜ん、だらだらぁ〜ん、でろでろぉ〜ん、の1週間だった。

24日(火)は、非常勤の日。授業開始時刻の90分前まで、何もしたくなかった。
儀式が復活し、昼過ぎ、コーヒーを入れ、煙草を5本ほど吸って、とりあえず、シャワーを浴び、ヒゲを剃ることを忘れ、タクシーを飛ばして研究室に寄り道してOHPを用意し、授業開始5分前になんとか到着。
ひたすら話して、「もつ鍋研究会」に向かう。
...あり難いことに、学生たちが質問に来てくれる。で、タクシーで行くことにした。

今回は、名鍋奉行が1人なので、不肖、わたくし、鍋奉行補佐、が、ひと鍋担当することに。
8名で、鍋が14回お代わり、ひと鍋が4人分なので、1人平均7人分食べたことになる。
まぁまぁ、だったかな。
で、まぁ、mixiのオフ会のような状態。
われわれオジサン・オバサンたちは、当然のように、「学問」ねたで酒を飲むのだが、学部1年生達には、とーぜん、「じんじらんなぁ〜い」のでしょう。
何しろ、曲がりなりにも、研究会なんだもんね〜

鍋奉行補佐はまだ修業が足りず、チャンポン玉はちびつと塩っ辛かった。
チャンポン玉を入れるまでのスープの見極めが難しい。

それにしても、アリシンとカプサイシンは偉大だ。
帰りには、鼻詰まり、咳、は、解消。
一応、総合感冒薬を服用して、ひたすら、寝る、つもりが、元気になってしまった。
まずい、眠れなくなってしまった。
明日は、O竹大先生の、博論構想発表会だった。

バタバタ、どたどた、どよよぉ〜ん、だらだらぁ〜ん、でろでろぉ〜ん、の1週間だった。

23日(月)に関しては、一部、既に書いた
久々に、風邪、である。
喫煙している所為か、咳がでる。鼻が詰まる。
何より、疲れて、何もしたくない。食欲もない。
とりあえず、じっと、寝ていた。
強制的に去痰するために、甘草・ハーブ・緑茶入りの中南海ライトメンソール8mgを吹かし、ちびつとニコチンを取り入れる。水分を補給し、できるだけ手を洗うようにしていた。
ひたすら、寝る。抗ヒスタミン剤が効いて、疲れもあって、眠る眠る眠る。
スケジュールには「倒れる、はず」と、書いておいたが、それにしても、こんな倒れ方はイヤだ。
結局、24日の午前中で、ダラダラ、していた。

じっと寝ていたが、ニコチン大魔王の甘いささやきに負けて、甘草・ハーブ・緑茶入りの中南海ライトメンソールを吹かしながら、去痰。

mixiにつなぐようになってから、このブログへのアクセス数が急増している。
2006年10月21日04:37の統計によると...

◎閲覧アクセス 2761
(ロボット、ワームを除く)

既に、先月、9月、1ヶ月のアクセス数を超過している。具体的には...

◎2006年月別集計

月訪問者訪問数ページ件数バイト1月51611094512690798.39Mb2月4519204117608299.68Mb3月541113156647268112.05Mb4月579131955207137116.56Mb5月860176853987970158.9Mb6月1177227461048416182.05Mb7月1049192052857488128.73Mb8月979217555467087107.02Mb9月2152364772258579146.38Mb10月2761449470768585100.9Mb11月0000012月00000合計110652075756447755191.22Gb
で、だ。日付別集計を見ると、サーバをメンテナンスしていた10/17を除き、徐々に増えている。
具体的には...

◎日付別集計(部分)

日訪問数ページ件数バイト10月011082613285.89 Mb10月021342893552.90 Mb10月031292894254.97 Mb10月041612993593.30 Mb10月051893304355.48 Mb10月061712543054.30 Mb10月071302292737.31 Mb10月081182092663.99 Mb10月091281642335.59 Mb10月101471962482.84 Mb10月111521952454.12 Mb10月121933113969.50 Mb10月131863514429.80 Mb10月141662292753.44 Mb10月152734235224.10 Mb10月164936647242.79 Mb10月17000010月183104594942.49 Mb10月195668399627.34 Mb10月2060890010168.76 Mb10月211321852821.99 Mb
10/21は、午前4時30分までの集計だから、その後、どうなったのか、来週のお楽しみだ。
それにしても、10/19、20なんぞは、今年の1月〜4月までの、1ヶ月分のアクセス数を1日で出していると言うのは、なんだべな。

次は、どこからこのブログにアクセスしているか。当然、mixiからが多い。具体的には...

◎外部ページからのリンク(検索エンジンを除く他のホームページ) - 全リスト
- http://blo.gs/ping.php 44
- http://mixi.jp/show_friend.pl 31
- http://hibari.edu.kyushu-u.ac.jp/html/UtsuUtsu/ 27
- http://mixi.jp/view_diary.pl 25

mixi.jpから31+25で、pingサーバに匹敵する数だ。
問題は、検索語、だな。
見事に、「薬」「病名」だ。具体的には...

◎検索文字列(キーフレーズ)

156 キーフレーズ検索パーセントベタマック146.60%神経症性うつ病52.30%パキシル錠41.90%催眠剤 マイスリー錠31.40%


◎検索文字列(キーワード)

183 キーワード検索パーセントベタマック145.40%うつ病83.10%アモキサン62.30%神経症性うつ病51.90%うつ病日記41.50%パキシル錠41.50%パキシル31.10%催眠剤 マイスリー錠31.10%

アクセス数が増えているということは、比例してスパムコメント・トラックバックも増えているということだ。うちのサーバでは、ブラックリストに載っているアドレスから届いたコメント・トラックバックは、自動的に拒絶するようにしているのだが...
最近、そう、つい最近、ミョーなコメント・トラックバックがポツポツ来るようになった。
全て、abeee.jpからだ。
この検索で出てきたページによると、特に、http://abeee.jp/galog/で始まっている場合には、要注意、らしい。幸い、あたしのブラウザは大丈夫だが、Windows系は、ダメ、なんでしょうな。
ブラックリストに載っている場合や、架空のURLから届いた場合には自動的に拒絶できるのだけれども、この場合には、実在するブログだけに、普通のコメント・トラックバックとして扱われるので、手動で拒絶しなければならない。
多少は、頭を使うから、いいのかもしれないけど。

風邪は、今朝に比べ、だいぶよくなってきたように思う。
濡れマスク作戦で鼻からの呼吸は楽になった。
多少、頭痛がある、が、我慢できないほどではないから、鎮痛薬は必要ないだろう。

じゃ、テレビ、見よっと。

風邪、ひいた。
10/22、の事は、日付を偽って、後から書く事にしよう。
とにかく、22日の午後は、すさまじく咳が出る、が、これは、喫煙の所為だろう、と、思った。
しかし、22日は、さらに連続くしゃみ、23日起きると鼻詰まり。
熱っぽい...とはいえ、微熱だろう...案の定、36度、低過ぎ。

22日、15時過ぎ、連続的にくしゃみが出た。実家を「かきまぜた」ので、埃か黴のアレルギーだと思った、の、だが、点鼻薬も鼻炎薬も効かない。仙台空港に着いてもくしゃみは止まらず。おまけに、熱っぽい。
とりあえず、手持ちの総合感冒薬を服用。いけないけど、咳止めも一緒に飲んじゃう。

23日は倒れる予定ではあったのだけれども、風邪は予定外。
あー、やだやだ。
今日は、Norah Jonesの日にして、ひたすら寝てよ。

バタバタ、どたどた、どよよぉ〜ん、だらだらぁ〜ん、でろでろぉ〜ん、の1週間だった。

22日(日)
午前中、ゆっくりスタート。この日は妹が孫の1人を連れて見舞いに行くはずだったのだが、待ち合わせて一緒に行くことにした。
久しぶりに見る甥っ子は、ちょっと大人びて、でもやはり小学生。恥ずかしいのと緊張と。
休日なので、例のように守衛さんのところで、別々に書類を書いて提出...妹には書類を書く練習。
...いやらしい教師根性だ、な。
CCUに入っていくと、案の定、一度に2名にしてくれ、との指令が出る。
とりあえず、あたしが出て行くことにした。
...後で聞くと、孫が小学生か中学生か、看護師達の間で問題になったらしいが、中学生だっ、と言えば中学生なのだぁっ、文句あっか。
伯父さんは怖いんだぞぉ〜
10分ほどして2人が出てくる。無事、対面は済んだらしい。
父親の方は、それなりに喜んだのだろう。拒みはしなかったことは確かだ。
妹からは、先に書いた、小学生か中学生か問題しか聞かなかったし。
CCUの外で、今後の打合せ。できれば、洗濯物を2日に一度取りに来てもらい、洗濯して返してくれるように頼んだ。基本的に下着だけでよい。
ただ、洗剤が問題だ。父親は極めて弱い肌を持っていて...弱い肌になったのか?...合成洗剤で洗った着物を受け付けない。
とりあえず、洗剤は後で送ることにし、また、メールで連絡することにして、別れる。タクシーチケットを渡した。日曜日だし、せっかく妹自身が育った場所に近いところに来たのだ、子どもに自分の育ったところ、小学校、中学校、なんかを見せるのもいいだろう。
その後、あたしがCCUに入っていくと、父親は寝ながらテレビを見ていた。
一応、起き上がって、話をする体制を作る。無理しなくてもいいのだが、そこはそれ、寝たままの姿を見せたくはないのだろう。
あたしは、帰っていくが、可能ならば、また来ること、洗濯物は妹が届けることなどを伝え、10分ほどで病院を後にする。
昼前に実家に着き、母親と昼食を共にし、午後は買い物と除湿剤の取換え...風通しが悪い上に、父親の荷物の所為で窓が開けられず、湿気がこもっている...灯油をできるだけ多くのストーブ用のタンクにポリタンクから移した。
母親は、栗ご飯を作ってくれていた。折角なので、おにぎりを作って持って帰る事にした。
で、あっという間に時間が過ぎて、空港に向かう。途中、仙台駅の郵便局で、妹に洗剤を送る。
そう、除湿剤を取換えている時からくしゃみが連続しはじめ、空港に向かう頃には、微熱があったように思う。仙台駅前から仙台空港に向かうシャトルバスの中ではすっかり寝てしまった。
到着したのがわからないくらいだった。疲れたのだろう、ね。
とりあえず、手持ちの総合感冒薬を服用。
適当に土産を買って、さっさと手荷物検査を済ませ、搭乗口付近で生ビールを飲む。うまいっ。
飲みながら、を作る。
飛行機の中でもを作る。

この日は、昼間も、病院から出てから、買い物のあい間、煙草を吸っていた。
空港に到着して、また、一服。
タクシーですぐに家に戻る、22時近かった。
握り飯を食しながら、録画していたドラマを見るが、既に眠くて...
念のため、総合感冒薬を服用してとりあえず、寝る。

さすがに疲れた。9:30までグズグズ、mixiにコメントを書いたり、メッセージを送ったり。
部屋の掃除が始まるギリギリ、10:00ちょっと前に部屋を出る。
いくつか、病院から渡された書類などを近くのコンビニでコピーし、自宅へ向かう。
今日は、母の買い物に付き合う。
いわゆる「デパ地下」に行き、食材(ギンタラの切り身、ブリの切り身、スジコの塩漬け)、総菜(ハム、佃煮、漬物、コロッケ...)、パン(5枚切り食パン2斤、昔ながらの「へそ」のあるあんパンが好きらしく5つも購入していた)を購入。ついでに靴下をいっぱい買う。
40000円位使ったかな。ま、偶にしかできないことだから、いいのだ。
自由に移動できないから、ここぞとばかりに、購入する。靴下何ぞ、色違いで3つずつ買っていた。

午後、検査が終わった頃を見計らって、病院へ。
今日は、休日なので、夜間で入り口を通り、守衛さんの所で書類を書き、何やら許可証というのをもらって首から下げる。
母親を車いすに乗せ、CCUへ。
インターフォンで、「車いすで入ってもいいか?」と尋ねると、「ちょっと待て」と言う。何やら協議の結果、そのまま入っていい事になった。あの儀式はしていない。うひひ。
ここ数週間の事を振り返り、足がむくんでいた事、顔もむくんでいた事、等、母親が話す。
父親は、けろっとして「むくみは治った」と言う。「それは、薬をちゃんと飲んでいるからだ」と母親。あたしは、ニヤニヤしながら、車いすの後ろに控えて、会話を聞いていた。
それにしても、「昨日尋ねてきたのは、誰だ?」には、ちびつと、びつくり。
ボケたか...本当に誰だかわからなかったのか...
証拠の写真がある。孫が写っているのだ。
母親「誰が来たの?」
父親「うーん」
これをしばらく繰り返していた。
それはそれで楽しいのだが、一応、いい加減なところで、「お2人の娘さんが来たのです!」と、最後にあたしが締めた。
作戦失敗か...

洗濯物を持ち帰り、10分程度で退出。
母親も、父親も、とりあえずは、お互いの顔が見られて、よかったのだ、と、思いたい。
家に戻り、カーテンを直し、夕食は昨日同様、母親と一緒に食す。
夜食に、ゆで卵と、デパ地下で購入したコーンクリームコロッケをもらった。

で。
昨日に続き、煙草4本、缶ビール500ml一本。
このブログを書いている。
リクエストがあったので、昨日のページの追記に、「写真」を載せてみた。
どうザンショ?

午前中、母親を迎えに行った、ところ、動けない、という。
パーキンソン病が、ひどくなってきているらしい。薬を服用して、休んでいると言う。
で、仕方なく、父親が入院している病院へ、行く前に、父親がかかり付けの医院から電話で、車を駐車場からどけてくれ、というので、まず、ホテルからその医院に直行。受付で看護師さんたちに挨拶をし、車の鍵を受け取って、ようやく入院している病院に向かう。
その医院で明らかになったのは、最後に通院したのが、8月末であったこと。診察後(混んでいるから薬だけください、というパターンだったかもしれない)、1月分の薬を出してもらっていたのだが、それを飲み終わってから...つまり9月末...この医院には行っていないとの事。
確かに、2週間は薬を服用していない事になる。
くぉらぁ〜!
ちゃんと薬を飲めぇ〜っ!
と、思いつつ、病室に向かう。
ここは、以前書いたように...書いていなかった...とても面白いところだ。
別ページにまとめようと思っていたのだった。
とにかく、廊下が長い*。手すりがない。パーキンソン病の母親の足で、ゆうに20分はかかる。途中で3回くらい休憩しなければならない。のっぺりとした廊下だ。
その先に、CCUへ続く廊下**があり、これまた、手すりがない。のっぺり+妙に柱が出っ張っている。
その柱の下、床面から20cm程のところには手すりに似たパイプが配置されている。
絶対、人のためではない。患者を運ぶための、何と言ったっけ、キャスター付きのベッド、や、その他の機器を運ぶ際、柱にぶつからないようにするために決まっている、と、思ったな。
で、次に、入り口で「儀式」***がある。
履物を履き替えろ、というのだな。
そして、手を洗え、ともいうのだな。それも、アルコール製のヒビなんとかというのを使って。
真面目な私は、手を洗ってから、履物に履き替えたら、手を洗っても同じではないか、とか、荷物を持ったら、同じではないか、とか、考えてしまう。
さらに、CCU専用のインターホンがあって、面会する患者の名前を告げるのである。
そう、このインターホンのボタンを押す前に手を洗って、いいのだろうか、と、また、悩む。
2004年には、月に2回、週末、仙台に帰って、ここに通ったものだ。
その時、明らかに業者さんと思われる人何ぞ、履物こそ履き替えるが、手を洗ったのは見た事がない。
患者の家族だけだぞ、そんなことしているの。看護師なんかは、すぐにインターホンの下にある暗証番号キーボードを何やら押して、ドアを開けてしまうのだし。
つくづく、面白いところだ、と、思う。
Midwife Jeimieに聞いてみよう。

で、問題の父親は...ノンビリ、新聞を読んでいた。
ニトロール(硝酸イソソルビド)とヘパリンが点滴されていた。1日の水分量は800ml。
...前回の入院では、1日500mlだったかな、いや、同じ800mlかな。
要するに、急性心不全と血液凝固抑制のための点滴だろう。
言葉もはっきりしていた...前回は何やら意味不明の事を口走って、驚いたのだが。
すぐに起き上がり...前回は、留置カテーテルで排出される尿の量が測定されていたから身動きできなかった...「来たのか」と、一言。
重症度の段階****も2004年は2と3だったのだが、今回は、4と5、自分でトイレに行って排尿できるし、それなりに動いていいらしい。ただし、常に、点滴が続くので、点滴液をぶら下げたスタンドごと移動しなければならないけど。

実は、この時、事実上勘当扱いになっている妹を、敢えて連れて行った。
病気に託つけて、勘当を解くまでには行かなくとも、最低でも、今の様子をお互いに見せてやりたかったのだな。
歳をとって衰えている父親、成長して一人前になった(2児の母になった)娘、の、対面である。
あたしの方は、着替えやら洗濯物やらを点検するふりをして、ニヤニヤ、2人の会話を聞いていた。
さすがに、どうにも進まなかったので、介入、「2人とも、謝りなさいっ!」
妹が家出をしてから、既に、10年以上経過している。孫も2人いる。
それを知っていながら、近づけないでいる、意地っ張りの2人だ。
...後に、もっと意地っ張りなのが母親であることを知るのだけれども。
父親は、照れながら、何やら世間話をしていた。

と、その時、担当医がやってきたので、病状や治療方針の説明に移る。
うーん、いいとこ、だったのに。
あたしの方は、事前に電話で担当医と話しをしたし、世界一信頼できる知恵袋Midwife Jeimieから話を聞いていたから、説明できるほどだったけど、一応、聞いた。
幸いな事に、以前の弁膜症は悪化していないとの事。むしろ、良くなっているらしい...といっても、根本治療ではないから、薬で持っていたのだろうけど。
問題は、この後らしい。
父親がチョーシこくと、不整脈、頻脈、最悪は心室細動に到るらしい。
...ちなみに、頻脈と心室細動は、あたしが出した言葉。単なるプチ自慢でげす。
で、まぁ、もうしばらく、我慢しなさい、ということになった。
妹は午後から仕事があるのでタイムリミットになったことにして、CCUを退出。
帰り際、妹は、自慢の息子(つまり孫)の写真を渡していた。それを見て、考えが変るといいのだけど。
少しでも、会ってみたい、とか、話をしてみたい、とか、思ってくれれば、生き甲斐にもつながる可能性がある、はず、だよ、ね...

CCUの外で、これからの作戦会議だ。
日曜にはあたしは帰る。で、その時、孫を1人...賢い方(やんちゃな方を連れて来ると、追い出される可能性が高い、一般病棟に移ってからなら、大丈夫なんだが、な)...を連れて見舞いに来い、と指示を出す。
ただ、中学生以上でないと面会できないらしいので、服装を誤魔化して、ちょっと小さな(143cmもあれば十分だろう)中学生を装って、作戦決行だ。
一般病棟に移った場合にも、続けてもらいたいものだ。

で、あたしの方は、看護師に呼ばれて、なにやら、アセスメント用紙に「情報提供」させられた。
2004年はそんなことはなかったぞ。少しは改善されたのかな。
...意見箱に投書もしたからな...
父親は、納得しない事は、絶対にやらない。
2004年に服薬で一悶着起こしている。
何しろ、毎食後、小袋に入れられた訳のわからない薬を飲め、と言われる。これが我慢できなかったのだろう。薬を持ってきた看護師に、きっぱり、言いましたよん。
「訳のわからん薬は飲めんっ!」
次に来たちびっと先輩の看護師は、「息子さんからも言ってください」と叫んでいたが、看護師の負けだな。あたしは、父親の服用している薬の殼を持ち帰り、それぞれの薬の効能を書いて*****、次ぎの日に持参した。父親はニヤニヤしながら、見ていた。
そう、今なら、薬剤師が、データペースから引っ張ってきた画像といいくらかげんな説明文とを単純にくっつけて、○○さんのお薬、なんて印刷物を渡すけど、入院中は、そんなのがない。
というのも、処方に必要な診察券を看護師が預かっているからだ。
とにかく、説明してやってくれ、納得すればいいのだから、と、言い添えた。

ついでに、今やっている、看護師の卒後教育の自慢話もしてやった。
「卒後1年目って、使いにくいでしょう」というと、即座に、
「使い物にならないんですよぉ〜、いや...」
本音が出たよん。
あんただって、1年目は使い物にならなかったくせに。

午後は、車にガソリンを入れて、銀行で滞っていた支払いを済ませ、簡単な食事をし、着替えを持って再びCCUに向かう。
夕食は、母親と一緒にとって、父親に対する愚痴を聞く。
いい加減疲れたので、ホテルに戻ったのが、20:30ころ。
マッサージを頼んだ。9000歩程度しか歩いていないのに、やたらと腰が痛い。
始めて、足つぼマッサージというのをやってもらった。
チョー痛かった。
いちおー、それなりの知識があるので、内蔵反射区で言えば、あそこだな〜、と、思っているうちに不覚にもうとうと...
足のだるさはいくぶん回復、腰はまだ痛かったので、フェルビナクのチカラをかりて、現在に至る。
煙草4本、缶ビール500ml一本。
さて、寝るか。

父親がまた入院した。
今日は、17時から委員会(説明会)があったはずだ。
昼過ぎに起き、出て行けるかなぁ〜、などと、儀式喫煙を続けていたところ、母親から電話があった。
先ほど、搬送先の地域総合病院(2004.5.13に入院した時と同じ地域病院)の担当医からも電話が来た。
「軽い心不全」ということだが、元々弁膜症である。さらに、ここ2週間、薬を服用していなかったらしい。
弁膜症は根本的な治療(例えば、弁をブタくんのそれと取換える、とか)をせず、ひたすら血流を良くして、かつ、血圧を上げないように、薬で調整していた訳で、それがここ2週間、滞ったことになるのだな。
そうなると、当然、血流は悪くなり、血圧も上がり、担当医の言うことでは、脳への影響(脳血管障害...脳梗塞、脳出血...)も可能性としてあるということだった。
心停止の可能性、人工呼吸器の使用、最悪はカウンターショックでも戻らない事もある、等々、怖い事を聞かされるが、仕方ない、こういう場合、医者の言うことに反対できないのが患者側だ。お任せいたします、というしかないのだの。

委員会どころではない、というか、先手を打って、委員長には欠席の意を伝えたのだが...
母親の方は、パーキンソン病が進んできていて、夕方は動きが鈍くなる。
病院(最初は、調子が悪い*のでかかりつけの病院に行ったようだ)からは、救急車で運ばれた事、入院した事、必要なものどもを持って入院先(2004.5.13に入院した時と同じ地域病院)に行きなさい、と指示されたようだが、とてもとてもそのような事ができるような状態ではなかったようだ。
意を決して、あたしに電話をかけたのだと思う。
その前には、義理の妹、義理の母に連絡していたらしい。
あたしが「忙しい」「体調が悪い」ということに配慮していたのだと思う...思いたい。
順序が逆だろう、と、は、思ったけど。

とりあえず、10/19から仙台に行く事にした。
休講情報掲示板には、自分で情報を入力、特に、2つの演習に関しては、TAのもとで作業するように指示しておいた...あたしがいなくとも、できるでしょ?
年休、使った方がいいのかな...

宿は、これまでに泊まったホテルには、連泊できるところがない。
仕方ないので、繁華街のど真ん中の知らないホテルに決めた。
インターネットが利用できる事がポイント。
航空券も予約した。
おかげで、血圧が急上昇(148/105、起きたばかりの時は、130/90、決して低くはないのだが)。
喫煙量も急上昇。

また、指導生たちには、迷惑をかけるのだな。
それよりも、こちらに戻ってからが心配だ。
とんでもないことになりそうだ。

相変わらず、調子が良い、とは、言えない、ような、状態。
夜中に起き出し、明け方に寝て、昼過ぎに起きるのは同じだ。
結局、授業開始50分前に出て行く。昨日同様、タクシーを呼び、ふっ飛ばしてもらって。
途中、Midwife Jeimieに頼まれた本と、OHPの指示棒を取りに研究室に寄った。
で、だ。
とても凄い本を見つけた。正確には献本いただいたのを物理的なメールボックスに見つけたのだったが。
Midwife Jeimieにも一冊渡してくれ、との、Mさん(8月にK本大学にあたしの授業を見に来てくださった大先輩)からの伝言付き。
タクシーを待たしているのに、序文の最初の段落を読んでしまう。
これまで、どんなにもどかしい思いをしていたか、が綴られている。
例えば、「教育心理学」という名前の教科書、テキストの類いには、学習者が持ってしまっている知識、科学的には間違っている知識が存在する、という記述はあるのに、それらをどうやって修正するのか、という知見はない、のだ。そうそう、そうなんだぁ〜!
そのような知見がなければ、Whyを追求するタダの心理学だ。
どう修正するか、を提案できて、始めて「教育」という名前を冠するに値する。
そのような知見がなければ、教育方法学は立ち行かない。
よっ、待ってました、真打ち!
その名も、

4861630339 学習者の誤った知識をどう修正するか―ル・バー修正ストラテジーの研究
麻柄 啓一
東北大学出版会 2006-10

by G-Tools


だ。
「はじめに」の冒頭ににこう書かれている。

 長年もどかしい思いをしてきた。それは例えば,教育心理学のテキストに接したときである。学習者が誤った知識を持っていることには触れられているのだが,どのように教えればそのような知識が修正されるのかについては説明が十分とは言えないのである。あるいはまた,小学校や中学校の教師,未来の教師である学生たちに,誤った知識を修正するためのさまざまな研究を紹介したときである。「教育心理学では授業に役立つことも研究されているのですね」と言った感想が返ってくることが多いのである。教育心理学という学問のイメージが気になると同時に,このような研究をもっと多くの人たちに知ってもらいたいという思いが強くなるのである。


そう、今までの教育心理学を超えた、教授ストラテジー論という教育方法学の分野にもまたがった極めて稀な、そして、極めて重要な、さらには、極めて実践的な、本が漸く出てきたのである。
実践的といっても、ハウ・ツウや技術を意味もなく羅列しているのではない。キチンとした教授理論に基づいているのである。勿論、その理論と実践とがルールと実例の形で示されているのだから、特定の科目(つまりこの本で挙げられている授業)に対して限定的に利用できるのではない。読者は自分の担当する科目にも応用可能なような形(ルールと実例の形)で示されているのだから。
...ただし、ルールと実例という関係であっても、実例にのみ着目して利用しちゃうような教師(未来の教師も含む)には無意味だろうけど。

みんな、教育に関わるなら、特に、教職に関わるなら、是非、購入して読もう!
チョーシ悪かったのだけれども、とても、元気になった。

で、タクシーだ。
高速をふっ飛ばしてもらって、授業開始5分前に到着。
先週の続きから、人の情報処理の特徴をコンピュータのそれと比較する話。
眠そうだったので...16:50開始の5時限目は、受講生たちには辛そうで、心苦しいのだが、今のあたしの調子では、この時刻から開始するのがやっとなのね、ゴメンナサイ...作業をさせる。
予定通り終わらなかったが、続きは来週だ。

昨日に続き、慌てていたので、例の腰痛ベルトはしていかなかった。
案の定、帰りの電車の中で腰が痛み始めた。
明日はどうなるのだろう。
先が見えない日々が続く。

昼過ぎ(ものすごく、過ぎ、世の人々は「おやつ」を食べているかも)に起き出す。
Midwife Jeimieから届いた、ワークシートを見てくれ、というメールで、今日、月曜日、10/16、看護初任者研修(1年目)の第2回目、があることに、気付く、愕然。
愕然としながら、儀式は欠かせず、時刻はどんどんと過ぎて行き、ワークシートをざっと(これが後から命取りになるのだけれども)見直して、ヒゲを剃るのに時間がかかり、服を選んでいたら、開始時刻の60分前に、なって、しまう。
とりあえず、タクシーを呼んでふっ飛ばしてもらい、会場に着いた時には、Midwife Jeimieは既にインストラクションを始めていたのでした。
なかなか、キリッとして、上手。
今年の1年目は、人数が多い。一つのグループが最大6名に抑えて、8グループある。
今回の研修では、グループで話しあった結果をそれぞれ発表してもらう、の、だが、ワークシートを見ると、6グループ分しか記入欄がない...
つまり、1回目でやったことは、すぅ〜っかり、忘れていた、のでありました。
とりあえず、謝罪の役目はあたしがやって、グループの発表を板書することにした。

会場に着いてから、ずっと、足が震えていた。真っ直ぐにたとうとすると、右膝が「笑い出す」のである。
個人作業、グループワークの時に、椅子に座って軽く叩いたり、屈伸運動をしたり、ストレッチしたり、思いつく事をとりあえずやってみたのだが...板書の時なんぞは、動きにくくて...困った。

それはそれとして、今年の1年目は、なかなか、すごい。
自分が出した結論の根拠、特に判断基準を他のメンバーやグループに伝えられるだけ、言語化できているのだ。さらに、その基準がなかなか面白い。
勿論、我々の1回目の研修の効果、とは断定できないが、看護の世界に判断基準という言葉を持ち込んだのは我々だし、現に、2回目の研修では、基準、という言葉が受講生自ら使うようになっていたのだから、まんざらでもあるまい。
と、考える事にして。
フラフラしながら、家に帰ったのでありました。
明日は、S学院大学での非常勤だ、が、大丈夫何だろうか。

だらだぁ〜らな、1日、の、続き。
昨日から、ずぅ〜っと、喜多郎のCD(正確にはiTunesだが)をかけっぱなし。
寝る時も、寝ている時も、起きている時も。
煙草は、いつもの週末よりは多少少ないかも。
テレビを見て、サーバプログラムにパッチをあて、他のサーバの様子を見て、少々、焼酎を飲み、カップ麺を食べたら、20時過ぎに眠くなって、喜多郎を聞きながら寝てしまう。
で、この時刻に、腰が痛くて起きてしまう。
ちうと半端、だ。

学府・学部の休講情報掲示用ブログを作って、既に1週間、ボランティアによる掲示が続いている。
役立っているのだろうか。
利用者反応、というのを知りたいものだ。
アクセス統計を見ればいいのだな...
トップページの/notice/に173件、学部情報に25件、休講情報に21件、10月分に19+8件、学府に9件、アーカイブに7件、個別の情報に18+9+8+7+6+6+6+5+5+5+1+1件、まぁまぁか。多分、知っている一部、がアクセスしているのだろう。
ちなみに、携帯電話からのアクセスが10件。
まだまだ、だな。
教務委員会では、どんな扱いになっているのだろう。

ちなみに、このブログには、半月で1300件、先月が2100件だから...単純に予想しても残りの半月で1300、月末には2600、予想に反して、アクセス数が増加してしまった、かも。
いったい、何が面白いんだぁ〜

一服して、寝よ。

このブログ内で相互にトラックバックができなくなっていることに気づいた。
過去の投稿に対してトラックバックを送ると、
トラックバックは失敗しました: HTTP error: 403 Throttled
というエラーが出てしまう。
...これ、どこかで一度、書いたように、思う。
確かに、最近、Movable Typeのバージョンを3.33-ja上げた。
それから、なのだと、思う。
つまり、依然として、バグが残ったまま、と言う事なのだろう、な。
で。
この時は、バージョン3.2-ja-2だったので、「HTTP error: 403 Throttled」でググって見つけた情報に従ったのだが、今回の場合には、バージョンが違うし、単純にパッチを当てる事はできなかった。とほほぉ〜
しかぁ〜し。
やはり、やっている人は居るもので、こんなページを見つけた。
早速、実行、この投稿が実験と言う訳。
さぁ〜て、うまくいくかなぁ〜

だらだぁ〜ら、な、一日。
昼過ぎに起き出す。血圧が低い、117/79。
儀式喫煙とコーヒーは、慣例となっている。
S谷先生からのメール(とは言え、CCで複数に送っている)に、返信、すぐに返信、また返信。
電子シラバスシステム「エシラス」のだ。
てめぇで、しくじったんだから、尻拭いくらいせぃ!、というのがあたしの主張。
ただし、このメールのやり取り、当人たちは、月曜日にならないと読まないだろう。
係長の前で煙草ふかす必要はなくなるかな。

で、今日は、喜多郎の日、とする。
手元にあったCDと、かつて購入しテープで聞いていた分を新たにCDとして購入(つまりテープが見つからない、のと、デッキが壊れた、の)、それらをiTunesに取り込んでひたすら流す。
これで、一気に、mixiミュージックの順位が上がるだろう、って、何やってんだか。

さて、CSI:マイアミ*、CSI:マイアミ4、コールドケース2、見よっと。

昼過ぎに起きる。
儀式喫煙しながら、コーヒーを飲んだり、mixiにメッセージを送ったり...「学生らしく」講義をさぼった連中が、まとまってメッセージを送ってきた、のに、対して、律義に返信する、のは、ちびつと、病的かもしれない...、していたら、既に授業開始60分前になる。慌てて出て行く...昨日に続いて、ヒゲを剃り忘れた。
タクシーですっ飛んでいったので、万歩計は1300歩、授業後は5800歩、教壇の、もとい、舞台で暴れまくったようだ。
休講になったから、と、いうことで、顔なじみの学生...メッセージを送ってきた学生たち...が「ゲスト」で加わる。なんだろーねー...きっと。あたしの舞台を見に来たのだろう。
なんとか、属性記述と対象記述の話を進める。適切属性・不適切属性の話もできたつもり。
タクシーの中で拾った1円玉を使って...

次の時間が問題。
TAに任せっきりにしていたのが徒になり、結局、裏方で尻拭いをする破目になる。
実習の様子、見たかったのにな〜

その実習では問題続出だったらしい。
...TAたちはそれなりに対応したようなのだが、その対応の様子も見たかったな。
サーバにログインするためのパスワードが、なんと、変更ができない、という大問題が残った。
はて、そういえば、サーバのセキュリティが、前回の授業...というのは2年前...の時に比べて上がったことは確実。
授業後、TAたちを残して、いくつか実験してみたのだが...
なんと!
このサーバは、パスワードとして、7文字しか受け付けない、のであった。
8文字ならば「慣例」なのだけれども、7とはなんとも、不思議だ。

ま、理由はともかく、事実として確認されているのだから仕方ない。

テキストの訂正が必要だ。
ふひぃ〜、仕事が増えた。

夕方は研究生と社会人院生の指導をして、帰りがけに一杯引っかけて...いつもの店なのだが、「身構えるような連中」と出会ってしまった。
うー、困ったものだ。

結局、12000歩、歩いたことになっていた。
用心して「N山式腰痛ベルト」をしていったのだが、それでも腰が痛い。
さらに、腰痛ベルトを締めすぎたのか、あちこちかゆい。
困ったものだ。

で、夜は、また、眠れなくなってしまって...結局、先週と同じだ。
TRICKを見る羽目になった。
困ったものだ。

ここに来て、電子シラバスシステム「エシラス」の既に公開された情報を直せ、と、懇願されている。
冗談じゃない。事務の尻拭いなんて、できるかいっ!
更新期間を定めたのは事務だし、その期間に肝腎の事務が確認していなかったのだし、そもそも事務はいつでもどのデータでも修正できるのに、なんであたしがやらないといけないのだ?
それに、シラバスは教員と受講生との契約書だ。それを途中で変更するのは、契約違反になるではないか。
それに、エシラスは、データを3重にバックアップしていて、公開された情報だけを更新することは至難の業。何しろ、毎月1500アクセスあるサーバだ。アクセスの多い時間帯で5000ページは更新される。そこに割って入ってデータを修正することは不可能に近い。
公開されていないデータ入力・修正用のデータベースで事務が自分の尻拭いをし、公開用データベースに反映させる、という、手順がどうしても必要なのだな〜
そうそう、皆さまにゴメンナサイ掲示をしなければならない。

どうも、あたしには何でもできる、という、神話が、また、できてしまったようだ。
あぁ〜あ
係長の前で煙草吸ったろーかな。
ぷっかぁ〜、ぱふぅ〜

mixi日記とブログの更新が2重になるので、mixi日記をやめて、mixi日記を、この、くらぁ〜いブログにリンクするようにした。
問題は、これで、アクセス数が減るか否か、である、な。
予想では、元に戻ると思うのだが...

で、久しぶりに来た、話だ。
週末、煙草を吸いすぎたせいだろう。咳が出る。咳止めを服用して、喫煙する。
ええ加減にせんかいっ、状態なのだが、儀式としての喫煙は、まだ、やめられない。
特に、週末が危ない。

戻るが、儀式喫煙しながら、mixiをいじくっていたら、昼を過ぎてしまった。
演習開始の13時ギリギリにたどり着いてみると、情報基盤センターの方と助手のY田くんが廊下をうろうろしている。どうやら、ネットワークに接続できないらしい。
先日受講した、支線LAN管理者講習会で学んだことを実践してみた。
一応、DNSサーバでチェックしてみたが、HUBまでしか届かないことしかわからなかった。
ということは、どこかの部屋のコンピュータが悪さをしてることになる。
廊下に戻ると、情報基盤センターの方が、思いっきり「わかりましたぁっ」と叫んでいた。
HUBにつながっているLANケーブルをひとつひとつ抜いて、HUBが動くかどうか確認していたらしい。これで、特定のひと部屋へ続くLANケーブルを抜くと、問題が解決することがわかる。
...実は、次にあたしもやろうと思っていた作業だった。面倒だったので先にやらなかったのだけどもね〜
で、演習に遅刻、次の演習にも「推薦文」を書いていて遅刻。
さらに輪をかけて、M実験室のWindowsマシンが起動しなくなった、と、指導生が報告。
おまえ〜、Windowsマシン、使えるって言ってたんじゃないかぁ〜、直せぇ〜、とは言わず、とりあえず、見に行く。見たこともない文字列が表示されていた。なかなか面白い。
さすがにWindowsマシン、文字列ばっかし。Macintoshなら、グレーの駐車禁止マークが出るところだ。
もっとも、M実験室にWindowsマシンを設置する条件は、あたしがいっさいメンテナンスしないことだったから、ほったらかしでもいいのだが、金曜日の授業で使わざるを得ないことになっていて。
なにしろ、某PSSがWindowsマシンで動く製品しか作らん宣言をしやがったから、仕方ない。
急きょ、他研究室の院生、U田くんに連絡、リカバリーディスクからの復旧を頼むことになってしまいましたっ
あぁ〜疲れた。
おかげさまで、コーフンさめやらず。
金曜日はどうなることやら。

久々に、来ました。
張り切りすぎ、集中的に働きすぎ、であることは、わかっていたのだけど、それでもやっちゃうから病気なんだろう。
自学自習用のテキストの作成と、ケーブルテレビと、喫煙で、グスグスのどよよぉ〜ん、である。
起きたのが午後。
S谷先生からは、「会議だぞっ」というお叱り、激励のメッセージが届くし。
出たいのはやまやまではあるが、久々だけに、出ていけなかった。
作成したテキストの印刷は、指導生たちが無事に印刷して綴じてくれたようだ。
深謝!

それにしても、FAXを送るのに、30分かかるのはどうかね〜
もちろん、構内回線、PBXの仕組みがわかっていない、という重大な知識の欠損があったのだから仕方はないのだけれども。
そのFAXは、10/11締め切りの「推薦文」だった。
留学生が待っている、というので、ピンと来たのだけれども、その情報が届いたのが15時過ぎ、以来と遠隔操作(メールで指示する)によってFAXは40分かかって届き、16時から17時に提出するまでになんとかする、というのは、今日のあたしにはとても無理。
調子が良ければ、10分程度で「作文」できるのだろうが、何も浮かばない。
...その前に、アポなしでくるのはどうかねぇ〜
...アポ入れても、出ていけない場合もあるのだから。
...この点に関しては、指導生たちに、十二分に説明したはずだったのだが...
...「それはおにいちゃんの躓きではなくて、わたしの躓き」なんだよな〜
機械的な作業に徹して、少しでも指先を動かし、ニコチンを取り入れて、脳に刺激を与えないと...

で。
Jeimieさんの予算で購入してもらったPowerBookPro 15インチ、ノートパソコンに、甜茶を飲ませる破目になった。
ぐぉあ〜げぁあ〜
テッシュペーバーとタオルでふき取り逆さまにしてみたところ、これまでのノートパソコンとは異なり、液体が滴り落ちてきた。もしかして、「生活防水」かな。
怖いので、タオルを挟んで、半日寝せておくことにした。
キーボードを押しても戻ってこない、とか、スピーカーから音が出なくなる、とか、ディスプレイに何も表示されない、とか、そんなんなったら、どぉ〜しよぉ〜
一応、保証期間内だけど、有料修理だろうな。近ごろは、修理するより、交換する方がはやいのだろうけども、「事故」、それも不注意による、だからな〜
へにょ〜ん

家の中でも、モノドモにけつまずくし、よろしくない。
3日ほど、ゆっくり、ダラダラと過ごしたいところだが...
で、10/12の授業がすべて終わることには、チョー絶好調になっていることだろう。
そして、10/13は疲れて、遅刻することになる。
これじゃあ、先週と同じじゃないか!
つくづく、学習しないヤツだ。

結局、ファイルは、思いもしなかったサーバに残っていた。
で、それを元に、テキストの改定作業を進める。
後一つを残して、2つは終わった。
PDFファイルを作って量産体制に入るのは、今日の昼過ぎか。

それにしても、複数の場所に保存する、ということでリスクを少なくすることを推奨しているあたしとしては、同じ中身をあちこちに置く、ということが原則。自宅のノートパソコン、そのバックアップ用のモバイルハードディスク、自宅サーバ、研究室サーバ、研究室のパソコン、これだけ保存しておけば、同時に3台以上壊れる確率はかなり少ないはずだから、あんしぃ〜ん、と、思っていたのだな〜
しかぁ〜し。
サーバを複数使っていると、よくわからなくと言うことがよくわかった。
2004年は、通常利用しているサーバの調子が悪かったのか、単なる思いつきか、別のサーバにすべてのファイルを保存していた。
その後、通常利用しているサーバと同期を取れば問題はなかったのだけれども、すぅ〜かり、忘れて、はや2年。
複数の場所に同じものを保存する、という原則が崩れると、どうしようもない、訳だ。

で、これから、昨日のニュースか、Corinne Bailey Raeを聞きながら、寝る。

mixiにアクセスするようになってから、このブログへのアクセス数が伸びた。
それまでは500〜1000位だったのが、一気に2000強。
なんだべ。
mixiの威力、かな、やっぱり。
ちなみに、このブログにアクセスする場合の検索語には、「薬」の名前が多い。眠剤系、安定剤系、抗うつ剤系。「直接」病名で引っかかってくるのが多いのは、言うまでも無し。

mixiの足あとはようやく200踏、今いる職場の関係、出身中学、出身高校のR上部、出身大学の学部、等のコミュニティを覗いたら、急に増えた。
踏んだら踏み返すだろうから、だろうが、それだけでなく、闘病中の病気関係でも増えているように思える。
そう言えば、某ブログの更新は、遅々としてゆっくり、歌も詠めなくなってきたかも。
mixiの日記には比較的よく書いている。
勿論、内容は違うけど...今回のは似ているかも。

さぁ〜て、続きの作業しよっと。

おまぬけだぁ〜
あたしとしたことが、2004年に訂正したはずのファイルを見つけられずに困ってしまって、いた。
もはや、ゴミ屋敷と化した自宅や研究室同様、ハードディスクの中までも、検索不可能になってしまったのかぁ〜、と、TRICKの連続放送を見てしまった。

で、例によって、昼に起きてしまい、作業の続きを始めるまでに煙草が12本、仕方ないので、1999年に作った古いファイルを機械的に直し始めた。そこはそれ、ヒトなので機械的な作業は機械的にできず、さらに煙草が12本。
作業が終了したのは、予定よりも2日遅れた先ほど。
悔しいので、思いつくハードディスク、サーバの中身をコンピュータに検索させながら、地下核実験のニュースを見ているうちに、ふと、探す場所、つまり保存してある場所(サーバ)がもう一つあった事に気付く。
結局、見つけたのではあるが...
この作業は、土曜日のうちに終了していなければならなかったのだなぁ〜

はっうぅ〜
もっと激しい機械的な作業が残ってしまった。
...指導生ども任せればいいのかな...

また、コーフンしている...
木曜・金曜と話し過ぎた。
木曜は、受講生がちょうど良い人数なので、金曜は、受講生が多かったので。
木曜は、12000歩、金曜は、17000歩、万歩計に記録されていた。
そんなに、動くかな。動いているのだろうなぁ。
何しろ、高座...教壇ではない...だ。
木曜も眠れなくて、結局、金曜日は遅刻ギリギリに到着、それにも関わらず、高座に行く途中で、某中学校の校長が戸惑っていたので、目的地まで案内するし。
そして、金曜が終わって、また、眠れない。
さっき(金曜のうちに)、眠剤(ドラール15mg、1錠)飲んだんだけどなぁ。
さらにさらに、金曜のうちに、安定剤のレスリンは時間差で2錠服用しているし。デパスまで服用している。
SSRIパキシルも眠気をもよおすはずだし。
きっと、寝たくないのだと思う。
寝ると、起きなくなるような気がするのだな。

そして、週末は、さらにニコ中が進むな。
来週、大丈夫かな。
3年生がしっかりしてるから、任せちゃえ。

そうそう、こんなことがあったらしい
9月に集中講義に来てくださったN野先生は、某F教育大に長くお勤めで、付属中学の校長になられた時、あたしがN野先生のいくつかの科目のピンチヒッターとして非常勤に出かけた。
事務が帰った後でも待っていてくださって、雑談に付き合ってくださり、時々、行きつけの焼鳥屋でいっぱいやったものだ。

で、だ。
そのN野先生から聞いた話。
その大学の学生さんが、K務課の学生に対する対応が酷いっ!と、学長に対して直訴メールを送ったらしい。
確かに、非常勤に行って、部屋の鍵(正確にはあたしだけが使えるマルチメディア統合操作卓の鍵も)を借りようとしても、何度か無視されたのだから、学生さん達に対してはどれほどのものだったのかは、想像に難くない。
直訴メールの効果は抜群で、まず、机の配置が変ったらしい。
それまでは、カウンターに対して直角になっていた...某Q大の某K育と同じ...のが、平行するようになり、カウンターに誰か来ればK務課の誰かが必ず対応するようになったとか。

ちなみに、あたしは、某Q大の意見箱に意見箱について意見した事がある。
その後、元気がなくて、意見していないけど、意見箱システムは変ったのかな。
...勿論、アジってないぞぉ〜

mixiのトップページを見た周りの方々は、「インパクトがある」とおっしゃる。
恐らくは、あの写真を見て、だろう。
何しろ、ご紹介いただいた方のトップページの写真があれですから、負けないようにするためには、あれしかないでしょう。
ちなみに、大学四年の時の写真だ。あのインパクトで口述試験(修士課程、卒論は発表会形式だった)を乗り切ろうという、姑息な手段に出た訳だな。

で、だ。
ちらちら、あちこちのページを見ていると、どうも見ても、この写真はどこからか持ってきただろう、スキャンしただろう、と思われるのが使われている事がある。
いいのかねぇ〜
つまり、著作権に肖像権、のこと。
mixiの禁止事項には、ひとこと「法令に違反する行為、および違法な行為を勧誘または助長する行為」と書かれているだけで、具体的な写真・図画類に関しては、わいせつ絡みの事しか書いていない。
じゃあ、いいのか。
...はい、突っ込むところよん。

また、寝つけなかった。
11時近くに起きる。
ダルダルで、どよどよぉ〜ん。
昨日の「講義あたり(我々の仲間内では、食あたりと同様、学生あたり...なぜかカウンセリングになる、採点あたり、口述試験あたり、講義あたりが有名)」だろう。
さらに悪い事に、左の腰が痛い。

mixiのプロフィールをちびつと変えてみた。
この3日程、一日一箱の勢いで喫煙が進んでいる。
一応、日中は禁煙ガムをガリガリやっているのだが、朝の「まとめ喫煙儀式」は、なかなか変わらない。
ちなみに、禁煙ガムは、オーストラリアから通販で購入したニコチン4という、日本では売っていないヤツ。日本のはニコチン2が最大だものね。
それにしても、まずくて高い。
生ゴムを噛んでいるような触感、そして、一個あたり日本のタバコ一箱分だ。
買わないよな〜
日本のガムは凄いよな〜
煙草1本を5000円くらいにすればいいのかもね〜

で、今日は、明日の授業の準備をするつもり。
多分、喫煙量が増えることと思う。
新しい「院生・学生用の事務連絡用ブログ」、
http://www.human.kyushu-u.ac.jp/notice/
のテンプレートをちびつと変えようかな。
誰が投稿したか、投稿時刻、なんて必要ないし、タイトルに日付が表示されれば便利だろう。
カテゴリーと過去10日分のログが閲覧できれば十分だと思うな。
そーゆーことに夢中になると、タバコが減るし。

起こされたっ
職場からのメールを転送しているケータイの電源、切り忘れた、ので、メールが届いた音で起こされた。珍しく、22時過ぎに寝たのに...mixiのミュージック・ランキングで、Corinne Bailey Rae*のアルバムに変わった時刻が寝に入った時刻。1曲終わる頃には寝ていたと思う...眠剤ドラールが比較的よく効いたし。
それにして、もっ
シラバスを読んでいるとはとても思えない、掲示を見て慌ててとりあえずメールを送ればいいのだなと判断したとしか思えないように某S学院の学生。
...実習に行くらしいが、返信メール、いつ読むのかな。
ホームページ管理者宛に、貴大学の論文を閲覧したい、等と寝ぼけたメールを送りやがる某元国立K都大学の院生。
...ホームページ管理者宛に送ったとしても、定型文しか返信されないように工夫してある。うーむ、送信元と内容から判断して違う定型文を送るようにしようかな...最高学府に所属しているのだったら、もっともっとよく考えなさい、と、か。

そうそう、mixiでは土日で足跡が急に増えていた。
あたしは、もっぱら、mixi stationを使って、mixiのミュージック・ランキング(プレイリスト、アーチスト、楽曲それぞれの)を意図的に変えて遊んでいた。
その間、チラチラ覗いていくのは、関係者かな。
三強、モトイ、三恐の一人だけに、怖いもの見たさ、かな。

さて、タバコ1本**吸って、ラボナを服用して、寝に入ろうか。

また、Corinne Bailey Raeのアルバムのランキングが上がるぞ。

酒とタバコとケーブルテレビ、無為に過ごす。
3時過ぎに寝ついたと思ったら、ケータイが震えて8時に起きるものの、眠剤の切れが悪く、朝から10本ほど吸う。
録画しておいた、LOST*、エイリアス(「二重スパイの女」というタイトルはどーか、と、思う)、ミディアム、CSI:マイアミ字幕版をダラダラと見る。夕方、BONESを見ていたら、居眠りをし始めたので、ひとまず寝る。この間、ずっと、自宅サーバでは家元が噺をしていた。恐れ多いかも。
20時過ぎに「家元、もう『鰻屋』まで演っちまったんだぁ」と思いつつ、ぶぼぉ〜っと起き、散歩をかねてコンビニに酒を仕入れに行く。ナスの味噌煮等をつまみながら、渥美清のドキュメンタリーを見る。そのうち、CSI:科学捜査班5が始まり、コールドケースと続けて見る。
気付くと、吸い殻が12本くらいになっていた。
データ入力、しないとなぁ。
とりあえず、眠剤を普通に服用して、Corinne Bailey Raeのアルバムを聴きながら横になってみようか。

S谷センセから招待を受けて、mixi*に参加する事になった...参加した、か。
否、登録してしまった...ここ*...とりあえず、もつ鍋研究会**に参加。現在、参加者2名。
こんなことをしていたら、13時からの博論の査読に、ギリギリ滑り込む事になった。
S谷センセが心配してくださったようで、あちこち、探しておられた。ゴメンナサイ。
今回は、それなりに整合性があったので、7月25日よりはまとまっているように読めた。
ただしっ!
児童がautomaticになっていたり、誤字脱字が気になった。例のように、一番最初に質問した。
「誤字脱字の訂正はありませんか?」
「いや、特に...」
「では、誤字脱字の訂正は、我々にせよ、ということですね?」
つくづくイヤなやつだ。
勿論、一応、建設的な提案はしたつもり。伝わったかな。

会議の日々。
特に、24日、27日は、全学の委員会だから、部局の代表として「必ず」出て行かなければならない。
前夜は、キンチョーして、寝つけなかった。
某センターにいたとき、ボスが、会議、委員会では、必ず出席し、黙っている委員が一番重要なのだとおっしゃっていた。そう、定足数があるのだから、出席してもらわないといけない。議案を承認してもらうのだから、黙って首肯いていただくのがとてもとてもありがたい。
ただ、あたしは我慢できないので、必ず一言、発言してくる。そーでないと、出て行った意味がないと考えるからだ。時々、質問に対して正確に回答していない場合があって、そんな時には、「回答になっていません、質問者は○○について聞きたいのですよ」等と発言してしまう場合がある。本来ならば議長役の仕事なのだが、議長はそれなりに忙しい。
で、疲れる。

25日は、博論の審査委員会だった。
あたしよりも、はるかに年上で、はるかに業績もいっぱいあって、職位も高く、センター長、副学長を歴任されていた、の、だけれども、どうしても我慢できなかったので、バシバシ発言してしまった。おまけに、研究指導までしてしまう...テーマというより、取り扱っている事柄がまずかったと思うのでありますな、何しろ、某センターにいたときに、散々あたしがやってきたことなんだもの。
これで、また、妙な「神話」がつくられるのだろうな。

26日は、部局の会議。
月曜・火曜の疲れが出て、昼過ぎまで寝ていた。儀式的な喫煙量が増える。
最初の会議は、「出席して、黙って首肯いて」いた。
次の会議で、肝腎のことを話さなかった。
しまったな。次の会議で間に合うかな。

で、28日、29日は倒れることだろう。

会議の後、ご著書をいただいた。
学校は軍隊に似ている―学校文化史のささやき487415591X
で、ある。
前々から、某ブログに掲載(その前には、某雑誌に掲載されていたらしく、ブログに掲載したのは「整理」「加筆・訂正」するためだったのだと思う)され、ちらちらと読んでいて、本にならないかなぁ〜、と思っていたので、狂喜乱舞、であった。
かつて、H谷先生が授業で、「御真影」の逸話に関しては、十二分に吠えていたし、某ブログに掲載されていたときには「君が代」について、あたしも触発されて「調べ学習」をしたことがあった。
そんな訳で、読むのがとてもとても楽しみだ。
そうそう、H谷先生は、某スキナーは必ず「ドクター・スキナー」と呼ばせていた(多分、実際に軍人だったのかも)、とも吠えていたなぁ。少なからず、軍隊の影は学校に落ちている。
かく言う、あたしの研究室だって、あたしが絶対的な存在だし。
あー、やだやだ。
「手習い」では、先生が逆さまに字を書く、というのには、とてもとても驚いた。時々、面談をしていると、逆さまに字を書いてくれる(つまり、対面にいるあたしが見て読めるように配慮してくださるのだな)学生さんがいて、あたしにはとてもできない、と、驚嘆の目で眺める。おそらくは、今の学生さんたちは、家庭教師をしながらその「技」を身に付けたのだと思う。
...あたしも家庭教師をやったことがあるが、対面には座らなかった。だって、怖がるんだもん。
もちろん、究極の自学自習であることは、初めて知ったし、同時に、某横浜の小学校の先生が、総合的学習の時間で、座席表に付箋を貼り、それぞれの子どもがどこまで学習を進めているのかチェックされていたことを思い出した。

で、夜は久しぶりにもつ鍋研究会。もちろん、例の店、である。今回は、豆腐を入れるタイミングを研究。まるで構成法だ。
途中、「特殊清掃」に話題が飛ぶ。
何しろ、「液体人間」だ。もつ鍋を食しつつ、こんな話題で平気なのは、あたしだけかと思っていたのだが、メンバーもそうだったようだ(そう、あたしに見えただけか...)。ちょっと、驚き。
とは言え、あたしの場合は、すでにCSI*で何度も見ているので、なんてことはなかったのだが...
紹介されたブログを読んで、ちょっと吃驚。
うーむ、脂肪を落としてカラカラになって死にたいものだ。

通院の日。
7/5水曜日にダラダラしていた所為か、起きたら11時を回っていた。
さりながら、ちゃんと「儀式」は行って、慌てて診療時間終了間際に駆け込む。
6/22木曜日に行った血液検査の結果が心配。
尿酸値が8から6.8に下がる。不思議。境界が7だから安心はできないけど。
ガンマ等、肝機能は正常範囲。
中性脂肪がずば抜けていた。
夜食が効いているのだろうな〜
薬は変らず、小青竜湯はストックがあるし、なにより喫煙でくしゃみ・鼻水が出なくなっているので止める事になった。
血圧の薬は残った。

午後は、3コマの授業。
学生たちの作業を主に(特に2コマは演習だし)したのだけれど、やはり、疲れた。
おまけに、主に使っているコンピュータが機嫌を損ねるし、もしかして、iMac G5を使うこと自体間違っているのかもしれない。
CPUメーターを見ていると、ほとんど100%使っているものな〜
とは言え、Power Mac G5とディスプレイを置く場所は、ない。
...掃除しろっ!、片づけろっ!、て、そーなんだけどさぁ〜

午前中は、いつものように(儀式的に)、コーヒーを入れながら、タバコを3本、コーヒーを飲みながらまた3本、あっという間に時間が来て、タクシーで向かう。
授業が億劫、かもしれない。
が、やはり、授業をし始めると調子が上がる。
に、しても、ぼんやりタバコを吸っていた時の突然の留守電のメッセージには参った。留守電のメッセージはケータイに転送するようにしている。
なんと、上司から、明日、7/4のヒアリングに備えて、今日7/3の13時から事前打合せをしたい、という。授業とかぶってしまう。休講にするのかよぉ〜、やれば調子出てくるのに。
教育・研究よりも会議が優先される、のでは、あるが、13時からの授業は大学1年生を対象としたとてもとても大切な授業だ、それはおわかりいただけるでしょう、だから、出席は無理です、とメールを送っておいた...首切られるかな。

幸い、資料に必要事項を記入し、7/4の会議に出よ、とのメールでのお返事。
その会議、数週間前、出欠を尋ねられ出席すると回答したにも関わらず、出席者には名前が載っていなかった。
出なくてもいいのでしょう?と事務にメールを送ったのだが、梨のつぶて。
なんだろーねー

で、7/4の会議、は、JKセンターの主立った方々が、部局の情報機器、セキュリティ等の状況についてヒアリングする、というもので、恥ずかしながら、我が部局で、太刀打ちできるのはあたししかいない、にも関わらず、出席者に名前がないのだから、勝手にしやがれ、と、思っていた矢先の留守電だ。
上司は、副○○長が事情があって出られないのであたしに出てもらった、と、言い訳していたが、仮に某○○長が出席した場合でも、その某○○長があたしを呼んだことと思う。
強みはまだある。
何しろ、JKセンターの紀要への投稿、研究会での発表、という、実績もあたしは持っている。
もちろん、当のJKセンターの委員でもあるので、「主立った方々」はほとんど知っている人ばかりだし、当然、その委員会でバシバシ発言するから、彼らだってあたしのことは知っていたことだろう。
それにしても、なんで出席者から外したのかね〜

始まってみると、案の定、Linuxは何を使っている、とか、MTAは何だ、とか、端末室での学生の利用状況は、とか、コンピュータウィルス対策は、とか、両脇の我が部局の方々は辛い時間を過ごしていたことと思う。事務局も質問されて困っていた、ので、助けてあげた。
...助けられた、とは、思っていないだろうな。
それに、あたしのおかげで、我が部局には、(自慢できる*)独自のアプリケーションが複数存在している。公開しているデータペースだって複数ある。ヒアリングに参加していた他の部局よりも凄いのだぞぉ!

そうそう、情報教育に関して、暴れた。
某部局が、大学1年生の情報処理教育では、メールの送り方、ワードプロセッシング、表計算アプリケーションの使い方を教えてくれ、Pascalは学生に評判が悪い、等という、事情を知っているものにとっては強烈な「暴言」をはいたのだな。
...勿論、教材の砕き方、目標の設定の仕方、そして教え方が悪い、のかもしれないけど、ね。
JKセンターの方々がざわついたので、その隙に、あたしの持論を披露した。
つまり、メールの送り方、ワードプロセッシング、表計算アプリケーションの使い方、なんてのを大学でやるのは意味がない、そんなもんやっちゃったら、専門学校と変わりがなくなるではないか、仮に実施したとしても、ワードリテラシーやエクセルリテラシーが身に付くだけで、コンピュータリテラシーは身に付かない。大学における情報処理教育をどうすべきか、今では高校で情報を履修してくる学生もいるというのに、それだけ考えることだけでも大変なのだ。さらに各学部からの「素人の要求」、そんなジレンマに情報処理教育担当者は陥っているのだぁ!、わかりやがれ!
すると、間髪を入れず、某教授(今回はJKセンター側)が、それを言い出したら時間が足りない、と静かに止めてくれた。そう、20年前から、某学会では議論され続けているのだし、決まらないだろうさ。
某教授は、わたしだってやりたいことがある、とおっしゃっていた。そうだろうさ、情報の専門家だもの。そして、最後に、問題は誰が担当し実施するか、だ、人任せ(他部局の教員に依頼)にするのではなく、必要ならば担当すべき、と締めた。
よくぞ、言ったり!、その通り、要求だけでなく、自らが育てたい学生に必要ならば、自らそれなりの基礎教育をすべきなのだ。
...基礎教育って、何?という基本的な問題は残るけど。
少なくとも、あたしは、やっているつもりだ。
最近、我が研究室の名称を「尻拭い研」と言い換えることにしたばかりだった。
これまでの授業では聞いた事がない、なんとなく聞いた事がある、といった事柄を、必要ならば、丁寧に、短時間で、正確さを犠牲にして、わかり易く説明してから本筋に入る。
(正確さとわかりやすさは反比例する)

で、また、疲れた。7/5は、一日ダラダラしていることだろう。
タバコは一箱いくかもしれない。
あ〜あ

博論の構想発表があったはずだ。
教授会もあったはずだ。
起きた時には、既に始まっていた、という、例のパターンである。
とても、背中が痛い。だるい。
で、さぼる事にした。
移動疲れ、学会疲れ、委員会疲れ、が、一気に襲ってきたようだ。
一日中、ダラダラと、撮りためたドラマ(CSI*)を見る。
食欲もない。タバコは増える。
ろくな事はない。
明日、木曜日は、半日(3コマ連続)授業である。
できるかな...

移動疲れ、学会(ケンカ)疲れ、が、いったいいつ出てくるのか、ドキドキしながらの月曜日。
やはり、まず、授業をやりたくなかった。珍しく遅刻する。
タバコの本数も増えてしまった。
某クレジット会社のポイントというやつでもらったコーヒーメーカーでコーヒーを入れながら、2〜3本、吸っている。
コーヒーを飲みながら、2〜3本吸っている。
気がつくと、もう、授業の時間が迫っている。
慌ててタクシーで駆けつける。
話をし始めると、例のように調子は上向くのだが、それまでが、なんとも。
睡眠も乱れ始めてきた。まずいなぁ。

27日火曜日は、全学の会議。かつてやった事のある委員だが、どうにも、ムダな作業なので、初回、副学長が出席されるはずだから、文句を言ってやるつもりで、頑張って時間通りに出かけた。
この委員会は、「親委員会」のワーキングのような存在だ。毎年、報告書を作成し、それを「親委員会」に報告する。
では、その報告の結果、どのような情報が与えられたのだろうか。それを知りたい。
その情報を元に、今年度の活動計画は調整されなければならない。
授業評価と同じはずだ。
以前、このことを質問した時には、副学長の顔色が変った。
例によって、本当の事、痛い事、を言ってしまったのだろう。
今回は、事務方がゴモゴモと状況を説明してくれた。
これでは、結局、この委員会の作業が、「無意味なもの」として、単なる慣例として、続けられる事になってしまう。
あ〜、イヤだ。

6月24日(土)・25日(日)は、 JAPTL の年会だ。
今年は、茨城キリスト教大学(日立市大甕)だった。
築○十年のビジネスホテルに泊まる。インターネットが利用できる、ということと、会場に近い、というだけで予約。
他の皆さんは、どうやら、日立市に泊まったらしい。
一応、理事なので、24日の理事会にさえ出ればよかったので、かなり気がラク。
初日、2日目と、遅刻。セッションの最初の発表の終わり頃に会場入り。
この学会は、小さい事もあり、発表に15分、質疑応答に15分、さらに、セッションの終わりに改めて討論の時間が取ってある。
授業研究が主体であり、大いに刺激される。
で、2日目の午後。プログラムを見ていて、どうにも気に入らない研究があったので、そのセッションに潜り込む。
小学5年生を200人も被験者(被害者)にして、段落の要点をまとめられるのは、中学生になってからだ、という、極めて傍観者的、無責任な研究だった。
M谷純先生が降りてきた。
「極めて無責任な研究なので、いちゃもんをつけます」とケンカを挑んだ。
「200人の小学生のこれまでの学習成果に関しては、何故、無視できるのか」
「向山洋一の段落のまとめ方に関しては、ご存知だと思われるが、意見を聞きたい。」
すると、「方法の研究ではない」から「答えられない」ときたもんだ。
思わず、「あなたは、子どもたちにどうなってほしいのだ!」と叫んでしまった。

悪い事に...次の発表がつまらなかったので、寝てしまった。
起きた時、ちょうど、総括討論の時間で、W大のMさんが、先にケンカを挑んだ発表者に質問していた。
「もし、要約する課題文に、筆者の感想など、ダミー文を入れた場合には、結果は変ったのではないか」
穏やかに質問していたが、強烈である。
いつぞやも書いたのだが、発表者はその質問の意味を理解できていなかった。
我々は、ニヤニヤしていた。
おー、怖い。

世界禁煙デー、だった、らしい。
まずい、いつもより、多く吸ってしまった。

「遠い」同僚から、重たいメールが届いていた。
世界禁煙デーに関連するURLだけならまだしも、複数の添付ファイルがあった。
一つ一つ、それらの資料を読む気にはなれなかった。始めから無視していた。

ここに1ヶ月で、急速にニコチン中毒、ニコチン依存、に進んだ、と、思う。
先の重たいメールでは、タバコは、毒である*、身体に悪い、他のドラッグと同じだ、と主張されていた。

それはそれでいいのだけれど。
どうして、「依存**」という事を前面に出さないのだろう。
すぐに、禁煙、ニコチンパッチを勧め、是非とも治療せよ、となるのは、どうしてなのだろう。
この手の説得、単なる「脅し」で進めようとするのは、単に、教育の方略を知らない無知だからなのだろうか。

依存しないで生きて行けるヒトは居ないと、考えている。
単なる、思い込み、そう思いたい、というレベルかもしれない、けど。

だから、タバコにしても、アルコールにしても、ドラッグにしても...もしかして、鬱にしても、かな、鬱依存という言葉をタイトルとした本があったけど、なんだか、読んでいてイライラした、有名な先生が書いていたはずだが...依存という問題を抜きにして考えてはいけないのではないかと、常々考えていた。
勿論、その筋の専門では無いので、よくは知らないけど。

朝、3本から5本、とりあえず、起きたら、吸っている。***
どんなに、遅く起きても、遅刻しそうになっても。
どうやら、儀式化しているようにも思う。
授業しながら、授業の合間、仕事の合間に吸いたいとは、まだ、思っていない。
だいたい、仕事をしながらタバコを吸おうとすると、火をつけても、仕事に夢中になり、結局、その一本を無駄にする。
確かに、日本のタバコは安いので、それはそれでいいのだけど、ケチなあたしは、許せない。
だから、昼間はほとんど、あるいは、まったく吸わない。
夕方、誰もいない喫煙所で、池を見ながら、ぼんやりしながら、吸うのは好きだ。
これも、儀式化しているかもしれない。

かつて「瞑想の会」に参加し...実は、おかげさまで、「手かざし」で、治療まがいのことができる、勿論やらないけど...操体法(追記参照)に入れ込んでいたとき、タバコを吸う必要はない、と、当時タバコをスパスパ吸っていた、民間療法の「師匠」が言っていた。ただ深呼吸すればいいのだ、煙を吸い込む必要はない、タバコを吸うことは、実は、深呼吸と同じだ、と、言うのだった。
確かに、日中は、時々、深呼吸...それも、腹式の...をする、しているのに気付くこと、が多くなったように思う。

でも、ニコチン大魔王は許してくれない。

家元と志の輔、二人会、親子会である。
何をおいても、観なければ、聴かなければ、ならない。
で、いくつか、さぼった。

前期は、週に授業(常に全力投球!)が7コマ、ある。友人たちに言わせれば、これ位が普通、らしい、の、だが、診断名がついて3年目くらいから、「疲れる(事が自覚できる)」ようになり、とても、続けられない。
5/26などは、すぅ〜っかり、「出席する」と伝えた会議を忘れていた。
前日の木曜日が連続3コマの授業、わずか3コマ続いただけで、次の日にはぐったりしてしまう。
某公立大学の時には、朝から夕方まで出ずっぱり(1日5コマ)、立ちっぱなしでも、次の日の朝から(1コマ目から)授業をしていたのに。
何といっても、歳だな。
月曜日に2コマ授業があり、火曜日はぐったり、下手をすると、水曜日もぐったり。
木曜日に3コマ連続してあることは書いた通り、金曜日はぐったり、ぐったりしていることを見せずに、2コマ授業をするので土曜日と日曜日は、チョーぐぅ〜ったり、である。
すでに書いたように、連休はぐったりダラダラ、ほんとに、有り難い時に連休があるものだ。

で、新橋演舞場だ。
初めて行った。
花道があった。
つまり、お芝居をするところ、なのである。
客層は、いつもの家元の客層、というよりは、志の輔の客層が多かったかもしれない。
とは言え、あたしを始め、オタッキーな方々が、集まっていた。
隣のお兄ちゃんは、1つ終わるごとに、演目をメモっていた。
家元の「○○のジョーク、やろうか?」には、あたしよりも先に笑っていたから、相当なものだろう。
...恐らく、ブログに書いていることと思う。

で。
大方の予想に反して、幕が開くと、花道からいきなり家元がゆっくりと登場。
誰が前座をするのだろう、それとも、幕が開くと2人が出てくるのだろうか、などと、予想していたのだけど。

家元、耳が聞こえないのだ、もうダメだ、とは言うものの、なになに、まだまだ、やはりすごい。
何しろ、新橋演舞場で、あのネタだもの...あたしは...書けない。
終わって、次は、やはり花道から志の輔登場。
ひとしきり、弟子になって24年、ずっと、家元は自分の予想に反する事をしていたとを話した。
勿論、志の輔だから、その後が長い。
荻生徂徠、だった。
うまいなぁ〜
休憩を挟んで、再び志の輔、みどりの窓口、ところどころに、独特のくすぐりを入れる。
うまいなぁ〜
そして、取りは家元。
談志百選だったか、著書だったか、子別れは上中下あるのに、誰も全部はやらない、と、言っていた。
それらを解説しながら、演じてしまう。
子は鎹、先日の正蔵、モトイ、こぶ平、セリフをかんだけれども、演じた子どもはかわいかった。
家元の子どもは、なかなか生意気。でも、あんな子ども、居そう、だな。
最初に、例のごとく、オレの落語がわかるヤツだけ聴け、と、断っていたけれども...
あの子どもをみせたかったのかもしれない...違う、かな。
途中で、これじゃあ、今迄のと変わらねぇなぁ、とは、言ってはいたが、どうして、面白い。
やはり、すごい。
しかし、家元、だから、昨日、玄能でたたかれそうになったのかぁ...の、後、納得がいかなかった様子。
そこに、いきなり、幕が下りる。
これ、演出かも、と、思ってしまう。
もちろん、いつものように、幕が再度上がって、評価活動が始まった。
一番上手いのは、志の輔だ、と、言いかけたところで、志の輔登場。
2人が並んでいる姿が、また、よかった。
再度、家元、一番上手いのは志の輔、と強調していた。
もう任せた、と、言ってはいたが...
また、二人会が観たい。
...ちなみに、19時開演で、終わったのは、21:55であった...長い...そこが、いい...いつまでも聴いていたかった...

これで、明日は、妙な論文の査読もできるかな。
そういえば、妙な報告書を仕上げなければならなかった。
うーん、興奮して、眠れないかも。
...まずい、今日は、全然、薬を飲んでいなかった。

5/24は会議の日であった。
どうにもだるく、頭痛がして、結局、さぼってしまった。
今年度に入って、初めてである。
週に7コマの授業は、特に、木曜日の3コマ連続は疲れる、週に2回の事前指導も疲れる。
特に後者は、講義後のフォローアップに翻弄されている。
TAも大変だろう...ありがとう。あの授業は、ほとんど、TAでもっているようなものだ。
25日は通院の日。
喫煙のことを話す。
拾ったタバコ一箱を吸ったことがきっかけ。まるで小学生みたいだ。
始めはクラクラしてそのまま寝ていたのだが、次第にエスカレート、朝5本、夕方から夜にかけて15〜20本。
さらに、体重が増えたことも話す。喫煙しているのに不思議。
単に、夜中に眠れない時、カップ麺を食べたり、ビールを飲んだりするのが効いているのだろう。
内科医ならば、食事制限(酒量...最近とても減っているのだけれども、夜中のビールはまずいな)と禁煙を宣言されるところなのたが、精神科医は悩んでいた。
それから、喫煙してから、花粉の影響が鼻に来ないこと...目には来る...も話す。
痛しかゆし、かな。
で、最終的な禁止令は、0時以降の夜食、喫煙の禁止、であった。
とりあえず、23時以降に自発的に早めて実施することにした。

5/12で教育実習の事前指導が終わった。
裏でどれくらい「仕込み」をしているのか、誰も知らない。
思いつきで話しているように見せかけて、一応、プラン通りに進める。
疲れる。
その上、5/10には、教務委員に「なって」いた。さらに、その日のうちに会議があった。
疲れる。
そして、5/10は、親交会の新入会員歓迎会だ。あの手の「会」の司会は、(誰もそうは思っていないようだが、かなり)苦手だ(今回は、1ヶ月前から眠れなかった)、が、そつなく進められる。
友人の結婚披露パーティの司会で、本職さながらにやった経験が生きている。
で、疲れる。
5/15、5/16は、事前指導の後始末。
欠席していましたぁ〜、なんとかしてくださいぃ〜、というのが、必ず出てくる。
事前指導と教育実習が重なってしまった場合はともかく、就職活動を平行して実行してやがるからだ。
勿論、不慮の事故、病気、ご不幸、等々、様々な理由はある。
兎に角、休んでしまうと、8回しかない授業で3分の2以上の出席、に引っかかる。
ちなみに、毎年、分数の計算ができない学生どもが出てきて、12月に呼び出しをかけることになる。
4年なので、後期はほとんど大学に出て行かなかったので、掲示を見ていませんでしたぁ〜、等と、自己主張するやからもいやがる。落とすぞっ!
対策として、ビデオ学習会なるものを開いている。これだって、TAが必死こいて「仕込み」をしている。学生どもはなぁ〜にも知らない。
事前申し込みが前提なのに、勝手に友人に付いてくるやつらがいやがる。慌てて資料を準備する。
で、さらに、疲れる。
TAはもっと疲れているか。
5/16の夕方は、日赤で卒後1年目を対象とした研修だ。
なかなか統制が効かない、ってゆーか、関係ない話をしている。まぁ、彼らも勤務後で疲れているのだし、仕方ない。
で、こちらも疲れる。
そんなこんなで、5/17は、全身筋肉痛状態で起きられなかった。
幸いと、一日中、ダラダラしていた。
もっとも、メールで仕事はしたけど。

いつだったか、たばこ(ニコチン)と「うつ」という記事を見つけた。
何故か、頭に残っていた。

それと、あたしと同じくカモガヤが天敵の友人が、タバコを吸うと、くしゃみが出ない、とも言っていた。

そんなこんなで。
いつだったかもう忘れたが、1ヶ月前か、2ヶ月前か、ふと、タバコを吸ってしまった。
クラクラするので、そのまま寝た。
強い肝臓は、ニコチンもすぐに分解してくれるようになったらしい。
毎朝、起きがけに3本、吸っている。
昼間、仕事をしている時には、全く吸わない。
時々、夕方、池の水面を見つめながら、外で、灰皿の側で、ぼんやりしながら、一本吸うこともある。
食事の時は、絶対に吸わない。灰が飛ぶし、味がわからなくなる。それは、なにより、料理人に失礼だと思う。
歩きタバコは、悪いと知りながら、時々。
右手の人さし指の爪は、すっかりヤニ色だ。
問題は、休日。
ほとんど、チェーンスモーカー状態。
咳き込みながら吸っている。
土日で1箱は確実に開けてしまう。
次の問題。
眠剤を飲んでも、中途覚醒してしまうことがる。
こんな時は、決まって、まるで、腸の中に何かが居て、運動会をしているようだ。
世の人々は、これを「いらつく」と言うのだろうか。
幼い時にもこんな状態にしばしばなった記憶もあるので、あたしなりの「いらつく」状態なのだろう。
でも、変な論文や、変な研究計画書や、変な卒論・修論の口述試験の時の「いらつき」は、アドレナリン上昇、心臓バクバクだから、ちと違う。
で、フラフラと起き出して、2本ほど吸ってみる。
眠剤が効いているので、頭はぼぉ〜っとしているし、目はとじたくてしかたないのに、腸だけ...「腹」の表面...激しく「何かが居る」感じがする。
吸い終わると、そいつらは、どこかに行ってしまう。

そして、この時期、マツとカモガヤの二重攻撃を受けているはずだが、くしゃみは出ない。
...特に、メンソール系がいいように、「思う」「思っている」だけ、かも。
何より、4月・5月のチョー忙しい時期も乗り切れた。
...連休中はチェーンスモーカーだったけど。

ある先輩が、喫煙は緩慢な自殺だ、と表現していた。
そうなると、これも、自殺企図の一種か。

さらに、ダラダぁ〜ラな連休が続く。
5/5は、すっかり二度寝。昼をとっくに過ぎて起きる。
山積みのモノドモを見て、がっくり。
ひたすら、テレビを見て過ごす。子ども番組だけだ。
仕方ない。
5/6は、指導生との打合せ。
3回の授業のまとめとなる最終回。あたしとしては、最初の回で主張した看護の方法の元になるルールに立ち返りたい。
さて、どうまとめるか。
かつて、技術は、人間的営みにおける法則の適用、と定義した人がいた。昭和25年である。
すばらしい定義だ。
あたしは、これで行きたい。
法則は知識体系と通じるものがある。知識が構造化されていない(否、知識が孤立している)看護学生どもに、多少でも構造化するメリットを伝えたい。
なかなか面白そうな授業になりそうだ。
...ほんとは、一緒に聞いている同分野の他の教員どもに理解させたいのだ。何しろ、そのうちの一人はあたしの授業をかつて受けたことがある、にも、関わらず、理解していないようなのだもの。単位、返してもらおうかな。
で、興奮したせいか、また眠れなかった。
月曜日から大丈夫かな。

ダラダぁ〜ラな連休。
たまっているモノドモを片づけようと、まずは道具から、と、一番安いシュレッダーを購入した。
...ついでに、ヒゲ用にバリカンも買った。
シュレッダーにかける書類が山積みだったので、とりあえず、一山崩した、ところで、飽きた。
5/4は、指導生との打合せ。
直接の指導生だけでなく、その友人が来ていたので、3人で「歴史」の授業を中心によもやま話。
だが、このようなよもやま話の中に、極めて貴重な示唆が含まれることが多い。
あたしが院生の時には、他人の論文の話(構想、データ処理等々)をよく聞いた。とても役に立った。
指導教員との打ち合わせは、10分位で終わって、残りはパズル談義、よもやま話であった。
しかし、さすがに指導教員、的を得ていた、と、今になって思う。
だって、役立っているのだもの。
打合せ終了後、自分の仕事...サーバの点検をした。
腹が減ったので、泡盛のお湯割りを2杯ほど飲みながら進めた。だって、単純作業が10回も繰り返しなんだもぉ〜ん。
白ワインもあったので、500mlの「お茶」のペットボトルを洗って移し、ちびちびやっていた。
で、バスに乗る。
途中で寝てしまったようだ。
「お客さん、着きましたよ!」と、運転手さんに起こされた。終点に来ていた。
バス路線は住宅地を回って営業所まで行くのだが、実は、営業所と自宅は歩いて10分くらいだ。
軽く散歩をしながら帰る。
に、しても、不覚。
で、夜中、眠れなかった。5時過ぎにようやく寝つく。
明日以降、さらにダラダぁ〜ラな日々になるだろう。

カモガヤ発見。2005年は4月22日に写真を撮っていた。
3月はスギ、5月の連休はマツ、梅雨の時期にはカモガヤ、と、順番が決まっていたのだが、ここ数年、ずれる。
散歩の途中で「むれ」を発見。敵ながら、なかなか、見事である。
カモガヤ2006A
まだ、穂が出かかっている、と、思ったら、熟しかけているではないか。
カモガヤ2006A
花粉まで飛ばしそうな勢いだ。
カモガヤ2006A
マツはマツなりに、松ぼっくりを準備中だ。
つまり、連休は、マツとカモガヤの二重攻撃にされされるのだろう。
家からでいないことにしょっと。

思い立って、仙台にいる。
目的は、またまた、父親に説教すること、母親の愚痴を聞くこと、そして、終身保険に入ってもらうこと。
で、8日、寝過ごした。始めから、午後の便にしておけば良かった。キャンセル料金8000円、改めて片道料金を払ってチケットを購入した。
夕方遅く仙台到着。PowerBookG4 12インチで、お仕事。電子シラバスシステムから時間割を作るhtmlファイルを調整した。大学院の時間割は7時限目まで表示してしまうことにした。
9日、デパートで買い物。後、母親に電話して買い物リストを作る。イヤホンマイクを取り出し、メモ用紙をとり出し、ボールペンをとり出し、リストを書いて、デパートを出てしばらくして、ウェストポーチのジッパーが開いていることに気付く...それも財布が落ちたから、気付いた。で、よくよく調べてみると、運転免許証とクレジットカード入れが、ない!
デパートまでの道を戻りながら探したが見つからず、デパートのインフォメーションのおねーちゃんに、近くの警察の場所を聞いた。中央警察署があったはず、だが、移転したはずだ。どこが近いのだろう???
と、その時、隣にいたインフォメーションのおじさんが、K米さんですか?と声をかけてくれた。はい、と答えると、こちらへどうぞ、と裏の事務所に案内してくれた。届いていたのだった!
あー、有り難い!
それにしても、昨日に続き、朝から、ボケボケである。
父母は、保険料金はあたしが払う、ということで、終身保険に加入してくれた。何より、入院費用がそれなりに支給されるのが言い。2004年のようなことが合った場合、いや、今後は必ずあるはずだし、多少でも助かる。
夕方、カレーライスを作る、と、いう母に手伝った。
ジャガイモと肉の煮える言い匂いがした。なんと、ヒレ肉を使っていた!
煮すぎるとかたくなる、だろうから、とてももったいない、と、思い、一度引き上げることを提案。カレールーを入れる直前に肉を入れ、トマトケチャップと醤油で味を整えた。
母親がいつも作るカレーは、父親用に小さな器に入れて出すらしい。具だけを拾って食べ、汁は残す、のだ、そうだ。
今回も小さな器に持って出した。肉をちぎりながら、これは牛肉か?と父が聞く。いいえっ、豚のヒレ肉でござる。
どうよ、柔らかくて、うまいでしょ。
今回は、器をなめるようにして食べてくれた。
ちなみに、カレーライスは、箸で食す。最後に二口分くらい白飯を残しておいて、カレーの汁を集めて食べるのがこつ。
そうそう、みそ汁も作った。ジャガイモにセロリ、キャベツの乱切り、具だくさん。
炭水化物過多、であった。
10日は、寝坊してしまい、ギリギリに空港に到着。20分前だったが、チェックインはできた。
問題は、手荷物検査。ケータイ電話を腰にぶら下げたままだし、ポケットにはのど飴、ばしばし、引っかかった。
なんとも、3日ともボケボケであった。
10日は大学院のオリエンテーションがあったはずだが、老人の介助ということで許してもらおう。
疲れは、11日にでるのかな...
通院の日。
処方せんが「美しくない」ということだった。なるほど、プロにはそれぞれの分野で美意識があるわけだね。
確かに、薬が多い。特に、内火薬...ボンっ...内科薬が増えている。降圧剤、眩暈の薬、花粉アレルギーの薬、それに、眠剤系も増えている。眠剤が増えているにも関わらず、眠れないのだから、困ったものだ。
で、眩暈の薬を朝1錠(メチコバール500μg1錠は廃止)に、眠剤を変えることになった。具体的には、
朝...ニューロタン25mg2錠...降圧剤
朝...メリスロン6mg1錠...眩暈対策
朝晩...小青龍湯...花粉症対策
夕方...パキシル(SSRI)10mg1錠、レスリン50mg1錠(量が増えた)
夕方...ザジテン1mg1錠...花粉症対策
就寝前...レスリン25mg1錠、デパス1mg1錠、ドラール20mg1錠、さらに不眠時ラボナ50mg1錠
レボトミンからドラールに変えた。以前、服用したことがあり、比較的よく効いていた記憶がある。

ちなみに、ヒゲを伸ばし始めた。4/5に床屋に出かけたのだが、バリカンできっちり整えてもらった。
別に、H谷先生を目指している、わけ、ではない。
あごにできた傷のカサブタが治る前に引っ掻き、引き剥がしてしまう「自傷行動」を抑制し、傷をなんとか治したいから、である。3月の慰労会で、Y口先生が、湿疹ができて困っていてヒゲを伸ばすことにした、と、立派なヒゲを見せてくれたことがヒントになっている。
まだ、しょぼい。
周りの人たちはなんて言うかな...

そうそう、学部1年生のオリエンテーションがあった*。例年のように、「心理学やりたいですっ」「カウンセラーになりたいですっ」と元気に答えてくれる。意見変容や説得の実験がたくさんできそうだ。
腕が鳴る、ブンブン。
ちなみに、毎年失敗している。評価活動をしよう、と、してはいるが、今年は講義がないから、頓挫。
コアセミナーでがんばりますか、ね。

明け方寝て、ふらふらしながら午前中から昼にかけて「規則的に」起きる。
幸い、今年は、某ガイドを直接編集する必要はない、ので、昨年のように徹夜続き、腱鞘炎で悩む、ことはないが、似たような生活をしている。
助手諸君がとてもがんばってくれている。有り難い。もつ鍋、だな。
可能性として、4/6のオリエンテーションで配布する、とした場合、カラーコピーの時間を考えれると、4/5の午前中までにはなんとか初稿をあげなければならない。
仮に、4/6に印刷利用しないとして、ホームページで公開する、という場合、であっても、PDFファイルの作成は、アナウンスまでには完了しておかなければならない。アナウンスが4/6ならば、実質、4/5までに作業を終えなければならないことには変わりはない。
印刷屋に頼んでいた時より、経費は80万円ほど浮いているらしい。
とは言え、コンピュータが20万円、アプリケーションに20万円、半分近くは物品に消えた。
複数の委員会が関わっているので、作成までに紆余曲折がある。
いっそ、あたしを編集長に任命してくれればいいのに。
他の委員会の委員はいいからさ。
編集長と言えば、ホームページも同様。
外部委託した場合、どのくらい経費が必要なのか、よくわかっていない人たちが、作れぇ〜と、言ってくる。
電子シラバスシステムにしても。
IDカード認証システムにしても。
IDカードで管理することで、どれだけ楽になったのか、もう、誰も気にしない。だから、誰がメンテナンスしているのか、についても誰も気にしない。
嫌な時期だ。
また、iTunes Music Storeで衝動買いをした。
どうやら、ちょっと低めの女性ヴォーカルが、スローテンポで歌うのがいいみたい。
日本語が入っていないほうが、いい。
なんとも、歌詞が気になってしまう。
英語でもケルト語でも中国語でもいいけど、音の一部として処理しているようだ。
...「単語」として聞き取れてしまうと、もう、だめ*。意味処理をしてしまう。文脈を作ろうとする。

で、まず、Celtic Woman。
Celtic Woman
B0007GAEGC
「Danny Boy」は...終わった瞬間、止まってしまった...泣いたかも。キャー。
「Orinoco Flow」も、Enyaと比べてみると、なかなか面白い。

次からは、よくわからないが、「Just For You**」と、言われて、試聴して、その気になったもの。

Corinne Bailey Rae
Corinne Bailey Rae
B000DN6ZGC
Put Your Records on
B000E5L8B6
「全英アルバム・チャート初登場1位」だそうだ。
ちょっと、声がなんだけど...慣れればいいのかな。

KT Tunstall
Eye to the Telescope
B0007A0GD4
こちらは、「ブリット・アワード(英国の音楽賞)」で「British Female Artist」を受賞したらしい。
なんだかよくわからない、が、凄い。
声もなかなか良い具合に響く。

Arden Kaywin
Quarter Life Crisis
B000CAKIW8
ドラマのバックで、流れそうな感じぃ〜、みたいなぁ〜
公式ページこちらはみたい...いきなり、Me With Meが目一杯の音量で流れる...あ、ストップボタンがあった...おっ、アルバムの曲を選択して聴けるようになっていける、け、ど、これ、いいのかな。良からぬやつらが持ってっちゃうかも...あれ、PayPalにもリンクがあって...$11.05 USDで売っている。
ダウンロード販売、かな。基本的に、iTunes Music Storeもダウンロード販売だものね〜。似たようなことはすぐにできるようになる(普及する)だろうさ。
ふ〜む。ネタにできるかな。

そして、Anna...
POP RADIO ポップ・ラジオ
B000E6G2FC
...これは、もう少し、聴かないとよくわからない、かも。
バックの弦楽器が耳障りに感じるのは、あたしだけぇ?
ロックだから、いいのか...偏見だな。

そういえば、卒業式・修了式、であった。
あたしが学生の時には、直前までコンピュータ関係の仕事をしていて、そのままふらっと出かけた。
周りに人たちに、あれ、出るんだ、と、驚かれたけど。
院生の時は、よく覚えていない。何しろ、専攻で一人だけの院生*だったから、誘ったり誘ってくれたりする友人がいなかったから、出たような出なかったような...後ろの方に座って、他学部の総代のパフォーマンスを見ていたかな。
教員になってからは、とりあえず、助手の時(国家公務員)にはひたすら仕事をしていた。式が終わって、思い出したように訪ねてくれる学生・院生はいたけれども、何といっても、仕事をしていた。
青森に移って(地方公務員になって)からは、一応、毎年、出ていた、といっても、現職の時には一回だけ。1期生を送り出した。
その後、2期生までは卒論に関わっていた...遠隔教育...し、4期生が1年生の時にゼミを担当した、ので、その後も、卒業式に通っていた。
立派になった卒業生・修了生を見ると、なんとなく、あたしの力でここまでなったんだよね〜と、勘違いする。
別に、お礼を言われるなくてもよい。何しろ、あたしの仕事なのだから。
で、今の職場(また国家公務員、今は微妙に違う)に移ってからは、全然出たことがない。
一度だけ、世話人として司会をするために、修了式に出たことがあるけど、それは、仕方なく、かも。
謝恩会、と、いう、類いも、あまり出たことがない。
仮に出て行ったとして、卒業修了生たちがそれなりに喜んでくれている、と、も、思えなくて。
あたしの指導教官が、謝恩会とは何事だ!、と、吼えていたから、かもしれない。
オレは恩なんか売っていないぞ!...ガォ
あたし自身、S谷先生と同様、恨みは買っても、恩は売らない、し**。
青森にいた時に参加した、1期生の謝恩会は、なかなか凄かった。あんたはどこでアルバイトしてたのだぁ〜、というようなしゃべりの達人が司会をしていたし、構成もなかなか凄かった。
その後、通った3回は、だんだんと、卒業生が単にどたばたと小さな仲間同士で騒いでいるだけ、に、なっていったっけ。
謝恩会から卒業パーティになっていったんだと思う。それはそれでいいと思う。
そうそう、時々、看護系の学校の謝恩会に呼ばれることがある。これは、なかなか、凄い。
一人一人の教員に、「お世話担当」が決まっていた、場合もあった...ほとんどかも。
今の職場では、社会人の謝恩会の2回くらいは、そんな感じだった。
今年は...
卒業パーティの案内が電子メールで届いた。
おおっ、凄いっ、やったぁ〜、とうとう、こうなったかぁ〜、と、とても、感心した。
と、同時に、まずいよ、なぁ〜、と、も、思った。
例えば...というような意見もあります。とても良いことが書かれていると思う。さすが、S谷先生だ。
直後、卒業生からはごめんなさいメールも届いた。個人的には電子メールを歓迎するが、ほんとに招待したいのであれば、指導生に挨拶がてら出欠を確認させなさい***、とも、書いてやった...そうそう、代表があたしの指導生でなくて良かった、と、駄目押しもした、けど...ちなみに、あたしの指導生だったら、しっかり指導を入れます、はい。
2年ほど前のことだったと思う。卒業生が来て、謝恩会に出てくれ、と、有り難い申し出をくださった。その時、「恨みは買っても、恩は売らない」から、謝恩会には出ないよ〜、と、言ったら、じゃあ、謝恩会はやめて卒業パーティにしますから、出てください、と言ってくれた。
その時から、卒業パーティという名前になったように思う、の、だけど、違うかな。
2005年は、調子も悪かったけど、指導生が招いてくれたので、がんばって出て行った。
今年は、卒業生からは、あのメール以来何も言ってこなかったし...アポの取り方、知らないのかも...社会人の院生からも何も言ってこなかったし、そもそも、何よりも、調子が良くなかったので...会議をすっぽかすし...出て行かなくてちょうどよかったと思う。


そうそう、あたしが学生・院生の時には、お弁当と日本酒一合が配給されたっけ。
それを持って、ちょっと広めの演習室に専攻の院生・学生と教官たちが集まって、わいわい、食事をしたものだ。
今の職場に来てから、そのようなことをやっている研究室がある、の、に、最近気付いた...勿論、配給はなくなっているけど。
というのも、我が研究室では、なぁ〜んにも、しない、から...とても、驚いた、と、同時に、あぁ、凄い指導力だなぁ〜と感心もした。
あたしが博士課程の2年目に就職が決まって中退した時、最後の晩に、院生の皆さんが院生談話室(通称「院談」)で焼き肉パーティをしてくれた。ちょうど焼き上がった時に、指導教官のH谷先生や同僚のU野先生がひょっこり顔を出してくれたことを覚えている。
ちょっと、驚いた。
たかが1人の院生の追いコンである。もしかすると、H谷先生もうれしかったのだろうか...そうか、あたしならうれしいな。
青森にいる時から実施しているのは、卒業・修了生を送る会、を、あたしが主催して、恩着せがましく、卒業修了記念品****というのを渡していること。
あたしが学生・院生の時には、毎年、修士課程一年が専攻の追いコンを企画、司会する、ことになっていた。
卒業の時にはマグカップ、修了の時には写真立て、をもらった(逆だったかな)。すぐに壊してしまったように思う。
どうせなら、もっと良いものをあげたいなぁ〜、という、自己満足のための行事である。
青森の時には、開学したばかり、先輩も後輩もいなかったので、送り出す人々がいなかったし、今の研究室は人数が少なく、送り出す人々がいたりいなかったりするし。
自己満足のための行事は続くのである。
とても、チョーシ、が、悪い、かも。
27日は、打合せが、あった、らしい。
どうなら、曜日だけを覚えていて...メールには「27日(火)」と書いてあったので...すっかり、明日だと思っていた。
ここ1週間ほど、ずっと、明け方に寝て、昼過ぎ、それも14時過ぎ、に、起きている。
眠れない、のは、もちろんなのだが、どうにも、起きる気がしない。
一応、午前中には目が覚めるのではある、が、iTunesで音楽や落語を聴いている、うちに、また、寝てしまう。
二度寝、三度寝、が、当たり前になってしまっている。
で、起きていても、何をするわけでもない。
テレビを見ている。
ぼぉ〜〜〜っ、と。
仕方なく、コンビニに買い物に行く、よーな、かんじぃ、みたいなぁ。
4月のアーカイブにまとまっておりまする。

3月27日(月)〜4月2日(日)


3月27日(月)〜その2
仙台にいる。
数年ぶりに台所に立った。
母親の指示の元、なんと、夕食を作った、の、だった。
パーキンソン病が思わしくないようだ。日によって波がある、らしい。
今日は、買い物に出かけて、歩けなくなってしまったそうだ。
で、あたしに指示を与えている。
とは言え、あたし自身、包丁を持つのも、おぼつかない。
ジャガイモ、ナス、の、皮をむくことはなんとか...はずかしながら、切り方がよくわからない。
味噌汁を作りながら...ジャガイモを茹でながら...、切り身のシャケを焼き、真空パックのサンマの甘露煮を温め(電子レンジは無いので鍋で)、キャベツの千切りを蒸し、リンゴの皮をむき、セロリを切る、という、作業どもをなんとかこなした。
に、しても、シャケを見ろ、鍋を見ろ、と、指示を出す母親は凄い。
あたしは、一つの作業に夢中になってしまって、他のことは忘れてしまう、し。
シンクが低くて腰も痛いし、簡単な作業だったのだけれども、食べる前に疲れてしまった。
チョー、調子、悪い。
ひたすら、だるい。
3/15から眠りのリズムが乱れ、3/18と3/21は、絵に描いたような中途覚醒だった。レボトミン5mg1錠とラボナ50mg1錠を服用したのに、3時間くらいで起きてしまった。特に3/21は、目がシバシバして目をつぶると眠れそう、なのだが、実際には全く寝つけなかった。夜中、さらにレボトミン5mg1錠とラボナ50mg1錠を服用した、にも関わらず、で、ある。
結局、6時過ぎまでバッハやモーツァルトを聞きながら、午前中を寝て過ごす。
大学院の先輩が、20日から開催されていた某学会の全国大会に来ているとのことだったので、夕方、会いに出かけた。
この先輩には、大学院の時だけでなく最初に就職した時も、とてもとてもお世話になったし、はずかしながら、とてもとても迷惑をかけてしまったこともある。
なんとしても、会わなければならない、と思う。
統計本の打合せもしたいし、コンピュータに関するよもやま話もしたい。
それより何より、である。
それにしても、凄い人だ。
「勉強をさぼっていて...」と、は、言うものの、なんとも、凄いことを知っている。
刺激になるなぁ。
で、幸いなことに、この夜からちゃんと眠れるようになった。
調子、悪いかも。
ここ数日のことだが。
何より、寝つきが悪い。一応、眠剤で寝てはいるようなのだが。
そもそも、夜中に寝る気になれない。眠くない。
仕事をしてしまう、テレビを見てしまう。
よくないパターンだ。
それでいて、起きる(翌日気がつくと)と、だるくて頭痛がする。
この時期だから、花粉の影響(鼻詰まり、発熱)もありそうだ、が、それにしても。
で、15日だ。
気がつくと、面接が始まっている時刻だった。

気がつけば軽い頭痛と嘔吐感既に会議は始まっている

目覚ましは鳴っていた、の、かもしれない。痕跡がある。
そして、だるい。
とても起きる気になれず、結局、14時過ぎまで寝ていた。
とりあえず、整形外科には行ってこよう。

ケーブルテレビのターミナルを交換してもらった。
デジタル放送対応である。
チャンネル数がやたらと増えた。
ビデオ・オン・デマンドVOD、や、ペイ・パー・ビューPPV、も、できるらしい。
双方向でやり取りすることもできるらしい。
文字放送やラジオもある。
ターミナルと言うだけあって、コンピュータと同様、MACアドレスやIPアドレスが設定されていた。

ところで、これまで、VHSとDVのダブルデッキに録画して好きな番組を見ていた。
週に7つの番組とほぼ決まっていて、それならばっ、と、ハードディスクレコーダー*を購入した。
HDD付DVDレコーダーということも考えたが、DVDを作るのは、コンピュータでもできる。
で、その7つの番組のうち、4つがCSI**である。何度見ても面白い、から、仕方ない。

ところで、VODの無料放送に、花粉症とうつ病に関するものがあった。地元局が某大学病院に取材して作ったようだ。
...ナレーションのアクセントが変だった、な。
で、うつ病。
うつ病になりやすい性格特性(タイプと言っていた)として、真面目、几帳面、完璧主義、他人任せにできない、なんて言われると、全人格を否定されたように感じる。何しろ、それを売りにしてこれまで生きてきたのだから、さ。

このような「売り」を否定する、否定される、と、いうことは、自分自身の崩壊になるのではないだろうか。
ある人から、次のように考えてしまう、という話を聞いたことがある...その人が、うつ病だったか、統合失調症だったか、記憶が曖昧だが...
薬を使って症状を抑えるということは、自分が自分でなくなること、と、思ってしまう...
と。
そーよね〜
どーするか、ね〜
あ〜、悩ましいぃ〜
...調子、悪いのかな。

入学者選抜個別学力試験(後期日程)、面接を担当した。
久しぶりに高校生を面接した。
面接担当者としては、お決まり回答をいかに崩すか、が、腕の見せ所である。
例えば、ここを参照。
あたしの場合は、にこやかに、受験生の目を見て、うなづき、なるほどぉ、そうなんだぁ、へぇ〜、いいねぇ〜、と、言いながら、こいつほんとのこと話してんのかぁ、怪しいぞぉ〜、あらあら〜、抽象的、一般的な回答になったぞぉ〜、おいおい、ちゃんと質問に答えろよぉ〜、と、辛い点数をつけているのである。
われながら、なかなか、堪える、辛い、疲れる。
ある面接担当者は、原稿を見ながら、最悪、それを読み上げながら、話していた。つまり、受験生を見ていない。
仕方ないので、その間、あたしが受験生を見て、その答えに相づちを打つのでありました。
で、そんなわけで、受験生は、だんだんと、あたしの方だけを見て話をするようになっちゃうのだよね〜
うなづいてくれるから、安心するのだろうね〜
でも、違うのだな〜
ほんと、我ながら嫌になる。
で、疲れる。
疲れたところで、慰労会があって、会議室で立食で飲み食いをする、の、だが、また、これで疲れる。
2月の「学生あたり」、「口述試験あたり」に続き、「面接(想定問答)あたり」に「慰労会あたり」である。
この疲れがとれるまでには3日くらいかかるだろうな〜<
会議3つ。
卒業者、修了者、入試の合格者、休学者の認定、研究生、決めなければならない。
それにしても、目がかゆい。
鼻水が止まらない。
これに連続くしゃみが加わったら最悪だったのだが、くしゃみはなかった。
木曜日の会議の後、退職する方々の送別会もあった。
一人、泣いていた。
もちろん、アレルギー反応である...突っ込むまでもない、か。
頭痛もする。血圧も高い。
とりあえず、8日の夕方には整形外科にリハビリに行った。
リハビリに行くたび、仰臥位で足を上げる時、だんだん垂直に近づいているのがわかる。なかなか楽しい。
ちなみに、リハビリ開始時は45度がやっとだったし、引き剥がされるような痛みが走ったし、膝も曲がっていたのでした。
今は、リハビリと呼ぶ拷問にじわじわと股が裂かれる金を取られる、では、ない、な。
もちろん、裂かれるのは、いぃ〜やぁ〜、では、ある。
ピリピリと引き剥がされる大腿の裏の筋肉、息が詰まり、息が止めてしまい、全身に力が入る、ますますピリピリする。
典型的な悪循環。
それにしても、リハビリは、あと、どのくらい続くのだろう。9月からだから、かれこれ半年だ。
それだけ元に戻りにくくなっているということか。
某総合病院で卒後1年目(7日)、卒後2年目(10日)の研修をやった。
お疲れのところ、ガリガリ頭を使ってもらうので、チョコレートをお土産に買った、ところ、デパートはすっかりホワイトデー。
包装は必要ありません、と、言ったら、では、包み直しますぅっ、と言うので、結局、そのまま、つまり、ホワイトデー包装で。
なんとなく、こっぱずかしい。
で、さらに疲れる。
わずか90分程立っていただけなのに、骨盤の奥の方の細い筋肉がビリビリ張っている。
そうそう、10日は、立て続けに会議もあった。
1つの会議では、方針がひっくり返されて、1ヶ月前に戻ってしまった。
あ〜あ、なんだろね〜
九代目正蔵を観てきた。
うーん...
三枝、小朝、歌之介、そして、弟一平が前座。
口上では、1年間精進した、らしい、ことは強調されていた、なぁ。
うーん...
いつも、セリフをかんでいる一平がなかなか見事だった。歌之助はいつものように、小朝はかなり遊んでいて、三枝もいつものように客をいじっていた。
うーん...
子はかすがい、泣けるはずだった、けど、な。
兄ちゃんは、肝腎なところで、かんだ、し、な。
「おとっちゃん、また、出て行っちゃう...あっ」
かむ、というか、「あっ」だし。
うーん...
かんだ、と、しても、そのままやって、ぼける余裕もなかったし、な。
...いつぞやの枝雀のように、おかみさんに「あんた、間違いはったやろ?、順番、間違いはったやろ?」と言わせる、とか。
うーん...
何だけど、志の輔だったら、もっと引っ張るだろうし、確実に泣いちゃっただろうし、な。
うーん...
まだ、こぶ平と呼んでおこう。

花粉にやられている。
飛散量は少ないという前評判だったので、高を括っていたのだが、悲惨である。
晴れていると、家から出たくない。
もちろん、家にしても鼻は詰まる、鼻水はたれる、くしゃみが連続する、目がかゆい、ので、憂うつ、家から出たくないに拍車をかける。
...むっ、このカテゴリーは「うつ」かな。
悪いことは重なるもので、血圧も高いまま、頭痛もする。ますます、家から出たくないに拍車がかかる。
買い物、整形外科のリハビリ、最低の外出で済ませるが、決死の覚悟で臨む。
で、精製長鎖炭化水素、で、ある。
某フマキラーが販売している某アレルシャット 花粉 鼻でブロック チューブ入、で、ある。
かすかに機械油のにおい*がする...が、そこは人間の鼻だ、慣れる。
鼻の内側に綿棒**でぐりぐり塗る。
マスクは必要ない、と、いう、謳い文句だけれども、怖くてずっとマスクはしている。
ムズムズ感はするものの、鼻の詰まりや鼻水はないし、連続くしゃみもない。
とは言え、晴れた日にマスクを外して実験、するのは、まだ怖い、な。
まぶたと目の下に塗ると、目がかゆくなくなる、ってことには、ならないかな...

花粉である。
ほんとに、まったく、もう、大変である。
連続くしゃみに鼻水、目もかゆい。

2/21は、某委員会。認定に関する説明はあたしがやった(とはいえ、その前の某委員会では、あたしは委員ではないのであたしの説明なしに決定されてたのであるけれども...)。さらに、思わぬ質問が出た時、某係長の説明では納得していただけなかったようだったので、経緯を説明した。これでは、某委員会と同様、ほとんど、あたしで持っているような会議になってしまっている、まずい。
2/22は会議の日。で、夕方はもつ鍋。7人で鍋2つ。例のように1つを担当。なかなかよくできた。雨だったので花粉の影響も少なく快適。
2/23は通院の日。抜き打ちで血液検査されたっ。尿酸値がやばいっ。
それにしても。
2/23・2/24と頭痛がひどい。イブプロフェンを決められた服用間隔を空けずに服用。左耳の上の部分に脈動する痛みがある。血圧も高い。
やだな。

疲れた。
我々の仲間(どうしようもない学生の論文をそれなりに仕上げる職人たち)内では、食あたりならぬ「卒論あたり」という言葉がある。毎年、2月は、その伝で言えば、差し詰め、「口述試験あたり」だ、な。
2/18(土)は、博士課程(社会人特別選抜)があった。
外国語に関しては、ここに書かれていることに大賛成。外国語で書かれたニュースサイトで大意をつかむことくらいはできてほしいのだけれども、なぁ〜
それに、いつもながら、研究計画がいいくらかげんだと思ってしまう。
質問紙調査をなめている、と、しか、思えない。
インタビューをなめている、と、しか、思えない。
以前、某青森公立大学にいた時、某弘前大学に赴任していた先輩と組んで、某鳴門教育大学の遠隔実験授業に参加した。統計学である。某SPSSをコマンドで使うのである。その際、先輩が、調査法と実験計画の概要を説明するところで、ちゃっちゃっと質問項目を作り、適当に因子分析(その前にクラスター分析をして因子数を決める)をして、はい、調査研究の一丁上がりぃっ、と、皮肉を込めて書いていた。
それすら、ない。
妙な文章を仮説と呼んでいる。
もちろん、仮説演繹法を使っているようには見えない...知らないのかな???
理屈が見えない。
疲れる。
で、最低週に2回、整形外科に通うことにした。
コンピュータの前に数時間座り詰め、ということがないためか、担当マッサージ師が驚くくらい、背中は柔らかくなっていた。ただし、右足の背面の筋肉が強張って、仰臥位から垂直にまで上げられない...左足はそれなりに上げられるようになったのに...
まだまだ、だな。
2/14と2/16は、家から出たくなかった。
単純に、疲れた、の、だと、思う。
おまけに、久しぶりに頭痛がする。血圧も高い。150/100。
動きたくないので、食欲もない。
とりあえず、降圧剤と眩暈の薬と鎮痛薬(イブプロフェン)を空きっ腹に入れた。

2/14の午後は、それでも、打合せに出かけた。
4月から研究生になりたいという留学生との面談である。
これまで、日本の大学を卒業した留学生は指導したことがある。研究生から始める場合は初めてだ。
実は、もう一人来るはずだったのだが、連絡なし。
結果的によかったのかも。体調を考えれば、一人でも十分...いっぱいいっぱいかも...かな。

2/15は、久々に整形外科に行った。2/14も行きたかったのだが...2/16も行きたかったのだが...
ただでさえ眠れないのに、背中が痛くて、ますます眠れないことがある。
この時期、口述試験が連続し、長時間座っていなければならないことが多いので、できるだけマッサージは受けておいたほうがいいのだろうな。
2/17と2/18の午前中も行くことにしよう。

実は、連日...口述試験の後でさえ...サーバたちの種々のアプリケーションを更新(バージョンアップ)するため、夜中まで大学で作業してしまっていた。さすがに夜中までいると、頭が痛くなる、し、咳まで出てくる。花粉アレルギーが始まったようで鼻もグズグズする。
そんなこんなで余計に疲れる。
疲れたからといって、家で寝ているだけでも、また、疲れる(疲れが取れない)、の、では、あるが、とりあえず、寝て過ごす。

試験続きであった。
2/3...卒論口述試験
2/4...修論(社会人)口述試験
2/10...修士課程入試(口述試験)
2/13...修論口述試験
毎年、とても、まいる、時期。
自戒を込めて、そうとう厳しく質問するし、点数をつける、ことに、している。
いつまで続けられる、かな。
口述試験で質問され、答えられない、と、いうことで(院生・学生さんたちが)悩む必要はないかもしれない、と、最近、思うようになった。
もちろん、その質問の内容にもよる、の、だけれど...
いつぞや、某先生から、「あなたの質問は明快だ」と言われた。
そりゃそーだ、それが研究分野の1つだもの。
それにしたって...
あたしの場合は、質問の目的の1つが「土台を崩す」質問をすること。
もう一つは、成果を前提とした場合、どのような予測が成り立つのか、と、聞くこと。
それにしたって...
そもそも、意見なのか、感想なのか、代理でまとめているのか、指導なのか、わからない質問、というのも、実は、ある、のだ、な。
試験官の一人として聞いている、このあたしでさえ、何を聞きたいのか、よく、わからない、場合もあって、院生・学生がかわいそうになる。
で、質問の意図がわからなくて、答えられない、と、いうのは、よし、とすべし、かも。
口述試験でいちばん困るのは、質問すら出てこないこと。
無言のまま、厳しい点数を付ける、試験官だって、いる、の、だし...これ、かなり、怖い、よん。
どんどん質問が出てくる、というのは、それなりにできが良かったのだ、と、思うべし。
とは言え、穴だらけ、で、その穴をバシバシ指摘する、と、いう場合、が、ほとんど、かな...
ありゃ?

なんと、なく、また、iTunes Music StoreからフォーレFaureの曲を数曲、衝動買いした。

まず、「パヴァーヌPavane, Op. 50」である。
実は、数年前、某サントリーの某山崎のCMのバックに流れていた曲...ヨーロッパの民族音楽がベースになっている、と、いうことは、覚えていたのだけれども、どこの国かは忘れていて、検索できなかった...が、欲しかったのだけれども、見つけられなかった、ので、いくつか試聴して選んだ。

その後、本命...某サントリーの某山崎のCMのバックに流れていた曲...は、
ペレアスとメリザンド 「3.シシリエンヌ」 Op.80-3
Pelleas et Melisande "3.Sicilienne" Op.80-3
とわかった。
iTunesのアートワークに表示されるジャケット
B000001G8P
は、Boston Symphony Orchestra & Seiji Ozawa、フォーレ:パヴァーヌのようである...amazon.co.jpでは「現在お取り扱いできません。」とのこと。amazon.comでは扱っていた。
ちなみに、amazon.co.jpでも、「[from US] [Import]」ならば入手可能なようだ。Faure - Pelléas et Mélisande ~ Dolly ~ Après un rêve ~ Pavane ~ Elégie / Hunt, BSO, Ozawa
B000001G8P
で、試聴もできる。

うーん。
週末寝て過ごす、の、連続だ。
なんとも、動きたくなかった。
ひたすら、ぼおぉ〜っと、(iTunesで)音楽なんぞを聞いている、だけ...もちろん、布団の中で。
ひたすら、ひたすら。
聞いているうちに...新しく買いたくなって...iTunes Music Storeで試聴したりして...買っちゃったりして。
...同じだ。
30日には、いくつか書類を提出しなければならない。
そうそう、成績を報告しなければならない!
幸か不幸か、その思いだけはちゃんとある。
29日は、頭痛がした。イブプロフェンを服用して、寝ていた。夜中に起きた時にもまだ頭痛がひどかったので、また、イブプロフェンを服用。成績の集計をする。結果が出たのは、30日の朝、6時過ぎ。
以下、次項へ続く。
(久々に)通院。
と、いうのも、年末に仙台に戻った時、薬を(1週間分)持っていかなかったから、余っていたのだ、な。だから、本来は先週のはずが、今日になった。前回、年末年始を挟むので、薬を3週間分出してもらっていた。結局、1ヶ月ぶりの通院ということになってしまった。
で。
薬を持っていかなかったことを担当医に話すと、即座に「苦しかっただろう」と言う。
どうやら、SSRIパキシルの服用を急に止めるとつらい症状が出るらしい。ギャー
って、ことは、あの時(仙台に行って3日目位から)の気分の悪さや頭痛は、パキシルが切れたから、か。
まさに依存だ。
それにしても、考えるだに、よく乗り切ったものだ。
それはそれとして。
週末から月曜にかけて寝て過ごすこと、血圧は相変わらず高いこと...運動もしていないし、整形外科にも行っていないこと、等々、報告。
これまでは、毎朝、降圧剤ニューロタン25mgを1錠服用していた。これを2錠にする、と、いうことだ。
もし、これでも下がらなければ、精神的な原因だろう、と、の、こと。
ふーん、そーなんだぁ〜
午後からは演習、講義、打合せ。
その後、明日の社会人修士の授業の準備(レポートの課題の作成)をして、21時過ぎに帰る。
Q大北門のバス停に向かう時、で、ある。
3号線を歩道橋で渡るのがかったるくて、幸か不幸か、ちょうど信号の関係で車が途切れた、だけでなく、都合の良いバスが来ている(信号待ちしている)ではないか!
思わず、横断するために走った、ら、こけた。
縁石*に躓いた。
一応、前受け身をとった、けど、何故か左手の甲に擦過傷、両手の平は打撲傷のような痛み、両ひざに痛みあり、そして、伸びていた左手の爪が一部欠けていた。
信号が変わって車が来ることを恐れてとっさに歩道に戻ったけど、動揺が収まるまで待っていたら、もちろん、バスは通過してしまうし、結局、ゆっくりと歩道橋を渡る破目になった。
多分、始めから歩道橋を渡っていれば、バスには乗れたかもしれない。乗れないまでも、痛い思いはしなくて済んだ。
調子、悪いかな。
単に、歳かな。
どっちも、だな。
会議の日。
咳が出るし、ふらつく。
午前中、複数の口述試験の日程ですったもんだ。おいおい、そんなに単純に計算できないぞぉ〜
思わず、叫んでしまう。
どうにも、感情の抑制が効いていないようだ。
午後は指導生との打合せ、後、会議。
後、FD...正直、忘れていた...
院生の精神衛生について。
不肖ながら、指導生に対して、病気の可能性があるので精神科を受診しなさい、と、言うことは可能だ、し、実際に受診させることも可能だ。
幸か不幸か、あたし自身が現実に体験していることだし、それなりに説得力を持って語れる、し、説得もできる。
問題は、その後だと思う。
例えば...
家族に内緒にしておきたい。
社会人ならば、職場に知らせないでおきたい。
気持ちは、とおぉ〜っても、よぉ〜く、わかるっ
けど、さ。
家族や職場の理解がなければ、立ち行かないのが、このての病気である。
で、生々しい問題。
あたしが家族に対して、あるいは、職場に対して、何らかのアクションを起こしても良いのだろうか。
おせっかいではないだろうか。
あたしの担当医は、「それはあなたの仕事ではない、親の仕事だ」と言う。
ならば、なおのこと、親を巻き込まなければならないだろうに。
で、おせっかいの線引きについて質問した。
一瞬、講師が黙ってしまった。
どうやら、本質をついてしまった、らしい。また...か、な。
個別に対応しなければならない、と、言ってしまうのは簡単である。
しかし、それでは、学問としての責任を放棄していないか?
常々、気になっていた、の、だった。
絶不調。
後で、詳しく追加しまする。
以下、2/1に追加。
なんとも、動きたくなかった。
ひたすら、ぼおぉ〜っと、(iTunesで)音楽なんぞを聞いている、だけ...もちろん、布団の中で。
ひたすら、ひたすら。
聞いているうちに...新しく買いたくなって...iTunes Music Storeで試聴したりして...買っちゃったりして。
で。
Norah Jones
COME AWAY WITH ME
B0000635NG

Feels Like Home
B00018D44U
は衝動買い。ビデオまで買ってしまう、し。
試聴して決めたので、どのくらい売れたのか、なんて、知らなかった、し。
その前は、amin
ACROSS
B0009XE8WO

おなじ空の下
B00028XEBW
だった。
次は、Enyaと、おねーさんのMoya*だな。
ひたすら、聴く、と、眠くなる、で、寝る。起きて、また聴く。
そー言えば、日本のiTunes Music StoreでEnyaのAmarantine
アマランタイン
B000BDJ1GK
は購入できなかった。試しにUKにアクセスしてみたところ、購入できるようだった。IDをもう一つ用意するか、クレジットカードを切り替えなければならないようだったので、止めた。
面倒だな。
面倒なのは、いや。ひたすら、聴く、そして、寝る。
寝ながら、Enyaの歌のあの浮揚感は多重録音のせいかぁ〜、教材に使えそぉ〜、なんて考えて、そのうち、また、寝る。
朝から頭痛。軽く咳が出る。
とりあえず、総合感冒薬を服用。
午前中、そのまま寝て過ごす。
午後は、iTunes Music Storeで購入したSheryl CrowWildflower
B000AOENCM
を聞きながら、ブログの整理。
...もちろん、あたしに歌詞が聞き取れるはずがない、けど、なんとなく。
手元にはチューズデイ・ナイト・ミュージック・クラブ
B00005FM5K
がある、はず(例によって行方不明、ジャケットに見覚えはある)、なのだけれども、何故、購入したのか、よく覚えていない。
チューズデイ・ナイト・ミュージック・クラブが発売された1993年と言えば、青森に行った時、だな。ラジオで聴いた*のかも。
Wildflowerは、iTunes Music Storeの2005年のベスト100アルバム(の最初の20)に入っていたので、なんとなく、購入した。
なんとなく、なんとなく。
Midwife Jeimieの日記も更新。
泣きそうになる。
寒いから、暖をとるために火を使う、だから、火傷が多い、ん、じゃ、ないかなぁ〜。
(もちろん、Midwife Jeimieは手を尽くしているのだけど)助けられずに見ている、なんて、どんなのだろう。
考えるだに、泣けてくる。
プロジェクトXや、カレーヌードルが倒れた時の黄色いACアダプターも泣けたけど、それ以上に泣けちゃう。
只管、泣ける。
思わず、iTunes Music Storeで、宮崎駿の世界(ORGEL)オルゴールの世界、を買ってしまう。
なんとなく。
泣けてしまう、から。
あれっ、ちょーし、悪い、の、かな。
あれだけもつを食したのに、夜中におなかがすいてしまう。
カレーヌードルを食しつつ、マニュアルを見ていたら、カレーヌードルが倒れた。
PowerBookG4 15インチの白いACアダプタが黄色くなった。漏電しなくて良かったけど。
えーん。
8時に目を覚ました。頭痛がする。
昨日、タイマーで止めたサーバが、予定通り稼働しているかどうか、とりあえず、調べる。
幸い、うまく動いていたのがほとんど。ファイルサーバとXIOサーバの間で共有しているファイルがうまく開いていなかったので調整する。
後、仙台の家賃の振込みをインターネットバンキングで行う。
...それにしても、裏側で何をやっているのやら、銀行によってこうも使い勝手が違う、というも困ったものだ。
...さらに、使用できるブラウザを限るし。某77番目の銀行の場合は、ローカルファイルでJavascriptの制限を外してしまってアクセスしているが...これってハッキングになるのかな...違うな、サーバに悪さしているわけではないから「お客様の責任の範囲」のはずだけど...これまでは特に問題はない。いつぞや電子メールで知らせたのだけれども、直す気は無いのだろうね。もしも動かなくなったら、責任問題だし。
...それと、通帳記入しなくてもいいようにインターネットバンキングしているつもりだけど、過去2週間分の取引データしか保存しない...できないようにしている...銀行もあって、とても困る。もっとも、某西の日本の都市の銀行では「テレフォンバンキング」だったから仕方ない。こちらが口座番号を入力し間違って振り込むと、電話がかかってくる。3回かけてもつながらないと午後になってようやくメールを送ってくる。15時近くじゃ、仕方ないっつーの。
もとい。
で、昼近くになって大学に到着。論文指導。
今日は、センター入試の前日なので、講義棟で行う講義は午後から休講。幸いだったかも。
職人技を発揮しても良いのだが、口述試験の時に本人が困る、ので、我慢する。そもそも、(もちろん、アリシン効果はあったけど、まだ、ちびつと)咳が残っていてそのような元気ない。
その間、Midwife Jeimieに励ましのメールを送ろう運動を展開する。
S谷先生を始め、指導生・卒業生・修了生にメールを送る。
16時過ぎ、H法研に行き、学生・院生の尻をたたく。
何しろ、印刷・製本の時間を考えて作業していない、し。
プリンターだって、一度に仕事を依頼される(印刷命令を送られる)と、時間がかかるのよん。
仮とじのために2穴バインダーに綴じるのだから、パンチしなければならないでしょ。
パンチくんにも一度に作業できる(紙の枚数に)限界があるのだし。
我慢できずに、パンチに手を出す、えいやっ、体重をのせて、おりゃっ
...こいつら、パンチの手入れを怠っている...「受け」のプラスチック板を回転させていない...説教だな。
17時の30秒前、なんとか、送り出せた。
で、金曜日は、夜間の社会人の講義があった。
うーん、調子、いいかも。
いや、この反動は、いつくるのか、心配する必要があるな。
先週から休んでいないもの。

本来は、通院の日。
仙台に薬を持っていかなかったので、1週分余っている。
咳が残ってるし、だるかったので、午前中はのんびり過ごし、通院は来週に延ばした。
午後は、修論指導、演習...用意しておいたワークシートで作業させてビデオを見せる...らくちん、卒論指導。
ところが。
用度係から、22時から翌朝8時まで、作業停電する、というメールが飛び込む。
論文提出の前の日だっちゅうのに、なんと、まぁ、気の毒なこと。
どんな事故か知らないが、事故ならばしかたがない。
かつての人身事故のように、突然の停電、よりは、まだましだ。
...電気工事をしていて作業員が感電したらしい。通常、工事に際しては回路を迂回しているはずなのに、それが働かず、もろに停電になった。このときには、うちの事務部と、そこで聞き出したQ電の担当者に文句の電話をかけた、けど、それが効いている、わけではないだろね。
あたしの方は、演習で学生にビデオを見せながら、サーバどもにスケジュール設定をして回るだけ。1台だけcronを仕込む。事務補佐員の方に、明日の朝、通勤したら電源を入れてもらうように手配する。
で。
もつ鍋、である。場所は、もちろん、ふか川(リンクはこちらも)だ。
詳しくは、S谷先生のもつ鍋愛好会に書かれている、ので、省略。
ちなみに、S谷先生ご自身が鍋奉行であることはもちろんだが、不肖ながら、あたしがもう一つの鍋を担当。T谷さんに食べていただいた。
何しろ、2回目の大波が来てから、掃除はもちろん、食事の支度なんてしていない。唯一、食事に関わる作業である。
きんちょーして臨んだ。
E頭助手が遅れてきたので、担当鍋は、T山さんと、身体の大きな社会人修了生のH高さんと、身体の大きなあたしの3人で食すことになった。時々、O助手にも手伝ってもらったけど...回転が悪い。どうしても煮詰まってしまう。
とは言え、5回は鍋のお代わりをし、11月24日カレー汁状態に限りなく近づけ、なんとかスープをすべてチャンポン玉に吸わせることには成功。P1000013s.jpg

(食い散らかした後ですが、こんな感じ)

アリシン臭をまき散らしながら地下鉄で帰る。
会議の日。とはいえ、午前中だけ。
午後は、20日締め切りの卒論修論の指導。
これまで、何度も何度も、言葉に敏感になれて言い続けて、この時期になっても、まだ、言い続ける。
咳はまだ残っている。
明日はもつ鍋の日。アリシン効果に期待しよう。
指導の合間、久しぶりに整形外科にリハビリに行った。
身体の「かたさ」が、治療を始めた最初のころのものに戻ったかも、ギャー。
...「かたさ」にアリシンは効かないだろうし...
地道に繰り返し、だな。
比較的早い時刻に眠くなってきた。
7時に起床、だるい。疲れが出てきたか。咳も残っている。
適当に食事。チェックアウトギリギリまでホテルにいる。
13時過ぎの飛行機に乗るためには、余裕を持って12時には空港にいたい。そのためには、11時過ぎのシャトルバスに載る必要がある。何しろ、仙台空港は仙台に存在していない...そのうち、合併するかな...何しろ、仙台市の東は太平洋で西は山形県境だ...南にも広げるかも...それは、ないか。
で、結局、実家には電話をかけてそのまま移動する旨を伝える。ついでに、早くインフルエンザの予防注射をするようにと釘を刺しておいた。
空港に着いてみると、使用機到着遅れ。20分遅れで搭乗。
機内では例のようにPowerBookG4 12インチをiPod代わりに家元の落語を聞く、つもりだったのだが、よくよく考えてみると、ワイヤレスマウスを使っていることに気づいた...今ごろ。
これって、いわゆる「電波を発する電子機器」で、「機内では常にご使用になれません」ではないか???
注意書きには、Bluetoothとは書いていないけど。
うーん。
で、Bluetoothを使わない、ようにしたら、トラックパッドも使えなくなってしまった!
慌てて、再起動、でも、ダメ。
管理者になって、利用者の設定ファイルを強引に書き換え、トラックパッドを使えるようにした、の、だ、けど。
この間、20分ほど、ワイヤレスマウスを隠して使っていた。
飛行機は、ガタガタ、揺れた、けど、これって、気流の関係、の、はず。
うーん。
そんなこんなで、福岡空港の第1ターミナルに到着。あずけた手荷物を受け取る。
手荷物を受け取るとき、あたしはいつも手荷物がすぐに出てくる口に向かい、わざと、反対の口の方を見ていることにしている。知っている人は知っているのだろうが、知らない人は、特に第1ターミナルでは、反対の口の方に群がる。
何故か、は、知らない...不適切属性の口の位置に着目しているか、基準もなくただ立っているか、かな。
少なくとも、あたしは、国内ならば、どの空港でも、間違いなく出てくる口の近くにいける、はず...検証中。
今回は手荷物をあずけた客が少なく、慌てて反対側から走ってくる子ども、はいなかったけど。
動き始めて、反対だぁ〜、と、どよめくのは面白い。
に、しても、某るいびとんのキャスター付きのバックなんて、持ち込むなよな〜
某るいびとん、だけじゃないけど。
狭い通路がますます狭くなる。
あたしのバックだって、M越百貨店で購入した某hartmannのツイードのバックなんだぜぇ〜
某るいびとんのバックを手荷物としてあずけると、ビニールの袋に入れてくれるけど、あたしのはそのまま。ふん。
空港からタクシーに乗る。
自宅に近づいて、値段が気になってメーターを見たけど、点灯していない。
どうやら、某ひゆーざー社長の証人喚問に気を取られて、メーターのスイッチを押してなかったようだ。
確かに、面白い答えをしていた。
いつも、1800円位だったので、2000円でどうか、と提案した、ところ、1700円でいいと言ってくれた。
チョッピリ儲かったかな。
食事をして、すぐに、珍しく、眠くなった。
明日は会議。

咳で起きる。頭痛もする。
明け方近く、寒くてガタガタ震えた。悪寒だ。もちろん、暖房は入っていた。
体温計を貸したままだった、ので、持ってきていない、が、38度近くはあったかも。
食欲は無い、が、とりあえず、梅干しにお粥、漬物にみそ汁を食す。
コンビニで購入した栄養ドリンクを飲み、午前中の活動に備える。
今日は、家賃*の自動振込の依頼と、溜めにためていた学会費の振り込みをする、予定。
とりあえず、用事が済んだら、ホテルに帰って寝ることにしよう。
午前中の用事は問題なくすんだ。
で。
昼飯を食べていたとき、駐車場料金はどうなっているのか、と、父親が聞いてきた。
さらに、廃車にする、とも、言っていた。
やったぁ!
今回の目的は達成されたといえよう。
とは言え、駐車場使用料、どうなっているのか、よく覚えていない。父親が入院した直後、各種公共料金等、一気にあたしの口座から引き落とすようにした。その時に、駐車場使用料も含めたはずだが、細かなことは忘れてしまっている。多分、家賃と同様、月末に来月分を振り込んでいたはずだ。
確認する元気はなかったし、廃車の手続きもすぐに、という訳にもいかないだろうから、次回、来仙した時に作業することにしよう。
後は、二人の年寄りの生き甲斐をどう見つけるか、だな。

午後から、これまでより激しく咳が出るようになった。
胸骨の真ん中に異物感、が、ある、が、2005年12月9日ほどではない。
とりあえず、午前中は、M越百貨店でお買い物。昼はデパ地下、親子で親子丼を食す...ちびつときばって、名古屋コーチンの、に、したのだけれども、入れ歯の年寄りにはちびつと難だったかも...。午後はスーパーで生鮮食料品のお買い物。
夕方、ホテルに戻る。21時過ぎ、マッサージを頼んだ。どうにも、右の肩と左の腰が硬くなってしまっている。このところ、ずっとリハビリをさぼっているせいだろう。
総合感冒薬と、咳止めを服用した...強烈に抗ヒスタミン剤が効いたか、23時過ぎには眠くなる。

仙台に来ている。
というのも、父親に説教するためだ。
2004年5月13日、父親が入院した。(後からわかったことだが)心臓弁膜症である。青い顔をして近所の内科医院に行ったところ、循環器系のある総合病院に救急車で運ばれた。弁がうまく働かず、循環が悪くなっていた、ため、肺に水が溜まってしまっていた...レントゲン写真を見たところ、半分近くが真っ白だった...
父親の誕生日が5月、ちょうど、免許書き換えの時期だった、の、だが、入院したため、書き換えができなかった。
担当医からは、きつぅ〜く、自動車の運転を止められた。また、いつ、どこで、発作が起きるかわからないから、というのが、一番の理由だ。運転中に発作を起こせば、重大な責任問題である。
にも、関わらず、退院後、こっそりと...無免許で...運転を続けていたのである。
確かに、歳をとり、自由に移動できない、ということは、辛いことではある。
タクシーにしても、他人の力を借りて、というのは、嫌なことだろうと思う。
が、しかし、何よりも他人を傷つけてしまう可能性がある、ということが、重大だ。
結局、弁膜症が治ったわけではない。血液凝固抑制剤を使い、負担をかけず循環させているに過ぎない。
自らが怪我をした場合、傷口から通常より多量の出血をする場合もありうるだろう。
そんなこんなで、説教なのである。
あー、つらい。
なんとも、疲れた。
9日(月)...だらだぁ〜ら、の、一日、の続き。5時に寝て11時過ぎに起きるペースに戻ってしまった。
10日(火)...会議の日、と、言っても、たいしたことは無い、の、では、ある、が...
あれが、机上の空論、と、言うヤツではないだろうか、ね。
相手先(それも2つ)の考え方が全くわからず、あーでもない、こーかもしれない、と、やっていては埒が明かない。我慢できずに、まとめてしまった。これって、司会の仕事だろう、と、思ったけれども、誰が司会なのかわからない会議であった、と、気づいた。
11日(水)...午前・午後と会議。夕方、先日審査した博論の公聴会があった。
反転時計問題の回答率が、小学校の4年生で断トツに上がり、5年生、6年生と、だんだん下がるのは何故か?
高学年になると、自らのルールに固執してしまう、という回答だった。
でも、これって、平行四辺形の面積の問題が小学校の5年生で断トツに上がり、6年生で下がる、というのと、同じ構造ではないかというのが、あたしの意見。何しろ、小学校の4年生の算数で、普通の時計の問題を大々的に取り上げているのだもの。4年生の算数で徹底的に時計問題を解くので、反転時計問題も解きやすくなっている、という、仮説。
どーかなー
12日(木)・13日(金)...授業の日。講義の後、ノドが痛い。乗物酔いのように気分が悪い。
もしかすると、風邪か?
論文指導している時、あいつら、ゲホゲホやっていたものな〜
もらったかもね〜
週末はきつそうだな。
また、眠れなくなっているし。
だらだぁ〜ら、の、一日。
起きる気になったのが11時過ぎ、いつものペースだ。
iTunesで、みゆきねぇーさんの「地上の星/ヘッドライト・テールライト」を繰り返し聴く。幸い、泣かなかった。ナレーションがなかった所為か...
その後、1月3日に購入したApple AirMac Express ベースステーションと、10年くらい前に購入したSONYのラジカセZS-8(多分、ダブルラジカセ、だな)とを接続し、このブログのサーバ上のiTunesのプレイリストを、手元のPowerBookG4から操作して鳴らす、なんて事をしながら、過ごす。
このラジカセでは、電子的に処理して、仮想的に「ドーム」、「アリーナ」、「ライブ」、「ホール」で演奏しているような音を出す。
で、「ライブ」、「ホール」にして家元の落語を流してみた...お囃子の太鼓と三味線、特に太鼓が妙に響く、のだから、当然、家元の声も響き渡る。当たり前だが、ホール落語に近くなるわけではない。
とは言え、可能性はあるわけだ。「ホール落語モード」なんて、誰も作らないだけだな。多分、売れないだろうから、作られることはない、な。
聴きながら、ブログの調整なんぞをする。
夕方からテレビを見始める。
「バイオハザード」、「バイオハザードII」、「こっくりさん*」、その後、「極道の妻たち」を見る。

で、読者からメールをいただいた。なんと有り難いことだろう。
そうよねぇ〜
微調整は無視しているものなぇ〜
多分、寝過ぎるのが一つの兆候だろう。
眠れないことが心配で、どうしても1錠多く服用してしまう...余っている(捨てない)のも悪いのだけど。
予定では、次の通院で、調整のための話し合いをする予定であります。
請うご期待。

At 2:36 AM +0900 06.1.8, xxxxxxxxxx@yyyyyyyyyy.zzzzzzzzzz.jp wrote:
> 私的なことに首をつっこむ感じで失礼極まりないのですが...
> 処方されているお薬の量(というか、「強さ」?)、少々多い気がするんですが。
> 副作用とか、etc...
> 私は医者じゃないので、こんなことを言うのは検討違いですが、何となくそんな
> 感じがして、ちと不安になってメール致しました。
> 安定剤とか睡眠薬とか、その他の内科系の薬などの飲み合わせなんかで、微
> 妙に副作用が増減するというのは分かりきったことですが、服薬が逆に命取りに
> なることもあるので。(これも分かりきったことですね...)
> なんか前置きが長くなってしまいましたが、「こいつは体がヤバイ」と実感した
> ら、医者に申告するなりして調整してもらったほうがいいかと。それでも、相手が
> のらりくらりなら、いっそ医者(病院)を変えるとか。
> 確かに、薬>カウンセリング、かもしれませんが、やはり薬は「さじ加減が命」で
> すよ...。
> ...ほんっとうに失礼なメールですみません。

来た。
気がつくと、10時であった。
N野先生の集中講義の最終日である。
携帯に指導生からメールが届いていた。どうやら、大学には居るようで、N野先生よりは早く到着したようだった。
とりあえず、体調が悪いことを伝える。
頭が痛い。目まいの薬、鎮痛薬を服用し、様子を見る、つもりが、そのまま、寝てしまった。
気がついた時には、17時を過ぎていた。
資料の始末が気になった。教室の後始末はどうにでもなる。
指導生に携帯からメールを送る、と、入れ違いに、N野先生が帰られたことが報告される。
とほほぉ〜
見送りできなかった...


Tunesで、みゆきねぇーさんの「地上の星/ヘッドライト・テールライト」を繰り返し聴く。幸い、泣かなかった。ナレーションがなかった所為か...
家元*のお血脈、釜泥、包丁、を、聴く。凄いなぁ〜
夜中、CSIマイアミ**とCSIニューヨーク***を見る。
取り合えず、元気になったけど、既に、明日になっている。
N野先生の集中講義が始まる。
...初日から遅刻である...あたしが。
指導生どもは、それなりに到着。とはいえ、12時集合ってことは、アナウンスしておけばよかったかな。
大学院の授業で、今年度は留学生が多い。
無理を承知で、まず「基本的な事」を講義していただくように頼んでみた。
そもそも、カリキュラムとプログラムとプランの違いがわかっていなかったり、ただ理路整然と話をすれば、学習内容が学習者に伝わると考えていたり、評価と評定の違いもわからなかったり、する、可能性が高かったから。
...それに、唯一、授業の事を話しているあたしの授業を受けていないのが9割だし。
なんとあり難いことに、この提案に対応してくださった。
いつもながら、楽しそうに講義されている。
今年度は、今までになく楽しそうだ。
休憩時間も、あたしを相手に話しまくっている...勿論、あたしが適切なコメント、意見、反論をするからだけど。
...近くにいる指導生どもに、よく聞こえるように話していたつもりけど、通じたかな。
それぞれにとって、かなり重要な事が話されていたのだけれども。
恒例となった囲む会には、S谷先生、Y谷先生に声をかける。当初、4人でこっそり、と、考えていたのだが、N野先生が受講生と一緒が良い、と、言うことだったので、急きょ、受講生たちにも声をかける。3名、来てくれることになった。
魚村の個室が確保できたので、19時30分から開始。3時間も居てしまった。
皆さん、満足していただけたかな...
2日.........
ひたすら、だらける。11時過ぎに起きる。恐らく寝たのは明け方だろうから、リズムがすっかり戻っている。
まだ頭がぼぉーっとしている。血圧は高くない。
午後、「剣客商売」の連続放送を見続ける。
眠剤を飲んで、2時前には寝たはず...
3日.........
12時近くになってようやく起き出す。今日は、買い出しに出かけなければならない、の、だが...
結局、夕方までぐずぐずしていて、18時近くになって移動を開始。天神に向かう。
Apple AirMac Express ベースステーション*が欲しかったので、Apple Store Fukuoka Tenjinを覗き、結局、ビックカメラに飛び込む。
その後、大丸にて、お茶、コーヒー、紅茶、菓子を買う。
大学に寄り、買ったものを置くだけ、の、つもりが、明日からの教室の見回り、サーバの調整、なんてことをやってしまう。
帰りがけ、軽い頭痛を覚える。バスで揺られると、気分が悪くなった。
薬を忘れて、仙台に行き、2日目からほんんど眠れなくなった。
と、言うことは、福岡に来て薬を飲み始め、2日目位(4日位からか...)から効いてくるのだろうな。
さぁ、明日はN野先生を迎えるぞっ
31日の昼過ぎから、背中の上部、首筋に「ゾクゾク感」がある。
首をを動かしたり、何かを見つめると、まるで首筋に「鍼」を刺したときのような「響き」が生じる。
どうやら、目を動かすと、生じる、ようだ。
もしかすると、目まい、の一つの症状、かもしれない。
忘れた薬の中には、メリスロンとメチコバールが含まれている。
と、いうことは、これらの服用も、もうしばらく止められない、と、いうことか。
寒けがしたので、風邪を疑った。
とりあえず、イブプロフェンを服用、さらに仙台空港で「葛根湯」を購入して飲んだ。
食欲はない。
ぐったり、疲れた。眠い。
タクシーに乗ってしばらくすると、吐き気がしてきた。まるで、乗り物酔いのようだ。恐らく、めまいだろう。
家について、まず、薬を探した。小分けにした袋があった。
メリスロン、メチコバール、ニューロタン、パキシル、レスリンを服用。ついでに胃薬も服用。間を於いて、レスリン、デパス、レボトミンを服用。とにかく、寝る。
また、電車の音が聞こえてから、うとうとし始めた。
(29日・30日に続いて)明け方から午前中にかけて、とても、眠い、のは、いわゆる「日内変動」だろう。
それを、これまで、眠剤の力で、強引にねじ伏せていたのだな。
年末の街をひたすら歩いた。寒い。腰と膝が痛くなった。
Aさんと酒を飲んだ。二人とも休肝日が無い。
「菖蒲の香」を混ぜた風呂に入った。リラックス、できる、かな。
さて、今日は、眠れるかっ

病名がついてから、五年が過ぎようとしている。
相変わらず、家族、職場の方々、指導生の皆さん、院生・学生の皆さん、に、迷惑をかけ続けている。
回りの方々のおかげで、2005年は、低空飛行ながら、墜落せずに過ごせた。
明日は、福岡に帰る。
先の見えない日々が始まる。
まず、薬を飲もうっと。
薬に依存している、ことを、実感した。
29日(木)...結局、寝ずに両親のところに出かける。
ホテルから青葉通りを仙台駅まで歩く。まっすぐに歩けない。大きな道の歩道を渡っていると、向こう側にたどり着く5m位手前で歩行者用信号が点滅し始める。
両親の用事は、銀行と郵便局からお金をおろしてくること。徒歩で出かけた。できれば、車で他の買い物(使い捨てカイロ1月分×2、ゴミの袋、液体洗剤等々重いものども)のついでに済ませたかったが、この時期だ、ただでさえ込んでいる道を安全に車を運転する自信など、全くなかった。
さすがに、疲れた。夕方、バスに乗っていて居眠り。さて、今晩は眠れるかっ

まだ、咳が止まらなかったので、咳止めを飲んで寝た。咳止めの坑ヒスタミン成分が効いていたのだろう、頭はぼぉーっと、していた、の、だ、けれども、ほとんど眠れなかった。
夜中。(目はつぶっていたが)目の前に直径20cm程の細胞様の物体が出現。激しく伸縮を始め、伸縮しながら徐々に拡大。伸縮と拡大の速度が指数級数的に増加、最後は拡大して爆発。それに伴って、心拍が増大するように「感じ」て、爆発する寸前に「いわれのない不安」を感じた。目を開けた。暗い天井にも見えた。
...細胞様物体は見えなくなっても、「心拍の増大」と「いわれのない不安」はまだ感じる。
このような不安は、久しぶりである。小学生のころ、発熱して寝ているとき、カーテンの模様が今回と同様に変化して、とても不安だったことを思い出した。
もしかすると、このような「いわれのない不安」をデパスが押さえていたのだろうか。
苦しくて、死んでしまおうか、と、ちびつと、考えた、くらいだ。
深呼吸した。
脈をとってみたが、それほど(期待したほど)速くはない。
何故か、歯を食いしばっていた、ので、あごの力を抜く。ついでに、肩の力を抜く。背中の力を抜く。水を飲む...細胞様物体も見えなくなり、「いわれのない不安」も感じなくなった。
明け方、なんとか、眠ったようだった。
とは言え、すぐに電車の音が聞こえた。
30日(金)...10時過ぎ、フロントから電話。掃除をするので出て行け、という。はいはい。
幸い、昨日のようなふらつきはなかった。
とりあえず、車を運転し、無事に買い物を済ませることができた。
さて、今晩は眠れるかっ

フロントから電話がかかってきた。時計を見ると、13時過ぎ、それまで、寝ていた。
泡盛で二日酔い、も、あったけれども、どうにも、起きる気になれなかった。
久しぶりだ。
両隣の部屋の掃除が進む間...とてもうるさかった、のは、当てつけかも...いやいや、そんなことはないだろう...でもわからんな...じっとしていた。
14時過ぎ、とりあえず、携帯電話に届いたメールを読み、サーバたちの様子を見ることにした。
ホテルで先日書いたことを実行することになるとは...
寝たり作業したり、夕方になった。
テレビをつけてみた。なんと、「プロジェクトX挑戦者たち」の最終回ではないか。
これで少しは元気になれるかもしれない!
その後、コンビニに弁当を買いに行くことができた。
それにしても、薬をなんとかしなければならないな。
薬を忘れた。持ってきていない。
仙台に滞在している日数分を小袋にきちんと分けた。
で、その袋を持ってきていないことに、気づいた。
がく然としている、自分を見ている。
あら、まっ
とりあえず、ビールを飲んで...
明日からは、抗ヒスタミン剤で寝ることにしようか、などと、考えている。
あ〜あっ
そういえば、空港の手荷物検査のとき、ウェストポーチをつけたままゲートをくぐってしまった。
ディパックに詰めた中身(AC電源やらマウスやら血圧計やらデジカメの電池やら外付けバックアップ用ハードディスクやら...随分と入っていた)を引きずり出されて再検査されてしまった。
うわっついているかも...
ひゃ〜
この1週間は、おとなしくしていようっと。
それより、帰った後の「低空飛行」「落ち込み」が気になる。
N先生の集中講義があるのだ!
今から「落ち込む」ことを考えてはいけない、ということは、わかっているのだけどね、考えちゃうんだ、これが。
はにゃ〜
こんなときは、家元の落語、だな。
子どもは嫌いだ。
仕事の一部だし、かつ、子どもたちが「わかる」ように輔助するのは好ましいのだが、公共の交通機関の中で傍若無人なのは閉口する。
今日は、夕方、福岡から仙台に移動した。前後を子どもたちに囲まれた。後ろの子どもは、定期的に「蹴る」、前の乳児は泣き叫ぶ、斜め前の子どもは...お子様一人旅で姉弟のようだった...は、機内アナウンスを無視してシートベルトを外したりテーブルを下ろしたり、何故かハラハラしていた。
後ろを振り向いて、じっと、目を見て、「ぼく、お願いだから、蹴らないで」と言ってみようかと、何度も思ったけど、その度に、定期的な「蹴り」が止む...両親が居たようだが、「ほら、おじさんに怒られるでしょ」なんて言われる可能性もあって...その場合には、お父さん、そのような叱り方ではだめですよ、と、講釈を垂れる準備までしていたのだが...止めた。
PowerBookG4(12インチ)に保存しておいた家元の噺を聴きながら、ひたすら、我慢。
到着後、降りる準備をしているとき、のこと。
ふと見ると、男の子用のジャケットが通路に落ちていた。嫌いなのに、
「これ、誰のかな〜」
と言ってしまった。すると、「蹴り」を入れていた男の子が、困ったような顔をしていた。母親が受け取った。
...「君がお礼を言わないといけないよね〜」とは言えなかった。
斜め前の姉弟のお姉さんが弟に向かって、「あんたは奥に行き、荷物降ろすけん」と言っていたのが聞こえた。
嫌いなのに、手伝ってあげようか、と考えてしまった。何しろ、あたしの前にいるおっちゃんは、完全に無視しているし、そもそもそのおっちゃんが邪魔で荷物が降ろせないのだもの。
「荷物、どれかな?、降ろしてあげようか」
と尋ねると、
「この上、届かない...」
と、照れていた。そりゃ、そーだろう。突然、知らないおっさんから声をかけられたのだから。警戒するだろう。
とりあえず、真上の棚の、お土産と思われる袋、ジャケット二つ、をとって渡した。
二人揃って、お礼を言ってくれた。なかなか、しっかりしている。
...搭乗口では、両親に抱きついていた。緊張したんだろうね〜
...自慢じゃないが、一人旅なんて、あたしにはできなかったことだな。
で、さらに、出口に向かって通路を歩いていると、子ども(乳児)連れのおばあさんにあたる人、が、キャスター付きの大きな荷物を棚から下ろそうとしていた。思わず、
「手伝いましょうか?」
と、右手で荷物を持ってしまった。子どもは嫌いなのに。
嫌いでも、将来、あたしの年金は、この子どもたちの背にかかっているのだから、今のうちには手伝っておこう、と、取り繕うような理由を考えて...
到着口にたどり着いたら、とても気分が悪くなっていた。
バスで40分、仙台駅に到着。薬屋で胃薬と、頭痛薬を購入。後、タクシーでホテルに。
とりあえず、胃薬を飲んで、休んで、PowerBookG4(12インチ)の環境を整え、て、いるうちに、食欲がちょっと出てきたので、近所のコンビニで適当な食料...酒も含む...を仕入れ、この日記を書いている。
360mlの泡盛が空きそうだ。
持ってきた「24 -TWENTY FOUR- シーズン4」を見て、寝よっと。
某看護教員養成講座の謝恩会に出た。
この日は、職場の忘年会だったのだが、12/7同様、中途半端に知った人たちの中で食事するのは辛かった。もちろん、こちらはほとんど知らないのだけれども、向こうは全員あたしのことを知っている、という状態の中で食事する、というのも、それなりに辛いのではあるが...N先生がいらっしゃっている可能性が高かったから、出てみることにした。
久しぶりに、素人の「芸」を見た。自分を捨てられない人々であった。N先生はべた褒めであった...あのようなことができなければ、学生の前で話しをしても説得できないということだった...そうかな...けれども、いさぎよくない状態で壇上で蠢くのは、醜悪である、と感じてしまう、あたしは、何者???
あたしが高座で落語を演じれば、ああなるのだろうか???
いやいや、もっとうまくできるはず...「よっ、ねえさん、粋だねぇ」「なぁ〜に、言ってんだい、あたしゃ帰りだよ」...おっと、志の輔の小話だ。
えぇい、マイクを奪って、1曲歌ったろか...それも、ミョーチクリンな東北弁もどきで...
いやいや、やめましょう。
そんなことよりも、8ヶ月の講習の中のわずか1日だけの講義なのに、あたしのネタを使った「芸」が演じられたこと、つまり、それなりに印象には残っていたと推測できること、の、方が大事だろうさ。
ヘパナマの話、キシロカインの話、バナナの話、知識構造の話...勿論、実例レベルで法則にはなっていないかもしれない、実例だけを孤立した知識として再生的解決をしているだけかもしれない。が、知らないよりは、ずっとよい、と、思いたい。
二次会のお誘いを断り、N先生とタクシーで帰った。
風邪がまだ抜けない。頭痛がするのだ。さっさと寝ようかね。
明日は通院だ。
だるい。マスクをしたら、眼鏡を忘れる...どこで外したのかさえわからない。
昼から打合せ、演習、博論の審査...M野先生の指導生の博論...H谷門下生として選ばれた、らしい。
その場でちらちら読んだのだが、K藤さんの論文がバシバシ引用されていた。F見・M柄論文もチラチラ出てくる。
レジメとパワポでプレゼン...はじめに、で、躓く。用語の定義が重複しているように思う。
心理学だから仕方ないのかもしれないが、課題が非現実的、なのは、許しても、ルール教示がいい加減。
そして、何より、課題の提示順に配慮がない。「吸盤課題」は難しいよぉ〜
「真空は吸い寄せる」ってのは、根強いよん。それを最初の課題にするというのはどうかな〜
あたしなら、「踊る楊枝」を最初にするなぁ〜
ピアジェに義理立てする必要はない。
あたしの指導生の博論はM野先生に査読していただこう。
会議、面接、打合せ、面接。
中国からの留学生に「日本語が聞きやすい」とほめられる...うーん、なんだろねぇ〜
腰が痛い。頭も痛い。咳と鼻水が少々。
夕方、指導生をパキスタンに送り出す壮行会をふか川(リンクはこちらも)にて行う。
S谷先生、NN村先生、あまり元気がなかった。忙しいせいかも。
今日のおかわりは5回...15人前を4名で食す...それほどの量ではない。
それにしても、ふか川のモツ鍋は凄い。
宴が終了した時には、咳と鼻水が止まっていた。アリシン臭の汗と引き換え。
だるい。鼻づまり。軽い頭痛。午前中だらだら、午後から指導生との打合せ、恥ずかしながら、また遅刻。
そう言えば、有難いことに、指導生からメーリングリストに気遣いメールが流れていた。
それにしても、防衛機構の弱い身体だ...頭も身体のうち。
XIOサーバが止まっていた。ログをみると、電圧が下がったようだ。はて、瞬停でもあったのか...同じ部屋の他のサーバは何ともなかったので、不思議、と、言っても仕方ないので、再起動させる。
非常勤にはギリギリ間に合う。雪が舞っていた、が、ひと月前の青森よりはチョーらくちん。
...地下鉄を降りて大学に向かっている途中で眼鏡がない事に気づく...大ボケ、はて、財布に続いてなくしたか...打合せのときにはかけていたように思う...
(声量だけでなく声の質も悪くなっているためだろう)珍しく声が通らず、アンプのボリュームを上げよとのリクエストを受ける。
今日は、インターネットの話。世の中の人々のほとんどがインターネットがホームページ(実はホームページの指し示す内容もズレているかも...)の事だと思っていると推測できるので、その考え方を打破する事が目的。インターネットを利用することは、データベースを活用することに似ている(と考えているし、その方が考えやすいと思う...わかりやすさと正確さは反比例する)。
で、棚町知彌氏(園田学園近松研究所)の「データベース糠味噌説」を取り上げる。
首相官邸のホームページ(サイトと言った方が適当かも)と「Otaku no Video」で脱線。
10分ほど早く終了。2週間ほど整形外科に行っていないので、腰が痛い。
はて、いつ行けるのだろうか...


「Otaku no Video」おたくのビデオ DVD Special Edition(ビデオと言いつつDVD)
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風邪である。
4日(日)...寝て過ごす。だるい。
5日(月)...また打合せに遅刻。面目次第もない。左の咽頭がヒリヒリするし痛いくらいだった。これが始まりだったかも。
6日(火)...明け方、咽喉の痛みで起きる。鼻詰まりで呼吸も苦しかった。2度寝。後、非常勤。
7日(水)...咳が出てきた。午前中、会議。指導生の副査を決める会議なので休めない。午後も会議。夕方の会議はとても辛かった。熱が出てきたようだ。
が、しかし、この日は、福岡メルパルクホールで「志の輔らくご」なのである。職場の忘年会もあったのだけれども、中途半端に知った人たちの中で食事するのは辛かった。誰も知らない人に囲まれて大笑いするのもそれなりに辛いのだけれども、何しろ、志の輔だ。
「江戸の夢」は初めて聴いた。芝居がかった演出は、談志が演ずるよりも濃いだろう。泣いてしまった。またやられた。
8日(木)...だるい。通院の日である。診察時間を過ぎて到着、担当医と事務の方に叱られた。指導生との打合せと同様、遅刻である。ただし、もしかすると、遅刻しないようになれば、緩解した証拠になるのかもしれない。つまり、ちゃんと通院できれば、もう通院しなくてもいいような状態になっているのかもしれない。
夜、WOWOWで2004年の「志の輔らくご in パルコ」をみる。「浜野矩随」も初めて聴いた。不覚にも泣いてしまった。2日連続してやられた。
9日(金)...鬼の霍乱、ではないか、身体、弱いものな...もちろん頭も身体のうち。とは言え、久しぶりに体温を38.8度まで上げられた。ライブとWOWOWの「志の輔らくご」ダブルパワーか...違うって。食事をしたからだろう。体温が高いだけでなく、ふらつくし、ろれつを回す自信がなかったので、指導生との打合せをキャンセルし、(珍しく)授業も休講にした。咳、鼻詰まり、に、加えて、胸骨の真ん中に異物感がある。気管支炎になったかも。じっとしている分にはそれほど辛くはない。むしろ昨日の方が辛かったな。
体温は、昼過ぎに38度、夕方には37.7度まで下がる。ひたすらじっとしている。談志のCD(「談志百席」)を聴く。聴いているうちに寝てしまう、ので、また聴く、の、繰り返し。談志は凄い、声だけでも凄い。
10日(土)...大事をとって、1日寝ている。「談志百席」を聴き、「24シーズン4」のDVDを観る、の、繰り返し。幸いなことに食欲が出てきた。
11日(日)...前日の繰り返し。咳、咽喉の痛み、鼻詰まり、は変らず。胸骨の真ん中の異物感はやわらぐ。体温は36度台なので平熱に戻ったと考えていいだろうな。
12日(月)...だるい。咽喉の痛み、鼻詰まりが残る。胸骨の真ん中の異物感はほとんどない。午後から指導生との打合せを入れていたが、相変わらず遅刻。とにかくだるい。

Q&Aの続き
「人前(授業)でニコニコしているが、苦しくないのかよ、どうしてそんなことができるのだぁ?」
はい、(とぉ〜っても)苦しいでござる。
そんなの当たり前。仕事なんだもの。客商売なんだから、営業スマイルできなくてどーすんのさ。
あくまでも仕事なんだから、苦しくてつらいのは当たり前。そして、どんな仕事にも(営業)努力は付き物で、それがまたとてもつらく苦しいものだ。受講生はお金を払っているのだし、休講にしたり遅刻しては申し訳ない。
幸い、授業は楽しい。受講生が「わかった」という反応(単にわかったと言うなんて事ではない)を示してくれることは、もっといい授業を創ろうという活力になるのだし、有り難いことである。だから、死ぬ物狂いで出ていって、恥ずかしいけど話をするのである。
授業を創る事は楽しいことではあるが、人前で話をすることとは別。決して、人前で話をするのが得意な訳では、ない。滅茶苦茶ドキドキ、目茶苦茶キンチョーするんだもの。

ウィリアム・ジェイムズ:ひとは悲しいから泣くのではない。泣くから悲しいのだ。
変換命題:ひとは楽しいからニコニコするのではない。ニコニコするから楽しいのだ。
さぁ、鏡を見ながらニコニコする練習をしましょう。
ちなみに、あたしは、国内線のキャビンアテンダントのニコニコの仕方を真似るように練習した。最初は、院生の時、銭湯で、ヒゲを剃り終わってから鏡を見ながら、ニコニコと...就職してからは、朝、シェーバーでヒゲを剃り終わってから、鏡を見ながら、ニコニコと...
もちろん、低調な時には鏡すら見たくない。その時はその時だ。少しでも好調になったら、鏡を見ながらニコニコするべし。

...ちなみに、個人的には、天職あるいは適職なんてないと思うのだな〜
教師は教師をやりながら教師らしくなって行く。
医者は医者をやりながら医者らしくなって行く。
人は、その仕事をしながら、その仕事に適した人になって行く。
そこに学習の可能性、教育の可能性があるのだ、と思いたいな〜
だってさぁ〜、就職する前に(それも若いうちに)、あなたに適した職業はこれでぇ〜す(これしかありませぇ〜ん)、と、決められていたら、つまんないんじゃないのかな〜
これはこれで、1つのテーマになるか...うへー、このままだと、だんだん(うつ病の)日記から離れて行きそうだ...いい加減にやめよっ

指導生との打合せさえ、動き出すまで時間がかかる。遅刻して、迷惑をかけてしまっている。
3日土曜日は社会人修士の口述試験と会議、とても疲れた。
それにしても、修士に来るのだったら、もっと言葉に敏感になってくれないかな。
カリキュラムとプログラムとプランの区別もできていない。
評価と評定の区別もできていない。
システムの定義も知らない。
計画書は決意表明書ではない。
29日(火)...打合せと非常勤。
30日(水)...会議。
軽い頭痛がある。ニューロタンが効いているのか、血圧は比較的低い。
動き出すまでに時間がかかる。

ミョーな夢を見た...どっちの日だったのか忘れた...
寝ているあたしの上を、黒い「一反もめん」らしいものが、足先から現れ、頭の先まで飛んで行った。
その黒い「一反もめん」らしいものが移動するのにシンクロして、全身、ぞわぞわした...背筋が寒くなったわけではない。
瞬間、マントラ(真言)を唱えたり、九字を切ってしまうところが、なんとも...つまり2回飛んで行った...1回目にマントラを唱え、2回目に九字を切った...
...そんなん、知っているのだな〜。般若心教はもう書けないし唱えるのも怪しい...あれ、寿限無もダメかな...
いつぞやの譫妄(せんもう)とは違うと思う。何しろ、そのシーンをリピートし、ここを見た時には飛んでくるぞ〜、ひゃー、やっぱり、ぞわぞわした〜、という、(予想の確かめをしている)あたしが居たのだから...2回飛んだのはその所為。
もしかすると、脳内伝達物質が悪さしているのかもしれない。
それとも、レボトミン5mg×2錠が悪さをしているのかな。翌日の「切れ」が悪いし、布団の中でぐずぐずしてしまうしな。
...抗ヒスタミン剤を服用して、身体が温まって、寝ちゃいけないのだけれども、眠っちゃう〜、という気持ち良さはそれなりにたまらないのだけれども。
レボトミン5mg1錠+ラボナ50mg1錠で勘弁してやろう...うー、ラボナ、ワンシートもらっておくのだったな...

寝て過ごす。
食欲らしい食欲はない。あり難いことに血圧はそこそこ。とは言え軽い頭痛。
iTunesのMusic Storeで、Louis ArmstrongのWhat a Wonderful World (Single Version)をなんとなく購入、なんとなく繰り返し聴く。
2度寝、3度寝、合間はビールにテレビ(映画)、時々、What a Wonderful World。
最低限の仕事...26日(土)のウィルス・ボットの後始末を依頼する。HUBの電源コードを抜いてもらった。
年末年始の予定を決めないといけない。その前に、ゴミ(燃やせる、瓶、缶、ペットボトル)をなんとかしないといけない。クリーニングも取りに行かないといけない。書類の山をなんとかしないといけない。
いけない、いけない、考えるだにいけない。
寝ちまえ。
レボトミン5mg×2錠。ラボナ50mg1錠。
眠れるかな...
「怖い」内容のメールが届いた。
これって、あたしがIPアドレスを管理しているコンピュータが、全世界的に迷惑をかけていることになるのかよ!
うへぇ〜、消耗するなぁ...

At 11:00 AM +0900 05.11.26, Xxxxxxxx Yyyyyyyy wrote:
>133.5.www 支線 LAN 管理者様
>
>133.5.www.ppp から学外に向けて Paypal を装った詐欺メールが大量に送信され
>ています。このホストはウィルス・ボットを使って不正利用されている可能性
>があります。当該ホストのネットワークからの切り離しと、駆除等の対応をお
>願いします。
>--
>九州大学 △△センター
>○○××
>yyyyyyyy@xxx.nc.kyushu-u.ac.jp

とはいえ、とりあえず、午前中は整形外科に通院、リハビリ。その後で大学に行く。
マッサージしている時、午後はコンピュータウィルス退治だというと、「そりゃぁ、肩凝るわ〜」と同情されちゃった。
さて、アドレスを調査すると、講義棟の一室に置いている機械だった。pingすると動いているぞ!、土曜日に講義棟で???
で、講義棟に行ってみると、その部屋には鍵がかかっているではないか!
うーん、これって、かなり意図的に当該のコンピュータの電源を入れたままにしておいたのかも...計画的かよぉ〜
...もしかすると、うちの学生さんじゃないかも。教員・学生以外が出入りできないわけじゃないし。
守衛さんに頼んで部屋の鍵を借り出し、当該のコンピュータの電源を切ることも考えたが、入り口の張り紙等から学生係が管理していることになっていた(つまりあたしではない)ので、とりあえず、「物理的にネットワークから切り離し」た...もっとも、あたしが学生ならばすぐにつないでしまえるような方法だったけれども。
支線LAN管理者としてはこれで十分に対応したはず。全世界的にかけていた迷惑は排除したのだし。後は、学生係と、事務部長、用度係にメールを送ってしまおう。大げさに言えば、サイバーテロだし、危機管理の一部になるはずだ。
さぁ〜て、対応できているのかな。そもそも、コンピュータウィルス対抗アプリケーションは導入されていたのかな...もしかすると、すんげぇ危険な状態だったのかも...
おっと、もしかすると、部局を持ち出してきて、講義棟は特定の部局に所属するものではない、だから、コンピュータウィルス対抗アプリケーションは導入できない、なんて事務方は言い出しそう。2005年4月から文系の事務が統合したのだし、文系でよく利用する講義棟なのだから、柔軟に対応して〜
そうそう、28日の月曜日には、学生係に頼んで、当該の部屋に置いてあるHUBの電源コードを回収してもらおっと。これくらいならやってもらえるだろうし、かなり効果的な方法だ。
当分の間、学生さんたちには不便を強いることになるけどな〜
盗難もあったしな〜、あー難しい。
部屋の入り口にIDカード認証システムを入れてやろうかな。予算がないか...講義棟の一室だし不便か。うーん。

通院の日。前夜、用心のためレボトミン5mg×2錠服用。学会で暴れた疲れが出たか、とても起きられなかった。診療時間終了ギリギリに駆け込む。血圧が高いこと、一日1食しか食べていないこと...食欲があまりないこと...を伝える。SSRI、安定剤等は変えず、毎朝降圧剤ニューロタン25mgを服用することになった。さらに、最低2食は食べること...夜中に食べないこと、も、だな。
午後は打合せと会議。夕方、学部3年生の歓迎会。ふか川(リンクはこちらも)にて、もつ鍋を囲む。密かに頭痛と胃痛があったけれども、胃薬を飲んで臨む!
6人で鍋は2つ。お代わりをそれぞれ3回(合計鍋2つ×4回×3人分=24人前、うーん、大したことはなかった、あたしの胃の調子がイマイチなのが敗因か...何と闘っとんねん)。ところが、それぞれの鍋のとろみ(見た目も味も)が違う!
もつ鍋A...まだまだあっさり醤油味...あたしが鍋奉行

もつ鍋B...まるでカレー汁...院生が鍋奉行
もつ鍋B表示
 うーん、モツはじっくり煮て野菜を先に食べる戦略がいいのかも。
今度はいつになるかな。仮説検証するぞ!
Q&Aの続き
「うつがスパッとなくなってしまえば良い、とは思わないのかぁ?」
うーん。そりゃぁ、なくなるに越したことはないけどさ。
なくなるとは思えないのだな〜
「治る気の無い悪い患者」であるかもしれない。
「うつに依存している」のかもしれない。
「2つ良いことさてないものよ」であって、うつがなくなれば自分ではなくなるかもしれない。
腰痛と同様、抱えて生きていくしかなくて、むしろ、抱えて(生きて)いくのが自分らしいのだと思うのだな〜

闘病を自存理由が引き止める寄り添い支えそこにある鬱(2004-07-20)

来た。それなりに予想通りである。当たってもうれしくない。
とはいえ、出張効果、8時前には起きて、メールを整理してこのブログを更新している。その後だ。二度寝した。起きたら頭痛である。もっとも、週末、とりまく気温が激変したし、絶対に疲れているのだから、風邪をひいてもおかしくはない。録画しておいたCSICSI:マイアミをみる。プロジェクトXはみる気になれず...泣くから...、家元の松曵き、野ざらし、代書屋、と来て、つるつるの途中でまた寝る。三度寝だ。
食欲はあるようなないような...買ってきた乾燥イチジクの残りを一気食い...うーん。お腹が張るのはこのせいか...
イブプロフェン150mgを服用、と、前日の分の薬が残っていることを発見。20日は浮かれていたしな。文章に出ている。
SSRI、一日分抜いたくらいでは濃度は落ちないだろうが、それにしても、である。安定剤無しでよく眠れたものだ。
今週は整形外科(リハビリ)に行けないかもしれないな。

まず歩く操体法にストレッチ汗をかいたらビールが旨い...お粗末

青森は雪であった。しかし、冬物をまだクリーニングに出していなかった。埃だらけの冬服(スーツとセーター)と、北国用のコート...が、なかった...うーんどこに行ったのだろう...コートには足がはえているわけではないのだが...とりあえずライナーをなくされた福岡用のコートを用意した。建物の中はチョー暖かいので、とりあえずなんとかなったけど、それにしても、クリーニングをなんとかしないとまずい。何しろ、財布とともに預かり証をなくしてしまったので、行けないでいるのだな。出しっぱなしの冬物があるように思う、あって欲しい、頼む...
順序は逆だが、11/19の夜は、かつて良く通っていた三亀松に行く。(予想通り)ちょうど恒例のボジョレーヌーボー祭りをやっていた。これがまた凄い。和食の板さんがフレンチを作るのである。
前菜は、ちょっと大きめに切ったパプリカ、セロリ、自家製ピクルスの上にフグの皮を湯引きしてのせ、さらにカリカリのニンニクのスライスをトッピング。自家製ドレッシングがうまいのは勿論、それぞれの食感がとてもいい。
お魚料理は、特製ミンチをサーモンでくるみ、自家製イクラをトッピングし、ソースはホウレンソウ。このソースがうまい。座敷の家族連れ、子どもがこのホウレンソウソースをパンにつけて喜んで(それも沢山)食べていた。ホウレンソウの甘味がとても優しい。
続いてタラバ。これは勿論文句なし。身がぎっしり、濃厚、泣けました。
お肉料理は、県産のカモ(ロースのみ)のワイン煮。自家製デミグラスソースがたっぷり。付け合わせにギンナン。この組合せが面白い。このソースもパンにつけてたっぷりいただきました。
で、この後、特製ピラフが出てくるのだ。
ご飯から作っているのに、米粒がパラッパラ。ニンニクに塩コショウ、そしてゴマがたぁっ〜ぷり。セロリの葉もいい香りと味を出している。噛めば噛むほど味が出る、なんとも絶妙な作り...ちびつと量が多かったけど、全部食べましたっ
そして、デザート。ラフランスのシャーベットは勿論自家製。なんと、カリカリに煎った蕎麦の実がトッピング。これまた味わい深い仕上がり。食感も面白いっ
すげぇー
サラダにしても、付け合わせにしても、シャーベットにしても、なんでまたこんな組合せを考えられるかな〜
で、田酒(青森市の地酒)の特別純米がまたこのシャーベットに合ったりする。さすがは田酒だ(勿論、祭りの主体はボジョレーヌーボーなのでこちらをいただいた...なかなか味わいのあるワインでした...後に田酒でござる)。
今度はいつ行けるかな〜、また行きたいな〜

11/18夕方から東京経由で青森に行った。11/19に某学会でのデビュー。セカンドではあるが、分科会では暴れてしまった。だってさぁ〜、理屈に合わないんだもぉ〜ん。
一つ目の発表。施設Aと施設Bを同じ尺度で測定したら違った結果が出た、だからこの尺度は弁別に適している...
待て待て、そもそも、そのAとBはどんな母集団から抽出した事になるのさ?
...質問の意味がわからなかったようだ。説明せよと座長に言われたから、そのAとBってのは、どのように属性記述できるのかな〜と聞いたけど、ますますわからなくかったようだった。
こんな時って、とぉ〜っても、怖い事になるのよ〜ん
つまり、発表者以外の、座長、そして特にフロアーの人々が「ああ、そうよね〜」とわかっちゃって、発表者だけ訳がわからなくなってしまう...キャー
次の発表者は、とても質問する気にならなかった。他の人が質問してたけど、そもそもデータ処理がおかしいぞ!
独立とはとても思えない質問項目に対して、それぞれ平均値の差の検定を実施している。危険率が上がるって。
三つ目の発表は、どこかで聞いた事が有った、し、それにそもそも内容が多過ぎ。こちらもデータ処理がミョーだったけど、質問してしまうと問題になるのでやめた。
この発表には座長しか質問しなかった。これ、質問がなかったからいいのだと思われると困るのだよな〜
逆に言えば、完全無視、誰も興味がない、ということになるのだから。
四つ目が我々。嫌いなパワポであるが、あたしが監修すれば絶品。発表もフロアーとスクリーンとを交互に見ながら、決められた時間内にぴったし終わる。おっみっごっとっ!
座長が「質問は有りませんか」と言った時に、前の方に座っていたあたしが「どぉ〜でぇ〜、文句が有るなら言ってみやがれぇ〜」と牽制してフロアーを睨んだら...
3つも質問が出てしまった。
確かにそぉーよねぇ〜ごめんなさい、もっと具体的な内容、受講生に対して、どんなふうに聞いたら(発問)どう回答したから(反応)このように判断した(推論)のよん、と言わなければならなかったのだった...悪い事に、3つともほとんど同じ内容の質問。
とは言え、さすがに科研費がおりたテーマは違う。食いついてくる〜
逆に言えば、期待されていると言う事だと思う...いや、思いたい...多分、そう。
待ってなさい、来年を。
請うご期待。
頭痛がする。16日・17日も軽い頭痛はあったが、それらよりも広範囲で痛みは強いが、我慢はできるかな。
血圧157/106、心拍64、やばい。
血圧を計っている時、圧がかかると頭痛も脈打つ。我慢はできる。
明け方寒く感じたから、血行不良か、はたまた風邪をひいたか。
19日は、青森で学会発表(セカンド)がある。例によって気になっているのか?
それにしても、三日前からというのはちと早い。もっとも、当該学会では初めての発表だし、科研の裏付けがあるとはいえ、ファーストではないとはいえ、緊張して当たり前かも。
総合感冒薬(アセトアミノフェンが含まれている)は飲んだ。
えぇい、イブプロフェン150mgも飲んじゃえ。
iTunesのMusic Storeで、グレゴリオ聖歌Gregorian Chant...の中のBenedictine Monks of the Abbey of St. Maurice & St. Maur...を購入した。1993年前後、大ブレークした時に購入したCD(たぶんシロス修道院聖歌隊のもの)が見つからなかったから...2005/3/20の地震でCDは崩れたまま、探す気にもなれない...
特に、キリスト教が、カトリックが、という訳では勿論ない...どちらかというと、仏教的だし。言葉の意味がわからないのと音の響きがいいと思う。声明でもいいのだけれども、さすがにMusic Storeでは見つけられなかった。
とは言え、これまではインターネットラジオでクラッシックを聴きながら作業していたが、仕事をしすぎする。際限なく音楽が流れ続けるからだろう...勿論、Gregorian Chantを全曲リピートしちゃったら同じことだが、いちおーの区切りにはなる。
こんな日記でも読んでくださる人がいるようだ、カウンターも順調に増えているし。
で、
「へたくそなうたばかりだ、タイトルは日記だろ!」
というお叱りの言葉、いや、激励をいただいた。
「へい、そのとおりで...だって、面白いんだも〜ん」
ついでに、質問も。
「ところで、あんた、つらくないのかよ?」
つらいよぉ〜
そんなの当然でござる(...ちょっと、ハイだな)。
家族のこと、両親のこと、指導生のこと、もちろん、自分自身のこの先のこと、心配で心配でたまらんです。
恐らく、このまま昇進もできないまま、嫌がられながら過ごすのだろうな〜
疎まれながら、かな。窓際に追いやられるのも時間の問題かもしれない。
改革についていけないもの。
給料泥棒の称号、無能者の称号はもうすぐかもしれない...それなりに院生・学生は育てているつもりだし、システム管理もしているつもりだけれども、それらは評価されないのだな〜
幸い、指導生諸君のテーマは個人的にも興味深いものだから「共同正犯」的に関われる、これがまた楽しい、のでは、あるが...
2005年度の会議は、ことごとく欠席。ようやく11月9日、4つのうちの3つの会議に出席できた...最後は身体(頭も身体のうち)がついていけなくて断念。結局、職務怠慢である。
酒量も増えてきているし...家元のように、眠剤を肴に酒を飲むようになるのは時間の問題か。
昼間、外に出て行くために泡盛をひっかけることが常習化する可能性もある。
今でも、時々、企図することもある...具体的な方略を考えるのだな。
波はあるし、職場のこともある、が、これは、また、次回。
足が冷える。
特に左足の、三陰交と陽輔を中心にした辺り、って言っても、わからんか。
場合によっては右足も冷える。だいたい同じ場所。
真冬の青森で寒風にさらされた時の指先のようなジンジンと冷える感じ。
冷え性というやつはこういうものかよ(夢枕漠風)。
はて、これも腰痛絡みか?
7,000〜10,000歩くらい歩くと、左膝(特に膝蓋骨の回り)が痛くなるので、膝のせいかな。
で、診察を受ける事にした。
ポイントは水が溜まっていないかどうか、ということらしい...水を抜くのはとても痛い。爪楊枝より太いくらいの金属製の注射針を大学生の時に刺された、2回も。えーん。
幸い、水は溜まっていなかった。診察は、またまた、ぎゅーっと(地機の辺りを、って言っても、わからんか)押されて、痛いっ、で、疲れたのだろうということになった。
腰の調子が良いので、歩く距離・時間が長くなったのだけれども、左足の筋肉がついていっていないのだろう。ヘパリン類似物質配合のジェルを塗ってよくマッサージせよ、との指示。
それにしても、「高いけど」と断ったものの、某社のチタン入りのジェル、つまり市販の外用薬を奨められたのにはビックリ。
何といっても、ヘパリン。ヒルドイドかモビラートがいいんだもんね〜、ネタにも使えるし。
財布を「また」なくした。
1月5日と全く同じ状況にがっかりする。
この衝撃はいつごろ来るのだろうか...思いやられる。

午前中、会議があった。が、(腰痛を含めた体調の具合で)なんとも動きづらいので、欠席を伝えた。
腰痛の痛み、体幹の奥の方の痛みがどうしてもとれない。この機会に、居酒屋の大将に薦められた整形外科に行ってみることにした。ようするに「経年変化」あるいは「加齢」による痛みで、恐らく治療は高校時代の椎間板症候群の時のように牽引されるのだろうな、とたかをくくりつつ、レントゲンは撮ってもらいたい...
予想通り、「加齢」と言われた。最近のレントゲンは、画像処理するようで、立派な腰椎が五つ、しっかり映っていた。第四腰椎が若干前に(腹の方に)ずれていたし、それぞれの腰椎の縁が尖っていた...減ったんだろうな〜
それにしても、レントゲン技師のおねーちゃんは、左腰をグイグイ動かして「ポーズ」をつけてくれた。痛いといえばそれなりにしてくれたのだとは思うけど、ズキッと痛みが走った瞬間は声が出せないのだな〜
医者は同年代らしく、懸命に「普通である」ことを(鬱も含めて)自身の体験を交えながら、話しをしてくれた。診察は、うつ伏せで3ヶ所、グイッと押されて「痛っ」で終了。
治療は、「トップラー」と「個別治療」。前者はEMSで、腰の筋肉がピクピクする。「加齢」で腰椎が減っただけでなく、運動不足でコルセットの役目をする肝腎の筋肉が弱っている、で、筋力をつけるため、らしい。
「個別治療」では、プロのマッサージを初めて受けた。腎愈肝愈の辺りをゴリゴリやられましたっ!
やられた成果はすぐに出て、左足が簡単に上がるようになった!
すごい!
ちなみに、貼り薬は、発売元Y社で製造販売元がH社だから、フェルビナク、だな、多分。
「24時間タイプ」と言われた。ふーん。

夜中にジワジワと左の腰が痛くなった。急に来たわけではない、ので、いわゆるぎっくり腰ではないと思う。妙な姿勢で椅子に座ってダラダラとテレビを見ていたところ、ジワジワと痛くなってきた。とりあえず、湿布をしてみた。
3日(土)痛みは相変わらず、夕方、3700歩程歩いてみる。動けることは動ける。だが操体法でも軽くならない。
4日(日)寝つけない。寝返りしようとすると痛みが増す。一日中寝ていた。時々プログラミング。結局、夜中まで仕事。
5日(月)左足を上げようとすると痛みが増す。椅子に座る際には、左足を手で持って移動させなければならない。階段を昇る時がつらい。
6日(火)家でじっとしている。とは言え,プログラミングは少々。
湿布していたところに湿疹ができてしまった。せんねん灸で刺激し過ぎたか...
磁石も(2種類)貼ってみた。
第四腰椎の棘突起の部分が痛い。引っ込んでいる(腹の方に落ち込んでいる)かもしれないな。
腸骨につながる細い筋肉が痛い。骨盤が歪んだかな。
鎮痛剤は、とりあえず手元にあったアセチルサリチル酸250mg+アセトアミノフェン150mg、イブプロフェン150mgを試した。一番効いたのは、メフェナム酸250mg、効能に「手術後及び外傷後の炎症および腫脹の緩解」と書いてあるだけに凄い。

午前中通院。血圧のことを相談する。
ザジテンで心悸亢進するらしい、うーん。

心拍計と血圧計を買いに行く。
なかなかいいおもちゃである。
心拍は100、血圧は150の100。ひゃー、高血圧!
ドキドキが続く。残っていた抗不安剤セパゾン1mg錠を服用してみる...安心はする。ドキドキは相変わらず。「胸郭から飛び出す感じ」はしなくなった。時々頭痛あり。くしゃみと鼻詰まりは相変わらず。
週末はダラダラと過ごす。
午前中通院。SSRIパキシルを週に2回抜く、つまり、週に5回服用することになる。
具体的には、水曜日と土曜日はパキシルを服用しない。
ドキドキと不眠が躁・軽躁から来るのではないか、ということらしい。
動けなくなる、ということは無いので、まぁ、大丈夫かな。
血圧を測るように指示された。
授業が始まった。会議も始まった。眠れない。ラボナを飲んでも。
ドキドキする。まるで、心臓が胸郭から飛び出すような感じがする。心拍は90。確か安静時は60位だったはずなので、ちびつと大変かも。
疲れた。ダラダラと過ごす。学府のオリエンテーションには出ていけなかった。
11日から授業が始まる。ドキドキする。背中が痛い。両足のハムストリング筋が突っ張っている...まるで座骨神経痛だ。

ふと気づくと、夕方、就寝前に服用するはずの、パキシル・レスリン・デパス・ザジテンが1回分残っていた。飲み忘れたらしい。いつだろう?
7日(木)、学部ガイドの暫定版を作り終えオリエンテーションも終わって安心したのかもしれない。とりあえず、本来はSSRIパキシルを服用しないはずの9日(土)に、SSRIを服用するようにした。

寝苦しかった。5時間位寝て、また仕事。11時過ぎに大学に行く。学部ガイドの原稿を委員長と学生係に持っていく。
...いろいろと「あな」があった。
...表紙が「ガイド」という単語になっていなかった...グデ...とほほぉ〜
一日中編集作業。眠れないことをいいことに仕事を続ける。右手首が痛い。マウスのせいだと思うので、トラックボールを使うようにした...根本的な解決ではない。<br />
とりあえず、学部ガイドはできた、ように、思う。
自宅で編集作業等を行う。夜中に仕事をする。眠れない。
夜中に寒け、眠れず。6時過ぎに寝つくが、頭痛がひどくて9時過ぎに起きる。アセトアミノフェンを服用して寝る。13時過ぎに起きるが、頭痛は相変わらず。16時過ぎに大学に出かける。
気になること...学部ガイド、学部と学府のホームページ、学会誌の表紙と学会のホームページ
午前中通院。SSRIパキシルの量は変えず、様子を見ることになる。<br />
午後から大学で仕事。
ダラダラと過ごす。テレビとDVD。
28日(月)と29日(火)は気分が重かった。寝苦しい。
30日(水)は寝つけずに明け方から午前中を寝て過ごす。夕方から大学で仕事。
頭痛と鼻詰まり。天神をぶらつく。疲れた。
昼過ぎ、日赤で打合せ。午後から大学で仕事...終わらない...夕方から、学部生の卒業パーティに出る...遅刻する。
知らない人ばっかり。とても緊張した。どうすればいいかはわかるのだが、手足の力が抜けない。居住まいが悪い。逃げ出したかった。
頭痛がある。夕方、大学で仕事。
14時過ぎに頭痛がひどいので起き出す。1日ダラダラ過ごす。頭痛は残っている。
夜中に腹痛、下痢。風邪だったらイヤだな。
8時過ぎに頭痛がひどくて起き、アセトアミノフェンを服用し、改めて休む。昼過ぎに起き出してテレビを見始める。頭痛は軽くなったが残っている。食欲無し。どうにも気が重い。夕方、アセトアミノフェンを服用。
余震で揺られるたびにドキッとする...地震には慣れているはずだったが...宮城県沖地震の時にはこんなに余震は無かったように思う。そしてこんなに強い余震もなかったように思う。とは言え、記憶は変質するからな。
夜中に仕事をしてしまう。ラボナを服用。明け方4時過ぎに起きてしまう。本を読んだりテレビを見たりDVDを見たりしても寝つけない。6時過ぎ改めてラボナを服用する。
福岡県西方沖地震
疲れてダラダラしているとますます疲れる。午前中も寝ていたところ、縦に突き上げられて起きる。一瞬、仙台にいるような気がした。寝ぼけつつ震源は近いこと、それにしてはモノどもが倒れてこないこと、横揺れが長いことを考える。宮城県沖地震(1978)を思い出す。なんだ、大したことはない、と数分寝ていた。とりあえず、テレビをつけようかと思ったが、停電している。むむ。
停電はすぐに回復、ネットワークも大丈夫...有線は強かった。大学のサーバにログインして状況を確認、大学は停電していなかったようだし、サーバたちは元気に動いているようだった。一安心...ホントは安心してはいけなかったのだが...
テレビを見ながら、思ったよりも被害がひどいことを知る。家の中は常に無秩序なのでよくわからなかったのだった。テレビではテレビ局の様子が放映されている。見ながら、研究室のことが心配になった。青森にいた時、地震で水槽の水が半分になっていたことを思い出す。

15時過ぎ、ガスの臭いがしないこと、水が出ることを確認してシャワーを浴びる。
16時過ぎ、大学に着く。デジカメで「位置がずれているもの」を撮りまくる。研究室も無秩序なのだが、書類の山が崩落していた。とほほぉ〜

疲れた。ダラダラと過ごす。テレビにDVD、時々メール。
熟睡感無し...飲み過ぎのせいかも。明け方連続くしゃみ。午前中通院。抗ヒスタミン剤のザジテンを朝夕2回服用することになる。また、毎週土曜日はSSRIパキシルを服用しない、つまり、週に6回の服用で様子を見ることになった。熟睡感無し、が、躁、軽躁から来る可能性がある?
熟睡感無し、頭痛あり。午前中、仙台から友人が来てくれた。空港まで迎えに行く。統計本の打合せをする...という名目で雑談。夕食はタコ刺し、あと造りはてんぷら。体験談(配偶者の死)はずっしりと重いなぁ。泣きそうになった。飲みすぎだな。