おい

義理の父義理の息子に囲まれて静かに暮れる大晦日なり

軍鶏つぶし鍋に作りし義父と母静かに暮れる大晦日なり

紅白を途中で消して寝入る義父母静かに暮れる大晦日なり

たなびける雲の隙間の茜色高森町の元旦の朝

枯れ稲の棚田に残る雪白き高森町の元旦の朝

杉の木の黒き枝こそ照らしけれ高森町の元旦の朝

帰省した息子ぞ帰る我が春は残る写真とひとりの炬燵

いくつか創っていた。

2009年5月20日
青い空見ている僕も澄みきって鳥になりたいそう思う午後 中川公隆 に触発されて
青空に見られたるかな飛ぶ鳥のもの思ふらし羽ぞ欲しける


2009年5月5日
去く人の姿かたちを重ねつつ暮らし重ねむ去く身であれば Aさん への返歌
作業場に気高く立てるボール盤往にたる父ぞものつくりける
ボール盤1つ残りし作業台血のにほひしつ懐かしきかな
万力ふたつ取り外したる作業台幼き日々の不確かなりき
鑿鋏使いてもよし在りし場に戻せといひて黙りたる父
作業場を片づけたれば思ひ出も消え去りにける連休中日


父親の49日に詠める
2009年3月27日...かの人の三回忌は既に過ぎていた
知識とふ仮想遺伝子伝へたる彼の人往きて三回忌なり
庭先の梅さへ遺伝子残したり仮想なりとて残せましかば

父親の49日に詠める
2009年3月13日
義手義足往にたる父ぞつくりけり評判聞きて吾のつくり比す
職人の往にたる父のつくりしはメンテナンスも込みの品なり


2009年2月24日
かなしくてないてしまうも涙さえ出ない吾あり引きつる身体


2009年2月20日
いくつかのしなきゃならねぇことどもが並列配置また横になる


2009年2月17日
我れあるはサーバたちのおかげなり廃棄機械のメモリー外す
歩道橋階段昇る下肢重く飛び降りる気になれぬ春の日
曇天にちょびっと欠けた月天心市営団地の庭に梅咲く
企図なんぞ許すまじとふ人々のをりたる幸を感ぜざる午後


2009年2月14日
目の中に入れたとしても痛からず父の思いや知らざる吾妹

公園のベンチで横になりぬれば雲1つなし初夏の風吹く
あを空の手前に焦点合わせれば煌めく点ぞランダムに飛ぶ
煌めける光に混じる細胞のやうなものあり往にて戻りき
濁りたる目にも空こそをかしけれ蒸し暑き風とろけつる脳
無理矢理に前頭葉で疲れしと納めたるこそものぐるほしけれ<

とにかく、寝ても寝ても寝ても寝てもねても、眠くて眠くて眠くて、寝てばかり居る。
幸い、念慮も企図もない。
詠んだ歌を読み返して、暗くなる。
心臓の上の肋間が痛い。これは、かつて、最初に就職した職場で味わったものと同じだ。
明日は木曜日、医者に行ってみよう。

「父は往にけり」を繰り返して使う、というのは、遊び、だね。歌を1首詠むと、もう1つできることがある。偶数よりは奇数にしたいので、もう1首作る。うつうつしながらでも、そんなことを考えている。
そんなことをしても、...忘れられないんだけど、さ。
で、4首創っちまうと、もう1首ひねり出して5首にする。
「父は往にけり」は、5首にした。6首目は言い方を変えてつながりを創ってみたりして。
何人かの友人にこれを送ってみた。社会人院生のSさんは返歌を送ってくださった。S谷先生は号泣したと誉めてくれた。

映画を観ても、ドラマを見ても、筋を追うことができない。集中できない自分に苛立つ。
寝入りばなに、パキシル服用停止に伴う副作用の1つの耳鳴りがしたりする。
ちゃんとパキシルは服用しているのに。
効いていない、ということかも。
セロトニン、ちゃんと出てくれ〜



人体の代替パーツ丸太から削り出す腕静かに消える
日々弱る僧帽弁にムチ打ちてモノ運びたるもの言わぬ父
酒飲みてふらつく帰りほつほつと身体の芯に凝るもの1つ
肉親を失ひて受く悲しみは心臓のうへ3センチ中
のどやなか日差しの中に梅一輪知ることもなく父は往にけり
障碍の足引きずりつ倒るまで自らせしむ父は往にけり
すいすいと鏨走らせて寡黙なり誇りを秘めし父は往にけり
イビキかき口半開き安らかないつもの寝顔で父は往にけり
直接の死因欄には癌とあり多臓器不全ぞ父は往にける
ちんまりと箱に納まり笑み浮かべ往にたる父のかほはつめたし
父のそば丑三時に目が覚める往にたるかほ見しばし眠れず
次々と昔のことを思ひ出し悔恨に吾押し潰さるる
明け方に通夜堂抜けて逃げ去りてホテルの部屋で一人かもねむ
絶え間なくマナーモードのケータイが痛む頭に責め込みにけり
気がつけば12時間が経過して式終はりたり情けなき吾
妹の電話を受けしその日より積もりたるモノ吾を眠らさず
心臓のうへ3センチ中ほどに痛みに似たるモノ膨張す
哀しみと名付けてみても余りたり太刀打ちできず飛び起きにけり
音楽も癒しざりけりギリギリと肋骨を押しぶちきらる夜
妹も母にもかのモノありたるか眠剤なくていかに眠らむ
眠剤も効かず眠れず朝が来てとうとう今日は初七日なりき

バスに乗り勝手知ったる道行けど変わらぬものを探しかねつる
20年通ひし床屋久々に髭剃り頼み父の話しす
仕事では細かく人に合わせしと父の噂を聞きて涙す
全身をピンクで固めバス停で行き先告げし娘ぞ一人
吾は多分かの父親と同世代たまらず共にバスに乗りたり
吾の父にかなわぬまでも人助け寄り道しての道案内
毎夜聴くノラ・ジョーンズも心臓の鼓動に負けし眠気を呼ばす
妹の電話を受けしその日より積もりたるモノ吾を眠らさず
心臓のうへ3センチ中ほどに痛みに似たるモノ膨張す
哀しみと名付けてみても余りたり太刀打ちできず飛び起きにけり
音楽も癒しざりけりギリギリと肋骨を押しぶちきらる夜
妹も母にもかのモノ有りたるか眠剤無くていかに眠らむ
眠剤も効かず眠れず朝が来てとうとう今日は初七日なりき

父のそば丑三時に目が覚めるい往たるかほ見しばし眠れず
次々と昔のことを思ひ出し悔恨に吾押し潰さるる
明け方に通夜堂抜けて逃げ去りてホテルの部屋で一人かもねむ
絶え間なくマナーモードのケータイが痛む頭に責め込みにけり
気がつけば12時間が経過して式終はりたり情けなき吾

...ほんと、情けない...

のどやなか日差しの中に梅一輪知ることもなく父は往にけり
障碍の足引きずりつ倒るまで自らせしむ父は往にけり
すいすいと鏨走らせて寡黙なり誇りを秘めし父は往にけり
イビキかき口半開き安らかないつもの寝顔で父は往にけり
直接の死因欄には癌とあり多臓器不全ぞ父は往にける
ちんまりと箱に納まり笑み浮かべ往にたる父のかほはつめたし
吾の父の訃報聞きたる人々は何とはなしに他人行儀
間接に聞きし吾さへきつければ直面したる母妹は如何
お互ひに目を合わせたくなし残された家族3人雑魚寝する通夜

人体の代替パーツ丸太から削り出す腕静かに消える
孫を見る前歯の抜けた笑顔でも容赦なき攻め勝負は譲らず
最後まで文字読み続けたる父なりし積み重ねたる新聞の山
鉛筆で書き込みをした辞書2冊拡大鏡で見てる父をり
日々弱る僧帽弁にムチ打ちてモノ運びたるもの言わぬ父
酒飲みてふらつく帰りほつほつと身体の芯に凝るもの1つ
肉親を失ひて受く悲しみは心臓のうへ3センチ中
正月は吾のことのみを考へし父母にさへ顔ぞ見せざる
パキシルはうつの悲しみ負かしてもこの悲しみに効かざるものか
こはなんぞ胸郭の中きりきりと暴れをるもの心臓つかむ

死を思ひ思ひ直して経回りきまだ前頭葉が静止せしむる
居酒屋の大将の顔ママの顔思ひ浮かべて企図止めるなり
浮かぶ顔家族仲間と指導生そは願ひのみ気配すらなし
かじかんだ手を握りしめキーボードひたすら叩きインストールす
吾死すと困るはずなりまずこれを仕上げざらねば誰ぞ仕上げむ
さりながら誰も困らぬことも知る企図忘る法思ひつかざり
寝入りばな考へてしまう死する吾考へるだに悲しくなりき
うとうとと枕ぬらしつ死ぬる法思ひし吾を止める吾あり
酒を飲み煙草吸ひたりしびれつつ消へぬ思ひに身体狂わす
葉巻吸い気分悪くし横になる胃の痛みにて企図忘れたし

入退院繰り返しつつ生き延びる父に呆れつ祝ひ酒呑む
ただじっと服薬もせず一日を過ごす父親企図せざりしか
脳内の伝達物質出にくい母遺伝なりしか吾もまた同じ
入浴も片付けもせず一日を暮らす父なり吾に似てゐる
悲しみは酒も煙草も消しはせずただいたずらに層なす痛み

老父母の
口癖しみる
玄関は
ゆるゆるとした
時間が流る

故郷の街彷徨ひて知りたくも知られたくもなし上げられぬかほ

故郷の街見つめ来る中年の顔知りたるや頼りなき脳

それぞれに道極めたるはずなりし幼きままのかほ浮かぶのみ


...酔っぱらってました

喫煙を
しようとしても
火を点ける
タバコの先も
見えざるよはい

全身をアリシン臭で包まれてなおダルダルの吾ぞ悲しき

桜咲き吾が人生を悔やみをり足首つかむ老いた父母

この間、仙台に居た。

11/16(木)
また、夜中に作業、気がついたら診療時刻終了間近、慌ててタクシーをぶっ飛ばした、が、担当医は帰った直後。とりあえず、薬だけ出してもらった。まずいな。
昼飯は蕎麦。久しぶりに納豆蕎麦大盛りを食す。その後、床屋に出かけ、顎髭は残した。
パッキングしているうちに、あっという間に出発時刻の1時間前。余裕で出たつもりが、渋滞。
これではタクシーとはいえぶっ飛ばせない。
始めて、Webチェックイン(正確にはケータイからだが)をする。
幸か不幸か、使用機到着遅れで、十分に間に合ったが、その分、仙台に着くのが遅くなった。
空港の玄関で、上着の類いを忘れてきたことに気付く。気温の見積もりが甘かった。
さみぃ〜
それなりに疲れたので、店に食事にいく元気もなく、コンビニサラダにおにぎりを食す。
改めて、夜中にサーバどもの稼働状態の確認作業はしたのだが...はて、2台のサーバどもが動いていない、大丈夫か?

11/17(金)
作業停電の日だった。
珍しく7:00に起きたのだが、儀式喫煙で、サーバの稼働状況(ちゃんと停止するか)を確認しないまま、実家に向かう。
自分の設定とタイマーを信じて...
ひたすら買い物とメシの1日。
まず、午前中、自分のジャケットを買った。在仙中はこれで大丈夫。
母親は、デパ地下で買い物したいとのご希望。両親を車に乗せてあたしが運転、13時過ぎに出かけた。とはいえ、出かけたのが午後だったため、母親の方は既に動き難くなっていた。
ホテルに戻ってから、それなりに疲れたので、マッサージを頼んだ。不覚にも寝てしまった。
夜中にテレビを見ながら、焼酎を2合ほど飲んでしまう。
やばいなぁ。明日は、教授学習過程研究会なのに。

11/18(土)
やはり、疲れと飲み過ぎで気がついたら12時を過ぎていた。
いろいろと諦めて、儀式喫煙をしてコーヒーを飲む。
適当にコンピュータを使って作業をしているうちに、フロントから電話。
慌てて部屋を出る。
研究会は15時からだったから、それなりに間に合う。
なかなか、ミョーな結果が発表されて、面白かった。
その後、懇親会。二次会まで付き合う。
ホテルに戻ってからも寝つけず、テレビを見ていたが、そのうちにそのまま寝てしまったようだ。

11/19(日)
だるい。
10時過ぎに起きる。とりあえず、適当にしたくして、実家に向かう。
今日は、13年ぶりに家族再会(再開かも)の日になる、はずだ。
さらに、甥っ子どもが2人来る。
はて、どんなことになるのか...
誰の遺伝子なのか、2人ともでかい。兄貴は小学五年で143cm、先日、某厚生病院に見舞いに行き、中学生を演じてくれた子だ。あたしが小学4年の時に141cmだったから(小学一年の時に120cm、その後1年で平均7cmずつ伸び、小学6年の卒業直前には、172cmになっていた)、そこそこでかい方だろう。小学2年の弟はそれに輪をかけてでかい...さすがに兄貴にはかなわないけど。
2人とも足がでかいから、でかくなるだろうな...って、犬か。
恥ずかしいのか、2人はじゃれあってうるさい。特に弟は妹(母親)にべったりである。
伯父さんは、途中で、弟を「墓場探検」に連れ出した。
かつてのあたしの遊び場だ。甥っ子どもの母親、つまり、あたしの妹の遊び場でもあった。
それなりに話をすると、神妙に話を聞いているし、それなりに質問もしてくる。
1人だからなのか、「墓場探検」が怖かったのか、定かではない。
兄貴には、電卓の遊び方を教えた。何だか知らないが、「エラー」表示を出すことを目的にしてガチャガチャやっていた。
...何だか知らないが、やたらとミョーなことを教える親戚の伯父さんの役割を演じた訳だな。
あたしの母親、つまり、ばあちゃんは、どこから見つけたのか、あたしが小学生の時に遊んでいたメンコ(当時は、パッタと呼んでいた)を取り出してきた。
予想に反して、いや、そのように予想する方が無茶だったのか、遊び方を知らない。
ただ、やみくもにたたきつける、終いには飛ばして遊んでいた。
「欲しければ持っていってもいいぞ」と言っても、興味なし。
代わりに、妹がかつて買った「羊のぬいぐるみ」を持っていった。
どうも、弟の方が抱いて寝るらしい。
もうちびつと成長したら、伯父さんがいろいろと悪いことを教えてあげるよん。うひひ。
この間、あたしの母親は、それなりに口を出していた...口うるさい近所のババアである。
父親の方は、始終ニコニコとしていて、それなりに楽しかったのだろうし、嬉しかったのだろう。
これが、治療の励みになれば一石二鳥にも三鳥にもなる。
昼飯は、イクラ弁当をみんなで食す。
...夕方、余った1つをあたしが食すことになってしまった。
18時過ぎには実家を辞し、買い物に行く。
ホテルに着いてからは、マッサージを頼んだ。不覚にも寝てしまった。
で、夜中に起きる。適当に仕事をして、改めて寝に入る。

11/20(月)
これを書いている。
目覚ましが鳴る前、6:00過ぎには起きていた。
溜まっていたメールを整理し...学生さんから送られたメールがスパムメールに入っていたり...サーバの様子を確認したり...バックアップがまだ完全にできていないサーバがある...そして、当然のように儀式喫煙にコーヒー。
朝食は、妹が持ってきてくれたバナナ3本とコンビニで購入したキノコ汁、ミカン。
さて、そろそろ、出発の準備をするか。
今日は、午前中、区役所に出かけて非課税証明書を取ってこなければならない。
郵便局で振り込みもある。
午後は、適当に実家の用事を片づけて、夕方、空港に向かう、はず。

貧病が身にしみる秋遠隔で孝行するのも金次第かな

風邪、ひいた。
10/22、の事は、日付を偽って、後から書く事にしよう。
とにかく、22日の午後は、すさまじく咳が出る、が、これは、喫煙の所為だろう、と、思った。
しかし、22日は、さらに連続くしゃみ、23日起きると鼻詰まり。
熱っぽい...とはいえ、微熱だろう...案の定、36度、低過ぎ。

22日、15時過ぎ、連続的にくしゃみが出た。実家を「かきまぜた」ので、埃か黴のアレルギーだと思った、の、だが、点鼻薬も鼻炎薬も効かない。仙台空港に着いてもくしゃみは止まらず。おまけに、熱っぽい。
とりあえず、手持ちの総合感冒薬を服用。いけないけど、咳止めも一緒に飲んじゃう。

23日は倒れる予定ではあったのだけれども、風邪は予定外。
あー、やだやだ。
今日は、Norah Jonesの日にして、ひたすら寝てよ。

意に沿わぬ身体も動かぬもどかしさ憎らしくとも頼らざる得じ
妹の話をすれば押し黙る怒りの目こそ哀しかりけり
積もりたる父の机の書類には孫の写真の埋もれたるあり
四分の三の遺伝子持つ子ゆえ笑顔の写真も無視したる母
緊張をメイクでおほひ妹は機会失ひカーテンの陰
積年の恨みを込めた目ではなく狐狸に出会いし如き父
病室で賢き孫はすんなりと椅子に座りて大人しく聞く
見舞いたる女性は誰ぞ知りつつもとぼけたる父敢えて問ふ母
姉からの電話でしぶしぶ孫認め妹認める母ぞ哀しき
策士とは詐欺師に似たり父母と妹甥を騙しつる吾

午前中、母親を迎えに行った、ところ、動けない、という。
パーキンソン病が、ひどくなってきているらしい。薬を服用して、休んでいると言う。
で、仕方なく、父親が入院している病院へ、行く前に、父親がかかり付けの医院から電話で、車を駐車場からどけてくれ、というので、まず、ホテルからその医院に直行。受付で看護師さんたちに挨拶をし、車の鍵を受け取って、ようやく入院している病院に向かう。
その医院で明らかになったのは、最後に通院したのが、8月末であったこと。診察後(混んでいるから薬だけください、というパターンだったかもしれない)、1月分の薬を出してもらっていたのだが、それを飲み終わってから...つまり9月末...この医院には行っていないとの事。
確かに、2週間は薬を服用していない事になる。
くぉらぁ〜!
ちゃんと薬を飲めぇ〜っ!
と、思いつつ、病室に向かう。
ここは、以前書いたように...書いていなかった...とても面白いところだ。
別ページにまとめようと思っていたのだった。
とにかく、廊下が長い*。手すりがない。パーキンソン病の母親の足で、ゆうに20分はかかる。途中で3回くらい休憩しなければならない。のっぺりとした廊下だ。
その先に、CCUへ続く廊下**があり、これまた、手すりがない。のっぺり+妙に柱が出っ張っている。
その柱の下、床面から20cm程のところには手すりに似たパイプが配置されている。
絶対、人のためではない。患者を運ぶための、何と言ったっけ、キャスター付きのベッド、や、その他の機器を運ぶ際、柱にぶつからないようにするために決まっている、と、思ったな。
で、次に、入り口で「儀式」***がある。
履物を履き替えろ、というのだな。
そして、手を洗え、ともいうのだな。それも、アルコール製のヒビなんとかというのを使って。
真面目な私は、手を洗ってから、履物に履き替えたら、手を洗っても同じではないか、とか、荷物を持ったら、同じではないか、とか、考えてしまう。
さらに、CCU専用のインターホンがあって、面会する患者の名前を告げるのである。
そう、このインターホンのボタンを押す前に手を洗って、いいのだろうか、と、また、悩む。
2004年には、月に2回、週末、仙台に帰って、ここに通ったものだ。
その時、明らかに業者さんと思われる人何ぞ、履物こそ履き替えるが、手を洗ったのは見た事がない。
患者の家族だけだぞ、そんなことしているの。看護師なんかは、すぐにインターホンの下にある暗証番号キーボードを何やら押して、ドアを開けてしまうのだし。
つくづく、面白いところだ、と、思う。
Midwife Jeimieに聞いてみよう。

で、問題の父親は...ノンビリ、新聞を読んでいた。
ニトロール(硝酸イソソルビド)とヘパリンが点滴されていた。1日の水分量は800ml。
...前回の入院では、1日500mlだったかな、いや、同じ800mlかな。
要するに、急性心不全と血液凝固抑制のための点滴だろう。
言葉もはっきりしていた...前回は何やら意味不明の事を口走って、驚いたのだが。
すぐに起き上がり...前回は、留置カテーテルで排出される尿の量が測定されていたから身動きできなかった...「来たのか」と、一言。
重症度の段階****も2004年は2と3だったのだが、今回は、4と5、自分でトイレに行って排尿できるし、それなりに動いていいらしい。ただし、常に、点滴が続くので、点滴液をぶら下げたスタンドごと移動しなければならないけど。

実は、この時、事実上勘当扱いになっている妹を、敢えて連れて行った。
病気に託つけて、勘当を解くまでには行かなくとも、最低でも、今の様子をお互いに見せてやりたかったのだな。
歳をとって衰えている父親、成長して一人前になった(2児の母になった)娘、の、対面である。
あたしの方は、着替えやら洗濯物やらを点検するふりをして、ニヤニヤ、2人の会話を聞いていた。
さすがに、どうにも進まなかったので、介入、「2人とも、謝りなさいっ!」
妹が家出をしてから、既に、10年以上経過している。孫も2人いる。
それを知っていながら、近づけないでいる、意地っ張りの2人だ。
...後に、もっと意地っ張りなのが母親であることを知るのだけれども。
父親は、照れながら、何やら世間話をしていた。

と、その時、担当医がやってきたので、病状や治療方針の説明に移る。
うーん、いいとこ、だったのに。
あたしの方は、事前に電話で担当医と話しをしたし、世界一信頼できる知恵袋Midwife Jeimieから話を聞いていたから、説明できるほどだったけど、一応、聞いた。
幸いな事に、以前の弁膜症は悪化していないとの事。むしろ、良くなっているらしい...といっても、根本治療ではないから、薬で持っていたのだろうけど。
問題は、この後らしい。
父親がチョーシこくと、不整脈、頻脈、最悪は心室細動に到るらしい。
...ちなみに、頻脈と心室細動は、あたしが出した言葉。単なるプチ自慢でげす。
で、まぁ、もうしばらく、我慢しなさい、ということになった。
妹は午後から仕事があるのでタイムリミットになったことにして、CCUを退出。
帰り際、妹は、自慢の息子(つまり孫)の写真を渡していた。それを見て、考えが変るといいのだけど。
少しでも、会ってみたい、とか、話をしてみたい、とか、思ってくれれば、生き甲斐にもつながる可能性がある、はず、だよ、ね...

CCUの外で、これからの作戦会議だ。
日曜にはあたしは帰る。で、その時、孫を1人...賢い方(やんちゃな方を連れて来ると、追い出される可能性が高い、一般病棟に移ってからなら、大丈夫なんだが、な)...を連れて見舞いに来い、と指示を出す。
ただ、中学生以上でないと面会できないらしいので、服装を誤魔化して、ちょっと小さな(143cmもあれば十分だろう)中学生を装って、作戦決行だ。
一般病棟に移った場合にも、続けてもらいたいものだ。

で、あたしの方は、看護師に呼ばれて、なにやら、アセスメント用紙に「情報提供」させられた。
2004年はそんなことはなかったぞ。少しは改善されたのかな。
...意見箱に投書もしたからな...
父親は、納得しない事は、絶対にやらない。
2004年に服薬で一悶着起こしている。
何しろ、毎食後、小袋に入れられた訳のわからない薬を飲め、と言われる。これが我慢できなかったのだろう。薬を持ってきた看護師に、きっぱり、言いましたよん。
「訳のわからん薬は飲めんっ!」
次に来たちびっと先輩の看護師は、「息子さんからも言ってください」と叫んでいたが、看護師の負けだな。あたしは、父親の服用している薬の殼を持ち帰り、それぞれの薬の効能を書いて*****、次ぎの日に持参した。父親はニヤニヤしながら、見ていた。
そう、今なら、薬剤師が、データペースから引っ張ってきた画像といいくらかげんな説明文とを単純にくっつけて、○○さんのお薬、なんて印刷物を渡すけど、入院中は、そんなのがない。
というのも、処方に必要な診察券を看護師が預かっているからだ。
とにかく、説明してやってくれ、納得すればいいのだから、と、言い添えた。

ついでに、今やっている、看護師の卒後教育の自慢話もしてやった。
「卒後1年目って、使いにくいでしょう」というと、即座に、
「使い物にならないんですよぉ〜、いや...」
本音が出たよん。
あんただって、1年目は使い物にならなかったくせに。

午後は、車にガソリンを入れて、銀行で滞っていた支払いを済ませ、簡単な食事をし、着替えを持って再びCCUに向かう。
夕食は、母親と一緒にとって、父親に対する愚痴を聞く。
いい加減疲れたので、ホテルに戻ったのが、20:30ころ。
マッサージを頼んだ。9000歩程度しか歩いていないのに、やたらと腰が痛い。
始めて、足つぼマッサージというのをやってもらった。
チョー痛かった。
いちおー、それなりの知識があるので、内蔵反射区で言えば、あそこだな〜、と、思っているうちに不覚にもうとうと...
足のだるさはいくぶん回復、腰はまだ痛かったので、フェルビナクのチカラをかりて、現在に至る。
煙草4本、缶ビール500ml一本。
さて、寝るか。

連休にゼイゼイ音を聞きながらちらつく入院打ち消しし吾
楽しげな団体客に囲まれて旅先思ひベンチにポツリ
生クジラ戻り鰹に鱈白子田酒1合忘れたき明日
過去の歌読み返したり吾の思い節目節目に繰り返しけり
ゆるゆると母の手を引き父の部屋長き廊下のまたその先の

街灯が揺れる水面吸い殻を一つ残して一曲終わる

外に出て眼鏡の曇る真夏日のボディブローに脂汗うく

真夏日に自転車をこぐ子ども等はもの思ひしか倒れそうな吾
...失礼やヤツだな、つくづく、あたしは

ひたすらに風送りたる扇風機首振る音の鼾に聞こゆ

同僚の母堂の訃報吾の母もPDなるぞ未来の重き

青空と白い半月ランダムに音なく輝り飛ぶものおかし

内科なら酒とタバコは怒りて即禁悩み困りし精神科医は

学生を十人連れて父親気分翌日ぐったり学生あたり

四捨五入すれば五十路に近づけりますます尖るオヤジなるかな

四十路過ぎ覚えたタパコくわえつつ燻る煙に見えない明日

四十半ば敢えて覚えた煙り草緩慢な死へ転びまろびつ

次々と日程表をうめながらこの日はわたしの誕生日かも

脳漿の魔物がちまちま紡ぎ出す論理頼りの危うい余命
脳漿に潜む魔物がプチプチとシナプスを切り繭を作りぬ
泥棒かただの粗忽か札入れがまた見つからず萎びゆく脳
冷湿布操体法にセンネン灸磁石を貼って医者嫌い行く
激痩せの後にドカ食いしてもなお目盛変わらず下腹ぞ出る

まず2000医者の指示にて歩めども悲鳴を上げる筋肉と骨

冷房が肘にじわじわ襲い来るエコでも凍みる激痩せの夏

貧乏は嫌と綴りし父の日記物を思わぬ彼の時の吾
喜々として看病してる母を見る最後の機会と思う中年
もみあげと無精髭にも白いもの父のあの日が思われる朝
安心を味わうまでのタイムラグワシワシと飯喰う父を見る
ゆるゆるとパーキンソンの母を連れ祖母の右手を思う通院
CCU横たわる父ニコニコし声は聞こえる嗚呼意味不明!
チョロQを目で追い笑う父と母笑みをはり付けわたしが拾う
チョロQの動かし方を教えても必ず前に押し出す父
老父母にわたしの未来がつぶされるかつてわたしがそうしたように
帰省した時のままの洗濯物ワイシャツ三つ見えない未来

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