人知れず

人知れず散りし桜や居待ち月しがみつく吾ねなき春かな


ねなき、は、根無き、と、寝なき、を、かけてみた、のだが、自分で解説しては、ダメだな。
掛詞を使う余裕、あるのか?

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コメント(11)

寝なき、はすぐにピンときました(苦笑)。
春眠暁を…の季節ですが、普通に体内時計はチャンポン状態の私です。

火曜日からきちんと学校に行けるかどうか本当に心配。

「居待ち月」の解釈をお願いします

「居待ち月」の解釈をお願いします

S谷先生にも見破られましたっ
体内時計がチャンポンはヘンだな。
何が混ざったの、さ。
CSIなんかによく出てくるのは、プラスチック爆弾…違うな。

居待ち月」の解釈…
中学の時の理科の知識で考えました。
月は地球の周りを30日(正確には28日〜29日)で一周するので、360÷30、1日で12度くらい移動して見えるはず。月が見えているのは半日(夜間)の12時間位として、180÷12、恐らく1時間で15度くらい移動するはず。
多少の誤差に目をつぶって、一緒、と考えてしまって、1日に1時間くらいずつ月の出てくる時刻が遅くなっていくはず、だ。
だから、18時に満月が見えたなら、次の日…十六夜(いざよい)は19時くらいになるはず。
で、あたしがフラフラと散歩に出かけて月を見たのは、21時くらい。

で、
15日目 満 月 十五夜
16日目 十六夜 いざよい
17日目 立待月 たちまちづき
18日目 居待月 いまちづき
19日目 寝待月 ねまちづき
20日目 更待月 ふけまちづき
だから、21時は18日目の居待月の頃だろう…
と、まぁ、考えて、居待ち月という言葉を入れました。
簡単に言えば、あたしが桜を見た時刻を表現したかっただけです。
最初は、「夜桜」という言葉を使っていたのですが、そのまんまではつまらん、と、月に登場してもらいました。

新学期が始まる前の小学校の校庭で桜が満開でした。その枝の向こうに月が見えています。
葉桜になっている枝もある。下を見ると、一面に花びらが散っている。
街灯に照らされてぼんやりと見える夜桜。
潔さの代名詞になっている桜。
引き比べると、自分は潔くねぇなぁ。
頼るべきもの…「根」もないし、夜は眠むれないけど昼間は寝てばかりいるし。
あ〜あ。
ダメだな〜
という、歌、の、つもりです。

しかし、自分の歌の解説ってのは、つらいな〜

日本語が未熟で申し訳ありません・・

お酒やらお薬やら(その他諸々)による交互作用?によって、体内時計が完全に狂ってしまっている状態、を表現したかったのです。

体にとって「悪い」要因を一つずつ取り除いていかねばならないのですが。

※歌の知識はさることながら、自分の知識の幅が限りなく狭いことを(改めて)実感しました。

はあ。

もっと、いぢめてみよう。
要因が独立ならば、交互作用だね。そんな理想的なことは、問題にしか出てこない。つまり、通常は、交絡していて当然。
大変だ、ね。

「居待月」深い思いがあるようで なるほどと頷きながら 拝見してました

中学の理科の時間に考えた・・・
スゴイ!と ビックリしています

「駄目だな」と自分を責めることが多かったけど 今は自分を褒めることに変更しました
足らないことを責めるより 足りていることに感謝
そうしたら 不思議と心が安らいできます

正確には、中学の理科で習った知識を使った、ということです。
それと、高校の古文の時間で習った知識が、十六夜、居待、立待、寝待、更待、でした。
昭和40・50年代の学習指導要領を体現しているのが、あたしです。文部省(当時)が考えていた「理想的な」児童・生徒だったのでしょう、ね。
さすがの文部省も、中年になって、うつ病になるとは予測していなかったでしょう。
その後の文部省・文部科学省の「指針」は、ゆとりと総合的な学習の時間。
大学には、平成生まれが1年生として入ってきています。
彼らも含めて、大学生はモノを知りません。
単純な一対一対応の記憶は凄いのですが、ね〜
ここに書いたような、複数教科・科目の知識を用いるなんて、不思議、みたいです。
世の中、一対一対応ではどうしようもないのに。
ただ、彼らも「理想的な」児童・生徒だったわけで、学習指導要領を体現していることは確実です。
彼らの知識を、一対一対応の記憶から、知識どうしの連携を目指して、ぶち壊すことがあたしの「快感」です、はい。
それが、授業の目的、なのですが、今は、全く自信が無い。
とりあえず、できること…バックアップ、システムプログラミング、ホームページの更新、スパムメールを眺める…1日50通位届きますが、時々、重要なメールが紛れていて、なんてことをして、後は寝てばかり。

あいたたた…

うーむ。つまり、現実は数字(統計)で明確に処理できないものなんですよねえ。

>彼らの知識を、一対一対応の記憶から、知識どうしの連携を目指して、ぶち壊す

それが好きで、先生の隠れファンが結構いたりするんですよ〜
私はいつも「いったい何がしたいのだろう(=こうする意図はなにか)」がなかなか掴めず、混沌とした気分で講義を受けていたこともありました・・

ちなみに、新学期は瀕死のスケジュールになりそうです(涙)自分が過剰適応しようものなら、その後がすこぶる不安。

父親に対する死の宣告というのは、なかなかきついですな。これまで、何のために生きてきたのかね〜、とか、これからどう生きていくのかね〜、とか、目の前の作業をしなくちゃね〜、とか、渦巻いて、決定できない状態、やばいな〜
それにしても、統計は道具だし、数字は1つの表現形態だし、それだけが悪い訳ではないのだがなぁ〜

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