2007年3月アーカイブ

明け方、寝苦しくて起きる。フラフラする。
2度寝して8時過ぎに起きる。
出発の支度をして、妹とメールで打ち合わせ、とにかく、昼ご飯を父親と一緒に取ることにした。
フロントに荷物をあずけて実家に移動。
父親に説教する。
あたしと同じ病気の可能性があること、循環器の先生に、やる気が出ないことを話してもよいのだ、と伝えた。
妹がおかずを仕込んでいる時に掃除をした。
父親の着ているモノを着替えさせ、洗濯した。
風呂に入らなくてもいいが、着替えはしなさい、と、また、説教だ。

妹と大学病院に向かう。
母親は、昨日よりも動きが悪い。
帯状疱疹も酷くなっていた。
相変わらず、お腹が空いたという。
売店で日もちのするケーキや甘夏柑等を買ってきた。
ぱくぱく食べている。
とにかく、体力をつけてもらいましょ。

16時過ぎ、病室を辞した。
空港に向かった。
仙台空港線というのが開通して、シャトルバスが廃止されていた…チケットが1枚残っていたのだが、な。
モバイルSuicaで乗車してみた。シャトルバスよりも料金は安かった。
17分は確か速い。
仙台駅を出発する時には満席でかなり混んでいたのだが、実際に空港で降りた乗客は案外少なかった。はて、採算は大丈夫なのかね。

空港で生ビールを飲んで煙草を吸った。
どうも、使用機到着遅れ、らしい。
10分遅れて出発、さらに、揺れた。
新幹線よりも揺れた。
上下に揺れるのはジェットコースターだと思えば楽しいが、小刻みに左右に揺れるのは疲れる。
到着も20分ほど遅れた。

タクシーで馴染みの居酒屋に駆けつける。
大将曰く、疲れてます…
そうだろうな〜
合鴨のネギ焼のポン酢、いつもより酸味を利かせてくれて、さらにすり下ろしたニンニクを入れてくれた。
これで、元気になるかな。

おお勘違いをしていた。
ゆっくり起きて、昼過ぎに出かけようと思っていたら、フロントから電話。
チェックアウトは何時か、と、聞かれた。
?????
よくよく考えれば、航空券で予約した帰りの便の日付と宿泊日程がずれていた!
お間抜けだ。
もう1泊することを伝えた。
幸い、同じ部屋に連泊できた。

11時過ぎに出かける。
買い物をしてから、昼ご飯に田舎蕎麦を食す。
なかなか旨かった。

母親が通っていた個人病院に、大学病院から来た手紙を届けて挨拶をするために出かけた。
介護認定のための意見書の作成を依頼する必要もあった。
ところがっ
よくよく考えてみれば、今の両親の主治医ではなかった。
父親は循環器の専門医にかかっているし、母親は入院している。
断られた。
当たり前といえば、当たり前だ。
診察しないと、意見書は書けない。
父親が入院した病院からは何も言ってこないし、さらに紹介したはずの自分のところに通わず、別の専門医に通院していることに怒っていた。さらに、母親が入院した大学病院からの手紙は、院長の顔写真入りの「お礼状」で、母親の状態については何も書かれていない、それにも怒っていた。
そりゃそうだろうね。
個人病院を辞して、父親が通院している循環器の病院に挨拶に行った。
意見書の作成依頼と、さらに、父親の「うつ」らしい状態について話した。
その足で、区役所に行って、書類の作り直しを頼んだ。
大学病院に向かった。

母親の病室に行くと、名札がなかった。
はて、移ったのだろうか?
まだ、母親は寝ていた。
どうやら、右足に出ていたのは湿疹ではなくて、帯状疱疹だったようだ。
で、個室に移動、と言うことになったらしい。
火傷の水膨れのように水泡ができている。
そういえば、入院直後に体温を測った時、37度あったな。
何と言っても、神経痛が来ているようだった。

看護師さんは、移動先の部屋を片づけ、掃除をして、バタバタと汗をかきながら動いていた。
その間、母親は、お腹が空いた、とブツブツ言っている。
1時間近く待たされ、ようやく部屋を移動。
個室にはトイレもついていた。
確かに、廊下のトイレに行くよりは、移動が楽だろう。
ただし、トイレはユニットバスと一緒なので、段差がある。
転ぶと大変だ。

今日の母親は、比較的よく動いていた。
薬が効いているのだろう。
2名の主治医が顔を見に来たので、名刺を渡して挨拶した。
ようやく、あたしが九州から来ていることが伝わった。
何しろ、事前調査の項目に、緊急連絡先としてあたしの住所を書く欄がないのだから、な。
その点、父親が入院した時には、看護師がアセスメントしていろいろと書いていたし、引き継ぎもきちんとされていた。当たり前の事なのだが。
何しろ、偉そうな大学病院だから、な。
なんだかんだしているうちに、18時になってしまった。
父親が夕飯を食べたのか心配だ。
急いで実家に向かった。
父親は、白飯だけを食べたようだった。
うーん。
折角、妹が作ったおかず、みそ汁、煮物には全く手を付けていなかった。
大丈夫か?????
ダメだろうな。
困ったな。
沈みそう。
仙台に来た時によく行く居酒屋に寄った。
初ガツオ、ホヤ刺し、ハナワサビのお浸し、で、日本酒を2合。
適当に酔っぱらって、さけ茶漬けを食べた。
疲れてはいるが、酒の力で気分は良くなった。
明日も頑張れるかな。

実家に行った。今日は、大学病院に母親が入院する日だ。
受付は9時40分まで。
8時50分ごろに実家到着。
母親は、髪がぼさぼさで長すぎること、洗髪していないこと、を気にしていた。
ヒゲバリカンを持っていって、耳の周り、襟足の髪の毛を適当に切ってあげた。
…看護師に洗髪と清拭をお願いしよう。
身動きがままならないので、風呂に入っていない。
太ももに湿疹ができていた。これも看護師に話しておこう。
9時過ぎに妹到着。
タクシーを呼んで、移動にかかる。
が、母親は動き難い。
靴を履いたのはいいが、立ち上がれない。
「抱えていこうか?」と、無謀だとは思ったが、言わざるを得なかった。
幸い、甲野善紀の本を読んでいたので、寝ている状態から半身を起こす動きは、あたしの身体にそんなに負担をかけずにできる。
運んでタクシーに乗せるのは、別だ。
高校時代にならったバーベルを持ち上げる動作、を思い出した。
大腿筋を使う、のである。
左膝を地面について右膝を立て、母親を抱えて、一度、右膝に母親の身体を乗せ…座らせて、脇の下と膝裏に手を添えて、スクワットと同じ要領で立ち上がる。
タクシーに乗せる時には、どうしても身体が前かがみになる。ちょっと腰に来た。
大学病院に着いてすぐ、妹に車いすを用意させ、タクシーから母親を抱き上げて下ろした。
今度も一度膝に乗せて…座らせて、立ち上がる。ふらついた。
小さな身体は、重かった。

入院してしまえば、看護師がなんとかしてくれる。
一安心だ。
そうなると、問題は、家に1人残された父親だ。
正直、父親も入院してくれれば、安心だ。看護師が何とかしてくれるからだ。

母親の診断はまだ始まらない。
昼、妹と実家に戻った。父親と一緒に無言の食事をした。
下手をすれば、ご飯とみそ汁しか食べなかったかもしれない。
薬もまた飲まなくなるかもしれない。

午後、妹と買い出しに出かける。
父親は食材にうるさい。
特定の食材しか食べない。まるでヒト以外の動物みたいだ。
…人間は雑食のはず、だから。
決めた魚屋の肴しか食べない。
その魚屋に行って、ブリ、タラ、シャケの切り身を買う。
野菜を買う。
妹に、煮物、焼き魚を作ってもらう。
食事の際に、つつけるものを作ってもらった。
その間、あたしは区役所に出かける。介護認定のための書類を作って提出してきた。

16時過ぎ、妹と大学病院に行く。
診察は本格的には行われていなかった。
診断名は、「パーキンソン病の疑い」だ。
来週、本格的に検査をするらしい。
入院予定は3週間と書かれていた。

母親は、病院に行く途中のタクシーの中、午後から訪ねた時、妹と盛んに話しをしている。
不安なのだろうな、と、思う。
数十年離れていたのに、すっかり、実の娘になっていた。
父親の入院に際しても、今回の母親の入院に際しても、妹がとても頑張ってくれている。
自分にだって、家庭はある、子どもたちの世話も必要だ。
姑との関係だってある。
あり難い。
両親と妹との関係を修復しておいて、本当に良かったと思う。

ふと、とんかつが旨い、と、母親が言い出した。
もちろん、自分が食べたいのだ。
食欲がある、ということは、この場合、唯一の救いだと思う。
妹にも食べさせたい、と、いう。
これは、あたしに「買ってやれ」ということだ、な。

病院を辞して、豚カツやに行く。
ロースカツ弁当、ひれカツ弁当を買う。
貧病でもあるあたしには、この位しかできない。
甥っ子達が喜んで食べてくれればいいな。
ひれカツ弁当は、あたしの分も買った。
久しぶりに、ひれカツを食す。
山下清が元帥に例えた豚カツだ。旨い。

ビールを飲んでから、マッサージをしてもらった。
これで良く眠れるかな。

なかなか寝つけなかった。
朝飯のために買っていたおにぎりを夜中に食べてしまう。
まずいな。
掃除の音、街の騒音、車の音、静かになったな、と、気がついた時には、14時を過ぎていた。
やってしまった。
3月8日と9日と同じだ。
明日は母親を大学病院に連れて行かなければならない。
ひたすら、休むことにした。

ゆっくりとホテルを出る。
夕方、仙台に着くように新幹線を予約したのだが、昼過ぎの列車に替えてもらった。
新幹線に乗って、ビールを飲みながら、家元の落語をiPodで聴く。
久しぶりに列車に乗った。揺れる。
わずかに2時間なのだが、思いの外疲れた。
モバイルSuicaで駅弁を買う。
ホテルにチェックインして休憩後、実家に出かけた。
母親は、テレビ電話の時よりはだいぶ動けるようになっていた。
お腹が空いた、と言う。
食欲があることは、なによりだ。
3つ買って行った駅弁を、3人で取り分けて食べた。
後片づけをした後、眠くなってきた。
予想通り、疲れている。
20時過ぎ、妹が来てくれた。
入院のための準備、書類の確認、をする。
妹は、明日以降の食事の準備をしてくれた。
温めればいいように、煮物やみそ汁を作っていた。
22時前、妹と2人でタクシーで移動した。
明日、ちゃんと起きられればいいのだが…

午前中、昨日作ったCD-Rを事務にあずけに行った。
昼過ぎから移動である。

実は、26日は、相模大野に行って、家元の独演会を聴くのであった。
うひひっ
この位の楽しみがないと、やってられない。
いいでしょっ、ねっ

相模大野に行くまでが大変。
ちょうど、夕方の通勤ラッシュに当たった。
乗換案内に従って行ったのだが、下北沢で乗り換える際、出口を間違えて時間をロス。
さらに、相模大野に着いてから、会場まで迷ってしまった。
前に行くグリーンのジャンバーを着た男性の後に付いて行ったのだが…何しろ、家元のファンらしいニオイがしたもの!
ただ、あたしは途中でコンビニによって、おにいちゃんに道を聞いた。
開演10分前に到着。
やがて、グリーンのジャンバーを持った男性が隣に座った!
やっぱり当たった。
それはそれとして。
前座が出てきた。若い弟子がいるのだな〜、とりあえず、いいな〜、と、思った。
家元は、相変わらず。
ただ、年齢にはかなわないのだろう、出足はちょっとテンションが低い。
家元の最初の話は、与太郎話の大工調べ。
休憩後、パントマイムの松元ヒロが出てきた。
家元の次の話は、金玉医者。
なかなか凄い。
最後は、闘牛場のレストランのジョーク。
いやー、良かった。
一期一会なんだっ、と、叫んでいた。
そうね〜、できるだけ、サボって、家元を聴きに来ないといけないな。

夜、マッサージを頼んだ。
左の腰が痛み出していた。
思いの外、両肩が凄い状態だった。
股関節がずれたのか、両足も凄かった。
マッサージをしてもらって、だいぶ良くなった。
これで、明日から、大丈夫、かな。

何時寝たのか判らない。
珍しく9時に起きた。
科研の中間報告書の仕上げをして、昼寝。
夕方、また中間報告書の最終的な仕上げをして、CD-Rにデータを保存した。
また、行きつけの居酒屋に行って食事をした。
明日からの元気は十分かな。

何時寝たのか判らない。
珍しく9時に起きた。
科研の中間報告書の仕上げをして、昼寝。
夕方、また中間報告書の最終的な仕上げをして、CD-Rにデータを保存した。
また、行きつけの居酒屋に行って食事をした。
明日からの元気は十分かな。

昨日の作業の余波か、あるいは、両親を心配した所為か、寝つけなかった。
昼前に起きた。
今日は、妹が実家に行っているはずだ。
14時過ぎ、妹の携帯電話にテレビ電話をかけた。
甥っ子(長男)も来ていて、入院のための準備を手伝ってくれたようだ。
車によったらしく、寝ていた。
父親は相変わらず、座って新聞を読んでいる。
母親は、寝ていた。
手足が動かないという。
半身を起こしてもらっていた。
言葉は明瞭、きちんと話ができた。
パーキンソン病のステージ5、かもしれない。
30分程の通話だった。
テレビ電話を真面目に使ったのは初めてだった。
講義のネタとして、デモンストレーション…1人で2台持っているから…したことはある。
なかなか便利かも。
…電話会社に騙されているのかも。

午後、科研の中間報告書の仕上げをした。
夕方、行きつけの居酒屋に行って食事をした。
居酒屋の大将によれば、酷い状態、らしい。
来週からのことを考えれば、沈んでしまう。
悲しい状態になったらどうしよう、と、考えてしまう。
3月8日と9日のように、ホテルで寝込んでしまうかもしれない。
考えないようにしてみよう、か、な。

眠れなかった。
結局、2度寝して、昼過ぎに起き出した。
暗い歌を作る。
午前中、妹からメールで連絡があった。大学病院に母親を連れて行くという。

今日は、IT利用室の機器導入に関して、最終打合せがある。
先の打合せどおり、仕上がっているのかどうか、確認する必要があった。
あり難いことに、あるいは、予想通り、若いSEはきちんと仕事をしてくれた。

問題は、この後だった。
Mac OS X用のウィルス定義ファイルの更新作業に手を付けてしまった。
1つのサーバにシステム起動用ハードディスクと緊急起動用ハードディスクがあるので、1台につき2回導入作業が必要になる場合がある。台数は14台。
さらに、1つのサーバを設置している部屋には、4月から異動してくる方がいらっしゃる。そのためにサーバ2台を移動させなければならない。2台分の移動スペースがない。とりあえず、1台だけ移動させることにした。
ウィルス定義ファイルを更新しながら、サーバを移動させた。
だんだんと、気が遠くなるような気がした。
呼吸が荒くなる。
フラフラする。
ダメかと思った。

17時過ぎ、妹からメールが届いた。
結局、1日かかってしまったようだ。
大学病院の外来の診断によれば、薬を増やして様子を見て、来週、改めて検査入院することになったらしい。
父親に続いて、今度は母親が入院する。
困ったな。

沈み込みながら、あたしの仕事は、なんとか進められた。
タクシーで帰った。
行きつけの居酒屋によって、おいしいものを食べた。
幸い、少し、元気になった。

うつうつと馬齢重ねて無力なり紫煙の先ににじむ父母

桜咲き吾が人生を悔やみをり足首つかむ老いた父母

21日(水)は寝て暮らす。寝ていない時はテレビばかり見ていた。
22日の午前中、通院しようと思っていた。
なかなか寝つけなかった。
結局、午前中、どうしても起きることができなかった。
午後、光ファイリングシステムに関して、業者との打合せがあった。
どうにも、出ていけない。
断りのメールを送った。
が、返事が来ない。
ので、なんとかタクシーを飛ばして約束の時刻までには出て行った。

年休を取ることにした。
念のため金曜から、そして来週いっぱい。

打合せが終わった後、通院した。
来週は、母親の様子を見に仙台に行くことにしたので、いつもの日程では通院できないことがわかっていたから。母親は、パーキンソン病の所為か、どうにも動けず、ここのところずっと寝ているらしい。
担当医ではなかったが、薬だけ出してもらった。
家に帰って、横になった。
とりあえず、食欲はなかったが腹にいれた。
テレビばかり見てしまう。

昼前、妹から、メールが届いた。母親は足が動かず、救急車でかかり付けの個人病院に運ばれたらしい。往診を頼んだはずだが、その個人病院の院長は、場所が判らないと断ったようだった。
昼過ぎに不在着信があり、緊急のメールが来た。
母親は入院した方がよい、という診断だった。あたしに、すぐに来て欲しい、と、言うことだった。
妹ひとりでは不安なのだろう。
が、今のあたしでは、どうにもならない。出ていけないのだから。
通院後、自宅でインターネットを介して、宿の空室状況と航空機の空席状況を調べてみた。
すでに、来週の予定は組んであり、宿と航空機のチケットは手配してある。
今からその予定を変更するか、23日の午前中に移動して金曜の夜の1泊だけにするか。
それは、いくらなんでも、疲れてしまう。日曜日休んで、また移動だ。目に見えている。
妹は午後から仕事に出かけたのか、連絡が来ない。

夕方、仕事が終わった妹とようやく連絡が取れた。
個人病院ではどうにもならず、大学病院で検査する必要がある、と言うことだった。
さらに、家族で今後のことを話し合え、という指示だったらしい。
よほど酷いのだろう。
とは言え、あたしも酷い。
あたしの状態を説明して、妹に母親を大学病院の外来に連れていってもらうことにした。
あたしとしては助かった、の、だが、妹には大変な負担だろう。

眠れなかった。
昼過ぎに起きる。
今日は、IT利用室の機器導入に関して、納入業者との打合せがあった。
15時からに設定していて良かった。
とは言え、布団から出たのは1時間前、布団の中で伸びたり縮んだり、なかなか出て行けない。
タクシーで駆けつける。
事前にメールでやり取りしていたので、大筋は決まっていた、幸いだった。
若いSEが利用者制限について、いくつか提案してくれた。
いずれも、もっともである。
Cドライブを見せない、なるほど、ね。
ローカルドライブのファイルを検索させない、なるほど、ね。
でも、ローカルドライブだけを検索対象から外してもらいたいものだ。ネットワーク上のコンテンツやコンピュータは検索できた方がいいのだから。
どうやら、制限の方法は調べなければならないらしい。
調べるあてがあるのだろう、多分、きっと、恐らく。
任せることにした。
さて、IEのホームページは、どこにしようか、な。
はまちゃんに聞いてみようっと。

情けない。
また、腰痛になった。
寝過ぎたため、筋力が落ちた所為だろう。
操体法を駆使してとにかく動く。
夕方、とりあえず、大学にでていってみた。
科研の報告書の準備をしなければならない。
左足を引きずっている。
…会議はさぼってしまった…また、優先順位が逆になった…

フラフラと、映画を観に行った。
「叫び」
難しい、な。

通院の日。
悲しくなったこと、父親が入院したこと、母親の動きが悪くなったこと、を話す。
ついでに、父親の「状態」について質問する。
片づけられない、意思決定できない、動き難い、昼間は寝てばかりいる…どうにも、あたしの状態に酷似しているのだ、な。
うつではないか、と、思った。
老人性うつ病、というのがあるらしい。
担当医が言うには、体重の変化が目安らしい。
そういえば、調子が悪い時には、激痩せする、ものな〜
なるほど。
あたしに関しては、パキシルの量を増やして様子を見ることになった。
これまでは10mg錠を1日3錠、つまり30mgだった。
それを「限界量」の40mgにする。20mg錠を2錠服用するのだな。

通院後、大学に行った。
溜まっていたモノどもコトどもが押し寄せる。
一気に疲れて、夕方、珍しく早い時刻に自宅に戻った。
この日は、結局、2時間ほどしかねていなかったので、(当然)疲れた。

一日中、家に居た。
13日の夕方、寝ていたら、また、悲しくなった。
夜中に炭水化物を食べる。炭水化物依存だ。
14日、会議があったはずだ。
出て行けなかった。
14日の夕方、学外で仕事があった。
ここで出て行かないと、もう2度と出て行かないと思った。
仕事の優先順位はともかく、学外の仕事には出て行くことにした。
…これで、いよいよ、本務は首だな。
頭が働かなかった。受講生の質問に、適切に回答したとは思えない。
頭の良い受講生は、その答えで回答に臨んでくれた。あり難い。
14日の夜中、なかなか寝つけなかった。

大事な日だった、はずだ。
どうにも、起き上がれなかった。
2度寝する前に、ごめんなさいメールを委員長に送った。
某消費者金融のCMでは、大人のマナーではない、のだが…
昼、テレビを見た。すぐに眠くなった。
過眠だ。
1日、家に居た。
今日は、全員参加の入試の日だった。
首を切られるかもしれない。

なかなか眠れなかった。
2度寝して9時過ぎに起き出す。荷物をまとめて、移動。実家に寄って挨拶し、空港に向かう。
母親の動きが悪い。パーキンソン病の薬が効いていないようだ。
これまで、家の中ならば比較的自由に動き回っていたのだが、立って移動できない。
今は、はい回っている。
あぁ、次は母親か。

妹からメールが届き、親父は来週の火曜には退院できるらしい、とのこと。
治療らしいことは何もしていない。
単に、これまで使っていた薬を一時的に点滴を使って多量に投入しただけだ、と思う。
空港で、ビールを飲んだ。
喫煙所で煙草を吸う。
飛行機の中ではiPodで家元の落語を聞いた。
あまり笑えない。
...もちろん、1人だけニヤニヤしているのは変だが。
空港からタクシーで家に移動。少し休む。
夕方、近所の居酒屋に向かう。
日本酒を4杯ほど飲む。
脱税して、追徴金を毎月600万円払っている人、の、話で盛り上がる。
自宅まで歩いた。フラフラだ。

歩いている途中、なんとも悲しくなった。
否、悲しい、としか、言語化できないような状態になった。
動けなくなった。道端にうずくまる。
この先、どうなるのだろう。
親父が死んだ時は、どうなるのだろう。
いや、あたしが死んだ時は、どうなるのだろう。
このまま死んでしまうのだろうか。
父親は子どもであるあたしに介助されているのだが、子どものいないあたしはどうなるのだろうか。
惨めな人生だ、と思った。
このまま死にたくなった。
死んでしまおうか、と、思った。
涙が出てきた。

悔しかった。このまま、人生を終えてしまうことが、ものすごく、悔しかった。
こん畜生、と、叫んでみた。
ちくしょう、ちくしょう、こん畜生...*
立ち上がれた。
家まで戻れた。
そのまま寝た。

なんとか午前中に起きる。
実家に移動して、親父が散らかしたものどもの片づけ、後、母親と一緒に昼飯を食す。
午後、病院へ。
担当医から話を聞く*。
ちょっと、憤慨して、実家に戻る。
妹が来てくれた。一緒に買い物に出かける。
買い物の帰り、妹を車で送って、実家に戻る。
ホテルに移動。
何とも、やるせなかった。

波が、来た。
この2日間、ホテルでじっとしていた。
…このホテルは、あり難い。ほったらかしにしてくれた。掃除の音、窓の外の車の音、雑踏、は、うるさかったのだが。
ダメかと思った。
やはり、無謀だった。
でもな〜
心配だしな〜

コーヒーを飲んで、煙草を吸った。
テレビを見た。
普段見ることのない番組だった。
暗くなって、コンビニに買い物に出かける。
何か食べなければならない、と、いう意識はある、幸いなことに。
10日はなんとかなるかな。
とりあえず、寝る。

また、仙台に来た。
我ながら、無謀だと思ったのだが…即断即決した。

3/6、とても調子が悪かった。
昼過ぎに起きたが、また、寝てしまう。二度寝だ。
なんだか静かだと思ったら、ケータイの電池が無くなっていた。
充電してみると、妹からメールが届いていた。
またまた、父親が入院したらしい。
三度寝から立ち返った。

妹からは、3/3に不在着信、そしてメールが届いていた。
また、薬を飲んでいない、ということだ。
3/4、父親に電話して、服用するようにきつく、きつぅ〜く、話した。
妹によれば、3/3に訪ねてみると、父親のまぶたがミョーに膨らんでいる、という。
むくんでいるのだろう。
呼吸も苦しいようで、息をする度に喘鳴を伴っているという。
確実に、肺に水が溜まっているはずだ。

三度寝から立ち返って、時計を見ると、17時だった。
これから、仙台に行くか、つらいな。
インターネットを活用して航空券と宿を確保、バタバタとパッキング、タクシーで空港へ。
最終便で移動、仙台市内に着いた時は、21:30を過ぎていた。
どうやら、妹はまだ母親のもとに付き添っているらしい。
タクシーを飛ばして実家に向かった。

パーキンソン病の母親は、身動きできずにいた。
動作の途中で止まる。一度座ると、立てない。
変に手を貸すと、どうなるかわからないので、黙って見ているしかない。
なかなかつらいものだ。
妹がそれなりに付き添っている。
関係を修復しておいて、本当に良かった、と、思った。

いろいろ調べていくと、1/19に通院していて、それがどうやら最後だったようだ。
つまり、2006年10月の時と同様、ひと月近く、薬を服用していなかったことになる。
父親は、1日の大半を温風ヒーターの近くに横になって過ごしていたらしい。
苦しくて、動けなかったに違いない。

患者は、嘘をつくものだ。
あたしも時々担当医に嘘をつくもの…調子、いいです、なんて…
3/4に電話した時には、服用していないのは、3日ほどだ、なんて、言っていた。
うそこけっ!
幸い、今回は、個人病院から救急車で運ばれることはなかった。
その代わり、妹が付きっきりであったとのこと。
すまないなぁ。
3/5にいつも通っている…月1回だが…個人病院に付き添って薬をもらい、3/6には地域総合病院(2004.5.13に入院した時と同じ地域病院)に付き添って入院と検査の途中…妹だって仕事がある…までいてくれた。
なんとあり難いことだろう。

妹と2人、タクシーに乗ったのは、0時を回っていた。

なんだかよくわからないのだが、どうにも、疲れてしまった。
気がついたら、昼過ぎだった…会議が終わっていた…
その後も起きる気がしない。
あ〜ぁ
また、戻ってしまったか。

とりあえず、ゆっくりしよう、と、思って、二度寝する。
と、17:30から、学外で打合せがあることを知らせるメールが届く…やばい。
土曜日と同じ格好をして出かける。
なんとかこなせた。
ふぅ〜

仙台に来ている。
2007年1月3日に亡くなったH谷先生を語る会が夕方から開催された。
その前に、研究会があった。
久しぶりに、仲間たちに会った。
これまでの体調を考えると、とても出ていけないかもしれない、と、とてもとても不安だったのだが…

3月2日(金)
実際、出て行くまで、大変だった。
午前中に起きたのではあるが、どうにもならずに二度寝。昼過ぎに起き出す。
…二度寝の前にアナフラニール10mg錠を服用。
とりあえず、一服。
カップ麺を食べてみる。
椅子から立ち上がろうとしたら、腰がガックリ、ぎっくり腰だ。
ゆっくり、元に戻す…と言っても、痛みは残っている。やばいな〜
気がつくと、出発時刻の2時間前。バタバタとパッキング。タクシーで空港へ。
乗ってしまえばこっちのものだ。
夕方、仙台市内に入る。チェックイン後、友人たちと食事。
腰が痛い。
湿布薬を購入。ホテルではマッサージを頼んだ。
久々に入浴。

3月3日(土)
8時過ぎ、ゆっくり起き出す。アナフラニール10mg錠を服用。
煙草を3本吸う。
食欲はない。部屋でゆっくりする。
身支度をして、10時過ぎにホテルを出る。
買い物して、蕎麦を食す。
腰は相変わらず、だが、動けるならば多少は動かないといけないと思い、研究会会場まで30分ほど歩いた。
研究会では、院生さんたちが3人、仲間たちが2人、発表した。
なかなか面白い。
来て良かったな〜、と、思う。

で、18時から語る会。
出発前日の3月1日、「思い出語りの拠り所」に手持ちの資料を持ってきてくれ、という連絡のハガキが届いた。
おいおい、前日かよ、資料、何を持って行けばいいのだろう〜、と、悩んだ。
そもそも、家も職場も片づけができなくなって、探せ出せないのだもの。
残念だな〜、と、思っていたのだが、見つけた。

H谷先生たちが創った極地方式研究会の名作テキスト「世界の気候」だ。
あたしが中学1年生の時の担任で、その後、ずっと理科を担当してくださったT先生の授業で配布されたものだ。
当時、妙な授業だなぁ、と、思っていたのだが、正直、面白かった。
その後、大学に入って、3年生の時の専門の授業で、そのテキストの内容が授業で出てきて驚いた。
なんと、講義しているH谷先生たちが創ったもの、だったのだな。
これだけは、すぐにわかるところに置いてあるのだった。
語る会では、司会者に指名された順に、「思い出」を語った。
あたしも指名された。
当然、中学の理科を担当してくださったT先生のこと、習った「世界の気候」に大学の授業で再会したこと、今の研究会のこと、新しく学会を立ち上げたこと、そして、議論をしている仲間たちの言葉の端々にH谷先生がちらちらと見えること、その議論にあたしが加われることの幸せ、を、語った。
泣きそうになった。
やばいな〜
今夜は、いつになく眠れないかも…

通院の日。
どうにも元気が出ないこと、を話す。
今、何か、抱えている仕事、うまく行かないこと、悩み、について聞かれた、が、心当たりがない。
医者も困っていた。
かつて「ハイ」になったことがあるアモキサンの処方が候補に上がった。
しかぁ〜し。
2002年に服用を止めている。とても「ハイ」になったからだった。
今回も、薬で引き上げる事は必要なのだろうが、上がり過ぎる方が危険だ。
個人的にも上がり過ぎるのは困る。
で、まぁ、アナフラニール錠10mgが処方された。
ハイパー薬事典によると、
成分(一般名):塩酸クロミプラミン
区分:神経系用剤(含む別用途)/イミプラミン系/うつ病・うつ状態治療剤
で、
脳内の神経伝達物質であるノルアドレナリンやセロトニンの量を増やし、神経の働きをよくします。ノルアドレナリンの増加は「意欲」を高め、セロトニンの増加は不安感をやわらげ「気分」を楽にするといわれます。
と言うことらしい。アモキサンと同様、第一世代の三環系抗うつ薬だ。
...副作用が強そうだ、な。
これまでに見たことのない「三角形」の錠剤。
朝一番に服用してみよう。

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