10月28日(土)

気がついたら、おやつの時間に近かった。
何しろ、寝たのが今朝だ。
儀式をしながら、ブログのまとめ書きをする。
バタバタ、どたどた、どよよぉ〜ん、だらだらぁ〜ん、でろでろぉ〜ん、の1週間、のまとめ。

今から、何年前だろう。
上の甥っ子が既に小学5年生、下の甥っ子は小学2年だから、11年以上前にはなるな。
福岡に来て10年だから、15年くらい前か。海馬の萎縮した今となっては、記憶の彼方である。
母親から電話が来て、妹がその日の朝、突然、いなくなっていた、と、いう。
付き合っていた「彼」がいたから、二三日様子を見ていたが、戻る気配がない。
アルバイトから始めて漸く正社員になった職場に連絡してみても、無断欠勤しているという。
妹名義の預金もすっからかん。
さらに、住民票が移されていたらしい。
あたしは、テレビドラマを見ているように思ったものだ。

「彼」は、在日、である。
当時、さらに、日本国籍がなかった。
この騒動で、あたしは、父親の強烈な「偏見」を知ることになった。
曰く「あいつらは、嘘つきだ」
父親は障碍者手帳を持っている。昭和1桁生まれだ。
先の大戦時には、自身、どんな差別を受けたのか、あたしは知らない。父親も語らない。
...そもそも、15歳で丁稚奉公に出てきて、どんな悲惨な状況だったのか、も語らない。
当時の考え方に照せば、あの人の「赤子」として生を受け、その五体に自ら傷を付けた訳だから、どんなに酷かったろう、と、想像はできる。さらに、侵略した先の国々の人々に対して、どのような考え方が植え付けられたのか、これも想像するしかない。
先の発言の「あいつら」の中には、隣国の人々が全て含まれている。

頑固な母親は、「彼」のいい加減さが気に入らない。どんな事情か知らないけれども、定職に就けないでいた。恐らくは、「国籍」が問題になることがあったのだろうし、「偏見」と「差別」もあったのだろうと思う。しかし、そんな事情は、母親にはどうでも良かったのだ、な。結婚するなら、職につけ、だ。
さらに火に油を注いだのが、「彼」の両親との会見だったらしい。
「彼」の両親とは、あたし自身、まだ、会ったことはない。
おおらかな人たち、なのかもしれない。
だが、頑固できっちりしている母親にとっては、多分、それが気に入らなかったのだろう。

とにもかくにも、「彼」との結婚には、両親とも絶対反対、だったはずだ。

そして、妹は駆け落ちした、訳だ。
あたし自身、両親の心情はそれなりに理解できたから、そして、やはり、結婚するなら定収入が必要だと考えていたから...古いか?...2人の結婚にはあまり積極的ではなかった。
何より、「彼」が日本国籍を取得し、定職付くことが、先だと考えていた。

若い夫婦は、それでも、自分たちで何とかしようと、職を求めて仙台から首都圏に移ったり、また仙台に戻ってきたり、それなりにがんばっていたことと思う、いや、思いたい。妹もパートで働くようになったようだし。
あるとき、妹から連絡が来た。手紙だったか、メールだったか、電話だったか、海馬の萎縮した今となっては、記憶の彼方である、が。

このとき、やはり、まだ、両親の心情を優先的に考えるあたしがいた。
それでも、遺伝子を共有している、この世で唯一の2人しかいない兄妹であるから、少なくとも、妹の味方にはならなくてはいけない、とは、思うようになっていた。
携帯電話のメールが時々届いた。
甥っ子の話、もう1人子どもが産まれた話、パートの仕事の話、なんとか両親に詫びを入れられないか...
「彼」が日本国籍を取得し、漸く結婚できたこと...

一度、仙台空港で、妹一家と会ったことがある。「彼」とはその時が初対面。
できるだけ、中立的に、それまでに会ったことがある、長男の甥っ子と話をすることを中心に。
...甥っ子は2人とも、興奮しまくっていた。長男は賢くて優しくて、次男はやんちゃで負けん気が強くて、まだ甘えん坊さん。
あたしは、2人の子どもをここまで育てた妹に、とても感動していた。
「彼」は、あたしに、あたしの両親の影を見たのかもしれない、とてもキンチョーしていた。

ところで、授業は、学習者の持っている土着の知識・信念体系との対決でもある。
そのための戦略は、時として、説得に近いものがあるな、と、考えていた時期だった。
ならば、あたしの両親の信念体系と対決し、説得するのは、あたしにしかできないのだろう。
両親説得大作戦を開始することにした。
ドヒャーで進めては、絶対に反発が来るはずだから、ジワジワ、攻めることにした。
まずは、実子よりもかわいい孫をダシに使う作戦に出た。
が、最後の仕上げで失敗した。
やはり、「彼」と「彼の両親」の遺伝子を持っていること、が、最大の「壁」なのだろう、と、推測した。孫の影に「彼」「彼の両親」が見えてしまうのだろう。
一からやり直しだ。
ならば、せめて、自分たちの遺伝子を持っている妹だけでも、なんとかすればいいのだ。
目標を変えた。

手紙作戦は失敗した。何しろ、現金書留に入れたため、手紙の存在に気付かなかった。
仙台から帰るとき、遠いところのあたしより、もっともっと近いところに、自分たちの子どもがいるのだよ〜と、一言、言い残す作成は続けた。

最大の転機は、そして、作戦決行の最大のチャンスは、何と言っても、10/18の父親の入院だ。
2004年の時も、似たような状況ではあったのだが、あたし自身の体調が最悪*で、父親の事しか考えられなかった。容量限界に近い状態。2週間に1回、半年に渡って、仙台に通い続けた。よく身体(頭も身体のうち)が持ったものだと、今でも、我ながら感心する。
で、今回も、実は、本当に最悪の時、だった。
自分自身のことでさえ、思うに任せない。
義理の妹に、入院手続きまでしてもらった。
とにかく、作戦は、失敗して元々、ドヒャーで進めることにした。
あたしが、両親に説教するのである。
移動中、説教の内容をあれこれ考えていた。考えているうちに、気が重くなる。

10/19に仙台入りし、翌20日、戦略的にドヒャーとなるが、妹をCCUに連れて行ったことは既に書いている。
思いの外、父親の反応は良かった、と、思う。
入院2日目の混乱に乗じた作戦で、卑怯かもしれないけど、悪魔の手を借りた。
20日の夕方、パーキンソン病で身体が動かなくなっている母親には、語気を強めて、なんで他人の娘(つまり義理の妹)に手を借りなければならない、実の娘がいるだろう、と、ドヒャーで攻めた。
これまた、身体が思うに任せない状態に乗じた作戦で、卑怯かもしれないけど、悪魔の手を借りた。
翌21日は、母親の方から、子どもなんか連れてくるなよ、と釘を刺された。実子はいいが、他人の遺伝子を持っている甥っ子は生理的に受け付けない、といった、状態だ、な。
デパ地下に買い物に行く前、以前送っておいた現金書留を母親が出してきて、中を確認し、手紙の存在に気付いたようだった...あたしは書類の整理に夢中になっていて、母親が何やら黙ってしまったことだけに気付いただけだったのだが...
突然、どうもすみませんでした、ごめんなさい、と、母親は両手をついて深々とお辞儀をしていた。
この、突然の行動の意味が判らず、あたしは混乱したが、先に失敗したと思っていた手紙作戦が成功したことに漸く気付いた。ムダではなかったのだな。
...実際のところ、何を書いたのか、手書きだったし、海馬の萎縮した今となっては、記憶の彼方である、が。
22日は、ちょうど、あたしが母親と一緒にいるときに、S市にいる伯母さん、母親の姉様、から電話があった。
この伯母さんを味方につけないのは損だ。作戦が有利に進むはずだ。
強引に電話を代わってもらい、無沙汰の挨拶、今回の状況の説明、妹の事情の説明、さらには、妹の件で母親を説得してくれ、と頼んで、改めて母親に電話を代わった。
さすがに、実の姉様からの言葉は重かったのだろう。
こちらに戻ってから、妹からメールが届いて、なんと、母親から妹に電話があったとのこと。
あぁ〜、よかったぁ〜
大前進、壁はまだ残ってはいるが。

で、28日、今日、だ。
妹と伯母さんには、芋焼酎**を送っておいた。お礼だ。そろそろ、届く頃だ。
さらに、土曜日なので、妹は仕事が休み、一般病棟という空間ではあるが、久しぶりに親子3人の対面、になるはず。
バタバタ、どたどた、どよよぉ〜ん、だらだらぁ〜ん、でろでろぉ〜ん、の1週間の疲れと落ち込みで、あたしは、さらに、どよよぉ〜ん、と、していた。
ひたすら、妹からの連絡、母親からの連絡を待っていた。
来ない、ので、ある。
夕方、東郵便局まで配達証明付きの郵便を取りに出かけ、いつもの居酒屋で1杯ひっかけ、さらに、妹と伯母さんに送ったのと同じ芋焼酎を購入して、フラフラと家に着いたのが、20時過ぎ。
ちょうどその時、S市の伯母さんから電話があった。
まずは、芋焼酎、とても気に入ってくれたようだ。よかった。
そして、今日28日の顛末を聞いた。
どうやら、大成功だったようだ。
だったら、早く、誰か、直接あたしに連絡してくれ〜
喫煙量が一気に増えた。

芋焼酎をストレートでちびちびやりながら、録画しておいたドラマを見ていると、22時過ぎに妹からメールが届く。

うん、そのこと教えてくれるの、おそかったかも。でも車椅子 で移動したよ。メールが届いたとき、ちょうど病室にいた時間、トーチャンの他に一人患者さん。三人ででかい声で盛り上がってしまいカーテンしめられた。退院はまだみたい。もし、実家に連絡がきたときには土曜日にしてもらいたいということを伝えるからーと、母ちゃん。
いろいろとご迷惑をかけてしまいました。おかげで仲直り出来ました。ありがとね。
帰ってから電話で孫達とはなししたよ。『みのるちゃん、と、いさむちゃん』で呼んでほしいんだと。
友達だあ。

え゜っ、孫と話しまでしたの!?
なんじゃい。あたしが数年かけて用意してきた作戦、どうなるんだよぉ〜
孫との対面は、もっと後からのはずだったのにぃ〜
壁は、思いっきり崩れたのかもしれない。
そういうのは、一気に進むのか。そもそも、ドヒャーで攻めたからな。知識構造のくみかえは一気に進んでしまったのだな。そういうことにしておこう。

久しぶりに、ほっとしたし、泣きそうになった...プロジェクトXを見ているときのように。
芋焼酎が胃にしみた。


*最悪
最悪、なのか、絶好調なのか、紙一重だ
系の世話人、各種委員、授業、目白押しだったから、相当テンションは高かったはずだ。
おかげで、2005年は悲惨だった。

**芋焼酎
一刻者(いっこもん)」だ。居酒屋で飲んだとき、芋の香りが良くて、ロックでガバガバ飲んだ記憶がある。
鹿児島県薩摩郡宮之城町の小牧醸造が製造、宝酒造が販売。
麹まで芋で作っているらしい。

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コメント(1)

芋焼酎が、胃にしみた。


…他人事ながら、光景がふつふつと浮かんでくるのがなんとも、です。

そういう心境で飲むと、尚更ほっくりきますよね。焼酎。

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