Q&A_4...12月13日(火)

Q&Aの続き
「人前(授業)でニコニコしているが、苦しくないのかよ、どうしてそんなことができるのだぁ?」
はい、(とぉ〜っても)苦しいでござる。
そんなの当たり前。仕事なんだもの。客商売なんだから、営業スマイルできなくてどーすんのさ。
あくまでも仕事なんだから、苦しくてつらいのは当たり前。そして、どんな仕事にも(営業)努力は付き物で、それがまたとてもつらく苦しいものだ。受講生はお金を払っているのだし、休講にしたり遅刻しては申し訳ない。
幸い、授業は楽しい。受講生が「わかった」という反応(単にわかったと言うなんて事ではない)を示してくれることは、もっといい授業を創ろうという活力になるのだし、有り難いことである。だから、死ぬ物狂いで出ていって、恥ずかしいけど話をするのである。
授業を創る事は楽しいことではあるが、人前で話をすることとは別。決して、人前で話をするのが得意な訳では、ない。滅茶苦茶ドキドキ、目茶苦茶キンチョーするんだもの。

ウィリアム・ジェイムズ:ひとは悲しいから泣くのではない。泣くから悲しいのだ。
変換命題:ひとは楽しいからニコニコするのではない。ニコニコするから楽しいのだ。
さぁ、鏡を見ながらニコニコする練習をしましょう。
ちなみに、あたしは、国内線のキャビンアテンダントのニコニコの仕方を真似るように練習した。最初は、院生の時、銭湯で、ヒゲを剃り終わってから鏡を見ながら、ニコニコと...就職してからは、朝、シェーバーでヒゲを剃り終わってから、鏡を見ながら、ニコニコと...
もちろん、低調な時には鏡すら見たくない。その時はその時だ。少しでも好調になったら、鏡を見ながらニコニコするべし。

...ちなみに、個人的には、天職あるいは適職なんてないと思うのだな〜
教師は教師をやりながら教師らしくなって行く。
医者は医者をやりながら医者らしくなって行く。
人は、その仕事をしながら、その仕事に適した人になって行く。
そこに学習の可能性、教育の可能性があるのだ、と思いたいな〜
だってさぁ〜、就職する前に(それも若いうちに)、あなたに適した職業はこれでぇ〜す(これしかありませぇ〜ん)、と、決められていたら、つまんないんじゃないのかな〜
これはこれで、1つのテーマになるか...うへー、このままだと、だんだん(うつ病の)日記から離れて行きそうだ...いい加減にやめよっ


これまた「瞑想」に関係して仕入れた話。
七福神の布袋様が、いつもニコニコしているあの布袋様が、瞑想している様子を見ていた人がいたらしい。
とんでもない形相で、怖い顔で、瞑想していたらしい。で、瞑想が終わった時、その様子を見ていた人が尋ねた。
いつもニコニコしているのに、なんでまた、あのようなお顔になってしまっているのですか?
笑うのにはエネルギーが必要なんだな〜
瞑想して、そのエネルギーをためているのだな〜
はい、あたしもそーです。人前でニコニコするために、ほとんどのエネルギーを使っている感じぃ〜みたいな〜
幸いな事に、病名がついてから、疲れるということがようやくわかるようになってきた。90分の授業をわずか1コマするだけでもうヘトヘトでありまする、とほほぉ〜
多分、加齢もあるのだろうね〜
では、どこからエネルギーをもらうのか?
やはり、何といっても授業を聞いてくださっている受講生の皆さんの「なるほど!」「わかった!」という反応(指導生がそれなりに学会発表するとか、それなりに学会誌に投稿するというのも含む)、談志の落語、志の輔の落語、そしておいしいものを食し旨い酒を飲む、かな。もっとも、うまくやらないと、疲れてしまうだけ、という場合もある(病名がついてからはとみにそうかな)から、困るけど...

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コメント(8)

笑…読んでいて思わず何度か笑ってしまいました。ニコニコの練習ですか・・なるほど!とニヤニヤ(ニコニコとちょっと違うかも)。なんか、その練習風景を想像したらおかしくて…久しぶりに笑わせていただきました(ばっちりお客の心を掴んでいますよ!)。
それと─

教師は教師をやりながら教師らしくなって行く。
医者は医者をやりながら医者らしくなって行く。
人は、その仕事をしながら、その仕事に適した人になって行く。

…この言葉には何気に感動してしまいました。本当に素直に。自分自身、今一番考えていること(悩みに悩んでいること)が将来の仕事だったんです。「こんなに精神がグラついている人間が、こっち方面の道に進むのは…うーん、半ば賭けに近いなあ」なんて。
でも、我がボス(←笑)にそんなことを相談しようものなら、「こいつは危険因子だ」という感じで、逆に具合が悪くなってしまいかねないし。
となると、当然自分の進路(進学)が危うくなるわけで…。
こんな感じで毎日悶々としておりました。鬱々している原因の一つかもしれません。
だから、自分が就いた職を自らが‘天職’にしてしまえばよいと考えると、気持ちがだいぶ軽くなりました。謝々。

…で、ニコニコの話題にもどりますが─

やっぱり、あの(営業)スマイルには沢山のエネルギーが費やされていたんですね〜
シリアスな話でも始終「ニコニコ」しているし、そんな時私は「ヒヤヒヤ」しながら見ておりました。ネタはネタでも…つらくはないのだろうか…と。
でも、そのニコニコの源が生徒の「なるほど!」「わかった!」
といった反応とは!…うーん、客泣かせですねえ〜
十分健全ですよ。うん、間違いなく。

シリアスな話、ねぇ〜
確かに、聞いている方々はとても困ったような顔をしておりますな。だからこそ、あたしがニコニコしていないとまずいのでござる。
ちなみに、ニコニコの練習があるのだから、ニヤニヤの練習もあるのよん。
最悪は、「もし、皆さんがあたしを見ていて、鬱病ではない、あるはすがない、と考えた、あるいは考えていたとしたら、それは、皆さんが持ってしまっている土着の知識・信念体系が発動した証拠だよ〜ん」なんてたたみかけてしまうことかな。
聞いている方々はたいていの場合、教育に携わろうとしている(若い)方々だから、偏見を持ってはいけないという偏見に対する偏見が根強いのだと思う。だからこそ、自身の偏見が露呈しないように「シリアスな顔」「沈痛な顔」「無表情」になるのだと思うな〜。
長くなりそうだ。偏見に関しては、別に立てようかねぇ〜。

むむ…
偏見を持ってはならないという偏見に対する偏見…
なかなか難しいですねえ。

考えていると、自分自身が実はある種の偏見の塊を持っている気がしてきたり─
…ときたあたりで思考を逸らしてしまいました笑。

そもそも、偏見のない人間は居ない。

なるほど。

でも偏見って、やはり悪いものなんでしょうか。よくわからなくなってきました…どうでもいいことですけど。

それって、偏見に対する不当な差別ではないかな〜
ちなみに弁別学習の弁別を英語にすると?
さらに、その英単語に含まれる意味を精査すると?
人は差別せずして生きられぬと心理学は考えているのかもね〜
理想的には自らの偏見を知ること。そこから始まる、と、考えたい。

弁別…
弁別する→識別する?とみて…

discern …
 ・〜を(目や心で)はっきり見る、見分ける
 ・〜の差異を識別(判別)する
 ・〜であることに気づく

名詞になると…

 ・識別、認識、洞察力、明敏さ


…ああ、偏見の偏見、でした。

うーん、ほんと、学問体系が細かく分類され、整備された結果かもしれないけど、あたしが知っていることを、知らない学生さんが少なからずいるというのも、なんだかね〜
ちなみに、弁別学習は
discrimination learning
で、discriminationは、
差別
になってしまうのだな〜
心理学は凄い。人間は差別なしには生きられない、人間の本質をついていると思うのだけど。学生の時にこの話を聞いて、かなり驚きました、はい。

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